「私が『雷剣』のジュリアだ。なんでも私に話があるということだったが……」
俺は冒険者ギルドの中の会議室を貸してもらい、一人の女性と向かい合っていた。
真っ赤に燃える炎を思わせる、意志の強そうな女性だ。
タッパもかなりあり、俺よりも背が高い。
彼女は現在レルドーンにいる唯一のAランク冒険者、『雷剣』のジュリア。
本来であれば盗賊など瞬殺できる彼女だが、折り悪く彼女の二つ名にもなっている、雷の魔剣は壊れてしまっている。
彼女の強さは己の肉体を賦活し相手に一方的に麻痺を与えるその魔剣がなければ、その戦力は大きく半減してしまう。
「あまり時間があるわけではないので、早く目的を言ってくれると助かるんだが」
「その前に一つ質問をさせてください。『雷剣』を直せば、盗賊を倒すことはできますか?」
「――無論だ。ただ魔剣がない状態で挑めば、勝率が下がる。なので冒険者達を纏めて組織的に討伐に出ようという話になっているわけだ」
「だったら俺が魔剣を直します。急いでいるし代金はろはで……いや、魔剣を直した人物を秘密にすることと、魔剣を使う様子を近くで見せてもらうこと。この二つとさせてください」
「――馬鹿を言うのも大概にしろ。何人もの名工に頼んでもダメだったのだ。いくらなんでも……」
明らかに気分を害して怒っている様子のジュリアさんに、俺は一本の剣を差し出した。
護身用にと思い持ってきた、一本の短剣は、リアムに渡す前に作っていた聖魔剣のプロトタイプだ。
剣を見たジュリアが、顔色を変える。
この剣を見てその反応ができるということは、彼女が魔力の感知や検知に際して一廉の才能があることを示していた。
「こ、これは……」
「俺が打った剣です」
剣士同士が一合刀を交わせば相手の力量を測れるように、優れた剣士は一目見ればその剣に宿る術理を理解することができる。
「誰も直せなかったというのなら、俺に任せてくれませんか?」
「……ああ」
その場の雰囲気に飲まれてか、彼女は抵抗せずにスッと背負っている剣を差し出してきた。 鞘から剣を抜いてみる。
刃は見るからにガタガタになっている。かなり硬い相手に何度も剣を当てたのだろう。
状態は中破ってところだろうか……これなら素材さえあれば、問題なく直すことができそうだ。
頼んだ名工ってのが潜りだったのかもしれない。これくらいなら、そこまで難しいものじゃないはずだ。
「雷龍の牙、轟雷ウナギの肝、セリエクト鉱石……修理用に溜め込んでいるはずですね? 今すぐ持ってこれますか」
「な、なぜわかったのだ……? 構造解析(アナライズ)も使っていないというのに……」
「前に似たような剣を仕立てたことがあるので……で、いかがでしょう? 俺の力を認めてもらえましたか?」
ジュリアさんが複雑そうな顔をする。パッといきなり現れた鍛冶師のことを信じられないのは当然のことだ。
「……いや、信じる。どうせこのままでは壊れたままなのだ、この剣を直せる可能性があるというのなら、私は手間も苦労も惜しまない」
というわけでジュリアさんに素材を持っていてもらう間に、俺は宿を借り、解体などに使われる作業場を貸し切らせてもらった。
あの破損具合なら、魔力情報を修正すれば問題なく直すことができる。
鍛造をして魔力容量を確保する必要もないため、そこまで大がかりな設備は必要ない。
「はあっ、はあっ、持ってきたぞ、ラック殿……」
聖魔剣を見てから妙に態度が軟化したジュリアさんから素材を受け取る。
「もし良ければ、作業を遠目に見ていてもいいだろうか……もちろん、邪魔だというのなら席を外させてもらうが」
「いえ、大丈夫ですよ。愛剣がどうなるかをこの目で見たいという気持ちはよくわかりますから」
