恋心を一粒ずつ飲み込む


 私には、運命の人だった。
 気づいた時には、隣にはユタカがいつも居た。

 学校の誰よりも、私が仲良しだと自負してる。
 気づけば、触れられる距離のユタカが好きになってしまってた。
 くだらないメッセージにもいつも付き合ってくれて、バカみたいにじゃれ合う。
 他の子と二人きりで話してる姿に、激しい嫉妬が胸の奥で燃え上がった。
 その瞬間、私はユタカへの恋心に気づいてしまったんだ。

 でも好き、とは言えない。
 だって、私とユタカはただの仲の良い幼なじみだから。

 川の流れる音だけが、耳に響く。
 からんからんと自転車を転がす音が聞こえて、振り返れば、ユタカが目に入った。
 
 ユタカが私を女の子として意識してないことなんて、バレバレだ。
 
 だから、シャワーを浴びたままの乱れた髪で来る。
 そして、私の隣にあぐらをかいて座って、よっ! と手を上げるんだ。
 そして、乱暴にさくらんぼを押し付けて、ガハハと大口を開けて笑う。

「さやか、本当、俺の家のさくらんぼ好きだよな」

 ビニール袋いっぱいのさくらんぼ。
 暗闇の中でも、キラキラと輝く赤い果実に、胸がきゅうんと切なくなる。
 私が好きなのは、あんたなんだけど。
 言いたいのに、私は意気地なしで言葉にする勇気もないんだ。

 さくらんぼは、ただの口実だった。
 ユタカに『そろそろ収穫だよね?』とメッセージを送れば、『持ってくよ、いつもの場所?』と、返事が来る。
 だから、さくらんぼの話を振ったの。
 ユタカが会いにきてくれるってわかってたから。

 それでも、言えないから。
 気持ちを飲み込むように、さくらんぼを一粒口に含む。
 甘酸っぱさが口の中で、ぷつんと弾けた。
 私の恋心みたいだ、と思うのは、さすがに情緒的すぎるかもしれない。

 ただ流れていく川を見つめて、夏というのには寒すぎる夜風に当たる。
 ユタカは、メッセージ一つで、私のところに来てくれた。
 だから、ほんの少しだけ、期待が胸の中で湧いてしまう。

「ユタカは、変わらないね」

 小学生の頃から、ずっと変わらない。
 バカみたいにガサツに笑うし、私のこと、友達として扱うし。
 ちっとも優しくもない。
 それなのに、私の心はユタカが好きだ好きだと、叫び立てる。

「さやかもあんま、変わんねーだろ。あ、でも……」

 言い淀んだ言葉に、ぐっと息を飲み込む。
 ユタカも知ってるんだろう。
 一個上の秀峰先輩に、私が告白されたこと。

 秀峰先輩は、友達の紅のお兄さんだった。
 紅の家に遊びに行った時に出会ってから、よく気にかけてくれて、私を可愛がってくれる。
 秀峰先輩は、ユタカと違って私を大切に大切に扱ってくれた。
 ケガをしないように、傷つかないように。

 でも、そんな秀峰先輩の優しさが、私には真綿で包まれた気分になってしまう。
 まるで、首が締まってくみたいで……
 秀峰先輩の気持ちには、答えられなかった。
 恋として、好きになれる自信が一ミリもない。

 だって、私が好きで、私だけ見て欲しいのはユタカだけだったから。

 ユタカはいつだって「彼女欲しい」が口癖で、女の子を追いかけ回してる。
 私じゃだめかな、って言いたくなって、いつも言えない。
 幼なじみですら居られなくなったら、きっと私の心はバラバラになってしまうから。

 叶わない恋なら、したくなかった。
 でも、いつだってユタカのことばかり考えてしまう。
 さくらんぼを見た時、キレイな景色を見た時、周りの子達が彼氏とイルミネーションを見に行ったって言ってた時。
 全部全部浮かぶのは、ユタカだった。

 だから、今日こそ振られようと思ったのに。
 
 秀峰先輩は、私に「付き合おう」と告白をしてくれた。
 そして、答えられない私に、優しく、「さやかちゃんの心が、他の人にあるのは知ってる」と囁く。
 側から見たら、私のユタカへの想いは、バレバレだったらしい。
 それでも、「もし振られたらでも良いから、俺のことを考えて欲しい」と秀峰先輩に言われた時、ずるいことを考えそうになった。

