いつまでも隣にあると、信じ込んでいた。
だから、トモの囁く言葉を、ただ受け取っていたし、微笑んで飲み込んでいた。
幾度となくした、夜中のやりとり。
僕たちはどちらからともなく、メッセージで「お散歩行こう」と送り合い、いつもの公園で待ち合わせる。
トモの方が先に来てることは少なく、僕は高校生にもなって、ブランコを漕いでいた。
人気のない公園は、ただ静かで、月明かりだけが地面を照らしてる。
「見つけた、ミチ! こんばんは!」
待ってる僕に気づいたトモは、いつだってそう言って僕に抱きつく。
そして、へへっと笑って、僕を見上げた。
僕はトモを受け止めてから、微笑み返す。
そして、ブランコから立ち上がって、二人で手を絡め合う。
それが、いつもの流れだった。
だから、終わりが来ることは、ありえないと思っていた。
トモは、高校のクラスメイトだった。
クラス替えが行われた二年生の最初。
一番最初に、僕に声を掛けてくれたのが、トモだった。
彼女は、僕と目があったかと思うと、ずいずいと近づいてくる。
ポニーテールが、ふわり、ふわりと揺れていた。
その動きに目を奪われていれば、すぐ目の前で明るい声で「初めまして!」と口にした。
声が耳に響いて、僕とは真逆の明るい人だなと思った。
それでも、優しげな視線と、緊張したように震える手に心が惹かれる。
「初めまして」
僕の掠れた返答を聞いたトモは、瞳と口元を緩めて、「仲良くなろう!」と告げた。
僕は、多分、その時には、トモのことが好きになっていた。
そのまま、トモとSNSのIDを交換して、天気がいいねとか、クラスに知り合いいなくて、とか、そんな当たり障りない会話をした気がする。
トモと仲が深まったのは、SNSのIDを交換して、数日経ったくらいの日だった。
元々僕は、一人が苦手で、でも、人に話しかける勇気もない意気地なし。
だから、テストの点数が悪くて、傷心気味だった夜中に、SNSに「寂しい」と独り言をこぼしてしまった。
両親はシフト制の仕事をしていて、朝も夜も関係なく働いていた。
だから、僕は、家ではほぼ一人だった。
テストで良い点を取っても、見てもらえることはなかったし、友達ができないと相談することもできなかった。
両親なりに僕のことは心配してくれていたようで、定期的に書き置きが残されているくらい。
物心ついた時には、そんな生活だったから、寂しいと今更伝えることもできずにいた。
学校でだって、元々の仲良い友人やトモが居ない時は一人きりだ。
僕からクラスメイトに話しかけることも、少ない。
だって、拒絶されたら怖いじゃないか。
白けた空気になったら、どうしたらいいかも検討もつかない。
落ち込んだ時に相談相手がいないというのは、ますます心をさもしくさせた。
だから、つい、ネットの海に言葉を流してしまったんだ。
そんな僕の「寂しい」という言葉を見つけたトモは、すぐに通話をかけてきた。
「もしもし?」
電話越しのトモの声は、いつもより落ち着いて聞こえたし、僕も緊張で声が掠れた。
話してるうちに、近くに住んでることがわかって、トモはいつもの明るい声で「じゃあ一緒に散歩しようよ」と口にする。
一人きりで居る夜中が、嫌いだった僕は、二つ返事で大きく頷いた。
それから数分もせずに僕たちは公園で待ち合わせをする。
そして、手を繋いで夜の街を歩き始めた。
トモは、強くて明るい人だから、寂しいと感じることがあるなんて、僕は想像もしてなかった。
「私も、夜はちょっぴり寂しくなっちゃうことがあって」
「え、そうなの?」
「両親とも早く寝ちゃう人だから、この時間に起きてるの、私くらいなんだ!」
トモは、いつもの微笑みを一瞬だけ消し去って、遠くを見つめた。
その瞳に、僕もつられてしまって、握っていた右手を強く、強く、握りしめた。
「じゃあ、これからお互い寂しくなったらいつでも、連絡し合おう」
「いいの?」
「もちろん! 僕が寂しい時も、付き合ってね」
それからはあっという間で、僕たちは夜の寂しい時間を共有する関係になっていった。
散歩をしてる時は、僕はずっとトモを見つめていた。
凛と伸ばされた背筋に、美しい横顔。
それに長い髪の毛を無造作にまとめたポニーテール。
全てが、たまらなく愛しかった。
「ミチの頬にできるエクボはかわいいね」
トモは僕のエクボを褒めてくれるから、僕はトモのポニーテールの髪の毛に戯れつく。
そんな変化のない夜を、僕たちは幾度も越えた。
それでも僕は、トモのポニーテールが好きなことも、美しい横顔にたまらなく心が動かされることも、伝えることはしなかった。
心の中に閉じ込めておけば、いつか愛の結晶となってトモに渡せると思っていたから。
