エントランスを抜けると、そこは薄暗い荒野だった。
岩壁などはどこにも見当たらず、寂しげな平原がどこまでも続いている。
とても岩山の中とは思えない。
「おそらく大規模な空間魔法ね。転移魔法で亜空間に飛ばされたのよ」
「へー」
「アンタ、わかってないでしょう?」
「うん」
「バカ……」
「まっすぐ歩いて行ったら壁にぶつかるのかな?」
「いえ、同じところに戻ってしまうはずよ」
つまり北へ真っ直ぐ進めばいつの間にか南へ、東に真っ直ぐ進めば西へ到着してしまうのだろう。
「丸い球の上を歩いているようなもんだな」
「あら、意外とお利口さん」
「あんまりバカにするな。それと俺の名前はジン・アイバだ。まがいなりにも今はチームなんだから、相棒の名前くらいは覚えておけ」
「シュナ・パイエッタよ。私の足を引っ張らないでね」
「ほざいてろよ……」
ダンジョンのレベルは3というだけあって、出現する魔物はたいしたことはなかった。
一角ウサギに巨大カマキリなど低レベルの魔物ばかりである。
俺たちはそいつらを一撃で倒していく。
「やっぱり強いな。ディランの三倍は強いわ」
「ディラン? 誰よ、それ」
「俺の友だちだ」
「アンタの友だち風情と一緒にしないで。こっちは毎日奈落の底の最下層で……」
うかつなことを喋ってしまったといった感じでシュナは言葉を飲み込んだ。
「奈落の底?」
「な、なんでもない」
奈落の底という名称には聞き覚えがあった。
たしかガーナ神殿の地下にあるとされている迷宮の名前がそれだったはずだ。
一般の冒険者は入ることが許されていなくて、特に選ばれた神官や神殿騎士たちがそこで修行を積むという話である。
神官崩れの冒険者に聞いたことがあるが、奈落の底の最下層には地獄に通じる門があるそうだ。
そこで悪魔と戦い、勝利できた者はしかるべき地位につくという噂がある。
シュナのステータスには聖女見習いとあった。
聖女と言えば神殿のアイドル的存在だが、その実力は計り知れない。
おそらくシュナも地獄門の前で修業をしていたのだろう。
「何をぼんやりしているのよ?」
「いや……、って、次が来たぞ。たぶんあれがボスだ」
ボスは巨大な雄鶏だった。
体長は二メートルくらい。
燃えるように赤いトサカ、純白の羽、鋭い嘴《くちばし》と鉤づめは鮮やかなレモンイエローで、金色の目は殺意に満ちている。
「ブラッドコーチンね」
「稀に羽針を飛ばしてくるぞ。刺さると神経に作用するから気を……」
説明はまだ途中だったがシュナの風魔法が発動してブラッドコーチンの首を切り落としていた。
見事なウィンドカッターだ。
なるほど、魔法攻撃は俺より上か。
発動スピードも威力も尋常じゃない。
「なに?」
「せっかちだな」
「先制攻撃は戦いの基本よ。学校で習わなかったの?」
「学校なんざ、行ったことねえよ」
ダガールに学校はない。
村の神官さんが子どもたちに文字を教えてくれただけだ。
優しい神官さんは「あなたの隣人を愛しなさい」と説いたが、「やられる前にやりなさい」とは言っていなかった。
そもそも町の子どもだって学校に行けるのはほんの一握りだ。
裕福な家の子弟、貴族や商人の子どもくらいである。
口は悪いが、シュナの動作には洗練されたものがある。
おそらく貴族階級の娘だろう。
首を落とされたブラッドコーチンは一般的な鶏のサイズに縮んでしまった。
魔物にはこういうことがよくある。
「こいつは可食モンスターだから持って帰ろう」
ブラッドコーチンは王都の中央ダンジョンでも出現して、俺もよく食べたものだ。
味が濃く、肉の弾力が強い。
高級食材として人気が高く、レストランなどに卸すと喜ばれる。
ブラッドコーチンを専門に狩る冒険者もいたくらいだ。
「あら、卵もあるわよ」
草むらの中に六個見つけたので、それも持ち帰ることにした。
荒野タイプの迷宮の地面が盛り上がり、そこに祭壇が現れた。
石造りの舞台のようになっていて、高さは40センチほどである。
広さは4メートル×4メートルくらいだ。
舞台の上にはたった今倒したばかりのブラッドコーチンの石像が建っている。
「あら、宝箱よ」
石像の前には小さな宝箱があった。
レベル3の迷宮なのでたいしたものは入っていないのだろう。
「あまり期待するなよ」
「わかっているわ。それでも期待しちゃうじゃない」
シュナはブツブツと文句を言いながら蓋を開けた。
中から出てきたのは丸くたたまれた羊皮紙だ。
「マジックスクロールかしら?」
マジックスクロールとは、そのまま魔法の巻物のことである。
たとえ魔法が使えない者でも、マジックスクロールを読むだけで、そこに込められた魔法を発動できてしまう便利アイテムだ。
その利便性から高値で取り引きされることが多い。
特に強力な魔法が込められたマジックスクロールは需要が高く、中には数千万ゲトで取引されるものもあるようだ。
「……これ、マジックスクロールじゃない」
羊皮紙を読んでいたシュナがボソリとつぶやいた。
「じゃあなんだよ?」
シュナは無言で羊皮紙を突き出してくる。
その表情は複雑だ。
「なになに……『美味しいコーヒーの淹れ方』だ……と……? マジックスクロールじゃなくてレシピじゃねえか!」
