六月半ばの金曜日。
 
「ついに明日が結婚式か」
「大学の卒業式の時に澄香から結婚の話を聞かされてからあっという間だったね」
「ホントだよねー。しかもさ、私ら披露宴で友人代表のスピーチという大役を任されているから緊張感が半端ないよ」
「私、初めての結婚式参加なのに今から緊張で吐きそうだわ」

友人の志乃と由香が私の結婚に関して話している姿を見てフッと笑みが溢れた。

蓮川澄香、二十二歳。
三月に大学を卒業し、就職することなく明日結婚する。
ジューンブライド、六月の花嫁は幸せになれるという言い伝えを信じて……。


私の結婚相手は五歳年上の桜庭涼介。
国内外の建設事業や不動産開発事業など幅広く手掛けている大手総合建設会社、『桜庭グループ』の御曹司。
私は彼のことを涼介さんと呼んでいる。

一週間前から涼介さんと一緒に住み始めた私は、結婚式前日はどう過ごそうかと考えた。
普通に平日だから涼介さんは仕事があるので、昼に実家に行って挨拶を済ませることにした。
そして、夜はというと。
以前、海外ドラマを見て気になっていたバチェロレッテパーティー。
結婚式前日、花嫁が独身最後の夜を女友達と過ごす女子会が欧米で人気らしいということを知った。
楽しそうだからやってみたいなと密かに思っていたので、涼介さんに相談すると『澄香の好きなようにしていいよ』と言ってくれた。
パーティーと名の付くような大げさなものではないけど、気心の知れた女友達と食事をすることにした。
私は友人の中から小学生の頃から付き合いのあった木下志乃と望月由香を食事に誘った。
変に取り繕う必要がない友人二人は仕事終わりに予約していた和食レストランに駆けつけてくれた。
ちなみに、この二人は明日の結婚式にも出席予定だ。

「で、結婚式前夜に花嫁を快く送り出してくれた許嫁は今何しているの?」
「涼介さんも友達と食事に行っているよ」
「へぇ、お互いに友達と過ごしているんだね」
「うん」
 
今、どこかで食事をしているであろう涼介さんのことを思い浮かべた。

***

私と涼介さんは恋愛結婚ではない。
元々、私と涼介さんの祖父同士が古くからの友人で、私が生まれる前にお互いの孫を結婚させようと盛り上がっていたらしい。
おじいちゃんから『澄香には許嫁がいるんだ。だから、もう結婚相手が決まっているんだよ』と物心着いた頃に聞かされていた。
だけど、それはおじいちゃんたちの冗談だと両親も笑って話していたので本気にはしていなかった。

時が経ち、中学生になると初めて好きな人ができた。
私にとっては初恋だった。
誰にも打ち明けることなく、密かに恋心を温めていた。
その人を見るだけで胸がときめき、許嫁という存在をすっかり忘れ、それなりに青春を謳歌していた私にある一報がもたらされた。
両親から『桜庭グループ』の会長、私のおじいちゃんの友人が失くなったと聞かされた。
それだけなら、お悔やみ申し上げますという気持ちだけで終わっていたと思う。
だけど、私の今後の人生を変える遺言書を彼は残していた。
 
遺言書の中のひとつの項目に、孫の桜庭涼介と蓮川澄香を結婚させるという事が書かれていた。
孫たちの結婚は友人だった蓮川銀次と自分の悲願だと。
遺言を聞いて愕然とした。

『お母さん、これって絶対に結婚しないといけないの?』
『……桜庭グループの会長の遺言だから、』

私の問いかけにお母さんは申し訳なさそうに唇を噛んだ。

顔も知らない人と結婚しないといけないなんて絶望しかなかった。
結婚の話は祖父同士の戯言だったはずではないのかと問いただしたかったけど、私のおじいちゃんも一年前に他界して誰にも確認する術がなかった。

『そんなの私が望んだ訳じゃないのに……。おじいちゃんたちが盛り上がって勝手に決めたんじゃん。私の気持ちは無視してっ』

悔しくて悲しくて涙が溢れ落ちた。
なにが私には許嫁がいて、結婚相手がいるよ!
そんなのおじいちゃんたちのエゴじゃん。
じゃあ、私は人を好きになってもその人とは付き合うことも出来ないし結婚も出来ないの?
納得出来る訳がなかった。

