名那が眠りについて、五日が過ぎた。
異都では初夜の翌朝、一日も早く子を宿すのを願って閨の中で花嫁に薬草粥を食べさせる。名那はそれを一口含むこともできなかった。
黒耀が名那の口元に何度水や果物をあてがっても、彼女はそれを飲み込めなかった。意識は一度も戻ることがなく、反応のない人形のようだった。
黒耀はその間、名那の体を抱いて子どもをあやすようにさすっていた。詫びても、うろたえても、名那の反応は変わらなかった。次第に彼自身も人形のようになって、名那に頬を寄せてうつろに虚空を眺めているだけになった。
二人の洞の入り口には、毎日のように祝儀の品が届いた。人々は新たな夫婦を外に出すまいとでもするように、うず高く入り口に品を積んだ。
閨に焚きしめる香、血止めの油。そろって禍々しい赤い紐で縛られたそれらは、異都の人々の祝福の形で、欲望でもあった。
他人の洞で何が起ころうと構わない。けれどできるなら身震いするほど残酷で、みだらな仲でありますように。異都の人々は夢見るように笑んで、挨拶をすることもなく洞から立ち去って行った。
また一人入り口にやって来て、立ち去った気配を確かめた後、黒耀はゆっくりと目を開いた。
やせ細った名那の呼吸を頬に受けていた。黒曜が額をなでても、名那は動かない。
「お腹が空かないか、名那」
星が最後にまたたいて消えるように、名那の体はひどく熱かった。黒耀は波のない調子で問うと、名那を抱えたまま洞の入り口に向かう。
蜜月の夫婦は、食料に困ることはない。もちろん異都の人々の差し出すものは、体にいいものばかりとは限らないが。黒耀は先ほど置かれた祝儀が喉通りのいいものであることを期待しながら、紗をかきあげて入り口を覗き見た。
けれどその新たな祝儀は、食べ物ではなかった。底から編み上げた、食べ物を入れるには大きすぎる籠。
赤ん坊をあやすゆりかごの前で、黒耀は足を止めた。腕に抱いた存在がそこに入っていたときを、ちらと思った。
名那が無心に手を伸ばして黒耀に笑っていた姿が目の前をよぎる。
瞬間、黒耀はゆりかごを蹴飛ばして洞を出ていた。始めは早足だったが、次第に走り出す。
通り過ぎた人々がいたのなら、何事かと思っただろう。いつも滑るように足を進める黒耀が坑道を走っていく。それも蜜月にある妻を抱えて、まるで怒っているように前を睨みつけていた。
けれど黒耀は誰とも出会うことはなかった。真夜中、人々は自らの洞の中で閉ざされた愉しみにふけっている頃だった。
坑道から外に出ると、黒々とした空が二人を包んだ。光のない夜、黒耀は名那を揺さぶる。
「どこへ行くというんだ。どこへも行けるはずがないだろう。私は何度でもお前をみつけて捕まえる」
黒耀の言葉は憤りのようで、懇願のようでもあった。
「名那、目を覚ましてくれ。私はお前のために綺麗なものをかき集めてきただろう?」
唇をかんで、黒耀は名那をかき抱く。
「どうして私に怯えるんだ。どうして……何度も私から離れていく?」
そのとき、空を光が走った。閃光が夜空を一瞬だけ明るく染めて、遠いところに消えていく。
後には何も残らないその様を見て、黒耀の体が震えた。胸が不自然な音を立てて、指先から力が抜けていく感覚。それは名那が時々話す「恐怖」だということを、おぼろげに理解した。
「……名那」
黒耀は土の上に膝をついて、うわごとのように名前を呼ぶ。
「私は何度生を繰り返しても邪神なんだ。何度生まれても美しいお前とは違う。けれどお前に恋した日から、私は幸福でたまらないんだ……」
黒耀の頬から、名那の頬に一粒の涙が落ちた。
そのわずかな水が植物の最初の恵みとなるように、名那のまぶたがぴくりと動いた。