僕と違ってトモは、何度も好きだを口にし、僕の頬にできるえくぼや黒子、皺を数えてあげた。
微笑んで、人差し指でなぞるように。
僕はこのまま、変化のない夜が続けばと思っていた。
でも、トモは変化のない夜を嫌った。
「ミチは私とどうなりたいとか、考えないの?」
何度も届けられる言葉を、まだ進むのが怖かった僕は曖昧に笑って誤魔化す。
それを繰り返していた。
僕は、トモが好きだと言ってくれる言葉だけで十分だったし、付き合ってしまえば終わりが来る。
わかっていたから、今のままを望んでいた。
それでも、トモは新しい関係に踏み出したいと、匂わせ、僕に問いかける。
友人以上恋人未満というカテゴライズに満足しているといえば、嘘になる。
でも、下手に刺激してこの関係が終わる方が、僕にはよっぽど怖いことだった。
だから、関係が終わるくらいなら、このまま、二人で散歩する友人のままで居たい。
トモは僕と夜に散歩をしていたけど、夜以外も二人でいろいろな場所に出かけた。
ショッピングモールでごはんを食べたり、明日の宿題を終わらせたり。
トモに会わない日の方が珍しいくらいだった。
そんな、二人でよく出かけたショッピモールで買った、色違いのお揃いスニーカー。
それを履いて歩く夜の散歩は、まるで生まれた意味を教えてくれるような幸せな時間だった。
二人で手を繋いで、夜の世界を楽しむ。
まるで、この世に僕たち二人だけが居るみたいだ。
「星が今日は綺麗だね」
「そうだね、昨日は曇りだったからね」
「あ、あそこの犬、今日は起きてる」
いつもの交差点。
そこで暮らしてる、大きな年老いたゴールデンレトリバー。
トモは、見つけるたびにはしゃいで駆け寄っては、ばいばいと小さく手を振る。
犬の方も、パタリっと尻尾を振って返していた。
そんなやりとりが、ただただ、僕には愛おしい。
僕は、トモの横顔と揺れるポニーテールばかり見ていた。
でも、トモは出会うもの全てに、目を配っていた。
だから、散歩中の僕たちの視線はいつだって交わることはない。
その関係が心地よくて、これが幸せという言葉の意味だと疑っていなかった。
「ミチのことが、大好きだよ。だから本気で考えてほしい」
その日は、トモの様子がおかしかった。
いつもの他愛もない犬が、星が、アイスがなんて会話がなかったのだ。
ただトモと繋いだ右手が、汗をかいて湿っていたことだけ覚えている。
いつもより低い位置に、括られたお団子髪。
焦ったように、言葉を吐き出す唇。
散歩中に、何度も開くスマートフォン。
すべてが、僕にトモの変化を教えていた。
僕はトモを見ていたはずなのに、違和感すら見逃す。
「ミチは恋人になりたいって思わないの?」
また曖昧に流そうとした僕は、誤って水たまりに踏み込んだ。
水たまりから跳ねた泥が、僕のスニーカーに大きな黒いシミを残した。
トモの薄いピンク色の隅々までキレイなままのスニーカーと、シミが残った僕のスニーカー。
同じ物なのに、僕のものだけへたっていたように見える。
トモは最終通告として、言葉にしたのかもしれない。
それでも弱い僕は変わることに怯えて、いつもと同じように曖昧な笑顔で流した。
トモはそのまま、僕の右手を離して行ってしまった。
僕の手の届かない遠い、場所へ。
さようならも、言わずに。
トモへ送ったメッセージは、既読の文字すらつかない。
トモがいなくなってしまうことがわかっていたら……
トモの言葉に、答えていたら……
もう戻りはしない時を、たらればを考えてしまう。
わかっていたら、僕は必死に愛を囁いて「恋人になりたい、ならせてくれ」と、トモに懇願していただろうか。
一人で生きて行くには、この世界は寒すぎる。
息が凍りついて、乾いたような言葉が喉の奥に張り付いた。
「愛してるよ、トモ」
初めて言葉にした「愛してる」は、トモには届かなかった。
トモが一生そばに居てくれれば、カテゴライズなんてどうだって良かったんだ。
だから、恋人になりたいと懇願するトモの言葉を、曖昧に受け流した。
好きだよの言葉一つも渡さなかった。
トモのポニーテールが好きなことも、トモの横顔の美しさも、伝えなかった。
犬に小さく振る手が、愛しいと思っていたことも。
長く首に纏わりつく髪の毛をポニーテールにして、トモのマネをしてみる。
鏡に映った笑顔は、どことなくトモに似ている気がした。
一緒に過ごすうちに、雰囲気まで僕に移っていたのかもしれない。
「愛してるよ」
真似て呟いた言葉は、ただ宙に消えて行く。
スニーカーに染みついた泥汚れが、キレイに洗い流されたように。
明日がまた変わらずに来ると信じていた僕は、ただの馬鹿だった。
部屋の中はただ暗く、月明かりだけが、窓からうっすら差し込んでいる。
<了>