いつもなら、一人きりの夕暮れの帰り道。でも、今日は隣に眞央がいる。
「ねえ、富木くんってさ、彼女いるの? いないよね? だから二人きりになっても問題ないよね?」
大きなお世話だ。こういう質問をされるから、人付き合いは嫌いなのだ。一人きりなら今ごろ、家に帰って何をしようか、とワクワクして、スキップするかのように身軽に帰っていたのに。これじゃ、地獄だ。
「いないよ」
「やっぱり!」
「眞央さん、それ、セクハラだと思うけど」
「……ごめん。それより、今日は天気がいいし、温かいから過ごしやすいね」
こういう、差し障りのない気候の話で掛け合いして間をつなぐのも、超嫌い。
「うん」とボクは素っ気なく返事した。
市役所近くの寂れた駅に着くと、いつもの3番出入口に並んで電車を待つ。
さっさと眞央を公園に送り届けて、一人になりたい。
変わらない日常が、眞央のせいで急に変わって歪み出した。
帰宅時間帯の電車は、いつもどおり混んでいて、そこに眞央と乗り込むと距離が縮まり、ボクの右腕と眞央の左腕が接してしまう。
眞央の人肌の体温が伝わってきた。
お互いの顔も近い。メガネをした眞央の顔を間近で見て、それで視線が合うと、つい照れて無言になってしまう。
苦しい。
こういう密着は、ボクの中で愛着を沸かせてしまうから困る。
何度か電車の揺れで、抱き合うような体制にもなった。それなりに背の高い眞央だが華奢だから、ボクの身体にすっぽり収まってしまう。
もう、やめてくれ。自分が壊れる。
「富木くんの身体って、思ってたよりも大きいね」
耳元で眞央が言う。眞央の髪から、女子っぽいいい香りがした。
間近で見るメガネ女子の眞央は、かわいい。……いや、そんな不純なことは考えてはダメだ。
ボクの変わらない静かな日常はどんどん狂っていく。
苦しい。苦しいよ。
ボクは一人でいるのが、好きなんだ。でも、こういう日常を羨ましく思う自分もあって……。いや、違う。決して、そんな日常など羨ましいはずがない。羨んでたまるものか。
電車がボクのアパートの最寄り駅について、眞央と接していた身体は離れた。それを残念に思ってしまう弱い自分がいる。
一体どうしたんだ、ボクは?
いつもは鉄壁のガードで、誰かに好依存せず、好きにもならず、愛着というものを持たないように生きてきたというのに。そして、それが幸せだったはすなのに。
ボクらは差し障りのない会話をしながら、川沿いの道を歩いた。
ほぼ満開の桜が道沿いに咲き乱れている。いつもなら心を奪われないように無視する光景だが、今日は眞央が気になって、桜の美しさが頭に入ってこない。
辺りは薄暗くなっていて、快晴の空には月と一番星が浮かび上がっていた。
ようやく公園が見えてくる。やっと狂った時間が、いつもの静かな時間へと戻るのだ。
眞央とここで別れるのが悲しいと思うのは、幻想だ。負けてはいけない。
ここで眞央と完全に離れてしまえば、冷静になり、いつもの自分を取り戻せる。──そう、思っていたのに。
「あ、遥菜が、来れなくなったって」
「え? 何で?」
「知らない。今、LINEで伝えてきたんだもん」
「あっ、そ。ボクは帰るから……」
「いや、それはないでしょ。私一人で花見をさせて、それでまた暗い夜道を駅まで歩かせるの?」
「でも……」
「嫌? 私とじゃ嫌? この公園の桜は知名度が低くて人が少ないから、二人でいても誰にも見られないよ」
「そうかもしれないけど」
眞央に促されて、近くのコンビニでビールとお菓子を買い、公園奥の奥のベンチに座る。
ビールを飲んで、少し酔った眞央は距離を詰め、また電車に乗っていた時のように、右腕が眞央の左腕と接した。そして、眞央はボクを見つめている。
「何?」
何を企んでいるのか不安になって、眞央に聞く。もう心臓が高鳴り過ぎて、息苦しい。
