「いや……別に俺一人でもできるし……ていうか既に洗い終えたというか」
 
 俺は両手をぶんぶん振って断固拒絶した。

 そしたら、奈々がぶんむくれた表情で俺に迫ってきては強引に俺を座らせた。

「お、おい……」

 奈々は自分の手にボディーソープを塗りたくって、そのまま俺の背中を擦る。

 彼女の細くて柔らかい指が俺の背中をなぞり、名状し難いくすぐったさが伝わってきた。

 ボディーソープによる滑りと香り。

 やば……

 我慢しないと!

 そう念じている俺の気持ちなんか知るはずもない奈々が口を開いた。

「背中……めっちゃ広い」
「あ、ああ……鍛えてるからな」
 
 俺が作り笑いで誤魔化そうとするが、奈々は俺の背中に体を預ける。

 彼女の爆のつく胸が俺の背中を押しつぶす勢いで当たり、彼女の顔の触感や指の感覚、息遣いなどが俺を昂らせる。

 このままだと本当にまずい。

 幽玄に漂う湯気は、ここが現実ではなく夢であると告げるようで、俺の欲望をぶつけても全てが許されると囁きかける気がする。

 だが、

「お父様と一緒……」
「……」

 彼女の一言に俺の体を駆け巡っていた欲望と興奮と性欲は一瞬にして掻き消された。

 父。
 
 そういえばいないんだよな。

 奈々は最上級陶磁器を触るように、俺の背中をとても丁寧にさする。

「ねえ」
「なんだ?」
「これから祐介はたくさんの人に認められ、求められ、頼りにされる人になって行くんでしょうね」
「……」
「いくら祐介が家族になったとしても、その気になれば他の女とイチャイチャしてエッチしたり、私と……私たちと離れていくよね……」
「奈々、何を言ってんだ?」

 彼女らしからぬ口調と言葉だ。

 奈々は体を震えさせて言う。
 
「それでね……いつか……いなくなるんだ……お父様みたいに……」
「……」

 そうか。

 奈々は重ねていたんだ。

 俺と彼女の父を。

 俺は落ち着いた声音で問う。

「奈々」
「うん」
「亡くなったお父さんのこと、好きか?」
「大好き……私が一番尊敬して愛する人なの」
「そうか」

 彼女の父は最も強いSランクの探索者と聞いた。

 彼はこの躑躅家の大黒柱として、美人妻と美少女娘二人を守ってきたのだろう。

 だけど、彼は死んだ。

 奈々と友梨姉が守られることにあれほど拘る理由を垣間見た気がする。

 俺が遠くへ行ってしまったら、この美人母娘のところへ、さがくんや荒波のような連中が群がってくるんだろう。

 そんなのは

 俺が絶対許さない。

 俺は立ち上がって後ろを振り向いた。

「っ……祐介」

 頸まで届く若干濡れた髪、幼げが残っているものの整った目鼻立ち、象牙色の皮膚、そして、

 戸惑いの色が混じっている赤い瞳。

 バスタオルを巻いている彼女の姿は美しくも儚い。
 
 俺、こんな綺麗な女の子と家族になったのか。

 これは全国にいる男子に妬まれても納得なぜ。
 
 俺は奈々を強く抱きしめた。

「っ!!」
「奈々、お前らしくない。いつもの小悪魔っぽい性格はどこに行った?」
「……」

 奈々は最初こそびっくりしたものの、抵抗をしてこない。

 俺はそんな彼女の耳に向かって言う。

「多くの人に認められても疲れるだけだ。俺は英雄なんかに向いてない。お前たちだけで手一杯だから」
「……」
「それに、俺は奈々のお父さんじゃない。死んだりしないさ」
「……」

 慰めるつもりで言ったけど、奈々は頬をピンク色に染め息を弾ませている。

 調子でも悪いのか。

 なので俺は離れようとしたが、奈々がひっついているせいで、なかなか離れられない。

「女は?」
「女か……」
「それが大事」

 と、震える声で奈々が問うてきた。

 俺はため息をつく。

「はあ……」
「え……」

 俺のため息に奈々は体をビクッとさせる。

 俺はその隙に奈々から離れた。

「……」

 奈々は絶望しながら目を潤ませている。

 ったく。

 恥ずかしいこと言わせやがって……

「こんな魅力的でかわいくて綺麗な女の子がいるのに、なんで他の女の子とイチャイチャしないといけないんだ?馬鹿じゃあるまいし」

「っ!!!!」

 奈々は腰が抜けたらしく、そのまま尻餅をつこうとする。

 が、
 
 俺が素早く彼女の体を抑えたので、無事だ。

 やば……

 奈々の体めっちゃ柔らかい……

 それに

 とてもいい香りの中に微かに甘酸っぱい匂いがする。

 俺の鼻を刺激する甘酸っぱい匂いが。

 もし、この場面を彼女のファンに見られたらどうなることやら……

「ねえ、祐介」
「っ!なな、なんだ……」

 いきなり低い声で名前を呼ばれたもので俺はびっくりした。

 俺に抱かれている奈々は、俺に視線を向けてきた。

 さっきとは全く表情が違う。
 
 とっくに色褪せた瞳、

 獲物を狙う蛇の如く鋭すぎる眼差し。

 彼女が漂わせる雰囲気は、俺の全てを圧倒していた。

 彼女に勝てる気が全然しない。

 戸惑う俺に、奈々が口を開く。

「じゃ、今のうちに印つけてちゃおう」
「し、印!?」

 今度は俺が震える声音で問うと、俺に抱かれている奈々は、バスタオルを脱ぎ捨て、俺に耳打ちする。

赤ちゃんよ(・・・・・)
「っ!!!!」

 脳に電気が走った。
 
 甘酸っぱい匂いも加わり、俺の脳は真っ白になる。

 その瞬間、

「あら、奈々。抜け駆けはダメじゃない」
「奈々お姉ちゃん……お兄ちゃんにそういうのは、まだ早いよ……」

 後ろにタオルを巻いた友梨姉と理恵がジト目を向けてくる。

「あ、」

 やっと我に返った奈々。

 やがて小悪魔っぽく笑って、口を開く。

「ごめんごめん!つい盛り上がっちゃって!あはは!祐介にはまだ刺激が強いよね〜」

 と、落ちたバスタオルを巻いて、二人のいるところへ行く。 

 躑躅奈々。

 いつも俺は彼女に圧倒されていた。

 神レベルのコミュニケーション能力に、絶対弱点を見せない狡賢さ。
 
 それは、彼女のチャンネルにある動画を見てもわかる。

 男心をくすぐり、男を手玉に取りまくりだ。
 
 だが

 そんな彼女でも、ちょっと触った程度ですぐに壊れてしまうほどの弱さも持っているのだ。

 彼女の弱さを守って行こう。

 俺はそう決意して、叫ぶ。

「今は俺が風呂中だ。だから全部出ていけ!」

 そう。

 奈々一人でもこんなに苦労するのに、3人となるととてもじゃないが受け止めきれない。

 俺に追い出される理恵と友梨姉は納得してないような顔だが、奈々は微笑んでお腹に手を乗せている。

 途中俺をチラッと見ては、ほくそ笑むあたり、どうやらいつもの奈々に戻ったようだ。


 

追記

次回はママンと血の女王の話です