『私、まだ十四歳だよ。どうして……』
『ごめんね、澄香。お母さんたちじゃどうしてあげることも出来なくて』

お母さんは泣きじゃくる私を優しく包み込むように抱きしめてくれた。

芽生えたばかりの淡い恋心を諦め、私が中学二年の冬、『桜庭グループ』の桜庭涼介との結婚は決定事項となった。
勝手に将来のレールが敷かれ、私を取り巻く環境がガラリと変わった。
 
食事会という名の顔合わせで紹介された涼介さんは十九歳の大学生だったけど、落ち着いた雰囲気のある王子様みたいな人だった。
私は涼介さんの顔を見た瞬間、ハッと息をのんだ。
艶やかな黒髪を後ろに流し、アーモンド形の綺麗な二重の瞳が優しく細められ、『初めまして、澄香ちゃん』と私に声をかけてきた。
私は戸惑いを隠せないまま『初めまして、蓮川澄香です』と自己紹介した。
その日から、私は正式に涼介さんの許嫁となった。
とは言っても私はまだ中学生。
高校を卒業するまでは学業優先で、今まで通り過ごすことがお互いの両親を交えて話し合った結果だ。

両親は私に『桜庭グループの御曹司の許嫁として品行方正、付き合う友達は考えて行動しなさい』と言ってきた。
それだけ『桜庭グループ』という存在はあまりにも大きかった。

大学生になると、涼介さんとのお付き合いが解禁になった。
結婚することは決まっているのだから、歩み寄りは必要だと思った。
デートを重ね、お互いのことを理解するべくたくさん話し合った。
その時、一度だけ涼介さんに聞いたことがある。
『おじいちゃんたちが勝手に決めた結婚は嫌じゃないの?』と。
いきなり五歳年下の女が許嫁だと聞かされて文句のひとつでも出なかったんだろうか。
私と同じように諦めた恋があったんじゃないかと思ったからだ。

涼介さんは笑顔で『嫌じゃないよ。まあ、最初は勝手に決めるなよとは思ったけど、初めて会った時に澄香がいい子だったから俺が守ってあげようと心に決めたんだ』なんて言われ、胸がときめいた。
単純だろ私!とは思ったけど、涼介さんは本当に優しくて私のことを大切にしてくれた。
いつの間にか涼介さんの存在が私の中で大きくなり、今となっては誰よりも彼の事が大好きになったんだ。

***


「そろそろ帰ろうか」
「そうだね。人生最良の日に新婦が寝不足で目の下に隈を作っていたり顔がパンパンに浮腫んでいたら目も当てられないしね」

志乃と由香が立ち上がる。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

二人は明日の朝から美容院の予約があるらしい。
『花嫁には劣るけど、ドレスも買ったしバッチリ決めていくからね!』なんて笑いながら言っていた。
二人とも美人だから今から楽しみだ。

かくいう私も花嫁な訳で、いろいろな準備がある。
寝不足なんてもってのほか。
ブライダルエスにも通ったし、結婚式準備の合間に自分磨きも続けてきた。
しっかり睡眠はとっておきたいし、綺麗な姿でウェディングドレスを身にまといたい。
それは誰でもない、涼介さんに綺麗だと言ってもらいたいからだ。

食事代は二人が結婚祝いだと言って奢ってくれ、店を出た。

「私と由香はタクシーで帰るけど、澄香も一緒に乗る?」
「ううん。私は涼介さんと合流することになっているから」
「そっか。じゃあ、また明日だね」
「うん」
「明日は絶対に澄香を泣かせるスピーチするからね」
「えー、泣かすのはやめてよ」

由香が自信ありげに言い、どんなスピーチをしてくれるのか楽しみなようで心配になった。

「由香、スピーチしてる私らの方が先に泣きそうじゃない?」
「言えてる。メイクが崩れてパンダにだけはならないようにしよう」
「ホントそれ。あ、じゃあまた明日ね」
「うん、おやすみ」