好奇心旺盛なリアムなんかは、新しい剣を作る度にそれをじいっと観察することも多かった。おかげで誰かに見られながらの作業には慣れている。
それにこの魔剣の魔力文字は、ごく一般的なものだ。
古代魔族文字のように暴発する可能性は著しく低いため、距離を取ってくれるのなら問題はないだろう。
俺は素材を持ってやってきたジュリアさんに見守られながら、鍛冶を始めていくことにした。
一応道中も魔力文字は毎日弄るようにしていたため、ブランクはないが、油断せずにいこう。
意識を集中させ、雷の魔剣に触れる。
「構造解析(アナライズ)」
構造解析は、鍛治師としてやっていくためには必要不可欠な魔法の一つだ。
これは簡単に言うと、物体の構造を解析する魔法だ。
その構造というのには、物体を構成する要素や使われている材料だけでなく、そこに記されている魔力文字も含まれる。
魔力文字というのは、簡単に言えば魔法的な効果のこもったクラフトの際に使われる、専用言語のようなものだ。
「ほう……『切れ味強化』・『斬撃強化』・『神経強化』・『俊敏』・『肉体活性』に『雷魔法』、それにこれは……『雷化』か? これを鍛えた鍛治師は、かなり腕がいいみたいだな」
構造解析を極めれば、一発でどのような素材でできておりどのような魔力文字を書けば良いかがわかる。つまり簡単に言えば、トレースのようにまったく同じものを作ることができるようになるのだ。
俺はまだその領域にまでは至っていない。
俺にできるのはおおよその組成を把握し、記されている魔力文字をざっくりと解読することくらいなものだ。
それは無理矢理翻訳した直訳のようなもので、意味が完全に理解できるほど完璧なものではない。
この魔剣をより深く知るためには、もう一つの鍛冶魔法が必要となってくる。
「――情報展開(インフォーム)」
情報展開もまた、鍛冶師としては必須技能の一つだ。
構造解析が基礎設計を確認するためのものだとすれば、これはその中で魔力文字にのみ焦点を当て、より詳細な読み取りを行うことができるようになる魔法だ。
この世界においては、魔力文字が唯一魔道具を作る方法だ。
そして魔力文字を規則的に羅列し構成していくことで魔法的効果を生み出すことを、エンチャントと呼ぶ。
「魔力の流れは……セノト式に近い。ただちょっと文意がわかりづらいな……少なくとも現代の魔力文字じゃない」
宙に浮かび上がって見える魔力文字を高速で解読していく。
これはある種慣れのようなものがあり、見たことのある並び方をしていれば共通項を抜き出して理解までの時間を短縮することができる。
使われている文字は現代の鍛冶師が使っている魔力文字だけでは文意の通らない部分が多々ある。
恐らくは中期文明と呼ばれる、古代文明と現代文明の間の時代に作られた剣なのだろう。
神聖文字と古代魔族文字を理解しているため、さほど時間をかけることなく文字を理解することができる
「なんて流れるような解読だ……ラック、君は、一体……?」
遠くからささやくような声が聞こえてくるが、完全にゾーンに入っている俺にはそれは音の羅列以上の意味を持たなかった。
「くくっ、面白いな……この文字列は初めて見た。多分切れ味強化だろうが文字数が二文字も省略できるのか……あとでしっかりメモしておかないと……」
魔力文字を解読していると、思わず笑みがこぼれてくる。
わからない部分、意味の通っていないと思われる部分がいくつもある。類推はできるが確証はない部分も多かった。
ハンマーで頭を殴られたような気分だ。
どうやら俺は現代と古代の魔力文字を操れるようになり、少しばかり調子に乗っていた。
まだまだ研鑽すべき場所はあるというのに、聖魔剣が作れたからと少しばかり調子に乗りすぎていたかもしれない。
自分の知らない知識に触れることができる機会は貴重だ。
