その日は、五月の中旬にしては蒸し暑い日だった。その日の午後は、オリエンテーションの振り返りを兼ねた学年集会が行われていた。体育館で学年主任の先生がマイクを持って話している。
「……新入生オリエンテーションも終わり、六月の半ばには中間テストもあります。テスト前に焦るのではなく、今から予習復習をしながらテスト勉強を……」
きっと生徒の多くが「早く終わらないかな」と思っているような耳が痛くなる話。早く終わって欲しいと思っている生徒は多いだろうけれど、きっと私と同じ理由で終わって欲しいと思っている人はいないだろう。
学年集会でスクールバッグを持ってくる人なんていない。つまり、いつもバッグに入れているぬいぐるみも持ち込めない。
オリエンテーションの時に持って行った手のひらサイズのぬいぐるみを制服のポケットに入れようと思ったが、手のひらサイズでも学年集会でぬいぐるみを握りしてめいたら隣の人にバレてしまう。
学年集会などの静かな場所は症状が出やすいのに、目立つのが嫌な私には一番出て欲しくない場所。
寂しい。
顔を出しそうになる感情をなんとか押さえつけながら、心の中で何度もいつもの言葉を唱える。
「大丈夫。寂しくない。寂しくないよ」
私は症状をなんとか抑えようとしながら、菅谷くんのことが頭をよぎった。
菅谷くんが大丈夫か心配なのに、出席番号順に並ぶ学年集会では菅谷くんは私の後ろ側になってしまう。菅谷くんに視線を向けたくても、振り向くことは出来なくて。
そんな心配をしながらも、私は自分の症状を抑えることで精一杯だった。
だから、きっと……そんな最低な私は菅谷くんに学年集会の始まる前にも声をかけなかった。
菅谷くんから相談されるまで待っていた。菅谷くんもあまり聞かれたくないだろうって。それが正しいと思っていた。
全校集会が始まって三十分、静かな体育館に大きな音が響き渡る。
ドン。
生徒たちがザワザワし始めて音のする方を振り返ると、私のクラスの列で人だかりが出来ている。
「川北先生!木本先生!すぐに保健の先生を呼んできて!それと救急車!」
ゾッ、と身体が芯から冷えたのが分かった。身体は動かないのに、心臓だけドクドクと聞いたことがないくらい早く鳴り響いている。
「菅谷!」
人だかりの中の菅谷くんの友達の焦った声が体育館に響き渡った。
人だかりのせいで倒れている人物を確認することは出来ない。それからの先生たちの対処は早くて、すぐに倒れた生徒は運び出されていく。
何が起こっているの?
そう心の中で問いかける自分がいるのに、心のどこかでは何が起こったのかを理解していた。
学年集会は倒れた生徒が運び出されると、続きが再開される。それでも生徒たちが集中できていないのは先生も分かっているようで、すぐに学年集会は終わり生徒たちは自分たちの教室に戻っていく。
「菅谷倒れたんだって!」
「なんで!?」
「熱中症じゃねーの!」
「五月は早すぎない?」
「でも、今日めっちゃ暑いじゃん!」
ザワザワとクラスはいつもより騒がしくて、菅谷くんの名前が飛び交っている。私は自分の席に座りながらも、心臓は早く鳴り響いたままだった。
その時、川北先生が教室に入ってくる。
「先生!菅谷大丈夫なの!?」
男子生徒がそう聞いたのを、川北先生が「今、説明するから座れ」と注意している。
全員が席につくと、川北先生が軽く菅谷くんについて触れた。
「菅谷は倒れて病院に搬送されたが、もう意識も戻って大丈夫だそうだ」
誰かが「熱中症ってことー?」と先生に聞いている。
「そこまではまだ分からない。それに関してはまず個人情報だしな。先生の口から説明するつもりはない」
川北先生の言葉に生徒たちは口々に話し始める。
「絶対熱中症じゃん」
「菅谷、大丈夫かな」
「熱中症は大丈夫じゃねーだろ」
川北先生は「静かに!」と生徒たちを注意した後、帰りのホームルームを始めた。
帰りのホームルームが終わった後も、私は席を立つことが出来なかった。次々と教室からいなくなっていく生徒たちを呆然を眺めていた。
どうして声をかけなかったの?
