おれは、塾にただ通っていただけだった。
 学校から帰ってきて、夜、カップラーメンとかパックご飯を塾の休憩室で食べて、10時まで塾で勉強をする。
 塾は、他校の生徒が多かった。
 おれは、家から遠い学校に通っていて、塾は家から近いところにしていたから、他校の生徒がほとんどだった。
 いつも、休憩室で端っこの方でご飯を食べている、ショートヘアで顔がシュッとした女の子のことが、少し気になっていた。
 だって、高校2年から3年まで、毎日同じ部屋でご飯を食べていたから。
 でも、別に話しかけたりはしなかった。
 だって、接点がないから。
 話しかけることなんて、できなかった。
 そんな、遠い存在だった。

 大学に入ってからは、その子のことなんて忘れて、たくさん恋をした。
 とっくに忘れた。
 そんなこと、覚えてもいないってくらい。
 忘れようとしていたのかもしれない。
 でも、そうこうしているうちに、おれには夢ができた。
 おれは、小説とかアニメとか、ドラマとか、マンガとか、映画が好きだった。
 だから、小説とかマンガを、ドラマ化、映画化、アニメ化する仕事に就きたいと思った。
 テレビ局や、出版社をたくさん受けた。
 でも、結果は惨敗だった。
 それでもおれは、諦めたくなかった。
 就職留年も視野に入れながら、テレビ局や出版社を受け続けた。
 おれは、そのエントリーシートとか面接対策を、毎日、家の近くのカフェでやっていた。
 同時に卒業論文も進めていた。
 1日、12時間くらいは取っていた。
 その、家の近くのカフェには。
 あの、塾の休憩室でいつも会っていた子が、店員さんでいた。
 向こうは、覚えていないと思った。
 でも、いつも接客をしてくれていた。
 おれは、大学が終わると車で家に帰・・・・・・る前に必ずそのカフェに寄った。  
 そのカフェは、カウンターでまずドリンクを買い、それを自分の席へ持って行く形式だ。
 卒業論文と、エントリーシートを仕上げるために。
 いつしか、自分の好きなマンガや小説を映像化することが、おれの夢になっていた。
 大学生活の半分は、おれの夢に捧げた。
 高校の頃、受験勉強をしている時期。
 小学校の頃、中学校の頃も含めて、本気でやりたいことなんてなかった。
 でも。
 本気でやりたいことが見つかった、瞬間だったと思った。
 だから、おれは本気になって、それを進めた。
 でも。
 就職支援課の人に言われた言葉は、厳しいものだった。
「このまま行くと、卒業できません。就職留年を考えてもいいですが、あなたの面接、エントリーシートの出来を見ても、来年に回したとしてもテレビ局、出版社に受かることは、ほぼ無理だと思われます。今、内定を一つあなたは持っていると思います。そこに就職することが、安泰です」
 もう、4年の2月になっていた。
 就職をするか、留年をするか。
 決断をしないといけない時期に迫っていた。
 おれは。

 夢を、諦めた。

 でも。
 これは、偉大なる進歩だと思った。
 未来への、自分の未来への、偉大なる。

 だって。
 だって。
 自分の進路が、決まったわけだから。

 でも。
 でも。

 本当に、悲しかった。

 おれは、自分のやりたいことを、突き詰めたかった。
 それに、一生を使いたかった。

 そんな、悲しい物語。
 卒論は完成した。
 口頭諮問も、うまく行った。
 このままいけば、卒業できる。
 そんな時期に。
 おれは。
 パソコンを開いていた。

 どんなアニメがウケるんだろう。
 どんな映画がウケるんだろう。
 どんな小説がウケるんだろう。
 どんなマンガがウケるんだろう。
 どんなドラマがウケるんだろう。

 おれは、とても、とてもそれを研究していた。
 だから。

 おれは。
 小説を書けば、そのノウハウが頭に入っているから、うまく行くのではないか、などと思った。
 時期は、3月2日。
 3月31日締め切りの文学賞がある。
 それをおれは知っていた。
 だから。

