招待されたパーティーの会場で、なつかしい顔をみつけた。

「ひさしぶりに会ってもかっこいいね、三嶋(みしま)くん」

 美穂の囁く声にドキッとした。会場に入ってからずっと、彼を見ていたことがバレたかと思ったのだ。けれど。

「……結子(ゆいこ)?」

 不思議そうに首をかしげる美穂の表情に、杞憂だったと安堵する。

「え……、ああ、うん。あんまり変わんないね」

 会社の同期に招待された結婚式の二次会。
 ゲストテーブルに回ってきた新郎新婦と談笑している三嶋(みしま) 耕平(こうへい)にちらりと視線を投げつつうなずくと、美穂が私の顔を無言でじっと見てきた。

「なに……?」
「いや、なんか、結子反応薄いなーって。もしかして、結子、三嶋くんと会うのひさしぶりじゃない? 三嶋くんが会社辞めたあとも連絡取り合ってた?」
「あいつが仕事辞めたすぐの頃はね。でも、もう一年以上連絡とってないよ」

 これは、ほんとう。耕平の顔を見るのは、一年ぶりくらいのことだ。
 だから、首を振って苦笑いする。

「そうなの? 今まで聞けなかったけど、私、結子と三嶋くんは付き合ってんのかなって思うときがあったんだよね。入社したときから同期で一番仲良かったし。実際、付き合ってたりした?」
「全然。ないない。三嶋くんとは趣味も合ったし仲良かったけど、同期として以上に意識したことはなかったよ」

 これは、ウソ。私と耕平は、付き合っていることを会社の同僚には秘密にしてた。
 部署が同じだったからお互いに仕事がやりにくくなるし、「公表するなら結婚するときだね」って話していた。
 だから、無理やり引き上げた口角がひきつった。

「そうなんだ〜。だったら、三嶋くんが会社辞めるときに告っとけばよかったなあ」
「え……?」

 美穂の言葉に、一瞬言葉を失う。

「……美穂、三嶋くんのこと好きだったの?」
「好きっていうか、ちょっといいなぁとは思ってた。うちらの同期で、そういう子、他にも何人かいたよ。でも、誰も思いきれなかったのは、三嶋くんて結子が好きなんだろうなーって雰囲気出てたから」
「ウソ……」
「ほんと、ほんと。あ、せっかくだから、あとでカノジョいるか聞いてみよっか」

 美穂が耕平のほうを見ながら、ふふっと笑う、
 どこまで本気かわからない美穂の言葉になんだかヤキモキしてしまうのは、私がまだ耕平との別れをうまく昇華できていないせいだ。

***

「三嶋くん、ひさしぶり。元気だった?」

 結婚式の二次会が終わると、美穂はさっそく耕平に話しかけに行った。
 付き添いを装って、私も美穂のあとから付いていく。

「おお、池田さん。ひさしぶり。元気、元気」

 振り向いた耕平が、美穂の後ろにいる私に気付いて軽く左手を挙げる。

品野(しなの)も、ひさしぶり」
「うん、ひさしぶり」

 そう答えながら、私は耕平の変化に密かに落胆していた。あたりまえだけど、耕平が私に向ける視線にかつてのような熱は感じられない。

「三嶋くん、今日はこのあとどうするの? こっちに泊まっていく予定?」

 薄く微笑む私の横で、美穂がグイグイと耕平に迫る。

「いや、今日は地元に戻るよ。祝いの席で、酒飲めなくて悪いなあとは思ったんだけど、車なら日付が変わるギリギリには帰れるから」
「そっかあ……」
「俺も、せっかく東京出てきたなら飲みに行こうって誘ったんだけど……。地元でカノジョが帰りを待ってんだって。な、三嶋」

 そばにいた同期の横山(よこやま)くんが、美穂と耕平の話に割り込んでくる。
 横山くんに揶揄われた耕平は、特に照れる様子も「うらやましーだろ」と笑った。
 それを聞いた美穂が「そうなんだ」と、ちょっと残念そうにつぶやく。

