食事を終えて片付けると、ミトは常々気になっていたものを複雑な表情で持って蒼真のところへ向かった。
「はい、蒼真さん。お願いします」
「ああ、確かに受け取った」
その〝ブツ〟を渡し終えた途端に肩の荷が下りて楽になった気がした。
あからさまに安堵するミト。
「やっとほっとできます」
「だろうな。だが、自分の遺骨を見るなんて普通できる体験じゃねぇぞ~」
からかうように口角を上げる蒼真を、ミトはじとっと見る。
確かに、なかなかできる体験ではないが……。
「できれば一生したくなかったです……」
天界から帰ってきて、火葬された自分とご対面など、なんとも言えぬ複雑な気持ちしか残らない。
だって自分はここにいるのだ。
それに、こんなに早く死んでしまうのも想定外。普通に年老いてから亡くなり、天界へ行くと思っていたのだから。
龍花の町の歴史からしても、ミトはかなり異例だった。
なにせ、花印を持っている者は肉体的にも強くできているのか、風邪や病気などをすることが滅多にない。
なので、寿命以外で亡くなる例がほとんどないのだ。
異例すぎて、蒼真を始めとした神薙たちも対応に困ったと聞く。
「まあ、これはこっちで処理しておくから安心しろ」
「はい。ありがとうございます」
心から安堵したミトは、「そうだ」と付け加える。
「両親と出かけてきていいですか?」
「ああ、別にかまわんぞ。ちゃんと紫紺様の許可は取ってるんだろうな?」
蒼真としては、ミトが希望しようと波琉が駄目だと言ったなら、優先するのは龍神である波琉の言葉だ。
それが、龍神に仕える職を得た神薙の仕事である。
花印を持った人間も大事だが、龍神の存在があってこそ意味をなす。
龍神のために作られたこの町において、どちらの命令を聞くべきかは考えるまでもない。
「はい。墜ち神の件が片付くまでは自由に外を歩き回れなかったけど、学校にも復学してるし、もう大丈夫だって。普通に許可してくれましたよ」
「ならいいか。どこに行くんだ? 紫紺様が許可しても、護衛はちゃんとつけとかねえと行かせられないからな」
「スーパーです!」
目をキラキラさせて告げると。
「スーパー……?」
蒼真は、聞き違えかと疑うような表情をした。
しかし、この距離で聞き違えるほど耳は遠くない。
「いや、普通もっとあんだろうが。なんで最初に行きたいのがスーパーなんだよ」
「どうしてですか? スーパーってすごいんですよ! お肉もお魚も野菜もお菓子も置いてるんです!」
「当たり前だ。それをスーパーって言うんだからな」
ミトにとっては夢のような場所である。
ジェットコースターよりも刺激的で興奮するところなのだが、蒼真にはいまいち通じていないようだ。
ミトが興奮すればするほど、蒼真の表情が複雑なものへと変わっていく。
ありふれたスーパーで、ここまで目を輝かせる女子高生も珍しいのだろう。
とはいえ、花印を持つ者はこの龍花の町では優遇されているため、スーパーといった庶民的な場所での買い物は他人に任せている者が多い。
なので、花印を持つミトが人の多く集まるところへ行くと、ミトのアザを見た周囲の人の視線が痛く感じたりもするのだが、それでもスーパーの魅力の前では些末なことであった。
「駄目ですか?」
蒼真の反応から、ミトはもっと別の場所がいいのだろうかと思ったが、閉鎖された村で過ごしてきたミトにとっては、スーパーですら行きたくても行けない特別な場所なのだ。
目に見えてしょんぼりしていくミトに、蒼真はやれやれという様子。
「別に駄目とは言ってねえよ。行くなら準備してこい。こっちも護衛の準備をしておくから。出発は一時間後でいいか?」
「はい!」
ぱあっと表情を明るくして返事をするミトは、急いで両親の家に向かった。
「お父さん、お母さん、蒼真さんからオッケー出たよ!」
「よかったなぁ、ミト」
父親の昌宏が微笑む。
「じゃあ、準備するか」
「うん」
ミトと昌宏はいそいそと準備を始めようとすると……。
志乃が急に涙ぐみ、ミトと昌宏がぎょっとする。
「お、お母さん!?」
「志乃!? どうしたんだ!?」
「どこか具合悪いの!?」
おろおろするミトと昌宏を前に、志乃は涙がこぼれる前に目元を拭った。
