お互いに恋をして、付き合って。恋から愛になるまでは長い道のりだったのに、別れる時は本当に一瞬だった。私は、高校の時から十年間付き合っていた彼と、別れた。

 私に背中を向けながら「サヨナラ」と呟く彼。
 私は彼の背中に向けて「サヨナラ」と言った。

***

 私達は今日、ちょっと高級な、とあるホテルのスイートルームに宿泊している。ここは柊くんと初めて旅行をした時にも泊まった部屋。旅行は好きであちこち一緒に泊まったりしていたけれど、高い金額の場所に訪れることは、あの時以来なかった。ここに来たのは二回目。

「柊くんと初めて来た時のこと、思い出すなぁ。懐かしいね」
「うん、懐かしい」

 食事を終え、まったりとそれぞれスマホをいじったりして、いつもと変わらない雰囲気で過ごしながら話をする私達。何となく外の景色が見たくなって、カーテンを開けると彼も近くに来た。ふたりでとても大きな窓から街を見下ろす。壮大なイルミネーションと薄く積もった雪、そして街中を行き交う人々で溢れている。

 初めてここに泊まったのは高校を卒業して少し経った頃。私は短大に行き、彼は働いた。そして彼が貯めたお金でこのホテルに泊まった。その時は、スイートルームという名の部屋が特別に感じられて。部屋の中や、窓から見えるこの風景も……本当に全てが輝き特別にみえて、ふたりではしゃいでいた。

 今はどうだろう。

 あの時の輝きなんて、少しも感じない。あんな鮮やかに見えていた風景も今はくすんでいるような、モノクロのような。

 でもなんか、このまま何もせずに時間が過ぎていくのが勿体ない。

「ねぇ、柊くん。結婚式しよっか。愛を誓い合うやつ。結婚式っていうか、挙式?」
「何言ってるの? 別れるって決めたじゃん」

 私は外を見ていた視線を移動させ、柊くんを見る。彼は首を傾げていた。首を傾げるのは当然だ。それは結婚なんてしないからだ。

「ふりだよ、ふり。今だけ」
「……うん、分かった」

 そんなことしたら、余計に未練が残るかもしれない。でも、いいんだ。結婚式はずっとやりたかったことで憧れていたんだから。それに私達は現在進行形で愛しあってる、多分。だから本当は、結婚するはずだった――。

「どこで挙式しよっか」

 私は広い部屋を眺める。この部屋のどこでやったって、変わらないかな……。

「どこがいいと思う?」
「伊織の好きなところでいいよ」

 そう言うと思った。最後まで柊くんは私が一番幸せになれるようにって、好きなようにさせてくれたよね。今回の旅行も、私の行きたい場所ばかり。

 ほら、今だって好きなようにさせてくれて、私に選ばせてくれて……。まぁ、私が思い通りにならないと不満な態度を出しちゃうからかもしれないけどね。最後に、謝ろうかな。

「柊くん、いつもワガママばっかり言って、ごめんなさい。そしてそんなワガママに付き合ってくれて、ありがとう」
「いや、自由奔放な伊織についていくの、楽しかったから。全く謝る必要なんてないよ」

――優しい、優しすぎるよ。

 でも、いつも私ばかり決めていたのに、私達の恋人関係にピリオドを打ったのは、柊くんだった。

 はっきりと「別れよう」って――。

***

「窓をバックにしよっかな?」
「うん、いいね」

 向かい合ってはみるものの、何かが足りない。私は部屋に飾る用に購入した色とりどりの薔薇の造花を鞄から出し、手に取った。髪を団子にして、頭にそれをつけてみる。

「あぁ、やっぱりウェディングドレス、着てみたかったな」
「もしもこの先、伊織に好きな人が出来たら、きちんと結婚式を挙げればいい」
「他に好きな人とか……絶対ないよ、柊くん以外には考えられない」

 柊くんは「使っていい?」と言いながら、今日私が買った、シルクの白いシーツを袋から出した。

「伊織、ドレス作ってあげる。簡単なやつだけど……そのセーター脱いでキャミになって?」
「う、うん。分かった」

 素直にしたがい、私は白いキャミソール姿になる。

 この場で作るとか、どうやって作るんだろう。
 様子を伺っていると、シーツを私に巻きだした。あ、これ、見たことある。一枚布の、トーガ?だったっけな? 柊くんは安全ピンも使いながら器用に形を作り、最終的に白いドレスまではいかなくても、ワンピースみたいになった。私の頭の上にあるピンクの薔薇の造花をひとつ取り、胸元に付けて華やかさを出す。

 鏡で全身を確認すると、柊くんも横に並ぶ。柊くんは元々白系の服装だったから、お似合いな雰囲気。段々と自分が本当の花嫁のように思えてきた。私達は窓の方へ移動して向かい合った。

 見つめあってると涙が出そうになってきたから目をそらす。心が震えてきて、言葉が何も出てこない。

「……誓いの言葉って、なんだっけ?」
「愛し合うことを誓いますみたいな感じ?」

 柊くんが無音の空気を切り裂き疑問を口にしたから、私はそう答えた。

 結婚式しようとか言い出したのは自分なのに、柊くんがスマホで調べてくれている。私はそんな柊くんをずっと心の中に刻みつけておきたくて、ずっと見つめた。

「これか、病める時も……結構長いな」
「ねぇ、でもこれって、これからずっと一緒にいる人同士で誓いあうやつだよね? 私達はオリジナルでやろうよ」
「……う、うん。分かった」

 再び向かい合った。柊くんと最後の日なのに、誓いの言葉なんて……なんで私は今、結婚式しようなんて言っちゃったんだろう。

 目が合った瞬間、勝手に涙が溢れてきた。
 最高の別れの日にしようね、絶対に私、泣かないから。なんて強めに言っていたのに。

 見つめていると、走馬灯のようにふたりが付き合ってから今日までの日々が頭の中に流れてきた。