ホテルにチェックインした流雫は、シャワーを浴びた後で新しい服に着替えた。
 空色のミニスカートとセーラーカラーの服。それが恋人のコーディネートだった。
「ルナ!?」
アメニティのコーヒーを淹れたアルスは、思わずスマートフォンを床に落とした。
 ……ミオとシノは何してるんだ!?そう思いながらも、アルスは流雫に釘付けになる。殊の外似合っているのは、流が元々中性的な顔立ちだからだ。……あの2人が無邪気な微笑を浮かべていたのは、そう云う理由か。
「これが、お前たちの戦略か」
と、唖然としたままのアルスが言うと、流雫は頷いた。
「これしか無いんだ」
 ……フランスにルーツを持つ流雫の見た目は目立つ。当然、プリィを追っている連中も、その存在は認識しているだろう。
 プリィを逃がしつつ、流雫自身も撹乱する。そのためには、流雫がスカートを履くしかないのだ。ただ、流石にスパッツを下に履いている。
 「撹乱とは云え、女子と化したお前とカップルになるとはな……」
と言ったアルスに
「形振り構っていられないからね」
と流雫は言い、ベッドに座る。
 ミニスカートの裾が少しめくれ、通学でロードバイクに乗っている割には細い太腿が、露わになる。その瞬間、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が曇った。

 ……河月のアウトレットで起きた銃撃で、犯人に足を撃たれた。偶然居合わせた同級生の代わりに人質になった澪のために、銃を捨てた、その瞬間に撃たれた。
 激痛に耐えながら反撃に出たから、澪は無事だった。しかし流雫は意識を失い、澪は流雫が死ぬと思い、泣き叫んだ。
 その時の弾痕が、右の太腿に残っている。それがミニスカートを履いたことで露出した。澪の前では隠したい。
 ……僕が撃たれたから、澪が泣き叫んだ。流雫は今でも、全ては自分のミスだと思っている。
 「……どうした?」
アルスの言葉に、流雫は
「……何でもない」
とだけ答える。しかし、アルスの目はその理由を逃さなかった。
 「お前……それ……」
流雫は手で疵痕を隠した。無意識だった。
「撃たれたのか……?」
その問いから逃れられないと覚悟した流雫は、
「……アルスと出逢う前にね」
と答え、溜め息を吐いて続けた。
「……澪を泣かせた……僕が撃たれたから」
その言葉に、流雫が何を思っているのか……アルスは、何となくだが読める。しかし、
「でも、お前は死ななかった」
と言うのが精一杯だった。
 自分が死ぬことが怖いのなら、言葉は悪いがその一言で片付く。だが、流雫は何より澪を遺すことが怖れていた。
 少しだけ間を置いて、アルスは
「……だから今、ミオは幸せでいられるんだろ?」
と、言葉を絞り出した。
 語弊を怖れず言えば、澪が絡んだ時の流雫はかなりチョロい。それだけ流雫が一途と云う証左なのだが。
「お前が生きてる、ミオはそれだけでいいんだ」
そう続けた言葉に、流雫は何も返さなかった。……或る意味では、間違っていないからだ。
 ……この疵痕は、澪のために受けた勲章。そう言って笑い飛ばせるのは、未だ先の話か。だが、何時かはそう思うようにならなければ。
 未だ、僕は弱い。もっと、強くなりたい。そうやって、無意識に自分自身に重圧を掛けている流雫に、アルスは
「とにかく、今はこいつを片付けるぞ」
と言い、紙袋に入ったファストフードを渡した。

 突然の異邦人の来客だが、美雪は何も驚かなかった。娘の恋人も、半分似たようなものだからだ。
 夜、澪の部屋でワンピースに着替えたプリィは、思わず頬を紅くした。彼女のシンボル、青と白のカラーリングは変わらないが、装束以外を着ることが滅多に無いだけに、一種の違和感を感じる。
 澪と詩応がこの服を選んだのは、追っ手から彼女を保護するためだ。
 トラッカーが仕組まれただろうネックレスは、流雫が預かっている。しかし、プリィの装束は目立つ。だから、市中で売っている服に着替えさせれば彼女を隠せるだろうと読んだのだ。
「似合ってる」
と言った詩応の隣で、澪も微笑を浮かべる。
 生来の立場の違いが、人格形成に大きな影響を与える。あの時のプリィの言葉も、全ては彼女が外の世界を知らないからだ。流雫や澪が、プリィがいる教会の世界を知らないのと同じで。
 ただ、プリィも同世代の少女なのだ。今目の前の2人に見せている表情が、その現実を突き付けている。
 ……真相を追うだけじゃなく、少しだけでも日本にいることを楽しんでほしい。澪はそう思っていた。
「……ミオにとって、ルナはどんな人?」
とプリィは問う。流雫は澪を、ソレイエドールより尊いと言った。澪はどう思っているのか。深い思惑は無い。
 「……悪魔です」
予想外の答えに、プリィは目を見開きながら首を僅かに傾げる。澪は続けた。
「……あたしの魂が、悪魔の手で地獄へと連れ去られるとしても。その正体がルナなら、あたしは本望ですから」
 ……ルナもルナだが、ミオもミオ。このカップルはポエマーなのか?プリィはそう思った。しかし、その瞳に冗談は感じられない。そして、詩応はその言い方に頷いている。
「ルナ、いい人に恵まれたわね」
とプリィは言う。その言葉に、澪は笑いながら
「そこに、プリィも入ってるんですよ?」
と返す。
 「私も?」
「ルナのことを信じてるでしょう?ルナはあたしと出逢うまで孤独だった、だから今こうしてルナを信じる味方がいることが、どれだけルナにとって幸せか……」
と澪は言った。
 ……人を信じることは、簡単に見えて難しいもの。そして、何が有っても信じ続けることは、恐らく生きていく上で最も難しいこと。
 でも、誰かに信じられることは、何よりも心強いこと。澪はそのことを、流雫と過ごす日々で感じるようになった。流雫から絶対的に信じられている、だから流雫を信じられる。だから、テロにすら屈しない。
 「……ミオの正体、ソレイエドールの転生だったりして」
と言ったプリィに、詩応は
「強ち、間違ってないかな」
と答えた。
 教会の外のことはほぼ何も知らなかったプリィに、年頃の少女らしさが少しずつ見えてくるのを、日本人2人は感じていた。
 そして、この束の間の平和が続いてほしい、と願うばかりだ。 

