深夜十二時開店の「なんでも買取店」。
そんな噂を信じてしまうくらいには、心臓が痛い。
好きだった、すごく好きだった。
こんな気持ちなくなってしまえば、また仲の良い先輩後輩に戻れる。
早足になりながら、月明かりに照らされたアスファルトを蹴り付ける。
同級生たちが噂してた、なんでも買い取ってくれるお店。
そこなら、この痛い恋心も、きっと買い取ってくれる。
静寂に包まれた夜の中、顔を上げれば、ぼんやりと浮かび上がる看板を見つけた。
薄暗い店内には、レトロなおもちゃやゲーム機が並んでいた。
ところどころで光るランプは幻想的な雰囲気で、まるで御伽話の世界に迷い込んでしまったみたい。
扉を閉めれば、カビくさい匂いと、古本の匂いが一気に押し寄せた。
乱雑に並べられた棚を見るよりも、先にレジへと向かう。
レジの中では、ショッキングピンク色の外はねボブのお姉さんがあくびをしている。
「ふぁああ、あ、いらっしゃーせー」
店員のお姉さんはあくびをしていたことを隠そうともせず、やる気のなさそうな無表情で小さいお辞儀をする。
マスクをしてない唇には、キバのようなピアスが二つ。
対称についている。
自分とは違うタイプのヒトだ、と思った。
ピンク色の髪のせいもあってか、誰かを思い浮かべてしまう。
そして、胸がまたちくんっと痛む。
意を決して唇を開けば、声は緊張のせいか震えていた。
「買い取って欲しいものがあって」
「はいはい、なんすか」
「失恋の記憶って、買い取っていただけますか?」
肩を揺らしてから、お姉さんは「はぁあああ」と深いため息を吐いた。
「だから、あの人を消したらって、言ったんすよ」
* * *
運命というものが存在するのであれば、私と先輩は、結ばれない運命だ。
分かりきっていた。
先輩の隣にはいつだって、キレイにピンクブラウンで髪を染めたあの人がいる。
それでも、私は後輩として先輩の隣に居れるだけで十分だったし、片想いが一番幸せな恋だど思っていた。
だって付き合えば、あれが気に食わない、これが許せないと、欲求は果てなく募っていく。
そして最後には、嫌いになって終わるんだから。
片想いなら恋心はキレイなまま、いつまでも好きでい続けられる。
自分を言い聞かせるような言葉に、また胸が痛む。
今日も少し気だるげに、机に伏せる先輩の横をキープする。
くるりっとやわらかそうな髪も、窮屈そうに机の下に収められた長い足も。
全てが、私は大好きだった。
今日は彼女は来ていない、みたい。
私に気づいたように先輩が顔を上げて、いつもの人懐っこい笑顔を見せる。
きゅうっと胃が締め付けられて、息が苦しくなった。
昨日も遅くまで飲んでいたのだろうか。
「おはよう、ミウ」
耳に届く声が、全身に響いて、力が抜けそうになる。
「おはようございます、先輩」
にこりと微笑み返せば、先輩は満足したように「ん」と呟いて、また机に突っ伏す。
私たちの服飾サークルとは、名ばかりのサークルメンバーと、趣味程度に服を作るメンバーで構成されている。
ほとんどは名ばかりのメンバーで、毎晩のようにお酒を浴びるように飲みに出ては楽しんでいた。
私も歓迎会と、飲み会に何度かは参加したことがある。
その中で先輩を、好きになったんだけど。
元々入った理由は、今では思い出せない。
でも入ってよかったと思う。
スケッチブックを開いて、次の服の案を練る。
夏に向けたワンピースがいい。
爽やかなブルーの生地を使って、ウエストは絞って……
寝始めた先輩の横で鉛筆を、シャッシャッと鳴らしながら描きあげていく。
入った当初は、雑巾ぐらいしか縫えなかった。
今では、服を作れるのだから、成長していると思う。
集中してスケッチブックに線を走らせていれば、手元に視線を感じた。
手を止めれば、残念そうな声が耳に届く。
「えー、やめちゃうの」
甘ったるいような声に、熱が出てきそうになる。
口元が勝手に緩んで、笑い声を漏らす。
「先輩は、お昼寝しに来たんですか」
「んー、昨日飲み過ぎたし、あいつも講義中で暇だから遊びに来たんだけど。ミウ以外誰も来ねーの」