 おれは。
 小説を。
 今まで、書いたこともない小説を。
 書き始めた。
 就職するまでの、空いている時間で。
 書き切ってやる。
 おれは、そう、思った。
 小説を、書いて。
 書いて。
 書き続けた。
 内容は、就活に苦しむもの頑張る就活生の物語。
 字数制限は6万字。
 1日ずつ、頑張って小説を書き続けた。
 正直、メンタルはボロボロだった。
 だって、夢に敗れたばかりの人だったから。
 でも。
 この小説が、映像化されれば。
 それほど、嬉しいことはないと。
 そんなことを思いながら、小説を書いて、書いて、書き続けた。
 自分の作品が映像化されれば、それは、何かを残せたことになるだろう。
 映像化をする部署には就けなかったけど。
 オリジナルを残せる。
 そのチャンスは、おれにはまだある。
 そう思いながら、小説を書き続けた。

 なんとなく、集中が切れた。
 でも。
 締切まで、あと少し。
 間に合わないかもしれない。
 その夜。
 おれは。

 あのカフェに行った。

 すると。
 店員さんは、あの子だった。
「あれ、就職活動と卒論は終わったはずなのに、今日はなんの作業をしにきたの?」
 そう、問いかけてくれた。
 おれは、嬉しかった。
 いつも、見てくれていたんだ。
 おれが、作業をしているところを。
「えっとね、小説を書きにきたの」
「え、小説!? すごいね!」
「そうかな」
「すごいよ! 私書けないもん! 賞とか応募するの?」
「うん、賞、応募するよ!」
「そっか! すごい! 今日は、注文何にする?」
「うーん、バニラフラッペにしようかな」
「わかった! 待っててね」
 おれは、隣のカウンターに移動した。
 まさか。
 おれが、毎回カフェに通っていることを、覚えているとは思わなかったし、あと、そもそもおれのことを覚えているとも思わなかった。タメ口だったし。
 あれ。
 本当に、おれのこと覚えてるのかな。
 いつもくるお客さんだとしか思ってなかったかな。
 いつもくる同年代のお客さんだから、タメ口で話したのかな。
 おれは。
 1人で。
 舞い上がっていただけなのかな。
 よくよく考えたら、大学受験を頑張る時も、大学生になってから夢を追いかける時も、その子はおれのそばにいた。
 そばにいたけど、ずーっと、遠い存在だった。
 近づけなかった。
 それは、すごく辛かった。
 でも。
 今日、初めて、会話らしい会話ができた。
 それだけでも、嬉しかった。
 そう、思っていると、おれの番が来た。
「バニラフラッペ、お作りしております」
 このカフェは、フラッペが美味しい。
 店員さんが、カップにフラッペを入れていく。
 それで、それが入れ終わったら、クリームを乗せる。
「はい、完成です。バニラフラッペですね、ありがとうございます」
 よかった。
 完成した。
 おれは、それを持って、いつもの席に座った。
 いつもの席は、カウンターのようになっている席で、窓が空いていて、その窓の向こうには道路が見えて、夜空も見えて、星がたくさんキラキラしていて、とても幻想的な場所。
 そこで、パソコンを開いて、締切ギリギリの原稿を終わらせようとキーボードに手を添えた。
 これがアニメ化されたら。
 ドラマ化されたら。
 映画化されたら。
 自分の夢が叶ったってことで、許してあげてもいいんじゃないかな。
 結局、就活も失敗に終わって。
 恋愛も。
 さっきは話せたけど、高校、大学と一緒にいて、就職する直前、少し話せただけで。
 これも、失敗に終わってしまった。
 何もかも、うまくいかなかったから。
 せめて。
 文学賞は、取りたいな。
 そう思って、フラッペを手に取った。
 そのカップには。
 メッセージが。
 書いてあった。
「いつもありがとう! 塾にいた時から、応援していたよ! 文学賞、頑張ってね!」
 ・・・・・・え!?
 覚えてて、くれたの!?
 衝撃が走る。
 嬉しい。
 嬉しすぎて、涙が出そう。
「ねえ」
 振り返ると、その子がいた。
「今、いい?休憩時間だからさ」
「うん」
「高校生の時から、ずっと、応援してたんだよ」
「そうだったんだ、ありがとう!」
「愛莉ちゃーん、休憩終わりだよー」
「はーい」
「あのさ、愛莉、さん?」
「フフ、初めて名前、読んでくれた」
「連絡先、交換してもいい?」
「いいよ! またご飯行こ」