タクシーに乗り込んだ志乃と由香に手を振り、私は二人を見送った。

さて、まだあと少し時間があるか……。
時計を見たあと、前々から行こうと決めていた場所に向かって歩きだした。

涼介さんと合流するのは嘘だ。
さっき、メッセージを送ったらまだ友達と飲んでいるみたいだった。
『あと一時間ぐらいしてから帰る。澄香も絶対にタクシーで帰ること!』なんて過保護なメッセージが届いた。
しかも、友達と笑い合っている写真も添付されていて自然と頬が緩んだ。
こういった些細なことで、涼介さんに愛されているなと感じる。

街灯が照らす夜の街を歩き、目的の場所に着くとドアを開けた。
ここはある人に教えてもらったバーだ。
 
「いらっしゃい」

バーの中に足を踏み入れると、ダンディなオーナーが出迎えてくれた。
私はバーのカウンターの右端に座った。
このバーはカウンターの十席のみのこじんまりとしたお洒落な店内。
心地よいジャズをBGMにバーテンダーがシェイカーを振る。
お客さんは二人組のサラリーマンが左端に座り、お酒を飲みながら談笑していた。

バーテンダーにギムレットを注文し、一口飲んだあと小さく息を吐いた。
初めて飲んだギムレット、ライムの酸味にほんのりとした甘みも感じられ、スッキリとした爽やかな味が口の中に広がった。

不意にドアベルが鳴り、なんとなくそちらに視線を向けたら見知った顔の男性と目が合った。
え、なんで?
 
「澄香?」

私の名前を呼んだ男性は眉間にしわを寄せた。

その男性とは桜庭涼太。
中学時代からの友人で、私の許嫁の涼介さんの弟だ。
軽くウェーブのかかったダークブラウンの髪の毛。
目鼻立ちのハッキリとした端正な顔立ちをしていて、涼介さんとよく似ている。

「なんでいるんだよ、明日結婚式だろ」
「なんでって、飲みに来たから」

もっともな答えに涼太は溜め息をつきながら、私の隣に座った。

「兄貴は?」
「涼介さんは友達と飲んでいるよ。私はさっきまで志乃と由香と食事していたの。この一杯だけ飲んだら帰るよ」

目の前のギムレットのグラスを指差す。

「そういう涼太は一人で飲みに来たの?彼女は?」
「あー、別れた」
「嘘でしょ、早くない?」
「大きなお世話。マスター、マルガリータ」

マスターに声をかけている涼太を見た。
彼女と付き合っても涼太は長続きしないと涼介さんが言っていた。
涼太は一人の女性を想い続けたりしないんだろうか……って私がどうこう言える事じゃないけど。
 
「明日が結婚式か……」

ポツリ呟き、目の前にあるカクテルグラスの縁を人差し指でなぞった。

「なんだよ、マリッジブルーかよ」
「違うよ。結婚式の準備とか大変だったなと思い返していただけ」
「なるほどね」
 
涼太は口の端を上げて笑う。
本当に大変だった結婚準備。
『桜庭グループ』の御曹司の結婚だから普通の規模ではなかった。
涼介さんのご両親とも話し合い、家族ぐるみで準備を進めていった。
長い付き合いだけあって、嫁姑関係は良好だ。

「明日、入籍もするんだろ?」
「うん。結婚式と結婚記念日が同じ日にしたいから」
「そうか。でもさ、澄香が義理の姉になるなんて実感ねぇな」
「だよね。私も涼太が義理の弟になるなんていまだに信じられないよ」

涼介さんよりも先に出会っていた涼太。
ふと、彼と初めて会った時のことを思い出していた。


***


桜庭涼太。
涼太に初めて出会ったのは、中学一年の時。
同じクラスになった涼太は容姿端麗、文武両道、明るく人望もあり、あっという間にクラスの人気者になった。
いつも彼はみんなの中心にいて私とはあまり接点がなかったけど、五月の体育祭の日にある出来事があった。

私と涼太はクラス選抜対抗リレーの選手に選ばれた。
勉強はそんなに出来なかったけど、運動は得意でリレーには自信を持っていた。

走る順番は私は二番目、涼太はアンカー。
トップバッターが好スタートを切り、八人中三位で私にバトンが回ってきた。
私は勢いよく走りだし、前の人の背中が目の前に見え、バトンを渡す直前で二位の人を追い抜いた。

だけど、三番目の人にバトンを渡す時、選手の入れ替えでゴチャゴチャしていたせいでバトンを落としてしまった。
最悪のバトンミスで一気に五位に転落。
申し訳なさに落ち込んでいたら、涼太が私のところまで走ってきて背中をポンと叩いた。