 ユタカとだめだったら。
 逃げ場にしようとして、私は、秀峰先輩に「ごめんなさい」を伝えた。
 そんな最低なことは、したくなかったから。
 でも、私もそろそろ気持ちをきちんと、伝えないとっという力にはなった。
 だから、さくらんぼにかこつけて、ユタカをここまで呼び出したのに……

「今日はやけに静かじゃん、どしたんだよ」

 お昼のことを思い出して俯く私に、ユタカは顔を覗き込む。
 目が合うだけで、頬も耳も、おでこも熱い。
 夜だから、見えないことだけが幸いだった。
 きっと、今私はゆでだこみたいに、真っ赤に染め上げられてる。

 何度も見てきた顔なのに。
 何度も見つめ合ってきた目なのに。
 こんなに心臓が張り裂けそうに鳴るし、隣の体温を微かに感じて、胸がポカポカしてる。

「ユタカは、彼女欲しいんだよね?」

 確かめるように、口に出す。
 裏返った声にも、気づかずにユタカは首を横に振る。

「えっ」

 驚いて顔を上げれば、ユタカはピースサインを私に突きつけた。
 待って、聞きたくない。
 耳を急いで塞げば、ユタカは不思議そうな顔をする。
 私じゃ、やっぱり、だめだったんだ。
 わかってたのに、真実を突きつけられて、吐き気がした。

 手元のさくらんぼを入れたビニール袋が、ガサッと音を立てて落ちそうになる。
 慌てて掴めば、数粒、潰してしまったようで袋の中で果実が割れていた。

「ごめん」
「さくらんぼ? いいよ、まだ食えるし」

 どうしようもなく好きだった。
 私には、ユタカが運命の人。
 でも、ユタカの運命の人は、別の人。

 吐き出しそうな気持ちを抑えて、潰れたさくらんぼを口に詰め込む。
 勝手に言葉が、出ちゃいそうだったから。
 
 失恋の痛みで心はじゅくじゅくとしてるのに、やっぱりユタカの家のさくらんぼはおいしい。
 軽やかに甘くて、ほんのり後から酸味が追いかけてくる。
 まるでユタカみたいだなと思ってしまう。

 頬をツーっと伝っていく涙に、気づかないふりをした。
 覗き込んだ川には、星が反射してる。
 すごくすごく、キレイで、目がまた潤んでしまう。
 ぼやけた視界で、川の流れを見つめるフリをする。

 好きとも伝えられずに終わってしまった、この初恋をどうしようか。
 悩みながらも、また一粒さくらんぼを摘む。
 私の、恋の味がする。

 ユタカの恋を応援しなきゃ、という気持ちと、ドロドロとした感情が胸の中で渦巻く。
 どこか、勝てる場所はと探し求めて口にして、後悔した。
 
「ね、ユタカの彼女はどんな人?」

 問い掛ければ、ユタカは恥ずかしそうに頭を掻く。
 見たことない表情で、あまりに優しい瞳で、彼女の名前を口にする。

「きらり、っていうんだけど。可愛いの、もうめちゃくちゃ可愛いの。すぐ赤面して、さくらんぼみたいで」

 デレデレと変わった表情に、無意識に「あっそ」と冷たい声が出た。
 ユタカは、だらんと体の力を抜いて、芝生の上に寝転がる。

「んだよ、さやかが聞いたんだろ」
「そうだけど……」
「何、俺に彼女ができたのが気に食わないの?」
「そうじゃない」

 そうだけど。
 だって、ユタカの周りに仲の良い女の子なんて、今までいなかった。
 好きな人の話とか、聞いたことなかった!
 だから、まさか、彼女ができたと告げられるとは、一ミリも思っていなかったの。

 ぐすっと鼻を啜り上げれば、ユタカは腰に巻いていたジャージを私に投げつける。

「風邪引かされたって言われたら、たまんねーからな」
「怒られるよ、彼女に」
「なんだそれ」
「優しくするのは、彼女だけにね」

 自分で言ってて、ますます悲しくなった。
 私はもう、ユタカと近い距離にいることはできない。
 ユタカの彼女が嫌な気持ちになってしまうのは、望んでない。

「はぁ? 俺とさやかは幼なじみだろ」
「幼なじみだけど」
「彼女できたって、そんなこと変わらねーだろ」
「変わるよ」

 変わる。
 変わっちゃうよ。

 だって、私は、幼なじみだけど、ユタカが、好き。
 言いそうになって、誤魔化すようにユタカの口にさくらんぼを詰め込んだ。
 これ以上、話してたら私はきっと、伝えちゃう。
 ううん、伝えるつもりで来たけど、伝えちゃだめになっちゃった。