 そうか。地元でカノジョが待ってるんだ……。別れて一年経っても、気持ちに整理がついてないのは私だけ……。

 
「そうだ。俺、このまま帰りついでに横山のこと車で送ってくんだけど……。池田さんと品野もついでに乗っていく?」
 
 複雑な気持ちで視線を落とすと、耕平がそんなふうに声をかけてきた。

「え、乗せてもらっていいの? ありがとう」
「いいよ、どうせ通り道だし。品野も乗ってくよな」

 耕平が、黙っている私にも誘いかけてくる。
 その言葉に、今はもう深い意味なんてないのに。心臓がドクンと鳴った。

***

 耕平の車には、助手席に横山くん、後部座席に私と美穂が乗った。
 後部座席にはブランケットが一枚畳んで置いてあった。

「ごめん。それ、適当に避けて座って」

 耕平に言われて、地元のカノジョのものなんだろうと察する。

「道順的に、先に横山の家だな。それから池田さん、品野の順番で回るわ」
「それでお願い」

 耕平が横山くんとナビで地図を確認している途中、私の座っている位置から、スマホホルダーに立てていた耕平のスマホがメッセージを受信するのが見えた。

 一瞬見えたのは、女の子の名前。
 それに気付いた耕平は、スマホを少しいじってからまたホルダーに立て直した。

「じゃあ、車出しまーす」 

 Bluetoothでスマホと繋いだオーディオから、耕平の好きなアーティストの曲が軽快に流れ出す。私もよく聞くアーティストの曲だけど、耕平の車の中で聞くとなんだか懐かしい気持ちになる。

 車内では、助手席に座った横山くんがずっと耕平と話していた。そこに、たまに美穂が加わる。
 私は車窓を流れる高速道路の景色を眺めながら、みんなの会話を黙って聞いていた。

 地元に帰ってからのこと。耕平が手伝ってるお父さんの会社のこと。耕平の近況は、知っていることが1割。知らないことが9割。
 耕平の声を聞きながら、いつのまにか知らないことのほうが増えていることを思い知らされる。

「三嶋のお父さん、仕事復帰してるんだ? 回復してよかったな」
「おかげさまで。一時はどうなるかと思ったけどな。戻ったばっかりの頃は、父親の会社の勝手がわからなくて昔からの職員としょっちゅう揉めてさあ。もう、こんな会社どうなったっていいんじゃね? って気持ちにもなったけど……。最近は、デザイン会社のときのスキル活かして、会社のホームページとか広告作りの手伝いもしてる」
「ふーん、うまくいってんだ?」
「今のところな」

 耕平が私たちの勤める広告デザインの会社を辞めたのは、一年前。地元で建築関係の会社を経営していた彼のお父さんが体調を崩したからだった。
 新卒で入ってまだ二年目。ようやく仕事が楽しくなってきたときのできごとで、耕平はかなり迷って退職を決めた。
 その当時、私と耕平は付き合っていた。 

 耕平と仲良くなったのは、入社後に同じ部署に配置されてから。
 同じ企画を担当させられることが多くて、自然と話すことが多くなった。
 仕事帰りにふたりで飲んだときに同じアーティストのファンだと知って、ふたりでライブに行った。
 音楽だけじゃなくて、耕平と私は趣味や好みがよく似ていた。
 食べ物、ファッション、映画、行きたいところ。
 仕事への向き合い方や目標とすること。
 好みが似ているから、耕平と一緒にいるときはいつも、その瞬間、瞬間がすごく楽しかった。
 すごく気が合ったし、仲の良い恋人同士だと思ってた。少なくとも、私は……。

 初めて耕平とケンカしたのは、彼が「来月で会社を辞めることにした」と打ち明けてきたとき。
 耕平は、お父さんの病気のことも、会社を辞めることも私に話してくれなかった。何の相談もせずに決めてしまった。

『どうして何も言ってくれなかったの?』

 ヒステリックに怒る私に、耕平は諭すように笑って言った。

『結子には、まだまだ今の会社でやりたいこととか目標があるだろ。遠距離になっても、俺が結子のこと好きなのは変わらないから。週末にはなるべく会いに来る』

 一緒に地元についてきてほしいとは言われなかった。
 もし耕平に「ついてきて」って言われたら、「行かない」って答えたかもしれない。でも「ついていくよ」って答えたかもしれない。
 耕平は、そのどちらかを選ぶ選択肢も私に与えてくれなかった。

 それまで一度も耕平の言葉にモヤついたことなんてなかったのに。付き合って初めて、胸に違和感を覚えた。

***

 車を三十分ほど走らせたところで高速を下りる。
 横山くんを家の前でおろしたあと、下道を二十分ほど走って美穂を下ろす。

「ありがとう、三嶋くん。またゆっくりこっちに遊びにきて」
「ああ、またな」 

 美穂に手を振ったあと、耕平が後部座席の私を振り向いた。

「結子の家までこっから二十分はあるよな。前に来る? しゃべりにくいし」

 ふたりきりになった途端、耕平の私の呼び方が名字から名前になった。
 きっと耕平は、何の意識もせずに呼んだんだろう。
 付き合っていたときはあたりまえに呼ばれていたのに、ひさしぶりに呼ばれるとやけにくすぐったく感じる。