それもあって俺はこの魔力文字の情報の読み取り作業が、決して嫌いではない。
魔力文字によってそのものがどのように作られ、どのような意図を持って作られたかという作成者の意図まで読み取ることができるからだ。
更に言うと魔力文字というのは、人の癖や個性が反映されることが多い。
一人称が僕と俺で違うように、エンチャントの構成を見ていればなんとなく人となりのようなものが見えてくるのだ。
「穴だらけな部分も多いが、そこは俺の腕の見せ所だな……」
魔力文字、およびそれによって作られる文脈としての魔力情報は当然ながら道具自体に記されている。
剣は刀身が欠け、中の芯が見えているわけだから、そこに記されている魔力情報は当然ながら虫食いのようになっている。
現代の鍛冶では理解しにくい前文明の文脈と虫食いだらけの魔力情報……たしかにこれは普通の鍛冶師なら匙を投げる。
俺も古代文字を習得していなければ、無理だと諦めていたかもしれない。
(技術には流れがある。今の俺なら、こいつを問題なく直せる)
この剣のエンチャントを完全に修復するためには、中期の魔力文字によって魔力情報を記す必要がある。
現代の魔力文字と古代の魔力文字と比べ合わせ適宜索引する形を採れば、問題なく穴を埋めることはできるはずだ。
「……」
高速で魔力情報を展開しながら、手持ちのノートに魔力文字を書き記しては消していく。
魔法効果を成り立たせている魔力文字を読み取り続けること、およそ二十分ほど。
自分なりに仮説を立て、文意に筋が通るところまでいった。
訳としては少々堅いが、安全係数は十分に取ってある。
後は修繕用の素材を使いながら継ぎ足ししていけば、問題なく直せるだろう。
「光が出るので、気をつけてください」
俺は作業用のゴーグルを取り出し、カチャリとかける。
魔力情報にパスが発生し、ラインが通る度に発生する光は、使う魔力文字や鍛冶魔法の腕によって光度が変わる。今の俺の場合、閃光弾クラスの光が出るので普通に殺人兵器だ。
遠くにいるジュリアさんが手で目庇を作るのを確認してから、締めの作業に入ることにした。
「魔力素描」
こいつはぶつ切りになっている魔力情報に新たな魔力文字を書き込んでいく鍛冶魔法だ。 俺の魔力文字が、新たな文脈を生み出していく。
文意の通っていなかった場所に意味が通り、虫食いになっていた魔力情報が本来の力を取り戻していく。
バチバチバチッ!
高速で打ち込んでいく魔力文字に反応して、強烈な光が噴き出してくる。
いくつものエンチャントの効果が発動し、更に強烈な色とりどりの光が飛び出しては、吸い込まれるように魔力情報の中へと消えていく。
「綺麗……」
ただ刀身が壊れている状態ではやはり限界がある。それにこの剣自体のリソースも切れかけていた。
ジュリアさんから渡されていた素材を剣の上に置き、再び鍛冶魔法を使わせてもらう。
「接合(コネクティング)」
剣と素材を重ね合わせ、魔力文字によって繋いでいく。
光が収まった時、そこには己の怪我を新たな素材を使って修繕するかのように、少々いびつながらも欠けの消えた魔剣がそこにあった。
「私は一体……何を見ているのだ……?」
感嘆のため息をBGMにしながら、淡々と作業を続けていく。
打ち込む魔力文字を間違えれば、その分だけ剣の出来も悪くなる。
後からやり直すこともできるが、その場合は修正のためにリソースを使わなければならないため、一発で完璧に仕上げるのが理想なのだ。
幸い最難関と言える古代魔族文字に何百回と触れてきたおかげで、一度のミスをすることもなく魔力文字の打ち込みが終わった。
次が、最後の仕上げだ。
「調整(チューニング)」
