「結局、私も先生も2番目にしかなれないんですよ」

「幻滅した?カッコいい先生だったはずでしょ」

「いや?別に。私を忘れないでいてくれて、悪いと思ってるってことは、私にした事を他の生徒にはしてないってことですよね」

「志摩がトランペット辞めて、志望校も変えて、僕と話さなくなってから、ようやく気がついたよ。僕が才能を潰したって。今はレッスンは依頼を受けたらする程度にしてる。部活動指導もやらないことにした。少しでも、過去の自分を救いたくなるから」

先生がタバコを灰皿に捨てた。
そして、窓を開けた。
深夜の風は人の熱量が混じらないからかなり冷たい。ひざ掛けがちゃんと仕事をしている。
空が濃紺から、白と薄緑が混じった色に近づいていた。
初夏は夜が短い。
いつのまにか朝が私たちを迎えに来る。
それは強制的で、じっくり答え合わせをする暇も与えられない。
あの時、助手席から見た紺とオレンジが交じる夕焼けに『このまま消えていきたい』と胸の中で何度も何度もリピートしていた事を思い出した。先生の顔は全く見れなかった。今、先生は眉を下げて、とても寂しいという顔をしていた。あの時もおんなじ顔をしていたのかもしれない。あの時の私が、過去の先生が、この町が、先生を呪ってしまったのだ。

5年越しの答え合わせはもうすぐ終わりを迎えそうだった。
私と、先生の呪いが、いつまでも二人を繋いでいてほしい。先生が苦しんでくれたのがわかったから、もう呪いを解いてあげたい。
そんな矛盾した気持ちを抱えて生きていけるほどには私は大人になったつもりだった。

「私、先生が思うほど、トランペットも音楽も好きじゃないですよ。だから辞めたんです。先生のせいとか、買い被りすぎ」

先生が「僕、買い被りすぎかな?」と苦笑いしたのを見て、「その通り。やっぱり先生もおじさんみたいに自意識過剰になっちゃうんですね」
と私にもブーメランみたいに突き刺さる言葉を投げた。

「あーあ。楽しかった。私、ここでおります」
「え?」
私はひざ掛けを畳んで先生に渡した。そして、ポシェットに手に突っ込んで、摘みとった指輪をちらつかせた。
「ここ、何もないよ。降りると帰れないよ」
「じゃあ、私を先生の家まで連れて帰ってくれますか?無理でしょ?」
「…志摩。そんなに自分の意見ズバズバ言うタイプだった?」
「そりゃ、“高校、大学と経て今”ですからね」
さっき、先生が私に言ったセリフを踏まえて返してあげると先生はまた笑った。
私の言葉で本当に笑ってくれたのは初めてかもしれない。

「私、先生の事だけを思って5年過ごしてきました。私の事、5年の間忘れずにいてくれました?」
「もちろん」
先生は私を見ていた。指輪を顔の横で持っていたけど、絶対私を見ていたと思う。

よく分からない筆記体で描かれた文字。もう私に変わることはない誰かの名前を先生は身につけて生きていくんだ。