『気にすんな。俺が蓮川の分まで挽回してトップでゴールテープ切るから』

そう言うと、涼太は走って元の列に戻った。
わざわざ私を励ましに来てくれたことがすごく嬉しかった。
両手を組んで祈るような気持ちでリレーの経過を見守った。
その後、みんながバトンを繋いで二位まで上がってきた。
いよいよアンカー勝負。

『涼太、頑張れ!』
『お前ならイケる』
『ファイトー』

クラスメイトが大声を出して応援している。
涼太はグングンとスピードを上げて一位の選手を追いかける。
あと少し!
 
『桜庭くん、頑張ってー』

精一杯、声を張り上げて応援した。
涼太はゴール手前で前の選手を抜き、一位でゴールテープを切った。

『ヤバ、速すぎるだろ』
『涼太、すげぇ』
『やったー!』

涼太は喜ぶクラスメイトみんなに囲まれていた。
そして、私の方に走ってきてどや顔で言い放った。

『蓮川!約束通りトップでゴールしたぞ』
『すごいよ、桜庭くん!』
『サンキュ』

涼太は満面の笑みでハイタッチを求めてきた。
私は胸を高鳴らせながら手を出した。

こんなことをされて惹かれないわけがない。
中一の五月、私の中で小さな恋心が芽生えた。

それから、何かと涼太と話す機会が増え、文化祭の実行委員を一緒にしてから二人の距離が縮まった。
気が付けば、お互いの下の名前で呼び合うようになっていた。
私の小さな恋心が芽生えたのと同時に、体育祭で活躍した涼太に恋をするのは私だけではなかった。
涼太の雄姿を見た女子が胸をときめかせ、"抜け駆け禁止"という暗黙のルールができて学校のアイドル的な立ち位置にいた。
それもあって告白する勇気もなく、ただの同級生という関係で迎えた中学二年の冬に許嫁の話を聞かされた。
憂鬱な気持ちのまま、許嫁とその家族との初めての顔合わせがあった。
料亭に呼ばれ、『初めまして』と微笑む涼介さんの後ろになぜか涼太の姿があった。
『どうして?』と私は驚きを隠せなかったけど、涼太は気まずそうに視線を逸らした。
そういえば、涼太の名字は"桜庭"で、よく考えたら名前も似ている。

自分の好きな人のお兄さんのが私の許嫁だったんだ。
まさかの事実に胸が切なく痛んだ。
運命の悪戯にしては酷すぎる。
食事会が終わって家に帰ると、これでもかというぐらい泣いた。

その日から、涼太と私は"許嫁の弟"、"兄の許嫁"という関係になった。

学校で会った涼太は笑いながら『兄貴との事があって複雑かもしれないけど、これからも普通に接してくれると助かる』と言ってきた。
どんな顔して会ったらいいんだろうと思っていた私は、涼太の優しさに救われた気がした。


***

「そういえば、中一の時のクラスで同窓会の話が出ているんだ」
「えっ、そうなの?知らなかった」
「三上が言い出しっぺで俺のところに連絡があったんだ。やろうと思うけど、どう?って」
「中一か。懐かしいね。そういえば、あのリレーのこと覚えてる?」

なんとなく聞いてみた。

「覚えてるよ。澄香がバトンミスして泣きべそかいてたよな」
「ちょっと、泣きべそはかいてないから。でも、あの時の涼太はヤバかったね。ヒーローかって思ったもん」
「だろ。明らかに落ち込んでいる澄香を見たら、俺がなんとかしてやらないとって思ったんだ」
「イケメン過ぎるんですけど」

顔もよし、性格もよしってズル過ぎる。

「で、同窓会の幹事は三上くん?」
「だと思うけど、アイツに押し付けられそうな嫌な予感がしてる」
「ふふ、涼太はクラス委員だし人気者だったからみんなから頼りにされるよね」
「頼りっつうか、いつも面倒ごとを押し付けられている気がするんだが」
「確かに。涼太に任せれば大丈夫っていう雰囲気はあったよね。ことあるごとにみんな涼太に意見を求めてたし」