発揮されているエンチャントがしっかり100%の効果を発揮できるようにするために、残っている不必要な魔力を取り出し、省略できる魔力文字を削り、多少無理に接合した素材と魔剣をしっかりと馴染ませていく。
最後に余ったリソースを全てエンチャントの効果向上の部分にふってやれば、これで完成だ。
完全に光が収まった時、そこには一本の剣があった。
俺はそこに、雷の虎を見た気がした。
バチバチと雷を弾けさせながら、己の牙で獲物を食い破るのを待ち望んでいる飢えた虎だ。 手に取ってみると先ほどまで爆ぜていた雷は一瞬のうちに消え、美しい紫の刀身が、キラリと俺の姿を鏡のように映し出す。
「雷剣『独虎』、と呼んでいただけたら」
「……」
俺が剣を差し出すとジュリアさんは何も言わずに、それを受け取った。
剣をためつすがめつ眺めてから、こくりと頷く。
「古代文字を使ったので少々ピーキーにはなっているかもしれませんが……少なくとも前より弱いということはないはずです」
「ラック殿、あなたは、一体……?」
ジュリアさんの問いに、俺は自分の唇を人差し指で押さえることで答えとした。
約束を思い出したのか、彼女は口を噤んでへの字に曲げる。
「どうでしょう、これを使えば盗賊は倒せるでしょうか?」
軽く剣を振り、調子を確かめてから……彼女は笑った。
「――ああ、鎧袖一触だよ」
それは一陣の風――いや、荒れ狂う一筋の雷風だった。
「ぐおっ!?」
「なんだ、この化け物はっ!?」
「畜生、こんなんがいるなんて聞いてねぇぞ!」
現在俺はジュリアさんと一緒に、盗賊のアジトまでやってきている。
彼女が高速で移動すれば、アジトを見つけるのは実に簡単なことだった。
(しっかし……すごいな……流石はAランク冒険者だ)
以前は使用感がわかるよう前線に出て武器を観察することもあったが、リアム達が戦う敵が強くなりすぎてからは、こうして最前線で自分の武器が使われている様子を見る機会はとんとなくなった。
なのでとても新鮮で、そしてためになる。
「「「ぐああああああっっ!!」」」
俺の目の前で、大量の盗賊達が目にもつかないほどの速度で倒されていく。
しかもきちんと手加減もしており、誰一人として殺してはいない。
ジュリアさんは雷をしっかりと使いこなしており、盗賊達は皆感電しながら気絶している。「すごい……すごいぞラック殿! 正直、以前とは比べるのもおこがましいくらいだ」
「ありがとうございます」
古代魔族文字を使ったので少々出力は上がっただろうが、それほどの違いはないはずだ。
大げさだなぁと思いながらも、しっかりとお礼を受けておく。
長いこと使えていなかった魔剣が使えるようになったんだから、テンションが高くなるのもしょうがないだろうしね。
盗賊を蹴散らしながら奥へと進んでいく。
一番奥までたどりつくと、そこには簡素ながらも扉がついていた。
恐らくは頭が住んでいる場所なのだろう。
ギィ……と軋みながらドアが開くと、中から一人の男が現れる。
「てめぇ……よくもやってくれやがったなぁ」
筋骨隆々の男は、たしかに騎士を蹴散らしたと言われても頷けるほどの迫力があった。
けれどそんな男の前でも、ジュリアさんの様子は何一つ変わらない。
彼女は至って自然体な様子で、
「お前が『首狩り』ザルーグだな。捕縛して、連れて行かせてもらうぞ」
「へっ、ぬかせ! 俺は同じことを言うやつを、既に十人以上殺してるっつうの!」
瞬間、二人の姿が消える。
そして遅れて聞こえてくる剣戟の音。
見れば二人は超高速で移動しながら、互いに攻撃と防御を繰り返していた。
ただどちらが優勢なのかは、戦いの専門家でない俺にも、見て明らかだった。
「ぐうぅっ……なんで、なんで俺の攻撃が通らねぇっ!」
「……なんだ、この程度か」
実力者であるはずのザルーグが完全に防戦一方になっている。
