オリエンテーション当日。時計はいつもより30分早く目覚ましを鳴らした。高校の前に7時半集合なので、いつもより早く起きなければ間に合わない。
朝ご飯を食べた後、いつもの制服ではなく今日は体操服に着替える。スクールバッグより大きな荷物を持つと、一気に今日がオリエンテーション当日だという実感が湧いた。
大きな旅行用のバッグには、いつもの教科書とは違って着替えやタオルなどが大半を占めている。それと、いつも持っているぬいぐるみ。スクールバッグの三分の一ほどの大きさだったぬいぐるみは、旅行用のバッグに入れると小さく感じる。
最後に部屋のタンスの上に並んでいる小さな沢山のぬいぐるみの中から、小さな薄茶色のくまのぬいぐるみを体操服のポケットに入れた。教室と違ってスクールバッグを自分の机にかけて置くことは出来ない。手のひらサイズのぬいぐるみをポケットに入れておくことも必要だろう。
そして、部屋を出る前に私は大きく深呼吸をした。
「よし!」
部屋を出て玄関に降りると、お母さんがリビングから出てくる。
「もう行くの?気をつけてね。もし何かあったらすぐに連絡して。それと……」
心配でいつもより沢山話すお母さんの言葉を最後まで聞いていると、病気になってから外泊したことがないことに気づいた。病気に慣れていなかった中学は、修学旅行すら参加出来なかった。
「それと、奈々花」
「ん?」
「折角だから、出来るだけ楽しんできなさい」
その言葉に私は頷いて、玄関の扉を開けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」と返したお母さんの声が少しだけ震えている気がして、もう一度「大丈夫だよ」と言うために戻ろうかと思ったがすぐに思い直す。
きっと今戻って「大丈夫」と言っても、お母さんは安心出来ないだろう。だって本当に私を心配してくれている。
だから、ちゃんと無事に帰ってきて笑顔で「ただいま」と言おう。きっとそれが一番な気がした。
空を見上げると太陽が眩しいような快晴で、それがどこか嬉しかった。
高校に着くと、もう20人ほど来ていた。担任の先生にまず出席を伝えないと。川北先生に近づくと、先生がすぐに私に気づく。
「川崎、おはよう」
「おはようございます」
出席確認の紙に名前を書いた後、簡単な質問にチェックをつけていく。「水分を持ってきたか」とかそんな簡単な質問。
それでも、最後の質問は私にとって難しくて。
「体調に異常がなく、健康である」
分かっている。この質問は風邪などをひいていないか、いつもと違う不調はないかを聞くもの。それでもその質問にチェックをつけている時、どこか心が痛くなって泣きそうになった。
その時、誰かが後ろから私の肩をトントンと叩いた。
「おはよう、川崎さん」
「菅谷くん……おはよう」
菅谷くんは私に挨拶を済ますと、すぐに川北先生から出席確認の紙を受け取って書いている。菅谷くんはサラサラと紙を書き終えると、先生に渡して友達のところへ走っていく。
その後、すぐに集合がかかって皆んなバスに乗り込んだ。席に余裕のあるバスにわざと最後の方に乗り込んで、私は隣がいない席に座る。走り出したバスで窓の外を見ながら、先ほどの光景を思い出した。
当たり前のように今日も笑顔で人気者の菅谷くんは、体調確認の紙をスラスラと書いて提出した。
菅谷くんが本当に体調が良かったのか、無理をしていたのかは分からない。もし体調が良かったのなら、それ以上に良いことはないだろう。ただもし菅谷くんが無理をしながらチェックをしたのなら、それは辛い中で平静を装うのに慣れすぎているのかもしれない。
菅谷くんが私から離れた後、先生は私に「川崎、何かあったらすぐに言うんだぞ。無理はするな」と言ってくれた。
病気を伝えている人からは気を遣われる。教えていない人からは配慮されない代わりに、普通の対応をしてもらえる。それは当然のことだと分かっているつもりだ。
