月末に控えた引っ越しのために、荷造りをしている時だった。物をぎちぎちに詰め込んでいた戸棚の奥から、すっかり埃を被り古びた箱に入ったデジタルカメラが出てきた。
「うわ、懐かしい……」
それは高校生の頃、友達に誘われ掛け持ちで入っていた写真部で使っていたものだ。チョコレートのようなブラウンで、片手サイズの小さなデジタルカメラは、もう十五年近く前の物。ずっと戸棚の奥で眠っていたのだ、電源が入るのかさえわからない。
わたしはこれで、どんな写真を撮っただろうか。正直あまり記憶になかった。わたしは当時、写真部よりも文芸部をメインに活動していたのだから仕方ない。
こういった思い出の品は見始めると手が止まってしまうので、荷造りの時には中身を確認しないのが鉄則だ。
けれど、使えないものならば今の内に処分してしまいたい。引っ越し荷物は少ない方がいいのだ。
意を決して恐る恐る電源ボタンを押してみるけれど、当然充電は切れていた。わたしはカメラから電池を取り出し、一緒に箱に入っていた機械で充電を始める。どうやら電池自体は生きているようで、ややあって充電開始を示す赤いランプがついた。
あくまで動作確認のためだ。そう思うのに、その存在がやけに気になってしまう。片付けを続けながらも、目の前にある過ぎ去りし青春の欠片の誘惑に負け、わたしはつい充電もそこそこにデジタルカメラを起動した。
「あ、動いた……」
電源を入れると、懐かしい起動音がした。そして画面には、今が何月何日の何時なのか設定するよう促す表記浮かぶ。
それを見て、わたしは長い間コールドスリープしていた人が目覚めて「今はいつなのか」と問う場面を想像した。
動作確認なのだから適当に入れればいいものを、そんな想像をしてしまったからには今の日時を確認して、正確に入力する。
このデジタルカメラは、約十五年ぶりの目覚めだ。随分と未来に来たものだと思ったことだろう。
荷造りに夢中で意識していなかったけれど、時間を入力する段階ですっかり夜も更けていたことに気付く。
これは本格的に、中身をいちいち確認している場合ではない。軽く見るだけで済ませようと、わたしは小さなボタンをかちかちと押してみる。
「えっと、一応動くっぽいな……」
操作はなんとなく指先が覚えていた。液晶に映された写真の一覧画面を流し見するけれど、残されたデータのほとんどは写真部で何か使えないかと適当に撮った風景や花、見知らぬ人達の後ろ姿や足元なんかの特に思い入れのないものだった。
「何これ……ピンボケもあるし、わたし、何でこんなの何枚も撮ってるんだろ」
けれど学生の頃のわたしは、きっとこれがいいと思って撮ったに違いない。その若い感性が失われたことを自覚して、思わず苦笑する。時の流れは残酷だ。
そのままカメラロールを流し見ていると、たまに昔飼っていたペットや、家族との旅行の写真があった。ようやく思い出らしいものが出てきたとよくよく見てみると、その辺りは当時現像してアルバムに挟んでいたから見覚えがあった。
千枚近くのデータが残ってはいたものの、これならば全部見たとして思ったより時間もかからず済みそうだ。
「昔のわたし、こんなにたくさん撮ってたんだなぁ……」
感嘆しつつも、断捨離のついでとばかりに思い入れのない写真を大量削除していく。
そんな中、わたしはふと、カメラロールの中で異質なやけに暗い一枚の写真を見つけて、手を止めた。
「……、……ちろくん」
ほとんど逆光になっていて、顔のはっきりしていないその写真。けれどそこに映っていたのは、紛れもなく高校の頃好きだった男の子『藤牧慶一郎くん』だった。
思いもよらぬ昔の恋心との対面に、わたしは動揺する。
日常で手にしていてもおかしくないスマートフォンならまだしも、デジタルカメラなんて明らかに『写真を撮ってます』なんて媒体の中に、片想いの彼の写真が残っているなんて思ってもみなかった。
「……」
名前が『けいいちろう』なんて長くて呼びにくい。だから『ちろくん』。可愛いよね。なんて、そんな親しげなあだ名で呼んでいたものの、わたしと彼は一度たりとも恋人同士ではなかった。
ちろくんには当時、高校三年間随分とラブラブだった彼女が居たのだ。
わたしと同じ文芸部だった、別のクラスの藤牧慶一郎くん。彼女さんはちろくんと同じクラスで、部活は別だった。けれど、どちらの部活内でも公認の、有名なカップルだった。
そのラブラブっぷりは、正直目に余るものがあった。たとえば文芸部のメンバーで放課後カラオケに行った時に、何故か彼女さんまで同行して当然のように彼の足の間に座っていたり、公衆の面前でポッキーを食べさせ合ったりしながらひたすらイチャイチャして、時には一つのマイクでデュエットをかましていたほどだった。
彼のことが好きだったわたしからしても、その光景が羨ましいとは思わなかった。何なら端から見て、ちょっとやりすぎでは? なんて冷静な自分も居て、わたしがその彼女さんのポジションに居る想像さえ出来なかった。
そんなだったから、当然わたしの片想いは実る可能性さえなくて、そもそも伝えようなんて気も起きなくて、淡い恋心を芽が出る前に固く踏みしめた土の中に押さえ付けていたようなものだった。
「ふふ、懐かしい……」
それでも、しょっちゅうそんな他の女の子とのラブラブを見せ付けられて、叶うことも告げることもなかった恋は、そう苦しいものではなかった。
同じ部活で、放課後になれば彼女さんの居ない部室で仲間として彼と同じ時間を過ごせる。わたしはそれだけで、十分幸せだったのだ。
