同窓会開催を知らせるハガキが私の元に届いた。
大学の授業が終わって、バイトに行くまでの間に少し家に戻ったところだった。

適当に郵便受けをあさって良かった。
ハガキが来るということは誰かの過去の記憶の中で確実に私は息をし続けていたという証明になっている気がした。

私との出来事を思い出したときに、私を招待しようと思う人間がクラスの中に少なからず一人はいたようだった。

郵便受けからそっとそのハガキだけを引き抜いた。

他の広告たちは十数枚積み重なったままだった。
参加するか否かの選択肢の下に、開催場所の住所が示されていた。

一緒に同窓会へ行くような友人は私にはいない。そんな私にわざわざ同窓会のハガキを送っている時点で、社交辞令か、人数合わせか、どれかだった。

同窓会に行っても一人、行かなくても一人。その状況ならコスト面を考えて行かない選択をしたいが、こうも悩むのは、
『戸谷っち先生もご出席されます!』という砕けた誘い文言だった。

戸谷っち先生、私のクラスの担任であり、私の唯一無二の神様。
ふと、スマホのフォトフォルダを遡る。3台も前のスマホからデータを引き継いでいて、最古の写真データはちょうど15歳の卒業式の写真だった。