エントランスを抜けると、そこは薄暗い荒野だった。
 岩壁などはどこにも見当たらず、寂しげな平原がどこまでも続いている。
 とても岩山の中とは思えない。

「おそらく大規模な空間魔法ね。転移魔法で亜空間に飛ばされたのよ」
「へー」
「アンタ、わかってないでしょう?」
「うん」
「バカ……」
「まっすぐ歩いて行ったら壁にぶつかるのかな?」
「いえ、同じところに戻ってしまうはずよ」

 つまり北へ真っ直ぐ進めばいつの間にか南へ、東に真っ直ぐ進めば西へ到着してしまうのだろう。

「丸い球の上を歩いているようなもんだな」
「あら、意外とお利口さん」
「あんまりバカにするな。それと俺の名前はジン・アイバだ。まがいなりにも今はチームなんだから、相棒の名前くらいは覚えておけ」
「シュナ・パイエッタよ。私の足を引っ張らないでね」
「ほざいてろよ……」

 ダンジョンのレベルは3というだけあって、出現する魔物はたいしたことはなかった。
 一角ウサギに巨大カマキリなど低レベルの魔物ばかりである。
 俺たちはそいつらを一撃で倒していく。

「やっぱり強いな。ディランの三倍は強いわ」
「ディラン? 誰よ、それ」
「俺の友だちだ」
「アンタの友だち風情と一緒にしないで。こっちは毎日奈落の底の最下層で……」

 うかつなことを喋ってしまったといった感じでシュナは言葉を飲み込んだ。

「奈落の底?」
「な、なんでもない」

 奈落の底という名称には聞き覚えがあった。
 たしかガーナ神殿の地下にあるとされている迷宮の名前がそれだったはずだ。
 一般の冒険者は入ることが許されていなくて、特に選ばれた神官や神殿騎士たちがそこで修行を積むという話である。
 神官崩れの冒険者に聞いたことがあるが、奈落の底の最下層には地獄に通じる門があるそうだ。
 そこで悪魔と戦い、勝利できた者はしかるべき地位につくという噂がある。
 シュナのステータスには聖女見習いとあった。
 聖女と言えば神殿のアイドル的存在だが、その実力は計り知れない。
 おそらくシュナも地獄門の前で修業をしていたのだろう。

「何をぼんやりしているのよ?」
「いや……、って、次が来たぞ。たぶんあれがボスだ」

 ボスは巨大な雄鶏だった。
 体長は二メートルくらい。
 燃えるように赤いトサカ、純白の羽、鋭い嘴《くちばし》と鉤づめは鮮やかなレモンイエローで、金色の目は殺意に満ちている。

「ブラッドコーチンね」
「稀に羽針を飛ばしてくるぞ。刺さると神経に作用するから気を……」

 説明はまだ途中だったがシュナの風魔法が発動してブラッドコーチンの首を切り落としていた。
 見事なウィンドカッターだ。
 なるほど、魔法攻撃は俺より上か。
 発動スピードも威力も尋常じゃない。

「なに?」
「せっかちだな」
「先制攻撃は戦いの基本よ。学校で習わなかったの?」
「学校なんざ、行ったことねえよ」

 ダガールに学校はない。
 村の神官さんが子どもたちに文字を教えてくれただけだ。
 優しい神官さんは「あなたの隣人を愛しなさい」と説いたが、「やられる前にやりなさい」とは言っていなかった。
 そもそも町の子どもだって学校に行けるのはほんの一握りだ。
 裕福な家の子弟、貴族や商人の子どもくらいである。
 口は悪いが、シュナの動作には洗練されたものがある。
 おそらく貴族階級の娘だろう。

 首を落とされたブラッドコーチンは一般的な鶏のサイズに縮んでしまった。
 魔物にはこういうことがよくある。

「こいつは可食モンスターだから持って帰ろう」

 ブラッドコーチンは王都の中央ダンジョンでも出現して、俺もよく食べたものだ。
 味が濃く、肉の弾力が強い。
 高級食材として人気が高く、レストランなどに卸すと喜ばれる。
 ブラッドコーチンを専門に狩る冒険者もいたくらいだ。

「あら、卵もあるわよ」

 草むらの中に六個見つけたので、それも持ち帰ることにした。

 荒野タイプの迷宮の地面が盛り上がり、そこに祭壇が現れた。
 石造りの舞台のようになっていて、高さは40センチほどである。
 広さは4メートル×4メートルくらいだ。
 舞台の上にはたった今倒したばかりのブラッドコーチンの石像が建っている。

「あら、宝箱よ」

 石像の前には小さな宝箱があった。
 レベル3の迷宮なのでたいしたものは入っていないのだろう。

「あまり期待するなよ」
「わかっているわ。それでも期待しちゃうじゃない」

 シュナはブツブツと文句を言いながら蓋を開けた。
 中から出てきたのは丸くたたまれた羊皮紙だ。

「マジックスクロールかしら?」

 マジックスクロールとは、そのまま魔法の巻物のことである。
 たとえ魔法が使えない者でも、マジックスクロールを読むだけで、そこに込められた魔法を発動できてしまう便利アイテムだ。
 その利便性から高値で取り引きされることが多い。
 特に強力な魔法が込められたマジックスクロールは需要が高く、中には数千万ゲトで取引されるものもあるようだ。

「……これ、マジックスクロールじゃない」

 羊皮紙を読んでいたシュナがボソリとつぶやいた。

「じゃあなんだよ?」

 シュナは無言で羊皮紙を突き出してくる。
 その表情は複雑だ。

「なになに……『美味しいコーヒーの淹れ方』だ……と……? マジックスクロールじゃなくてレシピじゃねえか!」

 羊皮紙には豆と水の量、お湯の温度、何秒でどれくらい湯を注ぐのかなどの細かい指示が並んでいた。
 そういえばじいさんの手紙にあった、この迷宮は挑戦者の欲するものを与えてくれるって。
 だからレシピや食材が手に入ったのだろう。

「やれやれ、苦労して手に入れたのが肉と卵、そしてレシピとはね」
「別に苦労なんてしてねえだろう? 瞬殺していたくせに」
「気持ちの問題なの。はあ、精神的に疲れたわ。せっかくレシピを手に入れたんだからコーヒーを淹れてよ」
「うむ、そうしてやりたいのだが、うちにはコーヒー豆がない」
「はっ? それでよくカフェが名乗れたわね!」
「だから、まだ開店前だって言ってるだろがっ! 明日まで待ちやがれ」
「じゃあ、明日になったらどんなメニューを出すのよ?」
「もちろん美味しいコーヒーだ」
「他には?」

 他にだと?
 そういえば俺はまだなにも考えていなかったな。
 ドライカレーの作り方を思い出そうと必死だったのだ。

「他は……、そう! 水だ。水を200ゲトで売り出す」

 砂漠で水は立派な商品になる。

「他には?」

 他だと……?

「こ、氷水。250ゲト」
「それ以外にないの?」
「砂糖水と塩水……300ゲト……」
「バカか……」

 シュナの呆れ顔がムカついた。

「うるせえ、マイナス24」
「マイナス24って呼ぶなっ!」

 俺たちは罵《ののし》りあいながら来た道を引き返した。