 私はもうカノジョじゃないのに。
 地元にカノジョがいるくせに……。

「ほんと、そういうとこだよ……」

 小さくつぶやくと、「ん?」と耕平が眉を寄せる。私の言葉を聞き返すときのその表情も、全然変わってないな。
 そう思っていると、耕平のスマホが震えた。

「あ、ちょっとごめん……」

 スマホホルダーに手を伸ばした耕平が、私から視線をはずしてスマホを確認する。届いていたメッセージを確認して返信する耕平の口端がほんの少しゆるむ。その瞬間を見てしまった私の胸がキュッと切なくなった。

「……ひさしぶりに話せるし、前行っていい?」

 モヤモヤした気持ちで口にした言葉は、嫉妬と未練。
 耕平の手を離した今、そんなこと感じたって遅いのに。

「もちろん、おいで」

 カノジョにメッセージを送ったスマホをホルダーに戻しながら、耕平がにこりと笑う。
 もう、私に対して何の感情もないなら……。その顔はずるい。

***

 私が助手席に座ると、車内に流れる音楽が切り替わった。
 恋人のどんなところが好きだったかを思い出している、ちょっと切ないラブソング。曲調や歌詞が好きで、ふたりでカラオケに行くと耕平がよく歌ってくれていた。
 耕平と行ったライブで生で聞いて、ふたりで感動した。でも考えてみれば、これって失恋の歌だ。

「今もこのアーティストの曲、よく聞いてる?」
「聞いてる。むしろ、このバンドの曲しか聞かないかも。結子は?」
「私も聞くよ……」

 そうして、いつも耕平のことを思い出すんだ。それは、言えないけど……。

「ライブ、楽しかったよね」
「そうだな。また行きたいけど、俺の住んでるとこらへんには、全然そういうの来ないからなあ。田舎だし」
「カノジョ、は……。このバンドのライブとか興味ないの?」
「んー、どうかな。いい曲多いけど、別にファンではないらしい。俺が聞いてんのに、平気で自分の好きな曲に変えたりしてくる。基本、あんまり趣味合わねーの」

 耕平がそう言って、ふっと笑う。
 趣味合わない。そう言うくせに、耕平は少しも不満そうじゃなかった。

「趣味合わなかったら、いつもふたりで何するの?」
「ふつうのデートするよ。メシ食いに行ったり、映画見たり、買い物行ったり……。でも意見合わなくて、よくケンカする」

 そう言って笑う耕平の横顔は、ものすごく満ち足りて見える。なんとなく、私と一緒にいたときよりも。

 付き合っていたとき、私と耕平がケンカをすることはほとんどなかった。
 聴きたい音楽、好きな映画、好きな食べ物。
 趣味や好みが似ていたから、衝突も少なかった。
 でも、全然不満がないわけじゃなかった。

 たとえば、私の気持ちを勝手に慮って、大切なことを自分ひとりで決めちゃうところもそうだし。
 あとは、メッセージの返信がマメじゃないところもそう。 

 1日1回でいいから、メッセージの返信がほしい。
 月に一回でいいから会いたい。
 遠距離になったときに私は耕平にそんなお願いをした。だけど、地元に戻ってからの耕平は私との約束をあまり守ってくれなかった。

 同じ会社に勤めているときは多少連絡がつかなくてもあまり気にならなかったけれど、耕平が地元に戻ってからはたまに数日音信不通になることがあって心配になった。
 あとで理由を聞けば、仕事から帰ってきて寝落ちてたとか、地元の友達と飲んでたとか、そんな理由だったんだけど……。それでも、遠距離で連絡がつかないというのはかなり不安だった。

 連絡が付かなかったり、会う予定の日が仕事でキャンセルになる度、胸の中でモヤモヤした気持ちと彼への違和感が募っていく。

 耕平のことが好きなのに、何か違う……。
 だんだんとそんな思いが強くなった。
 彼といる未来が全然想像できなくなった。

『この先、耕平と一緒にいる未来が描けない』

 ひさしぶりのデートでめずらしくケンカになって、私が泣いた。

 耕平はちょっと困った顔で苦笑いして『そっか……』と言った。

 もしかしたら耕平も、遠距離になった私との付き合いに違和感を感じていたのかもしれない。
 そのケンカで、私たちは別れた。  

 先に別れを仄めかすような言葉を口にしたのは私のほうなのに。私は心のどこかで、『結子が好きだから別れたくない』と耕平が言ってくれるのを期待していた。
 でも、耕平は私を引き止めてはくれなくて、謝ってくれただけだった。