羊皮紙には豆と水の量、お湯の温度、何秒でどれくらい湯を注ぐのかなどの細かい指示が並んでいた。
そういえばじいさんの手紙にあった、この迷宮は挑戦者の欲するものを与えてくれるって。
だからレシピや食材が手に入ったのだろう。
「やれやれ、苦労して手に入れたのが肉と卵、そしてレシピとはね」
「別に苦労なんてしてねえだろう? 瞬殺していたくせに」
「気持ちの問題なの。はあ、精神的に疲れたわ。せっかくレシピを手に入れたんだからコーヒーを淹れてよ」
「うむ、そうしてやりたいのだが、うちにはコーヒー豆がない」
「はっ? それでよくカフェが名乗れたわね!」
「だから、まだ開店前だって言ってるだろがっ! 明日まで待ちやがれ」
「じゃあ、明日になったらどんなメニューを出すのよ?」
「もちろん美味しいコーヒーだ」
「他には?」
他にだと?
そういえば俺はまだなにも考えていなかったな。
ドライカレーの作り方を思い出そうと必死だったのだ。
「他は……、そう! 水だ。水を200ゲトで売り出す」
砂漠で水は立派な商品になる。
「他には?」
他だと……?
「こ、氷水。250ゲト」
「それ以外にないの?」
「砂糖水と塩水……300ゲト……」
「バカか……」
シュナの呆れ顔がムカついた。
「うるせえ、マイナス24」
「マイナス24って呼ぶなっ!」
俺たちは罵《ののし》りあいながら来た道を引き返した。
朝になった。
ゴーダ砂漠は本日も晴天なり。
早朝から大量の紫外線が降り注ぎ砂を焼いている。
旅人に水が売れるかもしれない……。
思い立ったが吉日という言葉もある。
ここには水しかないけれど、今日から店を開けるとしよう。
そうと決まればさっそくメニューを書かなければならないな。
じいさんの代からある黒板に俺はメニューを書きつけた。
本日のメニュー
水 ……200ゲト
氷水 ……250ゲト
これでよし。
開店準備は完璧だ。
さて、こうして準備は整ったのだが、腹が減って仕方がない。
夜中に迷宮を探索したせいだろう。
本日はめでたい開店記念日だから豪勢な朝食を作ることに決めた。
幸い、俺の手元にはブラッドコーチンの肉がまるまる一羽分と卵が六個ある。
これを使えば腹を満たすにはじゅうぶんだ。
なにを作ろうかと考えていると、店にシュナが入ってきた。
「おはよう、お腹がすいちゃった。朝ご飯をお願い」
「おう、今作るぜ」
「今朝のメニューはなに?」
「ブラッドコーチンの塩焼きと目玉焼きだ」
「昨日のあれね。じゃあお願い」
シュナはバーカウンターに頬杖をついてぼんやりとしている。
こちらを手伝う気はないようだ。
もっともシュナはお客であり、俺は店主だ。
そのことに異存はない。
異存はないが……、少々困っている。
俺の目の前にあるのは羽が付いたままのブラッドコーチンだ。
スーパーマーケットで売られているパックの肉とはわけが違う。
「なあ、鶏肉はどうやって捌いたらいいんだ?」
「私が知っているわけないじゃない。ジンは料理人でしょう? ジンが何とかしなさいよ」
「俺はカフェの店主なの。カフェの店主は鶏を捌かないの」
たぶん。
これまでも肉の解体をした経験はない。
冒険者パーティーには専属の料理人がいたのだ。
食材管理や調理はぜんぶ彼がやっていたので俺が知る由もない。
「シュナは家の手伝いとかをしたことないのか?」
そう訊くと、シュナは一瞬だけ悲しそうな顔になった。
「私はずっと忙しかったの! そういうのをやっている暇はなかったんだから」
「仕方がない。それじゃあ卵を焼こう。目玉焼きくらいなら俺でも何とかなる」
「そうね。それくらいなら私でも……」
フライパンを熱していると外からラクダの足音が響いてきた。
「おーい、ジン、起きているかぁ?」
あの声はポビックさんだな。
「ヘロッズ食料品店のボビックさんだ。ちょっと行ってくるから目玉焼きを頼む」
「う、うん……」
俺はシュナを残して表に出た。
「おはよう、ポビックさん。どうしたんだい?」
「用事があって近くまで来たんだ。ついでに注文を取っておこうかと思ってな。欲しい食材とかはあるかい?」
「そうそう、コーヒー豆を注文しようと思っていたんだ」
『美味しいコーヒーの淹れ方』のレシピは入手済みだ。
コーヒー豆さえあれば繁盛店への道だって簡単にひらけるだろう。
「コーヒー豆とパンも頼む」
ポビックさんと注文のことを話していたら、店の中からシュナの叫び声が聞こえてきた。
「ギイヤアアアアアアア!」
俺は慌てて店の中へ駈け込んだ。
「どうした、シュナ⁉」
店の中に充満する煙の向こうに、呆然と立ち尽くすシュナの姿があった。
シュナの手にはフライパンが握られており、その上には殻が付いたままの卵が置いてあった。
あるものは黒く煤け、またあるものは破裂して中身がこぼれているではないか。
「まさかとは思うが、そのまま卵をフライパンの上に置いたのか?」
「そ、そうよ」
「卵は割って入れるもんだぜ」
「し、知らないわよ、そんなこと! 茹でるときは割らないでしょう? だから同じだと思ったの!」
くそ、料理レベルマイナス24をなめていた。
「もったいないことをしちまったな……」
つい、ぼやいてしまったら、シュナはキッと俺を睨んだ。
「元に戻せばいいんでしょう? やってやるわよ!」
元に戻す?