このままでは勝てないと判断したのだろう、彼は戦いを観察している俺を見ると一目散にこちらに近付いてきた。
恐らくは人質に取るつもりなのだろう。
その様子を見とがめたジュリアさんが、腰を下げ前傾姿勢になる。
そして彼女は次の瞬間――大気を裂く、雷そのものになった。
「――『雷化』!」
「ぐああああああっっ!!」
追いつけないと思い無防備に背中を晒していたザルーグが、モロに一撃を食らう。
「ちくしょう、一生、遊んで暮らすはずだったってのに……」
ブツブツと言いながら気絶した彼を、ロープでグルグルにして捕縛する。
同じく盗賊達も全員後ろ手に縛ると、ジュリアさんはこちらを見て笑った。
「やっぱりすごいな、この『雷化』の力は! ラック殿のおかげで、私はまた一歩強くなることができたぞ!」
俺が直すまでの雷の魔剣には、組み込まれているが使用ができていない機能が一つだけあった。
それが『雷化』――使用者そのものを雷へと変じさせる力だ。
恐らくリソースの都合上使えなかったであろうその能力を、俺は古代魔族文字を使って情報圧縮をすることで問題なく使用できるようにしてみせた。
この力を使ったジュリアさんは正しく敵なしだ。
恐らく今後、彼女の名は更に有名になっていくに違いない。
なんにせよ、これで盗賊退治は終わった。
これで心置きなく山に……。
「……っ……っ」
何か、音が聞こえてくる気がした。
ジュリアさんと顔を合わせる。二人でそっと部屋の中へ入るとそこには……。
「くぅん……」
檻の中に囚われている、一匹の狼の姿がいた。
体色は光沢のある銀色。全身が銀や鉄でできているんじゃないかと思ってしまうほどにぬるりと輝いている。
牙は人間を噛み砕けるくらいに長いが、こちらを見つめる視線に剣呑さはなかった。
それどころか、その深緑の瞳には知性の色を感じる。
全てを見透かすかのように、その澄んだ瞳でこちらを見つめていた。
「ジュリアさん、多分だけど……こいつ魔物ですよね?」
「ああ、恐らくはそうだろうな。しかし、これほど見事な狼型魔物は、私でも見たことがないな……」
体長は明らかに俺より大きい。
思い切りダイブしても受け止めてくれそうなでかもふだ。
「お前……怪我してるのか?」
怪我しているのか、前足に包帯が巻かれていた。
ただ盗賊達の巻き方が雑だったのか、怪我が外気にさらされるようになっている。
その痛そうな様子を見た俺は、ポーチに入れていたポーションを取り出し患部にかける。
俺が旅の道中暇で作ったポーションは、するとみるみるうちに怪我は小さくなり、数秒もしないうちに消えた。
「嘘だろう、まさかそれは……伝説のエリクサー……?」
「いえいえ、まさか。俺が手慰みに作ったハイポーションです。いやぁ傷が治ってくれて助かりました」
「その回復量がハイポーションなわけがないだろう!? ……はぁ、もう驚くのにも疲れてきたぞ……」
なぜか戦った直後よりぐったりとした様子のジュリアさんは放っておき、次は檻に手をかける。
「後ろに下がっててくれ」
言葉が通じるかと思い一応言ってみると、狼は何も言わず檻の端の方で身をすぼめた。
どうやら人間の言葉が理解できるくらいには高い知性を持っているらしい。
「情報展開、からの……魔力素描」
この世界に存在しているものは、大小の差異こそあれど必ず魔力を持っている。
つまりそれは、全ての物体が魔力情報を持っている。
この檻も魔道具ではないが、そこには魔力文字を書き込む余地がある。
俺はそこに、でたらめな魔力文字を書き込んでいく。
エンチャントは、何もプラスの魔法効果を生み出すだけのものではない。
ぐちゃぐちゃな魔力文字を書き込めば、当然ながらマイナスの効果を発揮する。
そこに出力が高い古代魔族文字を使えば……バギンッ!
