みんな違って、みんないい。

 パニック障害。みんな一度は、聞いたことがある精神的な病気だと思う。
 突然起こる動悸や胸の痛み、息苦しさ、めまい。そして“どうしよう” “死ぬのかな”と不安になり、結果パニックな状況になってしまう疾患。
 私は物事を気にしすぎてしまう性格で、小さい頃からパニック障害を患っている。

 「莉乃(りの)ー、朝ごはんできたよ」

 「お母さん、おはよう。いただきます」

 「どう、最近は。前みたいないじめはない?」

 ドクン、と心臓が跳ねる音がする。
 お母さんは、どうして気軽に“いじめ”という言葉を発するのだろう。私は絶対に、そんな簡単に言えない。
 ……きっと、お母さんは経験していないから分からないんだ。どれだけ辛いか、苦しいかなんて。
 私はいつものように、作りものの笑みを浮かべる。

 「……うん、大丈夫だよ。転校してからは、みんな優しく接してくれるし、学校も楽しいよ」

 そうやって嘘を吐くたびに、胸がチクッと痛む。
 だけど笑顔でいないと、自分が壊れてしまいそうで、怖かった。

 「そう、安心した。じゃあ今日も気をつけてね」

 「……うん。行ってきます」

 私はスクールバッグを肩に掛け、家を出る。ずっと付けているボロボロになったくまのキーホルダーを見ると、涙が出そうになった。
 この時間はいつも、満員電車だ。私みたいに遠いところから学校に通う子も、仕事場へ向かう会社員もたくさんいる。

 今日はいつもよりも人が多く感じた。人が密着しているし、電車が少し揺れるたびに肩がぶつかる。
 ーー……あれ、これ、押しつぶされない?
 怖い。どうしよう。そう考えれば考えるほど、息が詰まる。
 呼吸が上手くできない。このままじゃ倒れるかも。電車の中でパニックにはなりたくないのに……っ!
 最寄りの駅に着いたとき。私の腕を掴んで、電車内から引っ張り出してくれたひとがいた。
 そのおかげで、私は倒れずに済んだ。

 「あ、あの……っ」

 何とかお礼を言おうと声を出す。
 その人の顔を見ると、私はまた、声が出なくなった。

 「え……皆川(みなかわ)……?」

 「……佐渡(さわたり)くん」

 佐渡裕二(ゆうじ)
 この人の顔も、声も、何もかも覚えている。正確に言うと、忘れるわけがない人物。
 ーー……去年、私のことをいじめていた主犯だから。

 「皆川……その、制服」

 「え……?」

 佐渡くんが驚きながら私の制服を指差す。
 見ると、佐渡くんの制服も私の学校と同じものだった。
 頭の中にハテナマークがたくさん浮かぶ。

 「どうして……」

 「俺、親の都合で転校することになった。だからたぶん……一緒の学校、ってことだな」

 うそ。どうして。こんなことがあっていいの?
 やっと逃げられたのに。振り切ったのに。
 何でまた、大嫌いなこの人と一緒の学校に通わなきゃいけないの?

 「……っ、先行くのでっ」

 佐渡くんの返事を聞かずに、学校へ急いで走って行く。
 涙がポロポロと自然に出てくる。
 ーー……また、地獄が始まるのかと、絶望しながら。
 息切れしながら、急いで教室へ足を踏み入れる。
 佐渡くんに、もう二度と会わないように。
 すると私のもとへ、三人の女子が駆け寄ってくる。

 「莉乃、おはよー」

 「どしたの、そんな走って」

 「前髪やばいよー」

 花奈(はな)亜美(あみ)優奈(ゆうな)
 三人はいわゆる一軍女子で、私とは違う、キラキラした女子高校生。
 転校初日に私をグループへ入れてくれた。

 「あ、そういえばさー。莉乃、昨日おすすめしたアイドル見てくれた?」

 「……あ。ごめん、昨日は忙しくて見れなかった」

 花奈の問いかけに私は正直に答える。
 昨日は家の手伝いをしていて、花奈がおすすめしてくれたアイドルを見る時間がなかったんだ。
 だけど花奈は不機嫌そうにため息を吐く。それに続いて優奈も。