そんなことは不可能だ。
「やっちまったものは仕方がない。素直に謝ってくれればそれで……って、なにをしているんだ?」
シュナは胸の前で手を合わせて魔力を循環させ始めた。
立ち昇る青緑のオーラは神聖魔法の特徴である。
だがこれは並の神聖魔法じゃない。
循環する魔力量が膨大過ぎて店の家具が震えていやがる。
おや、どこからか微かな歌声が聞こえてきたぞ。
これはシュナが歌っているんじゃない。
シュナは自分の身に神を降ろそうとしているのか。
この歌声は運命神を迎える天使たちの歌声だ。
「まさか、蘇生魔法か!」
「囁き……祈り……詠唱……念じろぉおおおおおおお!」
膨大な魔力が無残な卵に降り注ぐ。
「卵は元気になりましたぁああ⁉」
信じられないことに、六個中五個の卵が元通りになっていた。
それどころじゃない、勢い余って二羽ほどヒヨコになってるじゃねえか……。
「すげえな。高位の神官でも蘇生魔法の成功率は一割以下って聞いたぞ」
「ふん、御覧のとおり元通りよ。一個くらいはご愛敬ね……」
卵が相手ではあるが、八割以上の確率で蘇生させていやがる。
やっぱりこいつはただものじゃないな。
魔力を使い果たしたのだろう。
シュナはよろよろと壁のところまでいって、背中をつけて座り込んでしまった。
蘇生魔法を六個分だ、ふらふらになっても仕方があるまい。
だが、脱力の仕方がひどすぎる。
眉間に皺を寄せて、ゼエゼエ喘ぐ姿はオッサンだ。
せっかくの美少女が台無しである。
「おい、パンツが見えているぞ」
「疲れて動けないの。ありがたく拝んどけ……」
吐き捨てる姿に、こいつが聖女になれない理由の一端がわかった気がした。
「ありがたみの欠片もねえな。目玉焼きは俺が作るから休んでろ」
「ん……。ジン」
「なんだ?」
「お水をちょうだい」
優しい俺はすぐに水魔法で水をつくってグラスに注いでやった。
「200ゲトだ」
「お金をとるの⁉」
当然だ。
俺は店主でシュナは客。
砂漠で水は貴重なのだ。
カフェ・ダガール、本日より開店である。
店を開けたはよかったが、客は一人も来なかった。
日中に交易商人や巡礼者たちが街道を幾人も通ったが、店に入ろうとする者は一人もいない。
みんながみんな素通りだ。
今日もむなしくゴーダ砂漠の空が暮れていく……。
「なぜだ⁉」
「水しかないからよ!」
シュナの理不尽なツッコミは無視した。
そして俺たちはまた迷宮へとやって来ている。
うちに食べるものがなにもなかったからだ。
「めんどくせえなあ……」
「アンタがブラッドコーチンを黒焦げにしたからじゃない」
「焼けば羽をむしらないですむって言ったのはシュナだろう」
「だからってファイヤーボールをぶっ放すんじゃないわよ!」
確かに羽は焼け落ちた。
その代わり肉も黒焦げになってしまったのだ。
俺は自分のファイヤーボールを過小評価していたみたいだ。
「まあ、すんだ話を蒸し返すのはよそうぜ。それより石板のチェックだ」
迷宮レベル:21
迷宮タイプ:森
入るたびに構造が変わるのはわかっていたが、前回のレベル3に比べて今回はレベルがいきなり上がった。
なるほど、じいさんが俺をここに入らせたくなかったわけだ。
いきなり高レベルの迷宮に当たれば即死だってあり得るのだ。
とはいえ21くらいなら今の俺ならどうということもないだろう。
幸か不幸か欠陥聖女様もご一緒だ。
エントランスを抜けるとそこは森だった。
ゴーダ砂漠では感じることのない蒸し暑さが俺たちを襲う。
どこか見えないところで動物や鳥が鳴いている。
まさにジャングルといった風情で、密集した木々の間を細い小径が続いていた。
「おそらくボスはこの先だろう。いってみようぜ」
歩き出してすぐにシュナが何かに気が付いた。
「見て、ジン。枝に爆弾が!」
枝に爆弾?
