慌てて顔を上げ、いかにもいま終わったかのようにスイッチを切る。
ぼーっと想い出に浸っていても仕方ない。
私はこの人を黙って送りだすしかできないのだから。

「ん、遅くまで付き合わせたお詫びにメシ、奢るわ」

「え、あっ、そういうわけには!」

「いいから、いいから。
さっさと帰る準備しろ」

促されて帰る支度をし、一緒にエレベーターに乗る。

「……その。
奥様はいいんですか」

俯いた視界に見えるのは彼の左手薬指の指環。
いくら見つめたところでなくならないのに、それでもついつい気にしてしまう。

「ああ。
妻と子供は昨日、一足先に向こうに行ったよ。
地元に帰ってくるんだからってわざわざ、亜澄の両親が迎えにきたし。
俺は今晩、ホテルに泊まって明日の朝、向こうに行く」

「……そう、なんですね」

それならば少しは気兼ねしないでいいんだろうか。
ずっと想い続けてきた上司とふたりで食事。
最後にこれくらい想い出を作らせてもらっても、バチは当たらないだろうか。

並んで会社を出て歩く。
向坂さんはさりげなく車道側になった。
歩く速さはゆっくり目でちゃんと私にあわせてくれる。