 「最近さー、莉乃付き合い悪くない?」

 「え……?」

 「昨日だってカラオケ誘ったのに来てくれなかったじゃん。だからあたしの好きなアイドルおすすめしたのに、それも見てくれないってひどくない?」

 「ご……ごめん」

 花奈の口調は時々冷たいことがあるけれど、こんなに言われたのは初めてだ。
 けれど、私は顔の前で手を合わせて何度も謝る。

 「まぁそれはウチも思ってた。莉乃はもう少し積極的になったほうがいいよ。ほら、何だっけ……“みんな違ってみんないい”って言うじゃん?」

 「あー、何かそれ習ったよね。莉乃はさ、趣味とか好きなものとかないの? いつもあたしたちの話に付き合ってるだけじゃん。だからつまらないんだよねー」

 花奈だけでなく、優奈にも冷たい言葉を言い渡される。
 ……わたしは。みんなとは、違う。だから、みんなみたいにはなれないのに。
 でも反論することができなかった。
 花奈たちは孤立していた私をグループに入れてくれた。だから私が我慢すれば、みんな悪い気持ちにはならない。

 「うん、そうだよね。付き合い悪くてごめんね。今日は一緒に遊びたいなー!」

 そう言うと、花奈たちは納得したように頷きながら自分の席へ戻っていった。
 私は、途端に胸が苦しくなる。だけど落ち着いて呼吸をすれば、パニックにはならなかった。
 ……疲れる。もう、面倒くさい。
 “あの言葉”を考えるのも、気持ちを我慢するのも。もう散々だ。
 放課後になり、私は花奈たちとカフェへ行こうとしたとき。
 一通のメールが届いていて見ると、お母さんからだった。

 【莉乃、ごめんね。今日、(まこと)のお見舞い行ってほしいの。学校が終わってからでいいから。お願いね】

 弟は今怪我をしていて、入院中。
 もうすぐ退院にはなるけれど、お母さんは心配なのだろう。
 お母さんは仕事で行けないのだから仕方がない。

 「みんな、ごめんね。今日行けなくなっちゃった」

 「また? 何で?」

 「弟の……お見舞いに行かなくちゃいけないの」

 そう言うと、花奈たちは一斉にしーんとなる。
 花奈と優奈はうんざりした顔だったけれど、亜美が笑って口を開く。

 「それじゃ仕方ないよ。また明日ね、莉乃」

 「……ありがとう。本当にごめんね。また明日」

 私は急いで教室を出る。
 すると、曲がり角で誰かと勢いよくぶつかってしまった。

 「す、すいません」

 「いえ、私こそ……って、え」

 その相手は、今朝も会った佐渡くんだった。
 ……どうして。もう、二度と会いたくなかったのに。
 彼は、尻もち付いていた私に手を差し伸べてくれた。

 「ごめん、皆川。大丈夫?」

 「……は、はい。ありがとう、ございます」

 何だか、去年とは全然雰囲気が違うからびっくりしてしまう。
 ……こんなに、優しい人じゃなかったのに。

 「ねぇ、今から時間ある? ちょっと話したいんだ」

 「……ごめんなさい。私、弟のお見舞いに行かなくちゃ、いけないので」

 「あぁ。真くんでしょ? 俺も行っていい? ついでに話そうよ」

 え?
 どうして佐渡くんが、私の弟を知っているのだろう。
 もしかして去年、私の家庭状況を把握していた、とか。
 恐怖でいっぱいな気持ちになるけれど、もちろん私は断る勇気はない。渋々頷いた。