ジャングルで爆弾など、どこかのゲリラみたいで物騒だ。
だが、シュナの見つけたものは爆弾などではなかった。
「違う、あれはアボカドだ!」
「アボカド?」
高い枝の上に鈴なりのアボカドがあった。
リングイア王国にアボカドはない。
シュナが知らないのも当然だ。
俺だって前世の記憶がなかったらわからなかっただろう。
「アボカド……、アボガド? いや、アボカドが正しかった気がする」
俺は曖昧な記憶をたぐりよせる。
「名前なんてどうでもいいのよ。食べられるの、あれ?」
「たしか美味かったはずだ。熟しているのは黒いやつだ。青いのは食べられなかったと思う」
「だったら黒いのを持って帰りましょう」
シュナは嬉々としてアボカドの木に近づいた。
「待て!」
殺気を感じて抜剣した。
敵は目の前のアボカドの木だ。
どうやらこいつは植物系の魔物だったらしい。
幹をくねらせ、枝をしならせて攻撃してきた。
「なめるなぁ!」
ほお、しなる枝を蹴り返したか。
シュナの蹴りはアボカドの生木を切り裂くほどの威力だ。
出来損ないの聖女様は物理攻撃も得意か。
あの蹴り、ウチのチームにいた格闘家より上だろう。
奴も闘技大会で優勝するくらいの腕だったが、シュナの蹴りの方がキレている。
だが恥じらいはないな。
今日のパンツの色は黒だ。
「死にさらせやぁあああっ!」
シュナは理不尽に強かったが、相変わらず色気は皆無だった。
アボカドの魔物は俺が剣でとどめを刺した。
熟れたアボカドが十個も手に入ったが不満は残る。
本当はもっと取れたはずなのに、ほとんどの実がシュナとの格闘で潰れてしまったからだ。
「もう少しスマートに戦えないのか?」
「力で圧倒して押し潰す。それが私の格闘術よ」
「聖女のセリフじゃねえな」
「私を聖女と呼ぶな! 絶対になりたくないんだから」
とにかく、アボカドはボスではなかった。
迷宮のレベルは24だから、ボスはもう少し強力なのだろう。
この迷宮を制覇するにはもう少し先へ進む必要があるようだ。
しばらく森の中を進むと少し開けた場所に出た。
そこに現れたのが人型の魔物だ。
といっても人間に似ているのは体の一部だけだ。
頭の部分は紫色のボンボンのような花、腕はネギのような葉っぱになっている。
「初めて見るけど植物系の魔物……だよな?」
「こいつがここのボスのようね。弱そうだけど」
「油断するなよ」
魔物はいきなりガスを吐いてきた。
シュナを抱き上げてバックステップで避ける。
シュナは俺の腕の中でウィンドカッターを発動させた。
聖女様は判断も早いな、回避は俺に委ねて攻撃に専念してやがる。
強力な風の刃が、ガスを払うと同時に魔物の体を切り刻んだ。
またもや勝負は一瞬で決した。
「催涙ガスの類だな。目の端がちょっと傷む」
「はいはい」
シュナの治癒魔法で目の痛みはすぐになくなった。
「ん? あれはニンニクじゃないか?」
倒れたモンスターの脚にニンニクの塊が瘤のようにたくさんついていた。
さっきのボスはニンニクの魔物だったようだ。
「まさか、あれを食べる気?」
「だってニンニクだぜ」
「なんとなくグロテスクじゃない。臭そうだし!」
「だってニンニクだから……」
言い争っていると前回と同じように祭壇が現れた。
祭壇の横には宝箱もある。
「今日はなにかなぁ?」
ウキウキしながら開けてみると、そこにはアボカドトーストのレシピが入っていた。
前世で食べたような気もするけど、記憶は曖昧だ。
俺はささっとレシピに目を通していく。
「おっ! 美味しいアボカドトーストを作るにはニンニクが必要だぞ。やっぱり採取していこう」
「私は食べないからねっ!」
「そう言うなよ、今夜も泊めてやるからさ。ホテルは廃業だから特別なんだぞ」
「今夜も泊るなんて言ってないでしょう!」
「あ、そうなの? チェックアウトならそう言ってくれよ」
「いや、まあ……、泊まるけどさ……」
泊まるのなら最初からそう言えばいいのに、シュナは相変わらず素直じゃなかった。
カフェに戻ってきたので、さっそくアボカドを食べてみることにした。
まずは縦に切り込みを入れる。
そうそう、中には大きな種があるのだったな。
だんだん思い出してきたぞ。
切り込みを入れた実を両手に持って切れ目にそって回転させれば二つ割りのできあがりだ。
黒い皮の中から鮮やかな緑色の果肉が出てきたのでシュナは驚いている。
種はナイフの付け根を刺してえぐり出せば綺麗に取れたはずだ。
半身をスライスして皿の上に並べた。
「よし、食べてみようぜ」
どうやって食べていたかまでは思い出せないので、まずはそのままいってみることにした。
「いただきまーす」
喜んでアボカドを口に運んだシュナだったが、反応は微妙だった。
「まずくはないけど……」
「塩をかけたら美味くなるんじゃないか?」
前世では醤油という調味料をかけた気がするけど、この世界では見つからないと思う。
とりあえずは塩が無難だろう。
「塩? 本当かしら?」
「砂糖でもいいが、まずは試してみようぜ」
「わかった」
シュナはお約束をきっちり守れる人らしい。
スプーンに山盛りの塩をかけようとしている。
「待て、マイナス24!」
「人を数字で呼ばないで!」
「わかったから俺にやらせてくれ」
なるべく均等にかかるように、パラパラと塩をかけた。
どれ、味はどうなっただろう?