 数時間前、4人が服を選んでいる最中。アルスは1人、店の前でフローズンドリンクを飲みながらスマートフォンを耳に当てていた。通話相手は、起きて間もないレンヌの恋人。
 ……仏日合同のヒトクローンプロジェクトの本部は、レンヌ郊外に置かれている。現在はアリスとセバスチャンの定期的な検査、そしてクローニング技術とデータの管理を行っている。そのトップはメスィドール家の専属医師、サクラ・ミヤキ。日本語で書くと三養基咲楽。
 パリの医科大学を首席で卒業したと同時に、太陽騎士団関連病院に勤務することになり、その中でメスィドール家を担当することになった。アリスを培養した当時は、プロジェクトの主要メンバーで唯一20代。
 日本で一時期流行った言葉で言うところのリケジョ……理系女子、その筆頭となるドクター・ミヤキが失踪した。2週間前の話だ。
 周囲には、日本への長めの帰郷と話していたようだが、その直前にデータを持ち出していることがアクセス履歴から明らかになった。今は連絡がつかない状態だ。
「まさか、プリィはミヤキを追って……」
「そうだとしても、不思議じゃないわ」
とアリシアは言った。
「だとして、何故プリィを日本に行かせたのか」
とアルスは問う。それが何よりの疑問だった。
「何度も言うけど、何が理由でも不思議じゃないわ」
とアリシアは答えた。
 ……フリュクティドール家の思惑が何も読めない。メスィドール家以上に厄介なのは、パリ中央教会の一家なのか。

 アルスから話を一通り聞いた流雫は、頭を抱えた。判らないことが多過ぎる。レモネードソーダの酸味と炭酸の刺激も、流雫を癒すだけの力は無い。
 「クローンのデータを持ち出した理由か……」
とアルスは呟く。流雫は言った。
「……案外、簡単だったりして」
「簡単?何だよ?」
アルスの問いに、流雫は数秒間を置いて答えた。
「……プライド、かな?」

 アリスを生成したプロジェクトは快挙だとしても、日の目を見てはいけない理由が有る。しかし、携わった者として功績を認められたいのは、至極当然のこと。
 だから、別の個体を生み出すことで快挙を目指した。アリスのプロジェクトに着手した後から、既に独自で何体も着手しているだろう。
 快挙を自慢できないことは最初から判っている、それならセブとほぼ同時期に最初の個体を生成していても、何ら不思議は無い。2人の存在を隠しつつ、快挙を発表できるからだ。
 しかし、プリィとセバスチャンのデータを持ち出したのは、既存の個体だけでは問題が有ったからだろう。他の個体が既に成功している、とするなら、わざわざ持ち出す必要は無いハズだが。
 その方面の知識はほぼ皆無だが、クローンによる世界初の快挙は誰もが手にしたがるだろう。何しろ、命の在り方そのものが次のステージに足を踏み入れようとしているのだから。その先駆者として名を残せる、唯一の機会なのだから。

 「プライドか……」
とアルスが口を開いたのは、流雫の言葉が止まって10秒近く経った頃だった。
「有り得ない話じゃない」
そう言った流雫は、思わずストローを噛む。
 ……もし、そのプライドのために、プリィが危険に曝されているとするなら。聖女候補の少女と旧知の仲と云うプライドを、一気にぶつけるだけだ。
 「……タッチの差だろうと、世界初じゃないものは全て二番煎じ。既存の成果を覆す何かが無い限り、名誉は得られない」
「それだけじゃない。日本は何かにつけて厄介な国だ。プライド以外の何かが潜んでいても不思議じゃない」
とアルスは続く。
 ……トーキョーアタック自体、銃産業の利権のために引き起こされたものだった。
 大規模テロから僅か1ヶ月で、銃が解禁された。そのことに疑問を覚えたアルスとの問答の末に、流雫が見つけた答え。
 それだけが外れていれば、他の推理は全て当たっていてもいい……そう思ったが、現実はあまりにも残酷だった。
「理由が半分ずつだとして、プライドと……何だ……?」
と流雫が呟く。
 プライドと云う個人の感情だけなら、まだ簡単だ。しかし、誰もが堂々巡りに陥る謎が、一連の事件の根底に存在するのなら。

 アルスが寝静まった後で、流雫は1人窓際でスマートフォンを握っていた。澪からのメッセージが届いたことが、その発端だった。
「……2人のデータを持ち出した理由……もしかすると……」
「何?」
とだけ返した流雫への返事は、1分後。それは、流雫の脳を襲い始めた眠気を一瞬で駆逐した。
 「人口減への対策……」