 「ありがとう。じゃあ行こう」

 こんなことになるはずじゃ、なかったのに。
 もう二度と話さないって、会わないって、許さないって決めたのに。
 前とは違う彼の優しい瞳を見たら、断ることが出来なかった。
 佐渡くんと、弟の病院へ向かっているとき。私は心臓が破裂しそうだった。
 だって、私をいじめていた本人だ。あの……あの、佐渡裕二。
 だけど、やっぱり前とは違う気がしてしまう。今朝私を助けてくれたし。もしかしたら性格が変わったのかな、なんて希望もある。
 けれど怖いんだ。何かされそうで、言われそうで、不安になってしまう。
 そう思っていたとき、佐渡くんは口を開いた。

 「ごめん、急に真くんの病院着いていっていい、なんて聞いて」

 「え……いや、それは、大丈夫です」

 「……それと。本当に本当にごめん。あのとき、は」

 胸がドキッとする。
 あのとき、がいつなのか分かってしまうから。思い出してしまうのがとても苦しくて、辛い。

 「俺が皆川のノートに落書きしたせいで、皆川は転校したんだよな?」

 「……は、い」

 「そうだよな。でもさ、俺、なんて書いたか忘れちゃったんだ。そんなにひどいことだったのか、最低なことだったのか。もちろん後悔してたよ、皆川を傷つけちゃったこと。でもなんて書いたかだけ教えてほしいんだ」

 ……そう。
 普通、こんなことを書かれただけで、誰も傷つかないと思う。
 でも、わたしだから。わたしは、弱いから。
 この言葉が嫌いだから、傷ついてしまった。

 「みんな違って、みんないい」

 ひゅうっと冷たい風が、私の頬を撫でる。

 「……私ね。小さい頃から、パニック障害を患ってるの」

 「え……」

 「もともと、“みんな違って、みんないい”って言葉が嫌いだったんだ。精神的な障害がある私は、みんなとは違うから。孤独な気持ちになっちゃうんだ」

 私は気づけば、自分がパニック障害だということを初めて人に話していた。

 「だから、思ったの。いつも笑顔でいようって、我慢しようって。私は、みんなと同じになりたいんだ。パニック障害を治して、みんなと同じように生きたい……って」

 しばらく沈黙が続いたけれど、ようやく佐渡くんが口を開いた。

 「そうだったのか。……本当に、傷つけてごめん。あれはふざけて書いただけなんだ」

 それも全部、分かっている。
 その日の道徳の授業で、“みんな違って、みんないい”という言葉を学んだ。
 だから何となくふざけて、面白がって、陰キャだった私のノートに落書きしただけなのだろう。
 でも、それなら、私じゃなくても良かったんだ。よりにもよって、みんなとは違う私が選ばれてしまったから。 

 「それでさ、俺も……」

 「ごめん、私、やっぱりひとりで行くね」

 「え、ちょ、皆川ーー」

 「さよなら、佐渡くん」

 もう……あの日のことは忘れたい。
 佐渡くんの悲しそうな表情が気になりながらも、私はその場を去っていった。
 真の病室へ音を立てないために、忍者のようにそろりと入る。
 私はまだ、佐渡くんの悲しそうな表情を忘れずにいた。
 するとぷっ、と小さく噴き出す笑い声が聞こえた。

 「姉ちゃん、何その動き。やばー」 

 「ま、まことっ! 見てたの?」

 「いや、ここからだと見えるし。今はこの部屋俺しかいないのに、何してんの」

 私の動きが面白かったようで、真はケラケラと笑っている。元気なのは良いことだけど。
 私は持ってきていた差し入れを真に渡す。

 「これ、買ってきたよ」

 「おー、ありがと。やった、俺が好きなグミじゃん。食べたかったんだよねー」

 「お母さんが毎日ここ来てたでしょ? 買ってきてくれなかったの?」

 「体に悪いからだってさー。俺、ただ足首怪我しただけなのに」

 真の足首には、もう消えないと医者から告げられた傷が残っている。
 私の心も、こんなふうに傷ついてしまっているのだろうか。ふとそんなことを思った。
 真はお菓子を食べながら話す。