魔力文字の負荷に耐えきれず、檻を構成する鉄柱が真ん中のあたりからへし折れる。
「ほら、おいで」
こっちの言葉を理解している狼は、鳴き声を上げることもなくするすると器用に檻から出た。
そして……ぺろっ。
まるで感謝の意を示すかのように、俺の頬をぺろりと舐めた。
狼はそのまま頭をこちらにこすりつけると、体重を預けてくる。
かなりの巨体なので、思いっきり踏ん張らないとすぐにでも倒れてしまいそうだった。
「なんというか……あんまり魔物っぽくないな」
「……ええ、そうですね」
「わふっ!」
頭を撫でてやると、狼は満足そうに目を細める。
もっともっととせがまれたので、そのまま手を下げて綺麗な毛並みを撫でていくことにした。
指先は絡まることもなく、するすると通り抜けていく。
ずっと触っていたくなるような撫で心地だ。
つるつるとしていて、高級なビロードに触れているようだった。
「くぅん……」
気持ちよさそうにしている狼を見ていると、なんだか気が抜けてしまった。
警戒していた自分が馬鹿みたいだ。
ひとしきり撫でて満足させてから、ジュリアさんと一緒にアジトを出る。
数珠つなぎにした盗賊達を引っ張りながら街へ戻ろうとした時のことだ。
「わふっ!」
さっき別れを告げたはずの狼が、なぜか後ろからついてきた。
「……一緒に来たいのか?」
「きゃんっ!」
ブンブンと尻尾を振っている狼は、明らかについてくる気満々だった。
どうやら怪我を治して檻から出してやったせいで、ずいぶんと懐かれてしまったらしい。
ついてきたいというのなら、別に断る理由もない。
知性も高いだろうから、言うことも聞いてくれるだろうし。
「人を食べちゃダメだからな……こいつら以外」
「ガルルッ!」
狼がその鋭い犬歯を覗かせると、盗賊達がひいっと情けない声をあげる。
こうして俺はなぜか懐かれた狼と一緒に、街へと戻るのだった……。
盗賊を引き連れてやってきた時に、レルドーンの街は騒然となった。
一応上層部の人間に話はしていたので、特に問題もなく通される。
騎士達と事情聴取をし、縛り上げている人間がきっちりと指名手配犯である『首狩り』ザルーグであることを確認した上で、報奨金をもらうことになった。
「今回の報奨金は、全て君がもらってくれ」
「いえ、悪いですよ」
「悪いものか! こんなもので恩を返せたと考えるほど、私は薄情ではないぞ」
俺としては今まであまり触れてこなかった中期文明の魔力情報に触れることができたのでむしろ実りしかなかったのだが……ジュリアさんは頑なだった。
一流の冒険者というのは、こんな風に一度こうとなると曲げない人が非常に多い。
「ありがとう、この恩は絶対に忘れない!」
「街道が封鎖されていると俺も困りましたので、お互い様ですよ」
「絶対に返しに行くからな!」
「勘弁してください……」
ジュリアさんに見守られながら、街道封鎖の解かれた道を歩いていく。
「くぅん……」
俺の隣には、街に入ってからしっかりとお行儀良く動いていた狼の姿があった。
どうやら俺についてくるつもりは変わらないらしく、それならということで冒険者ギルドで俺の従魔として登録することにした。
登録の際には名前が必要だったため、俺が名付けをすることになった。
「行くぞ、ジル」
「わふっ!」
こうして俺の旅は、新たな旅のお供である狼の魔物のジルを引き連れて続くことになった。 このまま何事もなく山にたどり着けることを、祈るばかりである。
俺が購入したのは、アレルドゥリア山脈という山岳地帯の端の方にある、小さめの山だ。
ちなみに一応名前はついていたが、忘れてしまった。
もちろん、小さいと言ってもあくまで普通の山と比べてという話であり、人一人が過ごすには十分すぎるほどに土地は広い。
俺がこの場所を選んだ理由は、大きく分けて二つある。
まず一つ目が、この山がめちゃくちゃ僻地にあるということ。
