「ねえねえ、舟木君! 遠くに大きな船が見えるよ!」

 海から吹いてくる冷たい潮風をものともせず、湊は笑顔で両手を広げて見せる。
 湊の誘いから三か月ほど、はじめは実験の授業のときだけ話していたのが、少しずつ休み時間や他の授業の時も話すようになった。そして、後期の試験が一通り終わり二か月の春休みが始まろうとしたところで、神戸港を観に行こうと誘われた。
 三宮駅を降りて湊がまず向かったのはメリケンパークという海沿いの公園だった。

「前に来たときは、港とか船までちゃんと見てなかったな」
「えー。神戸まで来て何見てたの」

 湊からお叱りを受ける。レトロな街並みだったり、地下街だったり、今治から出てきたばかりの俺からすれば見どころは色々あったのだけど。その辺りのことを話しても、あまり湊には刺さらなかったようだ。

「あとは、そうだな。生田神社とかも行ったかな」
「……一人で?」

 急に湊の視線が俺を探るようなものになる。これまでの反応とは明らかに違った。

「そうだけど」
「んー。まあ、舟木君っぽいかなあ」

 湊は勝手に納得したように一人でうんうん頷いている。三宮の観光地を調べたときに上の方に出てきてなんとなく足を運んだのだけど、そういう適当なところが俺っぽいと言われてるのだろうか。

「湊は行ったことあるのか?」
「えっ? ないけど」
「それなら、帰りに寄ってみる?」

 今は港の方に来ているから、三宮駅をはさんで反対側だけど、確か駅から歩いて十分ほどだったはずだ。まだ昼前だし、帰りに少し立ち寄るくらいの時間はあるだろう。
 それくらいの考えだったけど、湊のクリッとした瞳がパッと見開かれて、それから難しそうな顔をしてムムムとか唸りだす。そうやってしばらく唸った後、湊が浮かべたのはどこか困ったような笑みだった。

「ほんと、舟木君っぽい。そうだね、せっかくだし一緒に行こうよ」

 そう言うと湊はタタタっと海沿いの方まで駆けていく。その先では湊の言う通り大型の船が海を行き交っている。少し視線をずらすと、帆船の帆のような形のホテルの向こう側に造船所と思しきクレーンが何基か見えた。

「あのさ、舟木君。専攻の希望はもう決まった?」

 隣から聞こえてきた問いかけ。湊は海の方を見たままだった。
 来週、専攻の希望調査がある。その希望をもとに四月前に専攻ごとに分けられ、それぞれの講義などが始まる。

「まだ、迷ってる」

 その迷いは、四か月前からまるで前進していなかった。
 むしろ、港をつくりたいという希望に向かって真っすぐと進む湊を見ているうちに、より一層自分がやりたいことが何かわからなくなってしまった。その意味では前進どころか後退しているのかもしれない。

「私には、舟木君の将来を決める権利はないけど。でも、決め手に困ってるなら」

 湊はクルっと俺の方を振り向くと、一人分ほど離れていた距離を一歩詰める。

「造船コース、進んでみたら?」
「造船?」
「うん。あ、別に舟木君の地元が今治だからってわけじゃなくてね」

 そこで言葉を止めた湊はじっとこちらを見上げている。

「私がつくった港に、舟木君がつくった船が来るとか。そういうの、なんかいいいかもなあって」

 クリッとした瞳は、湊が夢を語った時の熱っぽさを帯びていた。湊の向こう側に見える造船所のクレーンをもう一度見る。
 港町と行き交う船が湊にとっての原風景なのだとしたら、俺にとってはドッグに船が並び出航の時を待っている景色こそが原風景なのかもしれない。
 今まで考えもしなかった。湊の隣に並び、海を眺めると郷愁感にギュッと胸が締め付けられる。

「あ、国内じゃ新しく港をつくるみたいなことって無さそうだから、海外まで荷物を運ぶような大きな船をつくってもらわないといけないけど」

 おどけた調子で頬をあげた湊は、少し目を細めて遠くからやってくる大型船に視線を向ける。パッとイメージが浮かんだ。
 どこか遠い国の港町。海からやってくる大きな船を見つめる湊の姿。

「なんて、ね。まだ一週間あるし、じっくり考えて――」
「乗った」

 反射的に湊の言葉を遮る。
 これまで漠然としていた未来というものが、急に現実味を帯びた気がした。掴みかけた何かを手放すまいと心が急ぐ。

「湊の夢に俺も乗せてほしい。主体性とかなくて、めちゃめちゃダサいかもしれないけど……」

 湊は小さく目を閉じて首を横に振る。

「ううん、よかった。でも、乗り物をつくるのは舟木君だよ?」

 目を開けた湊は、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。