死にたい。
 傷だらけになった心を。
 捨ててしまいたい。
 タワーマンションの26階。
 手すりを持つ手が震える。
 でも。
 やっぱりおれは。
 死にたい。
 頑張ってきたと思う。
 勉強も。
 仕事も。
 恋愛も。
 なのに、なんで。
 なんで、急に。
 なんで、急に連絡が取れなくなったの。
 佳奈ちゃん。
 教えてよ。
 そして。
 戻って、きてよ。
 彼女、だったのに。
 おれは。
 悲しいよ。
 星が、降る。
 こんな、夜は。
 おれの、最後に。
 ぴったり、じゃないか。
 三つの星を繋いだら、三角形ができる。
 こんな、美しい季節に。
 おれの命は。
 なくなるんだ。
 おれは、手すりにグッと力を込めて。
 手すりに登った。
 そのまま、外に背中を向けて。
 おれは。
 後ろに、体重をかけた。
 ああ。
 綺麗な星空が見える。
 どんどんと、落ちていく。
 ひゅーって。
 その時。
 何か。
 ばさっ、ていう音がして。
 おれは。
 その背中に。
 乗った。
 そこにいたのは。
 羽が生えた、天使。
「綺麗だねー、今日の夜空」
 天使は背中越しに、そう呟き、飛ぶスピードを上げる。
 姿は、見えないけれど。
 輪っかが見えるから。
 天使なんだなってことは、分かる。
「こんな綺麗な日に飛び降りるなんて」
「だって、つらかったんだから」
「そっか、そっか。私はミカ。天使のミカだよ」
「おれは透。人間の、透」
「私はね、透くん。透くんと今日出会えて、よかったって思ったよ」
「そうなの、こんな、メンタル弱いだけの男なのに」
「ううん、死にたくなるまで頑張った、立派な男の子だよ。ほら、星空が綺麗でしょ。これは、透くんが頑張った証だよ」
 そんなわけないってわかっていても、泣けてきてしまう。
 でも。
 どこまで。
 飛んで、行くんだろう。
 ずーっと飛んでる。
 上がったり、下がったりして。
 おれは、ずーっと上を向いているから、どこにいるかはわからないけど。
 でも。
 今日は。
 流星群が、ものすごく綺麗。
 天の川も、すごく綺麗に見える。
 ああ。
 織姫と彦星の会えない話を思い出すと。
 佳奈ちゃんと会えてないことを、思い出してしまう。
「ねえ、ミカさん。どこまで、おれを連れて行くの?もしかして、天国?」
「ううん、違うよ。私の、お気に入りの場所まで」
「お気に入りの、場所・・・・・・」
 それから、15分くらい飛んでいただろうか。
「着いたよ」
 おれは、ミカさんの背中から降りた。
 そこは。
 山の上。
 そこからは。
 綺麗な海と、流星群がキラキラと輝いて見える。
 こんな素敵な場所が、あったなんて。
 死んでたら、知ることができなかった。
 2人で並んで立っている。
 天使の方を見た。
 茶髪で髪はショート、白いワンピースを着ていて、背中には大きな羽が生え、頭の上にはリングが少し光っている。
 その姿は、まるで。
 まるで。
 佳奈ちゃんの、ようだった。
「私ね、もともと人間だったんだ」
「そうなの?」
「うん。人間だったの。でも、たくさんの辛い目にあってね。どんな辛い目だったかって、話してもあれだけど、いじめとか、親子関係とか、人間関係的なあれで。たくさんの辛いことがあって、死んじゃおうって思って。もう終わらせちゃおって思って。私も、こんな星が降る夜だったかな」
「・・・・・・飛び降り、たの?」
 ミカさんは流星を眺めながら、一筋の涙を流した。
「うん。あの日、飛び降りた。私には恋人がいてね、連絡できなくて。助けを、求めればよかったな、って。思って。私はね、天使になってから、この人間の世界が好きになったんだ。たくさんの人の心とか読めるようになったらね、素晴らしい心の人とかいっぱいいるんだなあって、思い知らされた。あと、こんな綺麗な場所もあるしね。こんな綺麗な場所、あるなんて、人間の時には知らなかったよ」
 えへへ、とミカさんは笑う。
「ねえ、ミカさん。おれは、まだ、生きても、いいのかな」
「うん。もちろんだよ。人間、として生きていた時はね、辛いことばっかで、もう死んでしまえたら、なんて毎日思っていたの。でもね、今は、今はね。あの時、もし生きてたら、なんて、思うことがとっても多くてね。だからね、死なないほうがいいと思う。私ね、うつ病だったの」
「うつ病?」
「うん。うつ病。私ね、お医者さんでそう診断されて。でもね、私のうつ病は治るって言われてたの。言われていたのにね、そうだとわかっていても、私はね、辛い思いに支配されて、支配され続けて、それで、飛び降りちゃったんだ」
「そっか。おれも、人間関係とか、学校のこととか、とっても辛くて、死んでしまいたいって思ったけど。でも。生きていれば、いいことはたくさんあるのかな」
「あるよ」
「おれ、幸せになれるのかな」
「なれるに決まってるじゃん。だって、生きてるんだもん。明日の予定を立てるとかさ。そんなことをして行くうちに、どんどん、幸せに、なっていけるよ」
「そっか」
「私はね、もうすぐ、人間界を離れなくちゃいけないの。だからね、最後に、どうしても会いたい人と、どうしても見たい景色を見たくて。そしたら、どうしても会いたかった人が、まさか自殺しようとするなんて思わなかったから。救ったの。余計なお世話だったかな」
「会いたかった人って、おれ?」
「うん。透くん、ずっと会いたかった。私、佳奈だよ」
 ・・・・・・え?
「か、佳奈?」
「うん! 佳奈だよ!」
「じゃあ、連絡が取れなかったのって・・・・・・」
「そう、飛び降りちゃったからね。連絡、取れなかったよ」
「そっ、か・・・・・・そうだったんだ」
 涙が。
 涙が溢れてくる。
「佳奈ちゃん、ごめんね、おれ、佳奈ちゃんが辛いことに、気づいてあげられなくて。守って、あげられなくて」
 佳奈ちゃんは、おれのことをそっと抱きしめた。
「いや、私は、人間の時に、唯一幸せだって思えたのが、透くんといた時だったよ。透くんは、たくさんのところに連れて行ってくれて、いつも連絡もくれて。とっても、とーっても、私、嬉しかったんだよ。だから、天使になってからも、ずーっと、会いたかったの。大好きだよ、透くん。だから」
 佳奈ちゃんは、おれをぎゅーっと抱きしめた。
「生きて、ほしい」
 