 「そういえば姉ちゃん、一緒に来なかったの?」

 「え? 誰と?」

 「裕二さんに決まってるじゃん。さっきメール来たよ」

 裕二さん……って、佐渡くんのことだよね。
 そういえば、どうして佐渡くんと真が知り合いなのだろうか。

 「真と佐渡くんって、どうして知り合いなの?」

 「え? あぁ、姉ちゃん知らなかったのか。裕二さんついこの前まで入院してたんだよ、三日間だけ。それで姉ちゃんのことを言ったら知り合いだって言われてさ。仲良くなったってわけ」

 真はペラペラと早口で話を進める。
 ……待って。佐渡くんが、入院?
 私は真の話を遮って、問いかける。

 「佐渡くん、どうして入院してたの!?」

 「……精神的な障害になっちゃったらしいよ。ここの病院は、そういう人たちも入院できるみたい」

 私は頭の中が真っ白になる。
 佐渡くんも、精神的な障害になったの……?
 そのとき、ハッと思い出す。佐渡くんと話していたとき、何か言いかけていたことを。
 でも私は「ひとりで行く」と言って話を聞かずに、ここへ来てしまった。
 ……ひどい。私は、最低だ。
 私は……人を、傷つけてしまったんだ。

 「姉ちゃん……。裕二さんと何があったのかは分からないけど、すごくいい人なんだよ。俺にとっては一番の先輩」

 佐渡くん、きっとすごく傷ついただろう。
 過去の私みたいに。去年の私みたいに。
 私は、過ちを犯してしまったんだ……。
 そう思うと、胸がぎゅっと締め付けられて、また息が上手く吸えなくなった。
 私はずっと、心の内で佐渡くんのことを忘れることが出来なかった。
 翌日。昨日の夜、病院からどうやって帰ってきたのか覚えていない。
 私は人を傷つけてしまったという事実だけが、ずっと胸に残っていた。
 もう学校なんか行きたくなかった。自分を偽るのはもう疲れてしまった。
 正直、生きることが億劫になっていた。

 「……おはよ」

 「莉乃、おはよう。ちょっと、大丈夫なの? 顔青いわよ。今日学校欠席する?」

 「……ううん、いい。行く」

 お母さんに強く言われ、念の為熱を測ったけれど、平熱だった。
 私は朝ごはんを無理やり口に運ぶ。だけど喉の奥に突っかかってしまい、なかなか喉が通らなかった。

 「莉乃、本当に大丈夫? 辛かったら早退してね」

 「うん、そうする。ありがとう」

 お母さんはスーツに着替えて家を出ようとする。
 けれどピタッと立ち止まり、私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。
 急にどうしたのだろう。

 「莉乃。ごめんね、辛いよね。莉乃は昔から自分のことより人のことを考えてて、とても優しい子に育ったなって思ってるよ」

 「……そんな、こと」

 「でも、言いたいことはちゃんと言っていいんだよ。好きだとか、嫌いだとか、やりたくないとか。ちゃんと自分の意思で、言葉にして良いんだよ」

 その言葉が、私の胸にズシンと響く。
 私はずっと我慢していた。自分はみんなと違うから。
 でも、本当は言いたいこと、言っていいの……?

 「ありがとう、お母さん。私、お母さんのところに産まれて幸せだよ」

 「……お母さんもよ、ありがとう、莉乃」

 そのとき、私は決心した。
 今日、今までずっと閉ざしてきた心の扉を、開けようと。
 嫌なことは嫌と、ハッキリ言おうと。
 初めて、自分の意志で強く思った。
 今日は空がいつにも増して青く見える。
 まるで私のスタートを応援してくれているような、そんな感じがした。
 教室へ行くと、いつもは話しかけてくれる花奈たちだけど、何だか雰囲気がピリついていた。それどころか睨まれたようにも思える。
 けれど私は拳を握りしめて、勇気を出した。

 「おはよう、みんな」

 「おはよ……莉乃」

 亜美はそう返してくれたけれど、花奈と優奈は目を合わせてくれない。
 でも私は、そのまま突き進んだ。

 「いつもごめんなさい!」

 そう言うと、花奈と優奈は、私のほうを向く。
 きっと昨日約束をドタキャンしたことに、怒っているのだと思う。
 けれど話はちゃんと聞いてくれているみたい。
 
 「花奈、いつも誘ってくれてありがとう。でも本当に忙しくて、行けなくてごめんね。優奈、転校初日に話しかけてくれたときから明るく接してくれてありがとう。亜美、いつも優しく声を掛けてくれてありがとう」

