「……あ、おはようございます、萌歌さん。ちゃんと起きていますか?」
朝、愛しの彼からのモーニングコールで目を覚まし、わたしの幸せな一日は始まる。
朝起きるのが苦手だったわたしが遅刻しないようにと、午前中に仕事のある日には、こうして彼が電話をしてくれるようになったのだ。
近所迷惑なほどたくさんかけた目覚ましでも中々起きられないのに、たかが電話が鳴ったくらいで起きられるなんて、はじめの頃は思ってもいなかった。
けれど結果として、効果は絶大だった。
贅沢にも朝一から聞ける、柔らかくも低い心地の好い声。目が覚めるまでの間、わたしが二度寝してしまわないようにとしばらく会話を続けてくれる優しさ。
元々仕事で接する内に気になっていた相手だ、好きになるのはあっという間だった。
彼への明確な恋心を自覚してからは、彼の声を聞ける朝は苦手じゃなくなった。
何ならモーニングコールの前に意地でも起きて、しっかり目を覚ましてから電話に挑む。
本末転倒な気はするけれど、寝惚けたまま彼との時間を消費してしまうのは勿体なかったし、寝起きの可愛くない声を聞かれるのは何だか恥ずかしかった。恋する乙女心というものだ。
彼からの電話が来る時間、目はしっかり覚めていて、どきどきで血の巡りもいいに違いない。
それでも、少しでも長く彼の声を聞いていたくて、眠たげな演技をするのが得意になった。
「萌歌さん、目は覚めましたか? 二度寝しないで、お布団から出て支度してくださいね」
「……うん、ちゃんと起きた。ありがとう、ショウくん。それじゃあ、またあとでね」
一分一秒でも引き伸ばしたくて何とか粘った眠たいふりも、そろそろ終わりにして出掛ける支度をしなくてはいけない。
通話を終えて、画面に表示された通話時間を確認しては、昨日より数秒長かった、なんてたったそれだけのことに表情が緩む。
そのまま彼に起きられたお礼のメッセージを送る中で「愛してる」なんて冗談めかして伝えたけれど、彼は既に仕事中なのだろう、そのメッセージに返事はなかった。
「よしっ、今日も一日頑張るぞ!」
*******
彼、宵町唱理がわたしを迎えに来たのは、それから二時間後のことだった。
ばっちりメイクに拘りのヘアメイクをして、昨日の内に選んでおいた洋服に身を包み、お気に入りの靴で踊るようにして、精一杯の可愛いわたしで彼の待つ車に乗り込む。
「ショウくん、おはよう。今日も起こしてくれてありがとうね!」
「おはようございます、萌歌さん。無事起きられて何よりです。……ですが」
「……ん?」
「ショウくん、と、あまり人前では呼ばないでくださいね。あくまで俺はマネージャーなので。距離感が近いと、周囲に誤解されかねませんし」
「……、誤解じゃなければいいのに」
「……? 何か言いました?」
「何でもなーい」
モーニングコールなんて優しいことをしてくれても、朝こうして家の前まで車で迎えに来てくれても、どんなに好きでも、ショウくんとわたしは、恋人同士なんかじゃない。
駆け出しのアイドル『夜咲萌歌』と、わたしの所属するアイドルユニット『CRESCENT MOON』マネージャーの『宵町唱理』。
何なら距離はどんな異性より近いのに、恋愛からは一番遠い関係だ。
アイドルは恋愛禁止、なんて暗黙のルールは、わたし達も例外ではない。ようやく夢に向かって進み始めたタイミングでメンバーに男の影なんてちらつこうものなら、せっかくつき始めたファンも離れていってしまう。
そんな未来を想像して、珍しく二人きりのこの空間に浮かれた気分を振り払うように、わたしは小さく首を振る。この恋を表に出すことは許されない。
わたしは助手席から横目に彼を見て、すぐに気のない振りをして窓の外へと視線を向けた。
一瞬だけ見たすぐ近くの横顔が、堪らなく愛おしい。それでも、わたしは何とか切り替えて言葉を紡ぐ。
「ショウく……宵町さん、今日はMV撮影なんだよね? 早く行こう。皆も迎えに行かないとだし」