「いいえ、違うのよ、ごめんなさい。またミトとスーパーに行けることが嬉しくてね。もう無理なんだと思っていたから……」
「お母さん……」
志乃は涙をごまかすように「ふふっ」と笑ったが、ミトは笑えない。それだけミトの〝死〟は、両親に衝撃と悲しみを与えたのだと今さらに思い知らされた。
志乃の気持ちも考えず無邪気にはしゃいでしまい反省する。
ミトは志乃にぎゅっと抱きついた。
「ごめんね、お母さん……」
ミトのせいではないとはいえ、親より先に死んでしまった。
戻って来られたのは本当にタイミングと運がよかっただけ。
そのどちらかが欠けていても、ミトは二度と両親に会うことは叶わなかっただろう。
なんて自分は親不孝者なのか……。
自分が生まれて以降、苦労してきた両親の心のうちを考えると、ミトは胸の奥がひどく痛くなる。
怒られても仕方ないのに、志乃はどこまでも優しかった。
「どうして謝るの。ミトが悪いわけではないでしょう? それにこうして帰ってきてくれた。それで十分なの」
志乃の温かな手がミトの背を撫でる。
労わるようなその手つきにミトも涙があふれそうになったが、瞼をぐっと閉じて抑え込む。泣けば余計に気を遣わせてしまうだろうから。
「これからはもう悲しませたりしないからね」
それは両親へ向けたのと同時に、自分自身への決意の言葉でもあった。
これからは自分が両親にできることをして、幸せを返していく番だと。
と、そこへ割り込んでくる昌宏の声。
「いいや! ミトが花嫁衣装を着ているのを想像しただけで俺は十分に悲しいぞぉぉ!」
それまでのしんみりした空気を吹き飛ばす昌宏の絶叫に、ミトと志乃はあきれた目を昌宏に向ける。
「だが、バージンロードは一緒に歩きたいぃぃ! 俺はどうすればいいんだ!」
頭を抱える昌宏があえて空気を変えるために突然そんなことを言いだしたのかは分からないが、本気の叫びなのは間違いない。
「お母さん、私、結婚式するなら和風の式にしようかな? 洋風の式にして隣でギャン泣きされながら入場したら、結婚式が台なしになりそう……」
新婦以上に泣き叫ぶ父を伴うなど、周囲にどう見られているか気になる上、主役であるミトよりも注目されてしまう。出席者も困るだろう。
「お母さんもそう思うわ」
ミトと志乃の意見が一致した瞬間である。
「えっ、それは嫌だ! ミトと腕を組んで歩くのが俺の夢なんだぞ」
「我儘ねぇ。どっちなのよ、まったく……」
志乃はあきれている。
「父親の心は繊細で複雑なんだよー」
「はいはい、分かったから早く準備してきたら?」
「志乃が冷たい!」
昌宏は嘆きながら、外出の準備をしにリビングを出ていった。
「そういえば、波琉君も一緒にお出かけするのかしら?」
「久しぶりのお出かけだから、せっかくだし家族水入らず行っておいでって。それで波琉は留守番するみたい」
「あら、そうなの。じゃあ、今度の時は一緒に行きましょうね」
「うん」
別に気にしなくてもいいのに、とミトは思う。
ミトの両親も今さら波琉に気を遣ってもらいたいとは考えていない。もうミト家族にとっても、波琉は家族の一員なのだから。
そうして家族でスーパーに向かい、たくさん買い物をして満足なミト。
新作のお菓子もいろいろと出ていたので大量に買い込んでしまった。
次から次にカゴへ商品を入れるミトを見て蒼真があきれたようにしていたが、久しぶりなのだから今回は目をつぶってもらいたい。
「そんなに食ったら太るぞ」
「蒼真さん、デリカシーがないって言われませんか?」
ミトはじとっとした目を蒼真に向けてから、すぐに普通の表情に戻る。
「そりゃまあ、確かにそこは気になるところではあるんですけど、波琉によると天帝からもらった肉体は生前のもっともいい状態を維持するらしいので、どんなに飲んで食べても太ったり痩せたりはしないらしいんですよねぇ」
つまりどんなに暴飲暴食しようとも太らないという奇跡の肉体を得たのである。
「それはそれで困るんじゃないのか?」
「そうですね」
確かに、痩せたいという人もいれば、筋肉をつけたり肉付きをよくしたいと後々になって肉体改造を望む人もいるだろう。