「ねえ、こうやってピッタリして座るの嫌? さっきも電車で一度やってるから、同じだよね?」
「そうだけど」
「だから、嫌? 嫌か嫌じゃないか、どっち」
「……嫌じゃないよ」とつい、答えてしまった。
──違う! 嫌だろ。嫌って言うんだ。
眞央が頭をボクの肩に乗せてくる。また、いい香りが。
どうしよう、どんどん惑わされていく。
ボクの右手がふと、眞央の左手に触れた。触れたのに眞央は左手を離そうとしない。
気が付いたらボクの方から眞央の手を握りしめていた。もう、無意識的でボクの身体が勝手に動いている。
公園内のベンチに点在していたボクら以外の花見客は、もう立ち去って、目の前にいない。
いなくてよかった、と自分が思ってしまっている。
──違うだろ。いないから危険なのだ。目を覚ませ。人を好きになっても、人の気持ちなんてすぐ変わる。
「眞央さんは、付き合っている人いないの? いたら、こんなことしてたら怒られるから」
そんなことを聞く自分が恐ろしい。もはや口も制御不能だ。
「いないよ」
「よかった」
──よくない! 眞央を好きになっちゃいけない。眞央はどうせすぐにつまらないボクに見切りをつけ、捨てるられるのだから。後で傷付くくらいなら、感情を捨てるんだ。
あっ、眞央がマスクとメガネをとった。眞央の裸の顔は、……かわいい。
眞央の顔がどんどん近づいてくる。
それに合わせて、ボクも顔を眞央の方に向ける。すると、眞央はボクのマスクを外した。
──ダメだ。ダメだダメだダメだ。
その最中、時折、背後の桜が目に入る。この美しい桜にボクは心を奪われないようにした。
改めて思う。
ボクは、桜が嫌いだ。すぐに移りゆくから。
でも、一人が好きなボクの人生は、今、何が変わり出したような気がする。(了)
「ねえ、富木くんってさ、彼女いるの? いないよね? だから二人きりになっても問題ないよね?」
大きなお世話だ。こういう質問をされるから、人付き合いは嫌いなのだ。一人きりなら今ごろ、家に帰って何をしようか、とワクワクして、スキップするかのように身軽に帰っていたのに。これじゃ、地獄だ。
「いないよ」
「やっぱり!」
「眞央さん、それ、セクハラだと思うけど」
「……ごめん。それより、今日は天気がいいし、温かいから過ごしやすいね」
こういう、差し障りのない気候の話で掛け合いして間をつなぐのも、超嫌い。
「うん」とボクは素っ気なく返事した。
市役所近くの寂れた駅に着くと、いつもの3番出入口に並んで電車を待つ。
さっさと眞央を公園に送り届けて、一人になりたい。
変わらない日常が、眞央のせいで急に変わって歪み出した。
帰宅時間帯の電車は、いつもどおり混んでいて、そこに眞央と乗り込むと距離が縮まり、ボクの右腕と眞央の左腕が接してしまう。
眞央の人肌の体温が伝わってきた。
お互いの顔も近い。メガネをした眞央の顔を間近で見て、それで視線が合うと、つい照れて無言になってしまう。
苦しい。
こういう密着は、ボクの中で愛着を沸かせてしまうから困る。
何度か電車の揺れで、抱き合うような体制にもなった。それなりに背の高い眞央だが華奢だから、ボクの身体にすっぽり収まってしまう。
もう、やめてくれ。自分が壊れる。
「富木くんの身体って、思ってたよりも大きいね」
耳元で眞央が言う。眞央の髪から、女子っぽいいい香りがした。
間近で見るメガネ女子の眞央は、かわいい。……いや、そんな不純なことは考えてはダメだ。
ボクの変わらない静かな日常はどんどん狂っていく。
苦しい。苦しいよ。
ボクは一人でいるのが、好きなんだ。でも、こういう日常を羨ましく思う自分もあって……。いや、違う。決して、そんな日常など羨ましいはずがない。羨んでたまるものか。
電車がボクのアパートの最寄り駅について、眞央と接していた身体は離れた。それを残念に思ってしまう弱い自分がいる。
一体どうしたんだ、ボクは?
