「次にきみに会えるのは、あと五千年以上先になるんだろうね」

 そう言って笑う、星屑のようにほんの小さな彼女の声が、僕は今でも忘れられない。


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 あれは二年前、二千二十年の夏のことだ。三月に発見されたばかりの新彗星『ネオワイズ彗星』が、七月頃最も太陽に接近すると知って、彼女が「何としても見たい」とはしゃいでいたのが、つい昨日のことのように思える。

 あの日僕は彼女を助手席に乗せて、星の見易い場所を求め、観光を兼ねてドライブに出掛けた。
 七月の始め、ちょうどラベンダーのシーズンだ。地元旭川から出発して、美瑛、富良野方面を目指すことにした。

 北海道第二の都市なんて言われる旭川だが、少し車を走らせるだけで、店も高い建物も見当たらない田舎だと感じる。しかし市外へと出ると、更に殺風景な道が続いて、上には上があるものだと苦笑した。

 都会の人は田舎の風景に憧れると聞くし、大自然の空気は僕も好きだ。それでも単純に、長距離運転する側からすれば、何もない道は何とも眠気を催すものだった。

「後部座席に珈琲があるから取ってくれるか? 千早矢(ちはや)の分のカルピスもあるから」
「やった。はぁい」

 受け取った珈琲は既に少し温くなっていた。クーラーが効いているとはいえ、真夏日の七月の車内だ、仕方ない。
 緑の生い茂る木々や、遠い間隔で農家の並ぶ広大な土地、ひたすら真っ直ぐ伸びる果ての見えない道。ゴールデンウィーク過ぎに通った時にはまだ田植えをしたてで水に空が映っていた田んぼも、今やすっかり緑に埋め尽くされて、風にわさわさと揺れていた。

 車窓からの景色を始めこそ楽しんでいた彼女も、あまり変わらぬ景色に既に飽きてしまったようで、ラジオを付けながら退屈そうな声音で運転中の僕へと声を掛ける。

「ねえ、今日の予定は? 実は私、星のことばっかり考えてて、他のこと何にも考えてなくて……」
「はは、だと思った。あと少しで美瑛に着くから、少し早めのランチは牧場でステーキとソフトクリームを食べよう」
「牧場のステーキとソフトクリーム……絶対美味しいやつだ……」
「それから、腹ごなしに青い池とか、四季彩の丘とか、アルパカ牧場とか、観光地巡り」
「胃を満たされた後は目も心も癒されるとか……光汰(こうた)のプランいつも完璧過ぎる。デートプラン評価SS級!」

 僕を拝み倒す勢いで褒めてくれる彼女に、思わず笑みが溢れる。
 ラジオから流れ始めた、もうすぐメジャーデビュー二周年目だというアイドルグループの曲を聴きながら、その楽し気な歌声と軽快なリズムに後押しされ、僕は得意気にプランの続きを語った。

「美瑛を満喫した後は、富良野に行こう。ラベンダー畑もそろそろ見頃のはずだから」
「ラベンダー畑! ……確か三年前に行った時は、蜂が凄かったよね」
「ラベンダーと蜂はほぼセットだったからな……刺されないように気を付けないと」
「光汰、基本黒い服ばっかりだもんね……」
「それは……」

 曲が終わり、ラジオからは今の曲を歌っていたアイドル達がインタビューに答える声が響く。

『アイラってば、地下ドル時代には当時はダンス下手くそで、MV撮影の時にも派手に転んでて……』
『わー! いやもう勘弁してください……ていうか、それ本当にそのまま使われましたからね! これを聞いてるみなさんも、失敗したと思ったら即座にやり直し要求ですよ!』
『失敗しないように、じゃないんだねぇ……』
『しちゃったものは仕方ないので! もう次に期待するしかないですね!』
『ポジティブなんだかネガティブなんだか……』
『もうっ、そういうはミユキさんは何かないんですか?』
『えー……わたしは無いかな』
『裏切り者ー!』

 失敗を振り返るアイドル達の和気藹々とした声に、その姿を想像して、つい僕も同じように笑える過去の失敗を思い浮かべた。

「千早矢。前は高温の炎天下でラベンダーソフトが秒で液体化したから、今日は少し日が傾いてからにしたい……昼過ぎから夕方前目掛けて」
「同意」

 その後もラジオにつられ、かつての記憶を振り返りながら僕達は思い出話に花を咲かせた。
 僕が美しいと思う景色や楽しかったと思う時間は全て、彼女との思い出に溢れている。
 それに今日、彗星という新たな思い出が増えるのだ。元より星が好きな彼女程でなくとも、僕も相当浮き足立っていた。詰め込めるだけ詰め込んだスケジュールが、それを物語る。
 独り善がりに立てた予定だったけれど、彼女は嫌な顔一つせず、楽しみだと笑った。

 今日はいい天気だ、これなら天候により灰色がかって見える日もある青い池だって、綺麗な水色をしているだろう。色とりどりの花が咲き乱れる丘だって、きっと美しいに決まっている。
 想像して綻ぶ頬をそのままに、美瑛に入ったという標識を横目に確認して、最初の目的地へとハンドルを切った。


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