分かっているのに……誰にも辛さを共有していない菅谷くんは誰の前で弱さを見せれるというのだろう。
隣に誰もいないバスの中は考え事をしてしまう。騒がしいバスの中で私は大きなバッグを隣の席に置いて、バッグの取っ手を掴んでいた。何かを掴んでいる時は、症状が出にくい。
二時間ほどのバスでの移動中、私は眠ることも出来ないまま窓の外の風景を見つめていた。
「着いたー!」
「めっちゃ長かったんだけどー」
「俺、腰いてぇ!」
「あはは、お爺ちゃんじゃん!」
人気の少ない海の近くでバスから降りると、生徒たちが次々と海の方向へ走っていく。
「えー!綺麗すぎる!」
「やば!青春じゃん!」
「俺、もう入りたいんだけど!」
そんな興奮している生徒達に先生が大きな声で集合をかける。
「はーい、全員集合ー!まずはクラスごとに出席番号順に整列ー!」
ゾロゾロと生徒達が整列を終えると、先生がオリエンテーションの説明を始めていく。
「まず事前に決めた班ごとにゴミを集めていって、二時間後に昼休憩も兼ねて近くのキャンプ場でカレー作りを行う。午後からはまたこの場所に戻って30分ほど作業した後、しばらく自由行動にしようと思っている」
先生の自由行動という言葉に生徒達から嬉しそうな声が上がる。隣のクラスの男子が手を挙げて、大きな声で質問をした。
「自由行動の時は、海に入ってもいいんですかー!」
「お前、まだ四月だぞ……まぁ、個人の判断で足をつけるくらいは良いか」
先生の言葉に「やったー!」とか「え、めっちゃ最高じゃん!着替え持ってきて良かった!」とか男女両方から歓声が上がる。盛り上がっている生徒達を先生が「静かに!」と大きな声で制止する。
「とりあえずは海辺を綺麗にしてからだ。自由時間はそのご褒美。ちゃんと作業しないと午後からもゴミ拾いになるぞ」
先生が注意をしても生徒達の気持ちはもう盛り上がったままだった。きっとそれは先生も分かっている。
「これは新入生オリエンテーションだから、お互いコミュニケーションも大事にするように!じゃあ、まずは班ごとにゴミ袋とトングと軍手を教頭先生の所に貰いにいくことー」
先生の言葉で班ごとに生徒達が集まり、教頭先生のところに列を作っていく。私たちの班もすぐに集まり始める。
「川崎さん、美坂さん!」
美坂さんと合流すると同時に、菅谷くんと草野くんが二人で近くに来てくれる。そして教頭先生の所に並ぶと、前には十組ほどいてまだ時間がかかりそうである。
「川崎さん、美坂さん、ごめん!」
列に並んでいると草野くんが急に私たちに謝った。そして、申し訳なさそうに私たちの顔を見る。
「実は俺、めっちゃ料理下手なんだよね……カレー作り絶対戦力になれねぇ。あ!でも、代わりにゴミ拾いは任せて!どんな重いもんでも持つから!これでも中学からサッカー部だし、運動は得意!」
草野くんの可愛い宣言に私と美坂さんは笑ってしまう。すぐに慌てて笑顔を抑える私とは違って、美坂さんはそのまま草野くんと話している。
「美坂さんって、もう部活入ってる?」
「うん、入部は一応終わったよ。美術部。まだ活動は始まってないけど。だから私は逆でゴミ拾いで役に立たないかも」
「そこは俺に任せて!代わりにカレー作りお願いします!」
美術部……その言葉に胸がドクッと速なり始めたのが分かった。理由は分かるようで、でもどこか認めたくなくて。
「おい、草野。俺には謝らねーの?」
「いや、どう考えても菅谷は俺と一緒で料理出来ねーだろ」
「おい!偏見やめろ!」
「じゃあ、料理出来んの?」
「あんま出来ねーけど……」
「あはは、やっぱ菅谷は菅谷だな」
「草野と違ってたまにはするから!ていうか草野だけには言われたくねー」
「ていうか、菅谷って高校ではサッカー部入らねーの?」
草野くんの質問を聞く限り菅谷くんが中学校の時にサッカー部だったのだろうか?