いつもは鉄壁のガードで、誰かに好依存せず、好きにもならず、愛着というものを持たないように生きてきたというのに。そして、それが幸せだったはすなのに。
ボクらは差し障りのない会話をしながら、川沿いの道を歩いた。
ほぼ満開の桜が道沿いに咲き乱れている。いつもなら心を奪われないように無視する光景だが、今日は眞央が気になって、桜の美しさが頭に入ってこない。
辺りは薄暗くなっていて、快晴の空には月と一番星が浮かび上がっていた。
ようやく公園が見えてくる。やっと狂った時間が、いつもの静かな時間へと戻るのだ。
眞央とここで別れるのが悲しいと思うのは、幻想だ。負けてはいけない。
ここで眞央と完全に離れてしまえば、冷静になり、いつもの自分を取り戻せる。──そう、思っていたのに。
「あ、遥菜が、来れなくなったって」
「え? 何で?」
「知らない。今、LINEで伝えてきたんだもん」
「あっ、そ。ボクは帰るから……」
「いや、それはないでしょ。私一人で花見をさせて、それでまた暗い夜道を駅まで歩かせるの?」
「でも……」
「嫌? 私とじゃ嫌? この公園の桜は知名度が低くて人が少ないから、二人でいても誰にも見られないよ」
「そうかもしれないけど」
眞央に促されて、近くのコンビニでビールとお菓子を買い、公園奥の奥のベンチに座る。
ビールを飲んで、少し酔った眞央は距離を詰め、また電車に乗っていた時のように、右腕が眞央の左腕と接した。そして、眞央はボクを見つめている。
「何?」
何を企んでいるのか不安になって、眞央に聞く。もう心臓が高鳴り過ぎて、息苦しい。
「ねえ、こうやってピッタリして座るの嫌? さっきも電車で一度やってるから、同じだよね?」
「そうだけど」
「だから、嫌? 嫌か嫌じゃないか、どっち」
「……嫌じゃないよ」とつい、答えてしまった。
──違う! 嫌だろ。嫌って言うんだ。
眞央が頭をボクの肩に乗せてくる。また、いい香りが。
どうしよう、どんどん惑わされていく。
ボクの右手がふと、眞央の左手に触れた。触れたのに眞央は左手を離そうとしない。
気が付いたらボクの方から眞央の手を握りしめていた。もう、無意識的でボクの身体が勝手に動いている。
公園内のベンチに点在していたボクら以外の花見客は、もう立ち去って、目の前にいない。
いなくてよかった、と自分が思ってしまっている。
──違うだろ。いないから危険なのだ。目を覚ませ。人を好きになっても、人の気持ちなんてすぐ変わる。
「眞央さんは、付き合っている人いないの? いたら、こんなことしてたら怒られるから」
そんなことを聞く自分が恐ろしい。もはや口も制御不能だ。
「いないよ」
「よかった」
──よくない! 眞央を好きになっちゃいけない。眞央はどうせすぐにつまらないボクに見切りをつけ、捨てるられるのだから。後で傷付くくらいなら、感情を捨てるんだ。
あっ、眞央がマスクとメガネをとった。眞央の裸の顔は、……かわいい。
眞央の顔がどんどん近づいてくる。
それに合わせて、ボクも顔を眞央の方に向ける。すると、眞央はボクのマスクを外した。
──ダメだ。ダメだダメだダメだ。
その最中、時折、背後の桜が目に入る。この美しい桜にボクは心を奪われないようにした。
改めて思う。
ボクは、桜が嫌いだ。すぐに移りゆくから。
でも、一人が好きなボクの人生は、今、何が変わり出したような気がする。(了)