「お、さっきよりずっと美味いぞ」
「本当に?」
一口食べたシュナも笑顔になる。
「これなら私も好き」
「黒コショウなんかがあってもいいな。明日はヘロッズ食料品店からパンが届く予定だからアボカドトーストを作ってみよう」
「この宿に来てから初めてまともな料理が食べられそうね」
「文句を言うな。この居候《いそうろう》め」
「私は客よ」
「だから、宿屋は廃業なんだってば」
「知らないわよ」
うちの客は我がままだった。
翌朝、ポビックじいさんが配達にやって来た。
「大パンが五つ、卵が二十個、オリーブオイルが一瓶、それにコーヒー豆だ」
「たしかに受け取ったぜ。これでまともな営業ができそうだ」
「最初は難しいと思うが、諦めずに続けろよ。何かあったら力になるからな」
「ありがとな!」
ポビックじいさんを見送ると、待ち構えていたシュナに声をかけられた。
「お腹がすきすぎて死にそうなんだけど」
「わかった、わかった。いまアボカドトーストを作ってやるから」
「え~、肉が食べたい」
「贅沢を言うな、居候」
「私は客よ! はい今日の宿代」
シュナは三千ゲトを手渡してくる。
「まだ泊まるのか?」
「私の勝手でしょっ!」
いや、ここはカフェであって宿ではないのだ。
勝手すぎるだろう。
「まあいいわ、餓死するよりマシだからアボカドトーストを作るのを手伝ってあげる」
これは危険だ。
マイナス24がやる気を見せているぞ。
「シュナは手を出すな」
「なんでよ?」
下手なことを言うとまた機嫌が悪くなるからなあ……。
「シュナはお客さんだろう? 料理は店主である俺がやる」
「あ、そっか」
意外なほどシュナは単純でもあった。
アボカドトーストは簡単だ。
アボカドを潰し、塩、オリーブオイルとレモン汁を混ぜ合わせる。
レモンはないから今日は省略だ。
次にニンニクをこすりつけてからトーストをこんがり焼く。
これに先ほどのアボカドディップを乗せれば出来上がりだ。
仕上げにコショウをかければなおいいのだが、今日はないので省略する。
レモンもコショウも森タイプの迷宮で手に入りそうだから、いずれは完璧なアボカドトーストが食べられるだろう。
俺がアボカドトーストを作っている間、シュナにはポットにお湯を沸かしてもらうことにした。
マイナス24でもそれくらいはできるだろう。
立っている者は客でも使う、それがカフェ・ダガール流だ。
「シュナ、魔法でポットのお湯を沸かせるか?」
「ふん、なめるんじゃないわよ。魔法は得意なんだから」
シュナの指先から青白い浄化の炎が迸った。
上級悪魔をも焼き払う、大天使ネクソルの炎じゃないか!
あんなもので焙ったらポットの底が抜けてしまうぞ。
「もっと小さい火だ! 魔力制御もできないのか?」
「わ、わかっているわよ。もっと小さい火を出せばいいんでしょう。これでどう?」
燃え盛る業火にカフェ・ダガールが紅に染まった。
これは炎帝フドウのインペリアルファイヤー……。
「いちいち大技を出すな! もっと弱い火だ。普通の火炎魔法を弱めの出力でだすんだよ」
「今やろうと思ってた!」
子どもか?
子どもなのか?
パンツは黒のレースのくせに、口をついて出るのは子どもの言い訳だな!
