「好き。」

桜の花びらが舞い散る、春の渡り廊下で。

柔らかな光を受け、たくさんの教材を2人で運ぶという漫画のような状況の中。

気がついたら、口から溢れ出していた。

夕日に照らされた、あなたの横顔を見て。

思わず、溢れ出てしまっていた。

高まる胸の鼓動。

紅色に染まる頬。

潤む瞳。

私の身体が、狂っていく。

少女漫画の主人公みたい。

そんなことをぼんやりと考えていたその時。

まるで、熟した果実が木から落ちるように。

蕾が、大輪の花へと姿を変えるように。

小鳥が、その小さな翼で大空へ旅立つように。

その言葉は、私の口から零れ落ちた。

当然の、だけれど大きな変化。

私からしたら、自然なことだった。

『好き』が、大きくなりすぎているだけだった。

でも、あなたにとっては、そうじゃなかった。

目の前の、真っ赤な顔をして硬直するあなたを見て、私はようやく自分のやってしまったことに気がついた。

咄嗟に言っていた。

「ごめんなさい。気にしないで。」

そんなことを言っても、何もなかったことになどできないことは知っている。

でも、言わずにはいられなかった。

私は、その時していた何もかもを放り出して、逃げるように家に帰った。

ずっと、顔を上げられなかった。

頭上に輝く一番星は、私の顔を照らせなかった。

だって、今の顔はきっと、りんごよりも、さくらんぼよりも、何よりも、真っ赤で、醜いだろうから。

私の耳に、大地の歌声は届かなかった。

だって、今の状態なら、全てが私に対する誹謗中傷に聞こえてしまうだろうから。

部屋に戻っても、身体の熱はまだ失われていなかった。

あたりが、少しひんやりとしてきた。

なぜか、郷愁を感じ始める。

空は段々と、闇を受け入れている。

私も、受け入れられたら良かったのに。

この、どろどろとした、醜い、どす黒い感情。

私は、その感情の受け皿を持っていなかった。

私はその行き先を知らなかった。

時計の針が歩みを進める。

ちくたくと、針が進む音がする。

ようやく、私の世界は音を取り戻した。

思い出したように、私は机へと向かった。

優しい風がカーテンを揺らす。

空に輝く宝石が、今日の役目を終えようとしている。

闇が現れる。

夕方の失態が、脳裏に再び現れる。

それだけで、どうしようもなく恥ずかしく、消えてしまいたいという衝動に駆られた。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

何で、私はあんなことを言ってしまったのだろう。

あなたは、あの子の彼氏なのに。

あの子は、あんなにも優しいのに。

2人は、とっても、『お似合い』なカップルなのに。

後悔が波のように押し寄せてくる。

夕日が最後の輝きを放つ。

私の顔に橙色の輝きがかかる。

きっと、限界だったのだ。

大きくなりすぎた私のこの恋心を、胸の中に閉じ込めておくには、狭すぎたのだ。

私の、小さな小さな、ちっぽけな、器は。

そんな自分を自覚して、また少し、私は沈む。

あなたは、決して手に入らない。

もう、あなたの心は、あの子のものだから。

そう分かっていても、まだ諦めきれない。

本当に、醜い。

空が闇に染まり始める。

柔らかい橙色が、精一杯の抵抗を始める。

あの子のことを、恨めればよかった。

罵詈雑言を浴びせても、罪悪感を感じないほど、あの子が極悪人だったなら良かった。

それか、私の心が、どんなことを、誰にしても、動かないほど、冷たい、石のような心だったなら良かった。

でも、私には無理だ。

やがて、全ての色が諦め、漆黒を受け入れていく。

どっちつかずの、中途半端な、私には。

あの子はとっても優しくて、誰にでも分け隔てなく、可愛くて、純真無垢な女の子。

文武両道で、育ちが良くて、完璧なのに、ずっと謙虚な女の子。

同性の私が見ても、魅了されてしまう。

朝から夜へ、光から闇へ。

地球が、回っている。

私の心は、とっても弱い。

少し触っただけで、ぼろぼろに崩れてしまう。

崩れた私の心のかけらは、その場所を汚すだけ。

灰と違って肥料にもならず、ただそこに鎮座している。

存在意義なんて、ない。

ただただ邪魔なだけの存在。

私が、生きている意味なんて、あるのかな?

