朝になった。
 ゴーダ砂漠は本日も晴天なり。
 早朝から大量の紫外線が降り注ぎ砂を焼いている。
 旅人に水が売れるかもしれない……。
 思い立ったが吉日という言葉もある。
 ここには水しかないけれど、今日から店を開けるとしよう。
 そうと決まればさっそくメニューを書かなければならないな。
 じいさんの代からある黒板に俺はメニューを書きつけた。

 本日のメニュー

  水  ……200ゲト
  氷水 ……250ゲト

 これでよし。
 開店準備は完璧だ。
 さて、こうして準備は整ったのだが、腹が減って仕方がない。
 夜中に迷宮を探索したせいだろう。
 本日はめでたい開店記念日だから豪勢な朝食を作ることに決めた。
 幸い、俺の手元にはブラッドコーチンの肉がまるまる一羽分と卵が六個ある。
 これを使えば腹を満たすにはじゅうぶんだ。
 なにを作ろうかと考えていると、店にシュナが入ってきた。

「おはよう、お腹がすいちゃった。朝ご飯をお願い」
「おう、今作るぜ」
「今朝のメニューはなに?」
「ブラッドコーチンの塩焼きと目玉焼きだ」
「昨日のあれね。じゃあお願い」

 シュナはバーカウンターに頬杖をついてぼんやりとしている。
 こちらを手伝う気はないようだ。
 もっともシュナはお客であり、俺は店主だ。
 そのことに異存はない。
 異存はないが……、少々困っている。
 俺の目の前にあるのは羽が付いたままのブラッドコーチンだ。
 スーパーマーケットで売られているパックの肉とはわけが違う。

「なあ、鶏肉はどうやって捌いたらいいんだ?」
「私が知っているわけないじゃない。ジンは料理人でしょう? ジンが何とかしなさいよ」
「俺はカフェの店主なの。カフェの店主は鶏を捌かないの」

 たぶん。
 これまでも肉の解体をした経験はない。
 冒険者パーティーには専属の料理人がいたのだ。
 食材管理や調理はぜんぶ彼がやっていたので俺が知る由もない。

「シュナは家の手伝いとかをしたことないのか?」

 そう訊くと、シュナは一瞬だけ悲しそうな顔になった。

「私はずっと忙しかったの! そういうのをやっている暇はなかったんだから」
「仕方がない。それじゃあ卵を焼こう。目玉焼きくらいなら俺でも何とかなる」
「そうね。それくらいなら私でも……」

 フライパンを熱していると外からラクダの足音が響いてきた。

「おーい、ジン、起きているかぁ?」

 あの声はポビックさんだな。

「ヘロッズ食料品店のボビックさんだ。ちょっと行ってくるから目玉焼きを頼む」
「う、うん……」

 俺はシュナを残して表に出た。

「おはよう、ポビックさん。どうしたんだい?」
「用事があって近くまで来たんだ。ついでに注文を取っておこうかと思ってな。欲しい食材とかはあるかい?」
「そうそう、コーヒー豆を注文しようと思っていたんだ」

『美味しいコーヒーの淹れ方』のレシピは入手済みだ。
 コーヒー豆さえあれば繁盛店への道だって簡単にひらけるだろう。

「コーヒー豆とパンも頼む」

 ポビックさんと注文のことを話していたら、店の中からシュナの叫び声が聞こえてきた。

「ギイヤアアアアアアア!」

 俺は慌てて店の中へ駈け込んだ。

「どうした、シュナ⁉」

 店の中に充満する煙の向こうに、呆然と立ち尽くすシュナの姿があった。
 シュナの手にはフライパンが握られており、その上には殻が付いたままの卵が置いてあった。
 あるものは黒く煤け、またあるものは破裂して中身がこぼれているではないか。

「まさかとは思うが、そのまま卵をフライパンの上に置いたのか?」
「そ、そうよ」
「卵は割って入れるもんだぜ」
「し、知らないわよ、そんなこと! 茹でるときは割らないでしょう? だから同じだと思ったの!」

 くそ、料理レベルマイナス24をなめていた。

「もったいないことをしちまったな……」

 つい、ぼやいてしまったら、シュナはキッと俺を睨んだ。

「元に戻せばいいんでしょう? やってやるわよ!」

 元に戻す? 
 そんなことは不可能だ。

「やっちまったものは仕方がない。素直に謝ってくれればそれで……って、なにをしているんだ?」

 シュナは胸の前で手を合わせて魔力を循環させ始めた。
 立ち昇る青緑のオーラは神聖魔法の特徴である。
 だがこれは並の神聖魔法じゃない。
 循環する魔力量が膨大過ぎて店の家具が震えていやがる。
 おや、どこからか微かな歌声が聞こえてきたぞ。
 これはシュナが歌っているんじゃない。
 シュナは自分の身に神を降ろそうとしているのか。
 この歌声は運命神を迎える天使たちの歌声だ。

「まさか、蘇生魔法か!」
「囁き……祈り……詠唱……念じろぉおおおおおおお!」

 膨大な魔力が無残な卵に降り注ぐ。

「卵は元気になりましたぁああ⁉」

 信じられないことに、六個中五個の卵が元通りになっていた。
 それどころじゃない、勢い余って二羽ほどヒヨコになってるじゃねえか……。

「すげえな。高位の神官でも蘇生魔法の成功率は一割以下って聞いたぞ」
「ふん、御覧のとおり元通りよ。一個くらいはご愛敬ね……」

 卵が相手ではあるが、八割以上の確率で蘇生させていやがる。
 やっぱりこいつはただものじゃないな。
 魔力を使い果たしたのだろう。
 シュナはよろよろと壁のところまでいって、背中をつけて座り込んでしまった。
 蘇生魔法を六個分だ、ふらふらになっても仕方があるまい。
 だが、脱力の仕方がひどすぎる。
 眉間に皺を寄せて、ゼエゼエ喘ぐ姿はオッサンだ。
 せっかくの美少女が台無しである。

「おい、パンツが見えているぞ」
「疲れて動けないの。ありがたく拝んどけ……」

 吐き捨てる姿に、こいつが聖女になれない理由の一端がわかった気がした。

「ありがたみの欠片もねえな。目玉焼きは俺が作るから休んでろ」
「ん……。ジン」
「なんだ?」
「お水をちょうだい」

 優しい俺はすぐに水魔法で水をつくってグラスに注いでやった。

「200ゲトだ」
「お金をとるの⁉」

 当然だ。
 俺は店主でシュナは客。
 砂漠で水は貴重なのだ。
 カフェ・ダガール、本日より開店である。