しかし草野くんがその質問をした瞬間、菅谷くんの顔に少しだけ焦りが見えた気がした。しかし、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「俺は高校は帰宅部がいいんですー。それに俺は才能が溢れてるからどの競技もそれなりに出来るし!」
「うわ、うぜー!」
「あはは、草野とは才能が違うしな」
「おい!菅谷!」
草野くんが菅谷くんの肩を組みながら、菅谷くんにわざと体重をかけて遊んでいる。
菅谷くんももしかして、「寂しさ」のせいで部活が出来ないのだろうか……ううん、私には関係ない話だ。私だって言いたくない過去はあるし、明かせない「頻発性哀愁症候群」という病を抱えている。
そんなことを考えていると、順番が私たちの班に回ってきて教頭先生が私たちに声をかける。
「おーい、ゴミ袋とトングと手袋配るぞー」
「はーい」
ゴミ拾いの道具を貰った後、私たちはすぐに海辺の端へ向かった。
朝ご飯を食べた後、いつもの制服ではなく今日は体操服に着替える。スクールバッグより大きな荷物を持つと、一気に今日がオリエンテーション当日だという実感が湧いた。
大きな旅行用のバッグには、いつもの教科書とは違って着替えやタオルなどが大半を占めている。それと、いつも持っているぬいぐるみ。スクールバッグの三分の一ほどの大きさだったぬいぐるみは、旅行用のバッグに入れると小さく感じる。
最後に部屋のタンスの上に並んでいる小さな沢山のぬいぐるみの中から、小さな薄茶色のくまのぬいぐるみを体操服のポケットに入れた。教室と違ってスクールバッグを自分の机にかけて置くことは出来ない。手のひらサイズのぬいぐるみをポケットに入れておくことも必要だろう。
そして、部屋を出る前に私は大きく深呼吸をした。
「よし!」
部屋を出て玄関に降りると、お母さんがリビングから出てくる。
「もう行くの?気をつけてね。もし何かあったらすぐに連絡して。それと……」
心配でいつもより沢山話すお母さんの言葉を最後まで聞いていると、病気になってから外泊したことがないことに気づいた。病気に慣れていなかった中学は、修学旅行すら参加出来なかった。
「それと、奈々花」
「ん?」
「折角だから、出来るだけ楽しんできなさい」
その言葉に私は頷いて、玄関の扉を開けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」と返したお母さんの声が少しだけ震えている気がして、もう一度「大丈夫だよ」と言うために戻ろうかと思ったがすぐに思い直す。
きっと今戻って「大丈夫」と言っても、お母さんは安心出来ないだろう。だって本当に私を心配してくれている。
だから、ちゃんと無事に帰ってきて笑顔で「ただいま」と言おう。きっとそれが一番な気がした。
空を見上げると太陽が眩しいような快晴で、それがどこか嬉しかった。
高校に着くと、もう20人ほど来ていた。担任の先生にまず出席を伝えないと。川北先生に近づくと、先生がすぐに私に気づく。
「川崎、おはよう」
「おはようございます」
出席確認の紙に名前を書いた後、簡単な質問にチェックをつけていく。「水分を持ってきたか」とかそんな簡単な質問。
それでも、最後の質問は私にとって難しくて。
「体調に異常がなく、健康である」
分かっている。この質問は風邪などをひいていないか、いつもと違う不調はないかを聞くもの。それでもその質問にチェックをつけている時、どこか心が痛くなって泣きそうになった。
その時、誰かが後ろから私の肩をトントンと叩いた。
「おはよう、川崎さん」
「菅谷くん……おはよう」
菅谷くんは私に挨拶を済ますと、すぐに川北先生から出席確認の紙を受け取って書いている。菅谷くんはサラサラと紙を書き終えると、先生に渡して友達のところへ走っていく。
その後、すぐに集合がかかって皆んなバスに乗り込んだ。席に余裕のあるバスにわざと最後の方に乗り込んで、私は隣がいない席に座る。走り出したバスで窓の外を見ながら、先ほどの光景を思い出した。
当たり前のように今日も笑顔で人気者の菅谷くんは、体調確認の紙をスラスラと書いて提出した。
菅谷くんが本当に体調が良かったのか、無理をしていたのかは分からない。もし体調が良かったのなら、それ以上に良いことはないだろう。ただもし菅谷くんが無理をしながらチェックをしたのなら、それは辛い中で平静を装うのに慣れすぎているのかもしれない。
菅谷くんが私から離れた後、先生は私に「川崎、何かあったらすぐに言うんだぞ。無理はするな」と言ってくれた。
病気を伝えている人からは気を遣われる。教えていない人からは配慮されない代わりに、普通の対応をしてもらえる。それは当然のことだと分かっているつもりだ。