「これでどう?」
シュナの指先でオレンジ色の炎が揺れている。
「そうそう、そういうのでいいんだよ」
ようやく安心してアボカドトーストを作れるというものだ。
アボカドトーストを作ってから、買ったばかりの豆でコーヒーを淹れた。
「うーん、いい匂い。お料理をするのって案外楽しいわね」
なにそのやり切った感に満ちた表情は⁉
シュナは湯を沸かしただけだろう!
どういう思考回路をしているんだよ?
こっちはショート寸前だぞ!
だが、放っておくしかあるまい。
下手に刺激して、カフェ・ダガールに火をつけられてはたまらない。
俺の水魔法じゃシュナの地獄《ヘル》の業火《ファイヤー》は消せないだろう。
「そうだな……、料理は……楽しいさ……」
「どうして遠い目をしているのよ!」
俺は黙々と料理を作った。
コーヒーもアボカドトーストもそれなりに美味しくでき、シュナも味を認めてくれた。
「これならお店に出せるんじゃない?」
「問題は客が来るかだよな」
太陽は高い位置まで昇っていたけど、今日も店に来る客はまだいない。
紫外線は眩しく、コーヒーはほろ苦かった。
普段は朝食を催促するシュナが、その朝はいつまでも起きてこなかった。
医者の不養生という言葉もある。
治癒魔法が得意な聖女も具合を悪くすることだってあるかもしれない。
心配になった俺は客室まで様子を見に行くことにした。
そういえば、この3号室に入るのはシュナが来てからは初めてだ。
「シュナ、朝だぞ。起きているか?」
返事はない。
ひょっとして出て行ったのか?
あいつは自分勝手だから、俺が寝ている間に出発してもおかしくはない。
ドアノブに手をかけると鍵はかかっておらず、ドアはすんなりと開いた。
「なんじゃ、こりゃあ!」
思わず叫んでしまった。
朝の光に照らし出されているのは足の踏み場もないほど服が散乱した部屋である。
きっと脱いだ服を片付けもせず、その辺にほっぽり出していたのだろう。
そして、洋服の持ち主はベッドにおり、はしたない寝相でいびきをかいて寝ていた。
「こら、シュナ! 起きろ! なんだこの部屋の有り様は!」
「ん~、ジン? あ~、掃除はいらないから……むにゃむにゃ……」
「掃除はいらないからじゃない! たった数日でどんだけ汚しているんだよ」
「うるさいなあ、服を置いておいただけじゃない」
俺も几帳面ではないがここまでひどくないぞ。
とにかく、シュナが予想以上にずぼらな性格ということがわかった出来事だった。
本日も食べ物を取りにダンジョンへ来ている。
どういうわけかシュナも一緒だ。
「だって、部屋にいてもつまらないんだもん」
「いや、いつまでもこんなところにいていいのか? どこか行くあてはないのかよ?」
「ないわ。聖女になるのが嫌で神殿を逃げ出してきたんだから」
こいつ、あっさりとカミングアウトしやがった!
「それ、やばくないのか?」
「こんな辺境にいるとは思わないでしょ。そんなことより石板チェックよ!」
俺は神殿の神官たちに少しだけ同情した。
迷宮レベル:1
迷宮タイプ:荒野
「レベル1か。こんなところを攻略しても、ろくなアイテムしか手に入らないだろうな」
「だったら入り直せばいいじゃない」
その発想はなかった。
ここは入るたびに構造の変わる迷宮だ。
気に入らないのならば入り直せばいいだけだ。
「やってみるか。いったん外に出よう」
シュナの提案に従い、入り直してみた。
迷宮レベル:2
迷宮タイプ:荒野
「今度はレベル2か。今日はついていないな」
「もう一回入り直してみればいいのよ」
「そうするか」
迷宮レベル:4
迷宮タイプ:荒野
「タイプは同じで、レベル4か。まだまだだなあ」
「正直者は三度目に成功する、よ。もう一度やりましょう」
前世でも似たようなことわざがあったなあ。
どうでもいいことだが数字の三が付くことわざって多くないか?