「ああ、はい。今日の撮影は隣町のスタジオですね。……ですが、萌歌さんが最後のお迎えなので、そう急がなくても問題ありませんよ」
「え……最後?」
「はい、皆さんは既にスタジオ入りしてます」
「えっ、最後なのにわたし一人? なんで? わたし寝坊とかしてないし……いつも乗り合わせて行くよね?」
予想外の言葉に、わざわざ逸らした目線をすぐに戻して、運転を始めた彼の真剣な姿を見上げる。
答えを得られないまましばらく走り、赤信号で停止するタイミングでようやく彼はわたしに顔を向けて、悪戯っぽく微笑んだ。
「すみません。俺が萌歌さんと少しドライブしたかったんです。……なんて。職権乱用ですね」
朝電話口に聞くより楽しげな声とその表情に、ブレーキをかけたはずの恋心が再び動き出すのを感じる。いや、これはずるい。不可抗力だ。
「……、……ショウくんの方が、アイドルやるべきだと思う」
「え?」
「それかホスト。絶対ガチ恋釣れるから……」
「えっ!?」
わたしとのドライブが目当てなんて、仕事一筋の生真面目な彼に限って本気のはずがない。
大方、昨日くだらないことで喧嘩したメンバーの『日向璃音』辺りが、移動時にわたしと同席したくないと駄々を捏ねたのだろう。
大丈夫、わかっている。ちゃんと立場も弁えている。
それでも、こんな風にわたしに嫌な思いをさせまいと気遣いフォローしてくれるショウくんに、申し訳なさと同時にときめきを感じてしまうのは、仕方ない。
「……リオン、ありがとう」
「え、璃音さんと喧嘩してたんじゃないんですか?」
「たった今解決したの。リオンは神」
「……、女性の喧嘩は難しいんですね?」
そこからはもう、だらしなく緩みきった顔を上げられず、助手席から先に現場入りしているリオンにお礼のメッセージを連投して困惑させることしか出来なかった。
*******
朝、愛しの彼からのモーニングコールで目を覚まし、わたしの幸せな一日は始まる。
朝起きるのが苦手だったわたしが遅刻しないようにと、午前中に仕事のある日には、こうして彼が電話をしてくれるようになったのだ。
近所迷惑なほどたくさんかけた目覚ましでも中々起きられないのに、たかが電話が鳴ったくらいで起きられるなんて、はじめの頃は思ってもいなかった。
けれど結果として、効果は絶大だった。
贅沢にも朝一から聞ける、柔らかくも低い心地の好い声。目が覚めるまでの間、わたしが二度寝してしまわないようにとしばらく会話を続けてくれる優しさ。
元々仕事で接する内に気になっていた相手だ、好きになるのはあっという間だった。
彼への明確な恋心を自覚してからは、彼の声を聞ける朝は苦手じゃなくなった。
何ならモーニングコールの前に意地でも起きて、しっかり目を覚ましてから電話に挑む。
本末転倒な気はするけれど、寝惚けたまま彼との時間を消費してしまうのは勿体なかったし、寝起きの可愛くない声を聞かれるのは何だか恥ずかしかった。恋する乙女心というものだ。
彼からの電話が来る時間、目はしっかり覚めていて、どきどきで血の巡りもいいに違いない。
それでも、少しでも長く彼の声を聞いていたくて、眠たげな演技をするのが得意になった。
「萌歌さん、目は覚めましたか? 二度寝しないで、お布団から出て支度してくださいね」
「……うん、ちゃんと起きた。ありがとう、ショウくん。それじゃあ、またあとでね」
一分一秒でも引き伸ばしたくて何とか粘った眠たいふりも、そろそろ終わりにして出掛ける支度をしなくてはいけない。
通話を終えて、画面に表示された通話時間を確認しては、昨日より数秒長かった、なんてたったそれだけのことに表情が緩む。
そのまま彼に起きられたお礼のメッセージを送る中で「愛してる」なんて冗談めかして伝えたけれど、彼は既に仕事中なのだろう、そのメッセージに返事はなかった。
「よしっ、今日も一日頑張るぞ!」