「あきらめるしかないみたいです」
ミトも今の年齢で肉体の状態が決まってしまったので、これ以上年を取ることもない。
永遠に今の姿のままというのは悲しくもあり、寂しくもある。
ミトとしては波琉に見合うように、もう少し年齢を重ねてから時間を止めてほしかったというのが本音だが、今さらどうこう言っても仕方がない。
「もういいか? 帰るぞ?」
「はい!」
蒼真の問いかけにミトは元気よく返事をする。
車が来るのを待っていると、ミトははっと目を見張る。
「吉田さん……」
道路の向こう側の歩道を歩いている吉田美羽が目に入った。
やや大人しい印象はそのままに、その表情はどことなく元気がないように見える。
彼女とは、墜ち神に殺される直前に会って以降、姿を見ていない。
無事に復学を果たしたミトが登校してみると、特別科の教室に美羽はおらず、どんな顔をして会えばいいか悩んでいたミトは肩透かしを食らった。
その日だけたまたま休みなのかと思いきや、お世話係の千歳いわく、ずっと休んでいるようだ。
理由を聞いても知らないというのは、周囲への関心がやや低い千歳らしい。
休み続けていることが少々気になったものの、正直なところ墜ち神の一件の方が印象に強く残っており、美羽の存在はいつの間にかすっかり忘れていた。
なので、なぜ学校に来ていなかったのか、その後彼女がどうなったか、千歳以外の誰にも聞いていないため知らない。
学校に来られないようななにかがあったのだろうか。
登校していないのは美羽に限らず、皐月とありすも同じだった。まあ、ふたりが休んでいるのは前からなので、今さらではあるが。
ただ、美羽に関しては、墜ち神に殺される最後の要因のひとつともなった相手である。彼女を見つけたからといって気安く挨拶をする気にはならないというのが正直な気持ちだ。
ミトの心には複雑な感情しか浮かんでこなかった。
たらればを語ったところで変わるわけではないにしろ、あの日あの場で美羽が掴みかかってこなければ、波琉のおまじないは効力を維持したまま堕ち神からミトを守り、ミトの今の状況はかなり変わっていただろう。
小さなしこりはどうしても残ってしまう。
なにもなかったように話ができるはずがない。
それにしても、花印を持っている者がふらふらと歩いている状況には違和感があった。
ミトがじっと一方を見ているのに気がついたのだろう。蒼真もまた美羽の存在を発見する。
「吉田美羽か……」
「ああん? あれが?」
蒼真のつぶやきに昌宏が激しく反応を示す。どこぞのヤンキーかという顔で美羽を見やる。志乃も苦い顔をしていた。
ふたりは直接会ったことはなくとも、最後に会っていたのが彼女だと聞いていたのかもしれない。
反応を見るに、死の直前にあったミトと美羽の最後の状況も聞いていそうである。
しかし、ミトの死の直接的な原因は堕ち神であり、美羽が死を願い動いたというわけではないので、昌宏の怒りの矛先が向くのは少々理不尽だ。
ミトが死んだあの日、彼女は自身が拒絶した同じ花印を持つ龍神と渡りをつけてほしいとミトにお願いしただけに過ぎない。
美羽はミトが断ったため、感情的になって掴みかかってきた。
それにより波琉のおまじないが作用したが、故意に怪我をさせようとしたわけではなかったとミトは考えている。
だからといって、ミトが自分に都合のいい考え方をする彼女へ、不快感を持っているのは間違いないのだが……。
「蒼真さん。吉田さんは今どうしてるんですか? 学校にも来てないみたいだし、どこか体調でも悪いんですか?」
堕ち神がなにかした可能性に今さらながら気がついて、美羽の身を案じるミト。
「いや、体調は問題ない。むしろ元気だろ。問題があるとするならあいつの家庭環境だろうな。はっきり言うと、あいつの現状はあんまりよくないからなぁ。いや、本人からしたら最悪かもしれない」
「花印を持っていても?」
この龍花の町では、龍神が迎えに来る・来ないにかかわらず、花印を持つ者は大切にされる。それは生きている限り有効だそう。
美羽や皐月のように伴侶になる可能性が限りなく低くとも、万が一龍神の気が変わって迎えに来ないとも限らない。