ふと、窓の外を見上げる。

黒が、よりいっそう黒い漆黒に塗りつぶされる。

あぁ、嫌だな。

こんな自分が、嫌だ。

何者にもなれない、何者の卵でもない、自分が。

本当に、嫌だ。

私も、あんな風に消えてしまいたい。

空のように、自分よりも遥かに大きい存在に塗りつぶされて。

消えてしまいたい。

そう、強く、強く、願っていた。

夜が、更けていく。

頭上に、月が登る。

親に呼ばれ、食卓に向かい、夕食を食べ終えても、私の心は晴れなかった。

沈んでいく。

深い、深い、闇の底へ。

後悔と懺悔に満ちた、決して照らされない場所へ、沈んでいく。

一瞬、雲に月が隠れる。

部屋に落ちた影が濃くなる。

まるで私がこれから行く場所のような色。

それを見ながらどこか他人事のように考えている。

以前も、私はあそこにいた。

あの時は、あなたが照らしてくれた。

あなたが、私を救ってくれた。

その、太陽のような笑顔で。

朝日のような笑い声で。

夕日のような仕草で。

光のような優しさで。

あなたがいるなら、それで良い。

そう思うようになった。

たとえ、私とあなたしかいない世界でも、永遠の暗闇でも、一瞬を繰り返す地獄だとしても。

あなたといられるなら。

私はきっと、幸せだ。

幸せで、幸せすぎて、死んでしまうだろう。

再び、月が顔を出す。

影が明るさを取り戻す。

赤いランプを灯した飛行機が飛んでいる。

かすかなエンジン音が聞こえる。

でも、それが叶わないのなら。

せめて、あなたを見ていたい。

あなたのことを、見守っていたい。

それで、良かったのに。

ベランダへ出た。

頭を冷ましたかった。

生ぬるい空気が、身体にまとわりついて離れない。

気持ち悪い、と思った。

口には出せなかった。

一瞬、強い風が吹いた。

夜桜が舞う。

花吹雪に囲まれる。

あの日のことを思い出す。

あなたが、あの子と付き合ったと知った日。

私は、あなたといられない。

それを理解した途端、それが脳みそに到達した途端。

私は、壊れてしまった。

私は、欲張りになってしまった。

あなたが、あの子といるのが耐えられない。

私以外に、あの太陽のような笑顔を向けているのが耐えられない。

世界に、私とあなた以外の生物がいることに耐えられない。

川を、桜の花びらが流れていく。

紫色のライトが樹を照らす。

私は、部屋へと戻った。

ただの我儘だって、分かってる。

だから、私は自分を嫌いになる。

深く、深く、沈んでいく。

空が、より一層濃い黒で塗りつぶされていく。

星が、瞬き始める。

潜って、潜って、また潜る。

どこまでも、どこまでも。

感情を、失うために。

世界を、灰色で埋めるために。

私は沈む、どこまでも。

あなたのことを、考えないために。

笑顔で、あの子とあなたの恋を応援するために。

もう2度と、あの子に嫉妬なんて醜い感情を持たないために。

これ以上、汚れないために。

それが、あの子を一時でも恨んでしまった、私にできる、精一杯の償いだから。

夜が明ける。

いろんな色が集まり、複雑な模様を描いていく。

朝日が、今日の仕事を始める。

人々を優しく照らし始める。

色が、まとまっていく。

空が、茜色に染まっていく。

私は、その美しすぎる光景を微動打もせずに見つめながら。

人知れず、一筋の涙を流した。

涙は、朝日を受けて輝いていた。

私の全てがこもった涙は、初恋の苦い思い出と、淡い恋心と。

醜い感情を全て乗せて、消えてなくなった。

私の、報われなかった初恋は、これで、お終いです。

Fin.