学年集会がこの病気の人には辛いって知ってたでしょ?
自分だけが辛いとでも思っているの?
心の中で自分を責め立てる言葉ばかりが湧き出てきてしまう。菅谷くんの病気を知っているのはこのクラスで私だけだったのに。菅谷くんを助けられるのは私だけだったかもしれないのに。
菅谷くんから前に送られた連絡を見返す。
「頻発性哀愁症候群だった」
その文字を見ているだけで涙が出てきそうになる。
何とか家に帰った後はずっと菅谷くんにメッセージを送るか悩んでいた。送ったら迷惑だろうか。でも電話じゃなくてメッセージなら好きな時に見れるし……色んな考えが浮かんで上手く頭が働かない。
その時、オリエンテーションの班のグループから通知が入った。草野くんが「菅谷大丈夫かー!?」とメッセージを送っている。
草野くんのような素直な優しさが私にあれば良かっただけの話なのに。草野くんに続いて美坂さんも「大丈夫?ゆっくり休んでね。高校のプリントとかノートの写真欲しかったらいつでも連絡して」とメッセージを送っている。
私もきっとこの流れでメッセージを送ればいいのかもしれない。それでも、私は菅谷くんの病気を知らなかった二人とは違う。私は菅谷くんの個人のトークルームを開く。文字を打っては消してを繰り返して、何とか文章を書き上げる。
「菅谷くん、大丈夫ですか?
いつでも話を聞くし、何でも相談してほしい。とりあえず今はゆっくり休んで。
クラスのみんなは菅谷くんが『熱中症』だと思っています」
本当は「ごめんなさい」と送りたかった。謝りたかった。でも、それは私の自己満足にしかならないから。
きっと菅谷くんはクラスのみんなに病気がバレることを一番嫌がるだろう。クラスのみんなには頻発性哀愁症候群のことはバレていないと伝えてあげたかった。
勇気を出して送信ボタンを押す。送った後は文章を読み返さずに、すぐに携帯を閉じた。
その日の夜はあまり眠れなくて、朝が来るまでとても長く感じた。
「……新入生オリエンテーションも終わり、六月の半ばには中間テストもあります。テスト前に焦るのではなく、今から予習復習をしながらテスト勉強を……」
きっと生徒の多くが「早く終わらないかな」と思っているような耳が痛くなる話。早く終わって欲しいと思っている生徒は多いだろうけれど、きっと私と同じ理由で終わって欲しいと思っている人はいないだろう。
学年集会でスクールバッグを持ってくる人なんていない。つまり、いつもバッグに入れているぬいぐるみも持ち込めない。
オリエンテーションの時に持って行った手のひらサイズのぬいぐるみを制服のポケットに入れようと思ったが、手のひらサイズでも学年集会でぬいぐるみを握りしてめいたら隣の人にバレてしまう。
学年集会などの静かな場所は症状が出やすいのに、目立つのが嫌な私には一番出て欲しくない場所。
寂しい。
顔を出しそうになる感情をなんとか押さえつけながら、心の中で何度もいつもの言葉を唱える。
「大丈夫。寂しくない。寂しくないよ」
私は症状をなんとか抑えようとしながら、菅谷くんのことが頭をよぎった。
菅谷くんが大丈夫か心配なのに、出席番号順に並ぶ学年集会では菅谷くんは私の後ろ側になってしまう。菅谷くんに視線を向けたくても、振り向くことは出来なくて。
そんな心配をしながらも、私は自分の症状を抑えることで精一杯だった。
だから、きっと……そんな最低な私は菅谷くんに学年集会の始まる前にも声をかけなかった。
菅谷くんから相談されるまで待っていた。菅谷くんもあまり聞かれたくないだろうって。それが正しいと思っていた。
全校集会が始まって三十分、静かな体育館に大きな音が響き渡る。
ドン。
生徒たちがザワザワし始めて音のする方を振り返ると、私のクラスの列で人だかりが出来ている。
「川北先生!木本先生!すぐに保健の先生を呼んできて!それと救急車!」
ゾッ、と身体が芯から冷えたのが分かった。身体は動かないのに、心臓だけドクドクと聞いたことがないくらい早く鳴り響いている。
「菅谷!」
人だかりの中の菅谷くんの友達の焦った声が体育館に響き渡った。
人だかりのせいで倒れている人物を確認することは出来ない。それからの先生たちの対処は早くて、すぐに倒れた生徒は運び出されていく。
何が起こっているの?