三度目の正直、二度あることは三度ある、石の上にも三年、などなど。
ちなみに、この世界では「ユーラの顔も三度まで」ということわざが存在する。
ユーラは慈愛の女神だ。
そんな優しい女神さまでも四度目は怒ってしまうようだ。
俺たちは三度目のチャンスにかけて迷宮に入り直した。
迷宮レベル:8
迷宮タイプ:荒野
さっきよりレベルは上がったけど、まだ物足りない。
タイプは同じ荒野か。
「レベルは確実に上がっているわ。やり直しよ!」
ずんずんと歩くシュナに続いて迷宮の外へでた。
迷宮レベル:16
迷宮タイプ:荒野
「さっきよりだいぶ上がったな」
「ねえ、ジン。気がつかない?」
「何が?」
「これ、入るたびにレベルが倍になっているよ」
「言われてみれば!」
「念のために確認しておきましょう」
もう一度入り直してみた。
迷宮レベル:32
迷宮タイプ:荒野
「やっぱりね。私の予想が当たっていたわ」
「ふーん、じゃあ次に入りなおせばレベル64か」
「いってみる?」
「もちろんだ」
つい調子に乗り、俺たちは迷宮レベルを256まであげてしまった。
こうなると、見慣れたはずの荒野タイプも雰囲気が違ってくる。
レベルの高い魔物がうようよいるのだろう、こちらに向けられる殺意の強さに肌がひりつくようだ。
だが、俺もシュナも気負うところはまったくなかった。
「びびってないよな?」
「ジンこそ怖がっているんじゃない?」
「まさか。それよりも聞こえないか、この羽音」
「うん、数百匹はいるわね」
俺たちの気配を察知して迫っているのはキラービーだ。
こいつらは体長が一五センチもある大型の蜂で、その毒は一瞬で大型獣の命を奪う。
「俺が引き付ける。得意の火炎で焼いてくれ」
「了解。刺されないでね」
魔剣ヒュードルを抜き、囲まれないように蜂の群れの外側を駆け抜けた。
接近してくる蜂は剣で切り落とす。
やがてキラービーの数が多くなり、剣だけでは追い付かなくなると、俺は蹴りも組み合わせた。
上下左右、前後ろ、剣と蹴りは弧を描く。
躱し、蹴り上げ、斬り下げる。
自分が縦横無尽に回転する独楽になった気分だ。
そういえば地球ゴマってあったよな……。
不意に前世の記憶がよみがえったが、突如燃え上がった紅蓮の炎に俺は慌てて飛びのいた。
キラービーを焼き尽くす業火は、シュナの放ったインペリアルファイヤーだ。
さすがは炎帝フドウの必殺技、キラービーの大群は瞬く間に灰になった。
「熱っちいなっ! 俺まで少し火傷したぞ!」
「仕方がないでしょ、蜂を全滅させるためなんだから」
言い返しながらシュナは俺の顔に触れた。
冷たい指の感触が焼けた皮膚に心地いい。
治癒魔法を使っているようで、清廉な水が体の中に注ぎ込まれる感覚がした。
「はい、これでいいわ」
「さすがだな。実はさっきの戦闘で右の肩を少しだけ傷めた。ついでに治してくれ」
「あんまり甘えないでくれる? 私は甘やかされる方が好きなの」
「気が合うな、俺もだ」
文句を垂れながらもシュナは肩に手を当ててくれた。
治癒魔法を施してもらっていると、荒野の向こうから大きな地響きと、機関車のようなシューシュー言う音が聞こえてきた。
だんだん音が大きくなるところをみると、こちらへ近づいているようだ。
「ボスが現れたみたいね」
「そのようだな。厄介そうな足音を響かせていやがる」
ヒュードルを抜いて一振りしてみる。
肩の痛みはまったくない。
「いけそう?」
「普段より調子がいいくらいだ。ありがとな」
「お礼は言葉より形あるもので示して」
「…………」
巨大な牡牛が現れたので、シュナへの返答はしなくてすんだ。
それにしてもでかい。
身体の大きさは象くらいありそうだ。
全身が常に炎に覆われていて近づくだけでやけどしそうなくらいだった。
「あ~、私の炎は役に立ちそうにないわね。ジンに任せる」
「手を抜くなよ……」
「さっき治療してあげたでしょう。しっかり頑張りなさい」
強敵には先手必勝だ。
全身に魔力を巡らせた状態で地面を蹴った。
残影を残す高速の踏み込みに合わせて剣を横に振りぬく。
大抵の魔物はこの初太刀で絶命するのだが、この牛は一味違った。
「ジンの攻撃を躱した!」
牛は首をひねって俺の剣を躱すと、戻す力で角を突き上げてくる。
ジグザグのバックステップで追撃を避け、どうにか距離を取った。
「さすがはレベル256、とんでもない魔物が出てきたな」
「思い出した。そいつはインフェルノブルよ。火炎属性は無効だから気を付けて」
「参戦する気は?」
「そいつ、熱いからやだ。死んでも蘇生してあげるからジンがやってね」
「ひでえな、鬼畜聖女かよ」
「私のことを鬼畜って言ってもいいけど、絶対に聖女って呼ぶな!」
本当に聖女になるのが嫌なんだなあ。
再びインフェルノブルが突っ込んできた。
激しい攻防が続いたけど、けっきょくバックステップで逃げることにした。
だがこれは誘いだ。
あえて先ほどとまったく同じパターンで回避する。
こいつほどのやつなら俺の行動を予測するくらい簡単だろう。
ほらきた!
インフェルノブルは回避ポイントを読んで攻撃してきたぞ。
だがそれはこちらもわかっている。
奴の攻撃に対してカウンターとなる一撃を振りぬいた。
俺の剣先は奴の右目をとらえた。
体をくねらせて苦しむインフェルノブルの側面に回り込み、死角からの攻撃を浴びせる。
大量の魔力を送り込んだヒュードルをインフェルノブルの首をめがけて叩きこんだ。
剣の一閃で落ちる首、胴体は地響きを立てて大地に沈んだ。
「疲れた! しかも体が痛い!」
戦闘中は気が付かなかったが、対峙しているだけで火傷を負っていたのだ。
「シュナぁ」
「だから甘えないでって」
やっぱり文句を垂れながらもシュナは手当てをしてくれる。
どうして普通にできないのかなあ?