「おれも、大好きだよ」

 佳奈ちゃんとは、もう、今日限りで会えなくなる。
 それが、切なくて。
 とっても、切なくて。
 でも。
 佳奈ちゃんは。
 おれに。
 生きる希望を、与えてくれた。
 生きてたら、必ず幸せになれるって。
 そう、思えば。
 おれも。
 これからも。
 明日も。
 明後日も。
 明々後日も。
 生きられる、気がして。
 佳奈ちゃんのことは、きっと一生、忘れないだろう。
 忘れられないだろう。
 それでも。
 それは、いいことだと思う。
 おれにとって、かなちゃんはとても大切な存在で。
 ずっと一生、大切な存在で。
 天使になっても、人間でいても、変わらず大切な存在でいるから。
 だから。
 そんな大切な佳奈ちゃんに。
 生きてほしい、なんて言われたら。
「生きるしか、ないじゃん・・・・・・」
「そうだよ。生きるしか、ないんだよ。私は、本当に、透くんには、生きてほしい。生きて、私が見られなかった人間界の美しい景色を、人の美しさを、たくさん、見つけて、幸せをたくさん見つけてほしい。約束、だよ」
「うん、約束」
 おれは、優しく佳奈さんに、ミカさんにキスをした。
 ミカさんは、そのまま。
 消えて、しまった。

 天空の世界に、戻ったのかな。
 山の中。
 帰れないからって思ったら、光の道筋ができている。
 佳奈さんが用意してくれたんだろう。
 星空と海が綺麗で。
 佳奈さんも、とっても綺麗で。
 おれは、これから、生きるしかなくて。
 だから。
 生きて。
 生きて。
 生きて、いくんだ。
 おれは、一歩を踏み締めた。