だから、下手な扱いはできないのだ。
そんな絶対的な権力の証である花印を持つ美羽が、蒼真から『よくない』と言われるほどの状況というのが驚きだった。
「持っているからこそだな。同じ花印を持つ龍神を一時の感情で拒否したこと。それにより、龍神が迎えに来る可能性は期待できなくなったこと。一番問題視されたのは、お前に――紫紺様の伴侶に手を出したことだ」
「なるほど」
ミトは納得する。
自分が特別な人間だとは思っていないが、紫紺の王は特別だ。人間にとっても、龍神にとっても。
龍神のために作られたこの町で、龍神の王の逆鱗に触れたのだ。
それがどれだけ大きな罪かは、まだ龍花の町に来て長くはないミトでもある程度理解できる。
「あいつが一度拒否した龍神に未練たらたらなのも、周りのひんしゅくを買っている理由のひとつだ。お前が死んでもなお、千歳に紫紺様とつなぎを取ってくれって無茶ぶり要求する感じだったから、紫紺様がキレてしばらく天候が大荒れでな。このままじゃやばいと、神薙本部から家族を交えた上で警告がされたんだよ」
「警告ってどんなですか?」
「優しく言うと、大人しくしてろって感じだ。実際は神薙の上層部がかなり強く叱責したらしい。蝶よ花よと大切にされる花印を持つ人間が、神薙からそんな扱いを受けるなんて異例だぞ」
それだけ神薙達も、波琉の怒りが周囲に及ぼす影響が怖かったということなのだろう。
唯一波琉を止められるミトは死んでしまったので、人間にできるのはただ怒りが鎮まるのを待つことしかできないのだ。
「家族の方にも、ちゃんと見張っていろと警告されたからな。慌てた両親がこれまで甘やかしていたのを一転させて厳しくし始め、それが気に食わない吉田美羽が暴れるなんていう状態で、あいつの家庭内は荒れているそうだ」
蒼真はふんっと鼻を鳴らす。
「娘も娘だが、花印ってことで甘やかされてきた人間が、急に周りの対応が変わって気持ちが追いつけないのはなんとなく分かる。これまで花印の家族として恩恵を受けていたのに手のひら返しの家族には、正直反吐が出るな。娘といっても簡単に切り捨てられる存在だと言っているようなものだ。誰のおかげで優遇されてきたと思ってるんだか。まあ、町ぐるみで甘やかしているのが一番悪いのは当然なんだが、どこぞの親を見ていると、どうしても比べちまう」
蒼真はチラッと昌宏を見る。
昌宏は怒り冷めやらぬ表情で向こう側を歩く美羽をにらみつけていた。
「志乃、ちょっと文句言うぐらいよくないか?」
「気持ちは分かるけど、今はミトとの時間の方が大事よ」
「うぐぐ……」
今にも走っていきそうな顔で歯ぎしりする昌宏の肩を、志乃がしっかりと掴んでいる。
蒼真は機嫌がよさそうに口角を上げて、ぐしゃぐしゃとミトの頭を撫でた。
「お前の親は、なにかあったとしてもお前をあっさり切り捨てるような心配はなさそうでなによりだなぁ。お前のために紫紺様に殴りかかるんだからよ。こっちの方が冷や冷やしたぐらいだ」
「ご迷惑おかけしました」
ミトは謝罪を口にしつつも、申し訳なさとは真逆の柔らかな表情で、とても嬉しそうに微笑む。
蒼真の愚痴のような苦言は、ミトのことを考えてくれているからだ。
両親だけではない、たくさんの人の愛情が伝わってきて心が温かくなった。
「……吉田さんは今後どうするんでしょうか?」
龍神を敵に回した人間が住むには、ここは住みにくいはずだ。
「神薙たちは紫紺様があいつら家族を龍花の町から追放するんじゃないかって思ってたんだよ。龍花の町で龍神に仕えていた星奈の一族みたいにな。だが、紫紺様は特になにも指示なされなかったから、このまま町で暮らしていく。それならば花印を持っている以上はこの町での生活が保障されているわけだし、生きていくのには困らねえだろ」
「でも、居心地は悪くなりそうですね」
「それはお前が気にしてやる問題じゃねぇ。それも含めて紫紺様が与えられた罰とも言えるしな」
「そうですか……」
ミトにできることはないし、彼女のためにひと肌脱ごうというほど親しい間柄でもない。
これが千歳だったならなんとしても助けようと奔走するが、ミトはただ傍観者のひとりであることを選んだ。