分かっているのに……誰にも辛さを共有していない菅谷くんは誰の前で弱さを見せれるというのだろう。
隣に誰もいないバスの中は考え事をしてしまう。騒がしいバスの中で私は大きなバッグを隣の席に置いて、バッグの取っ手を掴んでいた。何かを掴んでいる時は、症状が出にくい。
二時間ほどのバスでの移動中、私は眠ることも出来ないまま窓の外の風景を見つめていた。
「着いたー!」
「めっちゃ長かったんだけどー」
「俺、腰いてぇ!」
「あはは、お爺ちゃんじゃん!」
人気の少ない海の近くでバスから降りると、生徒たちが次々と海の方向へ走っていく。
「えー!綺麗すぎる!」
「やば!青春じゃん!」
「俺、もう入りたいんだけど!」
そんな興奮している生徒達に先生が大きな声で集合をかける。
「はーい、全員集合ー!まずはクラスごとに出席番号順に整列ー!」
ゾロゾロと生徒達が整列を終えると、先生がオリエンテーションの説明を始めていく。
「まず事前に決めた班ごとにゴミを集めていって、二時間後に昼休憩も兼ねて近くのキャンプ場でカレー作りを行う。午後からはまたこの場所に戻って30分ほど作業した後、しばらく自由行動にしようと思っている」
先生の自由行動という言葉に生徒達から嬉しそうな声が上がる。隣のクラスの男子が手を挙げて、大きな声で質問をした。
「自由行動の時は、海に入ってもいいんですかー!」
「お前、まだ四月だぞ……まぁ、個人の判断で足をつけるくらいは良いか」
先生の言葉に「やったー!」とか「え、めっちゃ最高じゃん!着替え持ってきて良かった!」とか男女両方から歓声が上がる。盛り上がっている生徒達を先生が「静かに!」と大きな声で制止する。
「とりあえずは海辺を綺麗にしてからだ。自由時間はそのご褒美。ちゃんと作業しないと午後からもゴミ拾いになるぞ」
先生が注意をしても生徒達の気持ちはもう盛り上がったままだった。きっとそれは先生も分かっている。
「これは新入生オリエンテーションだから、お互いコミュニケーションも大事にするように!じゃあ、まずは班ごとにゴミ袋とトングと軍手を教頭先生の所に貰いにいくことー」
先生の言葉で班ごとに生徒達が集まり、教頭先生のところに列を作っていく。私たちの班もすぐに集まり始める。
「川崎さん、美坂さん!」
美坂さんと合流すると同時に、菅谷くんと草野くんが二人で近くに来てくれる。そして教頭先生の所に並ぶと、前には十組ほどいてまだ時間がかかりそうである。
「川崎さん、美坂さん、ごめん!」
列に並んでいると草野くんが急に私たちに謝った。そして、申し訳なさそうに私たちの顔を見る。
「実は俺、めっちゃ料理下手なんだよね……カレー作り絶対戦力になれねぇ。あ!でも、代わりにゴミ拾いは任せて!どんな重いもんでも持つから!これでも中学からサッカー部だし、運動は得意!」
草野くんの可愛い宣言に私と美坂さんは笑ってしまう。すぐに慌てて笑顔を抑える私とは違って、美坂さんはそのまま草野くんと話している。
「美坂さんって、もう部活入ってる?」
「うん、入部は一応終わったよ。美術部。まだ活動は始まってないけど。だから私は逆でゴミ拾いで役に立たないかも」
「そこは俺に任せて!代わりにカレー作りお願いします!」
美術部……その言葉に胸がドクッと速なり始めたのが分かった。理由は分かるようで、でもどこか認めたくなくて。
「おい、草野。俺には謝らねーの?」
「いや、どう考えても菅谷は俺と一緒で料理出来ねーだろ」
「おい!偏見やめろ!」
「じゃあ、料理出来んの?」
「あんま出来ねーけど……」
「あはは、やっぱ菅谷は菅谷だな」
「草野と違ってたまにはするから!ていうか草野だけには言われたくねー」
「ていうか、菅谷って高校ではサッカー部入らねーの?」
草野くんの質問を聞く限り菅谷くんが中学校の時にサッカー部だったのだろうか?
しかし草野くんがその質問をした瞬間、菅谷くんの顔に少しだけ焦りが見えた気がした。しかし、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「俺は高校は帰宅部がいいんですー。それに俺は才能が溢れてるからどの競技もそれなりに出来るし!」
「うわ、うぜー!」
「あはは、草野とは才能が違うしな」
「おい!菅谷!」
草野くんが菅谷くんの肩を組みながら、菅谷くんにわざと体重をかけて遊んでいる。
菅谷くんももしかして、「寂しさ」のせいで部活が出来ないのだろうか……ううん、私には関係ない話だ。私だって言いたくない過去はあるし、明かせない「頻発性哀愁症候群」という病を抱えている。
そんなことを考えていると、順番が私たちの班に回ってきて教頭先生が私たちに声をかける。
「おーい、ゴミ袋とトングと手袋配るぞー」
「はーい」
ゴミ拾いの道具を貰った後、私たちはすぐに海辺の端へ向かった。