それから僕達は、二人寄り添いながら星空を眺めた。僕から彼女には触れられない、それでも、隣から僅かな温もりを感じた。

「次に会えるのは、あと五千年以上先になるんだろうね」
「……え?」

 てっきり、僕に言ったものかと思った。けれど彼女は、遠い彗星に向けて告げたようだった。長い間側に居たから、顔が見えなくても、何と無く、声の調子だけで表情や対象が分かる。

 不意に、ラベンダー畑に着いた時の彼女の言葉を思い出す。目で見るよりも、感じられるものがある。今は目の前の星空よりも、彼女の存在を強く感じた。

「この彗星、次に地球から観測出来るのは約五千年後らしいんだよね」
「……途方もない数字だな」
「そうかな? 楽しみな時間はあっという間だって言うし、案外すぐかもよ?」
「楽しみな時間、か……なら、約束してくれよ」
「約束?」
「また、次の彗星も一緒に見るって」

 雲の流れによって、淡い光の塊のような彗星が、夜空に浮かんでは消える。まるで命の瞬きのようだ。辛うじて声だけ聞こえる彼女も、きっともうすぐ、遠く届かない星になってしまうのだろう。

「……ふふ。いいね。五千年後の約束だ」
「ああ、約束だ……忘れるんじゃないぞ」
「忘れないよ、絶対」

 彼女の声が、もう上手く聞き取れない。水中に居るような、もやがかかったような、そんな感覚。
 隣にあった僅かな温もりも、既に感じない。見上げた空が白んできて、星の姿もほとんど見えない。タイムリミットが近付いていた。

 声が聞こえるだけで、奇跡のようなことだったのに。欲張ってしまった罰なのだろうか。彼女が完全に居なくなってしまうのを、認めたくなかった。

「なあ、千早矢……もう少しだけ……」
「……次にきみに会えるのは、あと五千年以上先になるんだろうね」
「……、遠すぎるだろ」
「きっと、星を数えてたらすぐだよ」

 別れの気配に溢れる涙が止まらない。再び告げられたその言葉は、今度は僕に向けられたものだ。消え入りそうな彼女の声は、心の底から嬉しそうに、笑っているように聞こえた。

「五千年後。約束、だからね!」

 今まで何度も救われてきた、前向きで明るい、彼女の声。
 最後に小指に温もりが触れた気がして、そのまま、彼女の声も温もりも、夜明けの夏の空気に溶けて消えた。


*******


 二年前のあの夏の日に撮った写真。彩り豊かな美しい花や、空を映した透き通った青い池。細く流れる白い滝や、葉が生い茂る凛とした木々、継ぎ接ぎの鮮やかな広大な丘。
 そして、彼女が一枚だけ撮った、僕達の終わりを告げる砂時計のように、淡く光り落ちる彗星。
 愛しい時間を閉じ込めたはずなのに、当然のように、どれにも彼女は映っていなかった。

「次に会えるのは、約五千年後だって、言ってたっけ」

 あの特別な一夜の記憶をなぞるようにアルバムを見返しながら、最後に撮ったラベンダー畑から星を見上げた写真で手を止める。

「……五年間。君を失ってからの、永遠みたいな長い時間……。それなのに、これでやっと、千分の一だ……」

 五年前の夏。僕は彼女を失った。後を追おうとした僕を引き留めたのは、愛しい彼女の声だった。
 二年前の夏。喪服のように黒い服を着続ける僕の側にずっと居てくれた、目には見えない幽霊の彼女と、本当のお別れをした。彼女はきっと、今度こそ大好きな星になれたのだろう。

 あの日僕達を包んだラベンダーの香りを、今でも鮮明に思い出せる。
 ラベンダーの花言葉には『あなたを待っています』とか『期待』とか『沈黙』とか、そういう意味があるらしい。
 唯一届いていた声すらなくなり、完全に沈黙した二人の時間。それでも最後の約束に、期待してもいいのだろうか。

 遠い遠い、五千年後の未来。再びあの紫苑色の花畑の中、二人で彗星を見られるように。
 僕はきっと、何度生まれ変わっても、星を数えながら彼女を待ち続けるのだろう。