ベッドに入っても、ちっとも眠れない。
もう日付が変わってしまっているというのに、妙に目が冴えていた。


不安、緊張、怖さ……。
私の心を包むのは、よくない感情ばかり。


まるで、マリッジブルーになったみたいだ。
少し前に消えた雨音のせいで静かになったからか、余計に心細さのようなものを感じた。


(ダメだ、眠れない……)


何度目かわからない寝返りを打ち、ため息をつく。
ベッドの中でもぞもぞと動くのにも飽きて、開き直るように体を起こした。


(散歩でもしようかな)


こんな時間に外に出るなんて、母が起きていたら『危ないわよ』と言うだろう。
けれど、両親の姉ももう眠っているはず。


今は、なんとなく家にいたくない。
少しでいいから、外の空気が吸いたい。


悩んだのは数分のことで、素直な心のままにベッドから出る。
カーディガンを羽織り、忍び足で階段を下りた。


キーケースとスマホだけを手に、玄関のドアをそっと開ける。
深夜の静寂の中、私は思春期の高校生が家を抜け出すように外に逃げた。


雨上がり特有の水の匂いが、鼻先をくすぐる。
じめじめとした暑さは消え、水を纏った夜風はひんやりと冷たくて心地よかった。


胸いっぱいに空気を吸うように深呼吸をすれば、部屋の中にいたときに感じていた息苦しさが和らいだ。


ゆっくりと歩き出す。
あてもなく進むには、深夜の道は少しばかり心許ない。
どうしようかなぁ、と心の中で呟いたとき、近所の公園が脳裏に浮かんだ。


生まれたときからこの街に住んでいる私にとって、慣れ親しみすぎた場所。
敷地内の一角に滑り台とブランコとシーソーがあり、残りは天然芝の広場になっている。


今の季節なら、ちょうど紫陽花が見頃だ。
家の玄関に飾られている姉と私の写真も、二十年くらい前のこの時期に撮ったものだった。


公園に着くと、雨上がりの草の匂いがした。
濡れた芝生を踏めば、水を含んだ土と草の香りが上がってくる。


子どもの頃にお気に入りだった遊具は、どれも新しくなっていた。
滑り台はカラフルに塗り替えられ、ブランコは赤から青に、スタンダードな形だったシーソーは小さな回転シーソーに変わっている。
よく知った場所なのに、ここだけ見れば知らないところみたいだ。


「ブランコ、こんなに小さかったっけ」


まだ濡れているブランコに立って乗り、ゆっくりと漕いでみる。
鎖を持って軽く膝を曲げたり伸ばしたりすると、ブランコは振り子のように大きく揺れ始めた。


子どもの頃は、ここから見る景色が好きだった。
風を切ってブランコを漕げば漕ぐほど、空に近づける気がした。


あの頃はまだなにも知らなくて、どんな大人にでもなれると思っていた。
現実に気づいたのは、いつの頃だっただろうか。


社会に出て一年も過ぎた今は、物事は上手くいかないことの方が多いと知った。
大人にはなれたけれど、何者にもなれなかった。


ふっと悲しみが押し寄せてきて、朝が来るのが怖くなる。
深夜の公園にひとりでいるとこの世界に取り残された気持ちになるのに、それでもいいから明日が来ないでほしいと思ってしまった。