異都では初夜の翌朝、一日も早く子を宿すのを願って閨の中で花嫁に薬草粥を食べさせる。名那はそれを一口含むこともできなかった。
黒耀が名那の口元に何度水や果物をあてがっても、彼女はそれを飲み込めなかった。意識は一度も戻ることがなく、反応のない人形のようだった。
黒耀はその間、名那の体を抱いて子どもをあやすようにさすっていた。詫びても、うろたえても、名那の反応は変わらなかった。次第に彼自身も人形のようになって、名那に頬を寄せてうつろに虚空を眺めているだけになった。
二人の洞の入り口には、毎日のように祝儀の品が届いた。人々は新たな夫婦を外に出すまいとでもするように、うず高く入り口に品を積んだ。
閨に焚きしめる香、血止めの油。そろって禍々しい赤い紐で縛られたそれらは、異都の人々の祝福の形で、欲望でもあった。
他人の洞で何が起ころうと構わない。けれどできるなら身震いするほど残酷で、みだらな仲でありますように。異都の人々は夢見るように笑んで、挨拶をすることもなく洞から立ち去って行った。
また一人入り口にやって来て、立ち去った気配を確かめた後、黒耀はゆっくりと目を開いた。
やせ細った名那の呼吸を頬に受けていた。黒曜が額をなでても、名那は動かない。
「お腹が空かないか、名那」
星が最後にまたたいて消えるように、名那の体はひどく熱かった。黒耀は波のない調子で問うと、名那を抱えたまま洞の入り口に向かう。
蜜月の夫婦は、食料に困ることはない。もちろん異都の人々の差し出すものは、体にいいものばかりとは限らないが。黒耀は先ほど置かれた祝儀が喉通りのいいものであることを期待しながら、紗をかきあげて入り口を覗き見た。
けれどその新たな祝儀は、食べ物ではなかった。底から編み上げた、食べ物を入れるには大きすぎる籠。
赤ん坊をあやすゆりかごの前で、黒耀は足を止めた。腕に抱いた存在がそこに入っていたときを、ちらと思った。
名那が無心に手を伸ばして黒耀に笑っていた姿が目の前をよぎる。
瞬間、黒耀はゆりかごを蹴飛ばして洞を出ていた。始めは早足だったが、次第に走り出す。
通り過ぎた人々がいたのなら、何事かと思っただろう。いつも滑るように足を進める黒耀が坑道を走っていく。それも蜜月にある妻を抱えて、まるで怒っているように前を睨みつけていた。
けれど黒耀は誰とも出会うことはなかった。真夜中、人々は自らの洞の中で閉ざされた愉しみにふけっている頃だった。
坑道から外に出ると、黒々とした空が二人を包んだ。光のない夜、黒耀は名那を揺さぶる。
「どこへ行くというんだ。どこへも行けるはずがないだろう。私は何度でもお前をみつけて捕まえる」
黒耀の言葉は憤りのようで、懇願のようでもあった。
「名那、目を覚ましてくれ。私はお前のために綺麗なものをかき集めてきただろう?」
唇をかんで、黒耀は名那をかき抱く。
「どうして私に怯えるんだ。どうして……何度も私から離れていく?」
そのとき、空を光が走った。閃光が夜空を一瞬だけ明るく染めて、遠いところに消えていく。
後には何も残らないその様を見て、黒耀の体が震えた。胸が不自然な音を立てて、指先から力が抜けていく感覚。それは名那が時々話す「恐怖」だということを、おぼろげに理解した。
「……名那」
黒耀は土の上に膝をついて、うわごとのように名前を呼ぶ。
「私は何度生を繰り返しても邪神なんだ。何度生まれても美しいお前とは違う。けれどお前に恋した日から、私は幸福でたまらないんだ……」
黒耀の頬から、名那の頬に一粒の涙が落ちた。
そのわずかな水が植物の最初の恵みとなるように、名那のまぶたがぴくりと動いた。