そう心の中で問いかける自分がいるのに、心のどこかでは何が起こったのかを理解していた。
学年集会は倒れた生徒が運び出されると、続きが再開される。それでも生徒たちが集中できていないのは先生も分かっているようで、すぐに学年集会は終わり生徒たちは自分たちの教室に戻っていく。
「菅谷倒れたんだって!」
「なんで!?」
「熱中症じゃねーの!」
「五月は早すぎない?」
「でも、今日めっちゃ暑いじゃん!」
ザワザワとクラスはいつもより騒がしくて、菅谷くんの名前が飛び交っている。私は自分の席に座りながらも、心臓は早く鳴り響いたままだった。
その時、川北先生が教室に入ってくる。
「先生!菅谷大丈夫なの!?」
男子生徒がそう聞いたのを、川北先生が「今、説明するから座れ」と注意している。
全員が席につくと、川北先生が軽く菅谷くんについて触れた。
「菅谷は倒れて病院に搬送されたが、もう意識も戻って大丈夫だそうだ」
誰かが「熱中症ってことー?」と先生に聞いている。
「そこまではまだ分からない。それに関してはまず個人情報だしな。先生の口から説明するつもりはない」
川北先生の言葉に生徒たちは口々に話し始める。
「絶対熱中症じゃん」
「菅谷、大丈夫かな」
「熱中症は大丈夫じゃねーだろ」
川北先生は「静かに!」と生徒たちを注意した後、帰りのホームルームを始めた。
帰りのホームルームが終わった後も、私は席を立つことが出来なかった。次々と教室からいなくなっていく生徒たちを呆然を眺めていた。
どうして声をかけなかったの?
学年集会がこの病気の人には辛いって知ってたでしょ?
自分だけが辛いとでも思っているの?
心の中で自分を責め立てる言葉ばかりが湧き出てきてしまう。菅谷くんの病気を知っているのはこのクラスで私だけだったのに。菅谷くんを助けられるのは私だけだったかもしれないのに。
菅谷くんから前に送られた連絡を見返す。
「頻発性哀愁症候群だった」
その文字を見ているだけで涙が出てきそうになる。
何とか家に帰った後はずっと菅谷くんにメッセージを送るか悩んでいた。送ったら迷惑だろうか。でも電話じゃなくてメッセージなら好きな時に見れるし……色んな考えが浮かんで上手く頭が働かない。
その時、オリエンテーションの班のグループから通知が入った。草野くんが「菅谷大丈夫かー!?」とメッセージを送っている。
草野くんのような素直な優しさが私にあれば良かっただけの話なのに。草野くんに続いて美坂さんも「大丈夫?ゆっくり休んでね。高校のプリントとかノートの写真欲しかったらいつでも連絡して」とメッセージを送っている。
私もきっとこの流れでメッセージを送ればいいのかもしれない。それでも、私は菅谷くんの病気を知らなかった二人とは違う。私は菅谷くんの個人のトークルームを開く。文字を打っては消してを繰り返して、何とか文章を書き上げる。
「菅谷くん、大丈夫ですか?
いつでも話を聞くし、何でも相談してほしい。とりあえず今はゆっくり休んで。
クラスのみんなは菅谷くんが『熱中症』だと思っています」
本当は「ごめんなさい」と送りたかった。謝りたかった。でも、それは私の自己満足にしかならないから。
きっと菅谷くんはクラスのみんなに病気がバレることを一番嫌がるだろう。クラスのみんなには頻発性哀愁症候群のことはバレていないと伝えてあげたかった。
勇気を出して送信ボタンを押す。送った後は文章を読み返さずに、すぐに携帯を閉じた。
その日の夜はあまり眠れなくて、朝が来るまでとても長く感じた。