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彼、宵町唱理がわたしを迎えに来たのは、それから二時間後のことだった。
ばっちりメイクに拘りのヘアメイクをして、昨日の内に選んでおいた洋服に身を包み、お気に入りの靴で踊るようにして、精一杯の可愛いわたしで彼の待つ車に乗り込む。
「ショウくん、おはよう。今日も起こしてくれてありがとうね!」
「おはようございます、萌歌さん。無事起きられて何よりです。……ですが」
「……ん?」
「ショウくん、と、あまり人前では呼ばないでくださいね。あくまで俺はマネージャーなので。距離感が近いと、周囲に誤解されかねませんし」
「……、誤解じゃなければいいのに」
「……? 何か言いました?」
「何でもなーい」
モーニングコールなんて優しいことをしてくれても、朝こうして家の前まで車で迎えに来てくれても、どんなに好きでも、ショウくんとわたしは、恋人同士なんかじゃない。
駆け出しのアイドル『夜咲萌歌』と、わたしの所属するアイドルユニット『CRESCENT MOON』マネージャーの『宵町唱理』。
何なら距離はどんな異性より近いのに、恋愛からは一番遠い関係だ。
アイドルは恋愛禁止、なんて暗黙のルールは、わたし達も例外ではない。ようやく夢に向かって進み始めたタイミングでメンバーに男の影なんてちらつこうものなら、せっかくつき始めたファンも離れていってしまう。
そんな未来を想像して、珍しく二人きりのこの空間に浮かれた気分を振り払うように、わたしは小さく首を振る。この恋を表に出すことは許されない。
わたしは助手席から横目に彼を見て、すぐに気のない振りをして窓の外へと視線を向けた。
一瞬だけ見たすぐ近くの横顔が、堪らなく愛おしい。それでも、わたしは何とか切り替えて言葉を紡ぐ。
「ショウく……宵町さん、今日はMV撮影なんだよね? 早く行こう。皆も迎えに行かないとだし」
「ああ、はい。今日の撮影は隣町のスタジオですね。……ですが、萌歌さんが最後のお迎えなので、そう急がなくても問題ありませんよ」
「え……最後?」
「はい、皆さんは既にスタジオ入りしてます」
「えっ、最後なのにわたし一人? なんで? わたし寝坊とかしてないし……いつも乗り合わせて行くよね?」
予想外の言葉に、わざわざ逸らした目線をすぐに戻して、運転を始めた彼の真剣な姿を見上げる。
答えを得られないまましばらく走り、赤信号で停止するタイミングでようやく彼はわたしに顔を向けて、悪戯っぽく微笑んだ。
「すみません。俺が萌歌さんと少しドライブしたかったんです。……なんて。職権乱用ですね」
朝電話口に聞くより楽しげな声とその表情に、ブレーキをかけたはずの恋心が再び動き出すのを感じる。いや、これはずるい。不可抗力だ。
「……、……ショウくんの方が、アイドルやるべきだと思う」
「え?」
「それかホスト。絶対ガチ恋釣れるから……」
「えっ!?」
わたしとのドライブが目当てなんて、仕事一筋の生真面目な彼に限って本気のはずがない。
大方、昨日くだらないことで喧嘩したメンバーの『日向璃音』辺りが、移動時にわたしと同席したくないと駄々を捏ねたのだろう。
大丈夫、わかっている。ちゃんと立場も弁えている。
それでも、こんな風にわたしに嫌な思いをさせまいと気遣いフォローしてくれるショウくんに、申し訳なさと同時にときめきを感じてしまうのは、仕方ない。
「……リオン、ありがとう」
「え、璃音さんと喧嘩してたんじゃないんですか?」
「たった今解決したの。リオンは神」
「……、女性の喧嘩は難しいんですね?」
そこからはもう、だらしなく緩みきった顔を上げられず、助手席から先に現場入りしているリオンにお礼のメッセージを連投して困惑させることしか出来なかった。
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