『淋しい気持ちにさせてばかりでごめん……』

 私が欲しかったのは、そんな言葉じゃなかった。
 ただ、私が一番に大事に思われてるということを言葉でも態度でもいいから示してもらいたかった。

 好みも趣味も合って、一緒にいると楽しくて。すごく大好きだったのに……。
 いつのまにか埋められなくなった違和感に、私たちの恋は飲み込まれた。

 別れたあとは、しばらく耕平への気持ちを引きずった。
 もしかしたら、今も無意識に引きずったままなのかもしれない。

***

「この先、曲がったところだよな」

 家が近付いてくると、耕平が確認するように尋ねてくる。何の案内もしなくても、耕平は私の住んでいるマンションへの道順を今も覚えてくれていた。

「結子は、今付き合ってる人とかいるの?」

 マンションに到着する直前、ふいに耕平が尋ねてくる。

「……なんで?」

 微妙な間を空けて聞き返したら、「んー、なんとなく。気になって」と耕平が曖昧に笑う。

 耕平が私に恋人の有無を確認してきたのは、きっと、未練でも下心でもない。自分にはカノジョがいるのに、結婚の可能性も多少は考えていた元カノがひとりぼっちだったら気まずいんだろう。

「耕平と別れてからはずっとフリーだよ。でも、今は恋愛とかいいんだ。仕事、楽しいから。企画を任せてもらうことも増えてきたし」

 仕事が楽しいのはほんとう。だけど、自分の言葉が100%本音かって聞かれたら違う気もする。

「そっか。結子、新人の頃から先輩たちにも期待されてたもんな」

 耕平が笑ってうなずく。その横顔が、どこかほっとしているように見えた。
 そんな話をしているうちに、車が私の住むマンションの下に止まる。

「乗せてもらってありがとう」

 お礼を言って降りようとしたとき、耕平のスマホがブブッと震えた。

「あー、ごめん……」

 タイミングよく車内に響いた音に苦笑いしながら、耕平がスマホに手に取る。
 私と付き合っているときは、なかなかメッセージを見てくれないことが多かったし、返信がないこともしょっちゅうだったのに。耕平の反応は早い。

「カノジョから?」
「うん。メッセージ放置すると、すげー怒られるんだよね」

 笑いながら、耕平はスマホの上で忙しそうに指を滑らせている。

 1日1回でいいから連絡してほしいっていう私のお願いは聞いてくれなかったのに……。今のカノジョには、マメに連絡してるんだ……。

「私と付き合ってるときは、全然返信くれなかったくせに」

 ボソリとつぶやくと、耕平がやっと私のほうを見た。

「……それは、悪かったと思ってる。仕事辞めて環境変わって、いろいろ余裕なかったのもあるけど……。あのときの俺たちは、すぐに会える距離にはいなかったんだから、一緒にいるためには、もっとちゃんと大事だってことを態度で示さなきゃだめだった。結子と別れたあと、俺も学習したんだよ」

 耕平の言葉が、私の胸をギュッと締め付ける。

 今さら、そんなこと言われても少しも嬉しくない。
 私との失敗で学習したなんて、そんなの言い訳だ。
 私と付き合っていたときだって、1日1回メッセージを送るくらい、やろうと思えばできたはずなんだ。
 それができなかったってことは……。
 結局のところ、私は耕平にとっての一番じゃなかったってことだ。何があっても絶対に繋ぎ止めとおきたいと思ってもらえるような相手じゃなかった。

 趣味や好みが似ていて、話が合って、一緒にいたら楽しい。好きだけど……、でも、その瞬間がよければいい。
 耕平にとっての私は、そんな相手だったのかもしれない。

 別れるとき、私が耕平との未来を描くことができなかったように、耕平も私との未来を描けなかったのかな。
 それが知れただけでも、よかったと思う。

「じゃあ、私行くね」

 車のドアを開けて降りると、耕平が笑顔で私に手を振った。

「おつかれさま。今日はひさしぶりに結子と話せてよかった」
「私も……」
「じゃあ、またな」
「……うん」

 また、なんてあるはずないのに。小さく頷いて、バタンとドアを閉める。
 窓越しに手を振ると、耕平が軽く手を振り返して車を発進させた。

「……バイバイ」

 少しずつ遠くなっていくテールランプを見つめながらつぶやく。
 寂しいとは思ったけど、もう苦しくはなかった。

Fin.