「……最初から絶対叶わない片想いの方が、期待しない分傷付かずに済むし……そっちの方が楽なこともあるんだよね……」
「うわ、懐かしい……」
それは高校生の頃、友達に誘われ掛け持ちで入っていた写真部で使っていたものだ。チョコレートのようなブラウンで、片手サイズの小さなデジタルカメラは、もう十五年近く前の物。ずっと戸棚の奥で眠っていたのだ、電源が入るのかさえわからない。
わたしはこれで、どんな写真を撮っただろうか。正直あまり記憶になかった。わたしは当時、写真部よりも文芸部をメインに活動していたのだから仕方ない。
こういった思い出の品は見始めると手が止まってしまうので、荷造りの時には中身を確認しないのが鉄則だ。
けれど、使えないものならば今の内に処分してしまいたい。引っ越し荷物は少ない方がいいのだ。
意を決して恐る恐る電源ボタンを押してみるけれど、当然充電は切れていた。わたしはカメラから電池を取り出し、一緒に箱に入っていた機械で充電を始める。どうやら電池自体は生きているようで、ややあって充電開始を示す赤いランプがついた。
あくまで動作確認のためだ。そう思うのに、その存在がやけに気になってしまう。片付けを続けながらも、目の前にある過ぎ去りし青春の欠片の誘惑に負け、わたしはつい充電もそこそこにデジタルカメラを起動した。
「あ、動いた……」
電源を入れると、懐かしい起動音がした。そして画面には、今が何月何日の何時なのか設定するよう促す表記浮かぶ。
それを見て、わたしは長い間コールドスリープしていた人が目覚めて「今はいつなのか」と問う場面を想像した。
動作確認なのだから適当に入れればいいものを、そんな想像をしてしまったからには今の日時を確認して、正確に入力する。
このデジタルカメラは、約十五年ぶりの目覚めだ。随分と未来に来たものだと思ったことだろう。
荷造りに夢中で意識していなかったけれど、時間を入力する段階ですっかり夜も更けていたことに気付く。
これは本格的に、中身をいちいち確認している場合ではない。軽く見るだけで済ませようと、わたしは小さなボタンをかちかちと押してみる。
「えっと、一応動くっぽいな……」
操作はなんとなく指先が覚えていた。液晶に映された写真の一覧画面を流し見するけれど、残されたデータのほとんどは写真部で何か使えないかと適当に撮った風景や花、見知らぬ人達の後ろ姿や足元なんかの特に思い入れのないものだった。
「何これ……ピンボケもあるし、わたし、何でこんなの何枚も撮ってるんだろ」
けれど学生の頃のわたしは、きっとこれがいいと思って撮ったに違いない。その若い感性が失われたことを自覚して、思わず苦笑する。時の流れは残酷だ。
そのままカメラロールを流し見ていると、たまに昔飼っていたペットや、家族との旅行の写真があった。ようやく思い出らしいものが出てきたとよくよく見てみると、その辺りは当時現像してアルバムに挟んでいたから見覚えがあった。
千枚近くのデータが残ってはいたものの、これならば全部見たとして思ったより時間もかからず済みそうだ。
「昔のわたし、こんなにたくさん撮ってたんだなぁ……」
感嘆しつつも、断捨離のついでとばかりに思い入れのない写真を大量削除していく。
そんな中、わたしはふと、カメラロールの中で異質なやけに暗い一枚の写真を見つけて、手を止めた。
「……、……ちろくん」
ほとんど逆光になっていて、顔のはっきりしていないその写真。けれどそこに映っていたのは、紛れもなく高校の頃好きだった男の子『藤牧慶一郎くん』だった。
思いもよらぬ昔の恋心との対面に、わたしは動揺する。
日常で手にしていてもおかしくないスマートフォンならまだしも、デジタルカメラなんて明らかに『写真を撮ってます』なんて媒体の中に、片想いの彼の写真が残っているなんて思ってもみなかった。
「……」
名前が『けいいちろう』なんて長くて呼びにくい。だから『ちろくん』。可愛いよね。なんて、そんな親しげなあだ名で呼んでいたものの、わたしと彼は一度たりとも恋人同士ではなかった。
ちろくんには当時、高校三年間随分とラブラブだった彼女が居たのだ。
わたしと同じ文芸部だった、別のクラスの藤牧慶一郎くん。彼女さんはちろくんと同じクラスで、部活は別だった。けれど、どちらの部活内でも公認の、有名なカップルだった。
そのラブラブっぷりは、正直目に余るものがあった。たとえば文芸部のメンバーで放課後カラオケに行った時に、何故か彼女さんまで同行して当然のように彼の足の間に座っていたり、公衆の面前でポッキーを食べさせ合ったりしながらひたすらイチャイチャして、時には一つのマイクでデュエットをかましていたほどだった。
彼のことが好きだったわたしからしても、その光景が羨ましいとは思わなかった。何なら端から見て、ちょっとやりすぎでは? なんて冷静な自分も居て、わたしがその彼女さんのポジションに居る想像さえ出来なかった。
そんなだったから、当然わたしの片想いは実る可能性さえなくて、そもそも伝えようなんて気も起きなくて、淡い恋心を芽が出る前に固く踏みしめた土の中に押さえ付けていたようなものだった。
「ふふ、懐かしい……」
それでも、しょっちゅうそんな他の女の子とのラブラブを見せ付けられて、叶うことも告げることもなかった恋は、そう苦しいものではなかった。
同じ部活で、放課後になれば彼女さんの居ない部室で仲間として彼と同じ時間を過ごせる。わたしはそれだけで、十分幸せだったのだ。
「……最初から絶対叶わない片想いの方が、期待しない分傷付かずに済むし……そっちの方が楽なこともあるんだよね……」