「お、牛の炎が消えていくぞ」
生命が尽きるのと同じくしてインフェルノブルを覆っていた炎は消えてしまった。
そして、いつもと同じように祭壇が現れる。
ところが、今回は見慣れた宝箱がない。
「これだけ苦労してご褒美なしか。やってられないな」
「こういうこともあるってことよ。諦めなさい」
ほとんど苦労していないシュナが俺を諭す。
世の中は不条理だ。
「クソ、せめてこいつの肉を持って帰るか」
「食べる気なの?」
「だって、考えてみれば牛肉だろう?」
「……一理ある」
俺はインフェルノブルの体を調べてみた。
「うわ、こいつ死んで焼肉になっている!」
「ほんとだ。まあ、あれだけの炎を纏っていればねえ」
俺は肉を一切れ削いで口に入れた。
「よくそういうことができるわね……」
シュナは呆れているが、世の中には豚の丸焼きという料理もある。
これは牛の丸焼きでスケールを大きくしただけだ。
「でもよ、極上のステーキの味だぜ」
「またまた……」
「いや、これでも王都でSランク冒険者をやっていたんだ。美味い店なんて飽きるほど行っているんだぞ。そんな都の名店にも負けない味だって」
俺がそこまで言うと、シュナもようやく一口食べた。
「本当だ! たしかにこれはいける!」
「だろう? よーし、全部持って帰るぞ」
俺はインフェルノブルの足を掴んで引きずってみた。
「クソ重いな。シュナも手伝ってくれ」
「しょうがないなあ。ほら、いくわよ」
歩きながら俺は肉を削いでまた食べた。
「なにしてんのよ?」
「少しでも軽くしようと思って……モグモグ」
「ほんとバカ……」
たぶん6トンくらいはあったのだろう。
それでも、二人でなんとか引きずって帰った。
カフェに戻ってきちんと切り分け、肉を皿に盛りつけた。
例によって塩は俺がふった。
シュナがやるととんでもないことになるからだ。
自覚があるのか、シュナもやろうとはしなかった。
「塩をかけると美味しさが一段と引き立つわね」
「ああ、コショウも欲しいところだ」
「ジン、もっと切ってよ。ロースとフィレ、あばらの部分も」
「おう、食え、食え! 俺も食う」
相変わらずやり方がわからないので、皮ごと適当に切って解体した。
表面は大まかに切り取り、余った骨や内臓は折を見て迷宮に捨ててしまおう。
そうすれば、構造が変わるときに消えるはずだ。
カフェをやめて産廃業者になれそうだが、こんな田舎じゃ需要はないか。
やっつけ仕事もいいところだったが、大量のステーキが手に入ったのだから良しとしよう。
「ステーキランチをやったら、少しは客が来るかな?」
「値段次第じゃない? これだけ美味しいんだから食べれば喜んでもらえるとは思うけど」
「よし、清水の舞台から飛び降りた気持ちで、ステーキランチ400ゲトだ!」
「キヨミズ……、どこよ、それ?」
「ん~、よく覚えてねえな……。舞台って言うくらいだからどっかの劇場じゃね?」
やっぱり前世の記憶ははっきりしない。
「おーい、ジン」
扉を開けてポビックじいさんがやってきた。
「ポビックさん、いいところに来たな。ステーキを食っていかねえか? カフェ・ダガール特性のインフェルノブルのステーキだぜ」
俺はステーキの塊をポビックじいさんに見せた。
「これがインフェルノブルのステーキだって? いったいどこでこんなものを?」
「そいつは企業秘密ってやつだ」
ポビックさんじいさんは眉を八の字にして首をひねっている。
「しかし、どこの間抜けがこんな切り方をしたんだろうな?」
「何か問題でもあるのか?」
「インフェルノブルの皮といやあ、火炎無効の素材として超高額で取引されるんだぞ。それをこんなズタズタにしちまって……」
「そうなのか⁉」
「おめえ本当にSランク冒険者か? 知っていて当然だろうが」
シュナに脇腹を肘で小突かれてしまった。
だがまあいい。
俺が欲しいのは金ではないのだ。
じゃあ何が欲しいかと聞かれても困るのだが……。
まあ、今の生活は気に入っている。
こんな日々が続けば人生は上々だろう。
そうそう、インフェルノブルを食べたせいなのかはわからないが、暑さが平気になった。
それと、ステーキランチに釣られてくる客は一人もいなかった。
安ければいいというものでもないらしい。
それから、残った肉は傷む前に村の人に分けた。
そのおかげで俺の株が少しだけ上がった。
カフェの前途は多難かもしれないが、俺の人生はまあまあだった。