何をやらせても完璧にこなしていて、先生からも生徒からも頼りにされていた。
生徒会長までやっていて人望が厚かった。
 
「買いかぶりすぎ。俺にも苦手なことだってあるし、そこまで出来た人間じゃない。マジで俺をなんだと思っているんだか……。俺も弱い人間なんだよ。本当に欲しいものは手に入らないし」

そう言って私を見つめる涼太の瞳が切なく揺れているように見えた。
いつも明るく笑っている涼太のこんな表情は初めて見た。
他人の理想を押し付けられて、涼太も辛いことがあったのかもしれない。
私は咄嗟に話題を変えた。 

「そういえば、このバーには涼太が連れてきてくれたんだよね」
「そうだったな」
「こんなお洒落なバーを知っているなんて驚いた記憶がある」
「お子様な澄香にはちょっと早いかなと思ったけどな」
「お子様ってなによ。私たち同級生でしょ」

私が頬を膨らませて抗議すると、涼太はプッと笑った。

このバー『ダークムーン』に来たのは二回目だ。

私の二十歳の誕生日、平日だったけど涼介さんと食事の約束をしていた。
フレンチレストランを予約してくれていたらしいけど、どうしても仕事の都合で行けれなくなったと連絡があった。
涼介さんが後継者として忙しい日々を送っていたのは知っていたので仕方ないと諦めていたら『俺の代わりに涼太に行ってもらうように頼んだから』と告げられた。

涼太は『なんで俺が行かないといけなんだよ』なんてボヤキながらも私の誕生日を急遽、祝ってくれた。
そして、食事終わりに大人の仲間入りだという理由でバーに連れて来てくれたんだ。

あの日以来、このバーに立ち寄ったのは自分なりに気持ちの整理をしようと思ったからだ。
結婚式を間近に控え、なんとなく心残りというか引っかかるものがあった。
それは、ふとした時に思い出す中二の頃に諦めた初恋だ。
別に未練があるという訳ではない。
心にわだかまりを残すぐらいなら、気持ちだけでも伝えておけばよかったなと後悔していた。
でも、今更だよなという思いもあって頭を悩ましていた。

そんな時、由香たちと話している時にカクテルにはカクテル言葉というものがあると知った。
興味深くてネットで調べたら、とあるカクテルが目に留まった。

今日、私が注文したのはギムレット。
ギムレットには長いお別れという意味があり、私にピッタリなカクテルだと思った。
自己満足だけど、それを飲んで初恋を終わらせるために涼太が教えてくれたバーに来ていた。
そんな決意をした日に涼太に会えるなんて思わなかったけど、これも神様の悪戯なんだろうか。
残っていたギムレットを飲み干して立ち上がった。

「そろそろ帰るね」
「俺はもう少し飲むから気を付けて帰れよ」
「うん」
 
支払いを済ませると、再び涼太の元へ行き肩をポンと叩いた。
スツールに座っていた彼は「なに?」と私を見上げた。
 
「ねぇ、知ってる?私の初恋は涼太だったんだよ」
「は?」

突然の私の告白に驚いたように目を見開いた涼太。
私は間髪入れずに言葉を続けた。
 
「中学の時、涼太に告白したかったけど憶病すぎて言えなかったんだ」
「だからって今言うなよ……」

涼太は顔を歪め、クシャリとダークブラウンの前髪を掴む。
その姿を見て、なぜだか胸が締め付けられた。

「ごめん。でも、今日が最後のチャンスだと思ったから……」

私は小さく息を吐くと、報われなかった初恋に終止符を打つために口を開いた。

「涼太、中二の時まで好きだったよ」

私は涼太のことが"好きだった"。
ずっと言えなかった気持ちを素直に伝えたら心がスッキリしていた。

「澄香、俺もっ……いや、何でもない。澄香の気持ち、嬉しかった。好きになってくれてありがとう」

首を振って何かを言いかけて止めた涼太は、優しく微笑んだ。
 
「気を付けて帰れよ」
「うん。じゃあ、明日ね」
「おう。澄香、幸せになれよ」
「ありがとう。世界一幸せな花嫁になるわ。六月の花嫁だしね」

私は笑顔で言うと、背を向けた。
その時の涼太がどんな表情をしていたかなんて、知る由もなく。

私はバーのドアを開け、幸せになるための一歩を力強く踏み出した。

 
 
End.