鉛筆とスケッチブックを机に置いて、先輩と向き合う。
先輩のとろんっとした瞳に、吸い込まれそうになって無意識に足を踏ん張った。
先輩は、彼女がいるくせに。
誰でも彼でも、惚れそうとする。
先輩の私を見つめるゆるい笑顔が、たまらなく私の心臓を締め付けた。
先輩はふふふっと笑い声を漏らした。
顔は整ってるし、アッシュに染められた髪の毛はキレイだし。
優しいし、いつだって、何かと気にかけてくれるのは先輩だけだった。
「ミウは、髪染めねーの?」
黒いまま、肩も通り過ぎた髪は邪魔で、簡単にシュシュでまとめただけ。
それでも、先輩が触ってくれるから、トリートメントにも気を使うようになった。
私の髪の毛に触れて、先輩は確認するようにくるくると人差し指で回した。
身体中の熱が沸騰して、溶けて消えてしまいそうになる。
髪の毛には痛覚も触覚もないはずなのに、やけに熱い。
目を逸らせば気持ちが伝わってしまう気がして、笑顔を作ったまま、先輩を見つめる。
髪の毛を見つめる視線が、あまりにも優しい気がして勘違いしそうになった。
まるで、私のことが好きみたい、なんて。
ありえないのに。
私と同じ思いだったら。
淡い期待が、ふわふわと体を宙に浮かせそうになる。
「染めないですよ」
「似合ってていいと思うけどね」
「なら、ますます染めないです」
先輩は人差し指をくるんっと一回転させてから、私の髪の毛を離す。
甘い時間がこのまま続けばいいと思う時ほど、邪魔は入るものだ。
それとも、先輩の危機管理能力が高すぎるのか。
そんな話をしていたら、がららっと音を立てて扉が開き彼女が入ってきた。
「終わったよー! ミヤ、帰ろ?」
どうやら彼女の目には、先輩しか映ってないらしい。
私と同い年なのに、先輩を呼び捨てにして、近寄る。
そして、腕を持ち上げて引っ張った。
ようやく隣にいた私に気づいて、私と目を合わせる。
「あ、ミウちゃんも来てたんだ、こんばんはー!」
大きな声と明るい笑顔。
ピンクブラウンのツヤのある髪の毛。
近づいてくるたびに、フローラルな香りがする。
私とは、真逆の存在。
誰とでも仲良くなれて、誰からも愛されて、全てを持ってるような人。
そして、先輩と並んでいても、お似合いと称賛されるような容姿。
あまりの眩さに目を細めて「こんばんは」とだけ、返した。
先輩は「おうー」とか「どこいきたい?」だとか、適当なことしか言ってない。
それなのに、彼女への声色も、微笑みも、全てが私と話すときとはあまりにも違う。
声から、表情から、全てから「愛しい」が溢れてる。
見ないように、スケッチブックに目を移して鉛筆を続きから動かし始める。
行き先が決まったのか、いつのまにか彼女は私の横に立って覗き込んでいた。
「ミウちゃんの服ってほんっと、可愛いよね。いつか、私にも作って欲しいー!」
イヤですよ、とはすぐに答えられなかった。
曖昧に微笑んで「ありがとうございます」とだけ、小さく口にする。
でも、彼女の好みと、私の好みは合わない。
彼女はどちらかといえば、肩が出ていたり、オヘソが出ていたり、派手な服装をしている。
私が作るものといえば、ベーシックな型紙から作られたありふれた基礎的な形のようなものばかり。
でも、彼女はスタイルがいいから、なんだって似合うだろう。
それでも、先輩の彼女というだけで、私は、この人が嫌いだった。
「いこ、コハネ」
「うん、じゃミウちゃん、またね」
「ミウも、早く帰れよ」
「はーい! また」
白く細長い指をゆらゆらと揺らして、私に手を振ってから、先輩と腕を組む。
心の中で苦虫を噛み潰しながらも、笑顔は作る。
わざと吐き出した明るい声に、自分で嫌気がさす。
先輩と彼女が出ていくのを見送って、机にへたり込む。
片思いでいい。
叶わなくていい。
そう思っているのに、見せつけられると、いっそのこと死んでしまいたくなる。
私はどう頑張っても彼女にはなれないし、先輩にとっての大切にはなれないと実感してしまうから。
それくらいには、先輩のことが好きになってしまっていた。