しかし、それを許さないかのように美羽がこちらを向いた。ミトの存在に気がついて、目を大きくしている。
その瞬間、蒼真が舌打ちした。まったくもってガラが悪い。こんな人が神に仕えて許されるのかと疑うレベルだ。
「あー、めんどくせぇ」
どこのごろつきかという声色に、蒼真には悪いがミトは小さな笑いが出た。
「笑ってんなよ」
「すみません」
ひとにらみされるが、蒼真という人を知っていればまったく怖くはなかった。
横断歩道もない車道を、車が通るのも気にせずに横切って向かってくる。車が急ブレーキを踏んで止まっていてもおかまいなしだ。
ミトしか見えていないその表情に浮かんでいたのは、怒り。
なぜそんな鬼の形相で向かってくるのか、責めるような目で見てくるのか、ミトには理解不能だった。
どちらかというと、ミトの方が怒鳴り込みに行く側ではないのか。
一直線にミトの前にやってくるが、危険から守らんがためにさっと蒼真がミトの前に立つ。
護衛の人たちも警戒して、一気にぴりっとした空気が流れる。
ミトも、自分になにかあれば周囲への影響がとんでもない事態になると理解できるほどには成長した。
もしも怪我のひとつでもついたら、怒られるのは蒼真や護衛の人たちだ。
もちろん怒るのは波琉だが、今はそこに桂香が加わるような気がする。
なので、お世話になっている周囲の人のためにも、ミトは蒼真に隠れるようにして顔だけ覗かせる。
それでも美羽の目はミトだけを映しており、憎しみすら感じるほどの鋭い目を向けられ、ミトはやはり不思議でしかない。
「なによ、生きてるじゃない! 死んだなんて嘘だったのね!? それなのに私はあんなに怒られてっ。あなたのせいで家はめちゃくちゃよ」
来るなり早々、文句の嵐。
にらみつけたまま、美羽の口は止まらない。
「私だって龍神が迎えに来ていたの。それなのに少しのすれ違いでチャンスを掴めなかっただけで、皆、私への態度をあっさり変えたのよ。あれだけ私のお願いはなんでも聞いてくれていた両親まで急に厳しくなるし、妹まで馬鹿にしてくるんだから!」
ミトが美羽の妹と会ったのは片手で数えるほどだが、姉の美羽をあまりよく思っているようではなかったのは覚えている。
なにせ態度があからさまだったので、言われずとも察せられた。
美羽が花印を持っていることでこれまで両親から二の次にされてきたようで、美羽に激しい嫉妬心を抱いているようであった。
きっと格好のネタができたと、ここぞとばかりに美羽を責め立てているのが容易に想像できた。
けれどそれをミトに言われてもどうしようもない。
それなのに、美羽はさらに続ける。
「あなたのせいで家の空気は最悪なの! どうにかしてよ! こんなことになった責任を取って!」
なぜ自分がと、ミトはあきれて言葉も出ない。
それは両親や護衛の人たちも同じようだ。
ミト側の人間は、『なに言ってんだ、こいつ?』という顔を全員がしていた。
ただひとり、蒼真だけは違う。
「ああ!? てめぇ、舐めたこと言ってんじゃねぇぞ!」
地を這うようなドスの利いた声を発する蒼真は、言葉にはできぬ恐ろしい顔をしていた。
これにはミトも護衛の人たちも顔を引きつらせる。ドン引きであった。
そんな蒼真に正面から向かい立つ美羽は大丈夫だろうかと思ったら、やはり顔色を悪くし、先ほどまでの勢いはなりを潜めている。
「お前の家がどうなろうがこっちはどうでもいいんだよ。自業自得だ」
決して怒鳴っているわけではないのに、背筋に冷たいものが流れるほどの威圧感。
「ものを知らねぇ小さな子供なら仕方ねぇが、成人も近い年齢だろ。自分の行動には責任を持てよ。でないと今後後悔するぞ」
蒼真の迫力に怯みつつも、美羽は言い返した。
「か、神薙のくせに、花印を持った私にそんな暴言吐いていいの!?」
最初こそ大人しい印象だった彼女の怒鳴り散らす今の様子を見て、大人しいと評するのは難しい。
物心つく前から龍花の町で育ったので仕方がないかもしれないが、彼女からは神薙を見下しているのが透けて見える。
龍神の次に立場が上になる、花印を得た者が持つ傲慢さ。
けれど、今や彼女に花印を持っているとか相手が神薙だとかは意味がない。