 息をするのも忘れたまま、私は言いきる。

 「みんなに、話していなかったことがあるの。それを今日、話したいんだ」

 私はすーっと息を吸って、心を落ち着かせた。
 大丈夫。言いたいことは、ちゃんと言っていいのだから。

 「私ね……パニック障害なの。昔から物事を深く考えすぎちゃう性格なんだけど。みんなと違うのがすごく嫌なんだ。それで……ちょっとしたいじめがあって、この学校に転校してきた」

 亜美は、時々相槌を打ちながら私の話を聞いてくれている。
 花奈と優奈も、何も言わずに真剣に聞いてくれていた。

 「みんなが私をグループに入れてくれて、うれしかったの。本当に。でも私、あまり遊びに行けなくて……。迷惑かけちゃうけど、みんなとは違うけど、これからも仲良くしてくれたら嬉しい、です」

 話し終わると、三人だけでなく、クラスメイト全員がしーんと静まり返った。
 けれど、迷いはなかった。ちゃんと自分の気持ちを、全部言うことが出来たから。
 すると花奈たちが、私のことを優しく抱きしめてくれた。

 「……ごめん。あたし、強く言い過ぎちゃってたよね」

 「ウチもごめん。話してくれてありがと、莉乃」

 「私も、助けられなくてごめんね。もちろん、これからも友達だよ」

 「……みんな」

 花奈も、優奈も、亜美も。
 ちゃんと私の気持ちを分かってくれた。理解してくれた。
 本当はこんなに近くにいたんだ、自分を分かってくれる人が。
 それに私は気づかず、今までひとりで我慢をしていただけ。

 「でも、さ。莉乃はあたしたちと違わないよ」

 「え……?」

 「障害があっても、みんなと同じだよ。今を生きてるってことは、一緒。だから、もう悩まないで」

 どうして、そんなにやさしい言葉を掛けてくれるのだろう。
 私の友達は、なんて心優しいんだろう。
 そのとき、涙が頬にこぼれ落ちる。

 「あ、ありがとう……っ!!」

 「もう、泣かないでよー」

 「あー、優奈も泣いてるのー?」

 「亜美だって泣いてるじゃない!」

 私は、ふと気がついた。笑顔を作ろうとしなくても、自然に笑えていることに。
 涙を拭って、もうひとつ、決心したことがある。
 ……大嫌いだったあのひとに、謝ろうって。
 佐渡くんがいる隣のクラスに、私は勇気を振り絞って来た。
 知り合いがいない違うクラスに行くなんて、前の私なら絶対にできなかった。
 でも、今ならできる気がする。

 「あ、あの……!」

 丁度クラスから出てきた女子に話しかけてみる。
 眼鏡を掛けていて、髪型は三つ編み。少し大人しそうな子だ。

 「んー? どうしたの?」

 「あの、佐渡くん、いますか? 少し用があるんですけど」

 「佐渡? いるよー! ちょっと呼んでくるね!」

 驚いた。
 明らかに大人しそうな子だと思っていたのに、こんなにも明るくてハキハキした子だったなんて。

 「あ、そうだ。名前は?」

 「え、えっと……皆川、莉乃です」

 「莉乃ちゃんねー! あたし、香乃(かの)。よろしくねー」

 ひらひらと手を振りながら、教室に入っていく香乃さん。
 人を見た目で判断してはいけない、というのはこんな出来事のことを言うのだろう。
 しばらくして香乃さんが佐渡くんを呼んできてくれた。
 佐渡くんは気まずそうに顔を背けている。

