シバルバーの事故から半年――ソールはそれまでの人生で最大の危機に直面していた。ソールだけではない。ペルセウスもアンドラもアーレスも、すべての人間が最大の危機に直面していたのだ。
「テュルフング・ミサイル、あと40分でアスガルドに着弾します!」
 悲痛な報告を聞きながらソールは心の中で毒づいた。
(ロキの野郎……!)

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 半年前。シバルバーが大西洋の海中に沈むという前代未聞の事故は、世界中に衝撃を与えた。死者・行方不明者は合わせて十数万人で、そのほとんどが海の中の藻屑となったのだ。
 フン・カメーは中央研究所から脱出できなかったと考えられるので、そのまま死んだのだろう。遺体の回収は不可能と思われている。ヴクブ・カメーの生死は確認できず、行方不明のままだ。
 ケツァルコアトルはシバルバー中央研究所と一緒に海に飲み込まれた。引き上げることは可能だろうが、また使えるようになるかはわからない。そもそもアルカディア軍が回収するつもりなのかも分からないが……。
 イシュタムはその後、アルカディアに身を寄せている。ソールの隣の部屋が空いていたのでそこに入った。ときどきソールの研究を手伝っているようで良き研究仲間となったようだ。シバルバーやケツァルコアトルのことはほとんど話さないが、お互いに頭の片隅には残っているのだろう。
 ちなみにイシュタムはソールに多少の好意を寄せ始めていて、アンドラや周りの女性は応援しているもののソールは恋愛に無頓着で研究に夢中らしい。
「朴念仁ねえ」とはアンドラの言葉だ。

 事故後、リヴァイアサンによる海流変動現象が起こったものの、世界的に広く知られることがなく、ニュースでも取り上げられることがなくなった。そんなこんなで、しばらくは平穏な日々が続いていた。しかし北欧のある出来事を境に世界が震え上がる事態に急展開していったのである――

「アスガルドへ行くだと?」
 ソールは戦闘機を整備していた手を止めてペルセウスに向き直った。
「ああ、アルカディアの主だった軍人が行ってくる。その中にお前もリストアップされているんだ」
「何で北欧の一国に軍人が行くの?」
 横にいたイシュタムが尋ねた。
「アスガルドとアルカディアは同盟を結んでいるんだ。今回はゼウスの表敬訪問とともに軍事演習もかねている」
 アスガルドは、北欧神話に出てくる神々の住む国である。シバルバーの事故では、アルカディアと協力して被災者を助けた。
「期間は長いのか? というかアンドラと赤ちゃんは大丈夫なのか?」
シバルバーの事故後まもなく、ペルセウスはアンドラとの間に子供が生まれた。初めての育児ということでアンドラもペルセウスも苦労しているようだ。
「シッターもいるし、期間は1週間だからなんとかなるさ。それよりソール、お前の予定も空けておいてくれよ」
 こちらからのメンバーは政府の関係者、もしくは役職の高い軍人だ。その中にソールが入れられたのはサンギルドシステムの紹介も視野に入れているからとのことだ。
「…今度は大丈夫なんだよな」
 ソールはシバルバーのことを皮肉交じりに言った。シバルバーもアスガルドもアルカディアもこの時代では世界有数の大国である。現代で言えば米中露と言ったところか。
 しかし、そのうちの二国でソールはさんざんな目に遭っている。アスガルドも同様の事態になることを考えるのは自然なのだろう。
「それはうがった見方だ。アスガルドは大丈夫さ、今度はゼウスも行くからな」
 だから余計に心配なんだよと、ソールは心の中で毒づいた。
 ソールとゼウスは基本的に犬猿の仲だ。ソールはアポロンやオシリスの死をまだ許せていないし、ゼウスもアルカディアを混乱させたソールを許せてはいない。お互いに廊下ですれ違っても挨拶どころか目も合わせない。
 そして単に個人的な感情だけでなく、ゼウスの政治手腕にも疑問を抱いていた。アポロンのメッセージを伝えてからゼウスはガイアの血を削減していくかと思っていたが、一向にその気配がない。それを人づてに伝えたら「だったらお前がサンギルドシステムを一般化してみろ」と返ってきた。以来、ソールは研究に没頭、というより意地になっている。
 そんなわけであまり気乗りはしなかった。しかし、気になることがあったので結局行くことにした。

――グールヴェイグはどうしているだろうか?
 それがソールの気がかりなことだ。
 グリフォンとの一戦で戦線を離脱し、そのまま行方不明になっている。フェンリルやヨルムンガンド、そしてロキが今何をしているのか気になった。
 それは彼らへの友情というものではない。何かを企んでいるように思えたからだ。特に艦長のロキはいつもヘラヘラ笑っているが目がすわっていて、何を考えているか分からないところがあった。アンドラと一緒にグールヴェイグにいた時は言わなかったが、ソールはロキのことをあまり信用していない。
――おまけにテュルフング鉱石なんて代物を扱っているときた。
 テュルフング鉱石とは核反応を利用したエネルギー…原子力の元になるウランのことだ。以前、グールヴェイグがどこかでテュルフング鉱石を収集したのがずっと頭の片隅に残っている。ロキが後世に残る北欧神話で災いをもたらす神と知っていたわけではない。しかし、嫌な予感はふくらむ一方だった。
 アスガルドをはじめ北欧は、テュルフング・エネルギーの利用が活発な地域だ。これだけの材料が揃うと、きな臭さを感じずにはいられなかった。