すでに、怒らせてはならない存在を怒らせてしまっているのだから。
そう、紫紺の王を。
「調子に乗んなよ。もう、お前が花印を持っていようが下手に出る必要はねぇんだからな。これ以上騒ぐなら紫紺様にチクんぞ」
「あ、そこは波琉に頼るんですね……」
思わずこぼれたミトのつぶやきと同意見だったのは、ひとりやふたりではないだろう。
中には『チクるんかーい!』とツッコミを入れたそうな顔をしつつ、賢明にも口を閉ざしている護衛たちがいる。
「波琉君が知ったらぶち切れそうよね」
ふふふっと志乃がのほほんと笑っているが、内容はとんでもない。
聞く者が聞く者なら、その場で卒倒しかねない破壊力のある言葉だ。
昌宏などは「すでに俺はぶち切れてるがな……」と、じっとりと獲物を狙うハンターのような目つきで美羽をにらみつけていた。
「さあ、どうすんだ? 紫紺様に出張ってもらうか?」
少々ずるい気もするが、花印を持つ者には龍神が相手をするのが手っ取り早い。
そして、ミトに喧嘩を売ってきたと言えば、確実に波琉を引っ張り出せる確信が蒼真にあるからこその言葉だ。
波琉の存在をちらつかされて怖じ気づいたのか、美羽は悔しそうに顔を歪めると、逃げるように走っていった。
結局自分への謝罪の言葉はひと言も出てはこなかったなと、ミトは走り去る美羽の背を見ながら思う。
まあ、ミトも今さら謝られてもなにか変わるわけではないため、逆に困ってしまうので構わないが、美羽の少しも自分の非を感じていない様子が、ミトには少しモヤモヤとした気持ちを残していく。
またもや周囲を気にせず走っていく美羽は、自分のことで手いっぱいの様子なので仕方ないのかもしれない。
それを悪役のようなガラの悪い顔で見送る蒼真は、けけけっと笑った。
まさに悪魔の笑いだ。
「逃げんなら最初っから喧嘩売ってくるんじゃねぇよ。おとといきやがれ」
「蒼真さん……。なんか、助けてもらったのに感謝の気持ちが浮かんでこないんですけど……」
「なんでだよ!」
どっちが悪か分からないからだろうとは、誰も口にしなかった。
帰りの車の中で、ミトは皐月について問う。
「蒼真さん、皐月さんはどうしているんですか?」
美羽と同じく学校に姿を見せていない皐月のことは、これまで頭の片隅に追いやられていたが、美羽の登場で気になった。
「あー。まあ、生きてはいる」
不穏な言葉にミトはぎょっとする。
蒼真はあまり話したくなさそうにしているから、なおさら不安が煽られる。
「なんですか、それ。めちゃくちゃ怖いんですけど」
「元気いっぱいってわけではないからな。久遠様に捨てられたことをまだ切り替えられていないんだ。まあ、当然っちゃ当然だ。久遠様があいつを迎えに来たのはまだ小学生の頃だ。それからずっと久遠様がいる生活が当たり前で生きてきたのに、おそらく一生久遠様に会うのは叶わないんだからな」
「そんな前から一緒だったんですね」
ミトも物心つく前から夢で波琉と会っていたので、その当たり前が急に消えてしまう喪失感を想像するだけで胸が痛む。
原因が皐月の傲慢さゆえだったとしてもだ。
もし自分だったなら、きっと立ち直れる自信がない。
そう考えると、皐月はもう学校には来ないのではないかと思った。
「久遠様のいない生活に慣れるのには時間がいるだろうさ。だが、それはお前が気にする問題じゃない。お前はお前のことだけを考えていればいいんだよ」
突き放すように感じるが、それはミトを心配しての言葉だ。
「はい……」
堕ち神に利用されてしまった皐月。
どうして堕ち神が皐月を利用しようとしたかまでは不明のまま、堕ち神は封印されてしまったので、理由を知るすべはないだろう。
久遠もいなくなり、皐月を支える者がいるのかも不明だ。
気になったものの、ミト自身に力や決定権はないので、これ以上口を出してもなにができるわけでもない。
皐月の気持ちが分かるからといって、相談相手にすらなれない。
波琉に大切にされているミトがそんなことをしたところで、逆に皐月の感情を逆撫でするだけである。
ミトはもう考えないようにしようと、皐月に関する問題を心にしまい込んだ。