 「……皆川、急にどうしたの?」

 「呼び出しちゃってごめん、話したいことがあるの。ちょっと来てほしい」

 私はそのまま、佐渡くんを強引に空き教室へ連れ出した。
 すー、はー。緊張で心臓が爆発してしまいそう。
 でも、もう過ちを犯してはいけない。人を傷つけてはいけない。本音を、言わなければいけないから。

 「昨日は、ごめんなさい」

 そう言って、私は頭を下げた。

 「佐渡くんが入院していたこと、知らなかった。それなのに私は佐渡くんの話を聞こうとしなかった。本当にごめんね」

 私がしたことは、去年の佐渡くんと同様だ。
 人を傷つけてしまったという罪悪感が、ずっと心に残っている。

 「それでね……分かったの。傷つけられた側だけがずっと心に傷を負っているのかなって思ってた。でも違うんだね。傷つけた側も、後悔と罪悪感が……残る」

 「……うん」

 「佐渡くんは去年のこと、本当に後悔してくれてるんだね」

 そう言うと、佐渡くんは静かに頷いた。

 「……そうだよ。去年のあの日、俺は……仕方なく、皆川を傷つけてしまったんだ」

 佐渡くんは、少しずつあの日の真実を話してくれた。
 「……あの日、友達が皆川のノートに、“みんな違ってみんないい”って書いてるところを見ちゃったんだ」

 私は思わず「え」と言葉を発してしまう。
 ずっと、あの言葉は佐渡くんが書いたものだと思っていた。
 だけど、本当は違ったの?

 「それで、注意したんだよ。そしたら……俺がやったことにされた。でも、俺は何も言い返せなかった。……だからびっくりしたよ、皆川が転校するってなったときは」

 愕然とした。
 今までずっと、大嫌いだった佐渡くん。
 本当は、佐渡くんは何もしていなかったんだ。

 「勘違いさせちゃってごめん、皆川」

 私は、肩が震え上がった。
 ……どうして。どうして、佐渡くんが謝る必要があるのだろう。
 謝るのは私のほうなのに。今まで傷つけてきたのは……私なのに。

 「ごめ……ん。ごめんなさい、佐渡くん」

 「皆川……」

 「本当にごめんなさい。私っ、佐渡くんをずっと、傷つけてた……。ごめんね……」

 涙が一粒、口に入る。
 それはしょっぱくて、海のようだった。
 
 「皆川、覚えてる? 高校の入学式のこと」

 「え……?」

 「席が隣だった俺に、話しかけてくれたよね。“よろしく”って。あのひとことがすごく嬉しかったんだよ。皆川からしたら、普通のことかもしれないけど……“みんなと違う”のが、すごく嬉しかった」

 そういえば確かに、隣の席の子に話しかけた覚えがある。
 佐渡くんだったんだ……。
 私は、涙を拭う。

 「うん……。佐渡くんは、私にとって“みんなと同じ”じゃないよ。“みんなと違う”よ」

 「それ、遠回しに告白って思っていいの?」

 「え……えぇっ!?」

 そんなつもりじゃなかったけれど、確かに佐渡くんに特別な感情を抱いているのかもしれない。
 ……私にパニック障害があることを知っても、こんな最低な人だと分かっても、“みんなと同じ”ように接してくれるきみのことが。

 「すき」

 「え……」

 「私、佐渡くんのことが好きだよ」

 「……俺も、皆川のことが好き」

 その瞬間、佐渡くんの腕のなかに引き寄せられた。
 あたたかくて、ぬくもりを感じられる。

 私たちはずっとすれ違っていた。
 私は、パニック障害のせいで“みんなと違う”のが嫌だった。
 だからずっと、笑顔でいることを心がけていた。

 だけど、佐渡くんは私のことを“みんなと同じ”ように接してくれる。
 私は、佐渡くんに“みんなと違う”特別な感情を抱いている。
 お互いがお互いに救われているなんて、とても素敵だと思う。

 「これからよろしく、皆川」

 「……こちらこそ。よろしくね、佐渡くん」

 ずっとすれ違っていた私たちだけど。
 今なら、この言葉を、胸を張って言うことができる。

 みんな違って、みんないい。

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