 だって、ユタカを困らせちゃう。
 困らせたいんじゃない。
 私のことを、ただ好きになって欲しかった。
 私のことを、幼なじみじゃない枠で見て欲しかった。
 それだけ、だったんだ。

 欲張りになりすぎた。
 あまりにも隣にいて、近くいところに居たから。
 私が知らない誰かに取られてしまうと、想像もできなかった。

 告白すれば、ユタカは私を意識するようになって、恋人になれるなんて甘い妄想してた。
 でも、ユタカには大切にしなきゃいけない相手がいる。

「幼なじみでは、もう居られないんだよ」
「意味わかんねー」

 髪の毛を掻きむしるようにわしゃわしゃと、手を動かす。

「俺とさやかが、幼なじみなことには変わんねーし、仲良いだろ俺ら。俺の勘違い?」
「私が、ユタカのこと好きだから」
「え?」
「ユタカのことが、好きなの。だから、もう今までみたいにはできないよ」

 ユタカが息を呑んだ音が、耳に響く。
 
 私たちは今まで通りには戻れない。
 この恋心が、色褪せるまで。
 実を付けれなかった恋心は、花にすらなれず、ただ枯れるのを待つだけだ。
 私は、ユタカとの関係を失うことを恐怖していたのに、結局失ってしまう。

「知ってたよ」

 ユタカの言葉に、私の息が詰まる。
 えっとも声に出せずに、ただ、ユタカの困った表情を見つめた。

「ごめん」

 それは、気づかないふりして?
 答えられなくて?
 どれのごめん、なんだろう。

 どちらにせよ、ユタカは私を恋の相手には、絶対してくれなかったってことなんだね。
 私は、ユタカの瞳に映りたかった。
 でも、それは絶対なかったんだ。
 知りたくなかった事実に、涙も引っ込む。
 本当に悲しい時って、涙が出ないんだって、初めて知った。

「俺は、きらりと付き合ってるし、さやかの気持ちには答えられない。俺のことを好きなのも、気づいてた。でも、幼なじみという関係でずるずるそばにいて、ごめん」
「好きだったよ、でも、もういいの」

 強がって、笑って見せる。
 唇がヒクヒクと揺れて、体が芯から冷えて固まってしまったみたいだ。

「おう……」
「ユタカの幸せを願ってるよ」

 嘘。
 そんなの大嘘。
 別れて、傷ついて、私に縋ってくれれば良いのにって、私は悪いことばっかり考えてる。
 だから、ユタカは私を好きになってくれないんだろうね。
 最低な自分に、嫌気がさす。

「さやかが、大切な幼なじみなことには変わらないから」
「うん、私にとってユタカは、大切な幼なじみだよ」
「だから、別にこれで仲悪くなったりとか、話さないとかはナシな」

 ずるい人だと思った。
 ひどい人だとも思った。
 私の恋心を無視して、今まで通りの関係で落ち着こうと、その唇で紡ぐ。
 体が崩れ落ちてしまいそうなのを、寝転がって誤魔化す。

「うん。でも、二人きりで会うのは、もう今が最後だよ。きらりちゃん? に悪いから」
「それは」
「いいよって言われても、本当は嫌だよ、きっと」

 私だったら、絶対嫌だ。
 自分以外の女の子と、夜中に二人きりで会ってるとか。
 耐えられない。

「まぁ、うん。そうだな」
「さくらんぼも貰ったし、帰りなよ」
「帰るけど、大丈夫か、その」
「大丈夫」

 わざとらしい力強い声で、答える。
 ユタカは、私の強がりに多分気づいてた。
 それでも、振り返らずに「また明日な」と、口にして去っていく。

 そんな冷たいところ、嫌いになりたい。
 それなのに、まだやっぱり、好き。
 胸が張り裂けそうなくらいユタカが好き。
 ずっと隣にいて、笑いたかった。
 でも、もう諦めなきゃいけない。
 わかってるから、ここで私は恋心を一粒残さず飲み込む。

 さくらんぼを、一粒一粒味わう。
 ビニール袋は、だんだん軽くなっていく。
 一粒口に運ぶ度、涙がこぼれ落ちる。
 大きな声で泣き叫びたかった。

 冷たい夜風が、吹きつけて頬の涙を奪い去っていく。
 重たいまぶたで川を見つめれば、半月がぼんやりと行き場所がないように浮かんでいた。

<了>