俺が所属しているアレクサンドリア王国で南部に位置している、エンポルド子爵領。その中でも最南端に位置しているため、とにかく人がいないのだ。
というか、ぶっちゃけ僻地過ぎて住民らしい住民もいない。
まともに開拓もなされておらず、そのためここら一体の山岳地帯には結構な量の魔物が棲み着いてしまっている。
辺境伯もここの開拓や魔物の駆除に関しては完全に匙を投げているため、ほとんど人が手つかずの土地と言っていい。
ちなみに更に南部に行くとエルフやドワーフ達の暮らす領域へと出ると言われているが……まぁそれは今はいいだろう。
そして二つ目の理由は、実はかつてその山にはとある偏屈な鍛冶師が住んでいたかららしいということ。
どうやらなんらかのエンチャントがしてあるらしく、小屋自体は今も存在しているらしく、山を買うと当然その小屋の所有権もついてくる。
一応山の中にある小屋には、鍛冶に使える一通りの設備も揃っているということだった。
そんな小屋つきの山だというのに、値段はめちゃくちゃ安かった。
もっともそんなところに家がぽつんとあっても誰も買う人間もいないから、当然のことではあるんだが。
長いこと不良在庫として抱えていた不動産屋も二束三文だったが買い取ってもらえて喜んでいたくらいだからな。
しっかし……あの盗賊退治の一件以後も、思っていたよりもハプニング続きだった。
ジルを捕獲しようとするハンター達を返り討ちにしてやったり、つい手慰みで剣を直してしまったせいで正体に気付かれかけたり……我ながら波瀾万丈だった。
色々と寄り道をしたせいで、思っていたよりずいぶんと時間がかかってしまった。
既にリアム達と送別会をしてから、一月半ほどが経っている。
けどこの間の旅路というのは、案外悪いものではなかった。
店に詰めている時と比べると鍛冶をしている時間はずいぶんと減ったが、不思議なものだ。 今までほとんど休みなんて取ってこなかったから、色々なハプニングが図らずも良いリフレッシュになってくれたのかもしれない。
「おっ、あれじゃないか?」
「わふっ!」
しばらく進んでいるうちに、ようやくアレルドゥリア山脈らしきそびえ立つ山々が見えてきた。
ちなみに今の俺はジルにまたがっている。
馬車を使おうとすると馬がジルに怯えて動かなくなってしまうため、ここ最近はもっぱらジルに搭乗しながら移動するようにしているのだ。
「よし、ちょっとペース上げられるか?」
「きゃんっ!」
ただでさえ速かったジルの速度が更に上がる。
休息にかかるGに、思わず鞍を掴む手に力がこもった。
何もない状態では流石に安定しないため、乗れるよう持ち手のついた特製の鞍をつけている。
狼は騎乗に向いていないらしく激しく上下に揺られるが、事前に作っていた酔い止めを飲んでいるおかげで昼飯を戻すようなこともない。
ジルはなかなかの健脚で、必死にしがみついているとあっという間に視界が切り替わっていく。
そこから更に進んでいくと、日が沈む前にようやく俺が購入した山らしき場所にたどり着くことができた。
山が多すぎるせいでどれが俺が買ったものなのかわかりづらく少々不安だったが……。
「お、あった。あれだな」
目印として事前に教えられていた、赤の旗が見えてきたのでその不安も解消される。
ジルから降りてぐぐっと背筋を伸ばす。
「王都を出てから結構時間がかかったからか……なんか感慨深いな」
目的の山にようやく到着できたことに、ホッと胸をなで下ろす。
俺が購入した山には一応、最果ての鍛冶山という名前がついている。
ただ自分が住む場所をわざわざ最果てという名前もないだろうから、これは改名するつもりだ。そうだな……とりあえずしばらくの間は、ベルト山とでも呼ぶことにしよう。
ちなみにベルトというのは、王国で端っこという意味だ。隅にあるちっちゃい山だし、なかなかいい名前だと自画自賛しておこうかな。
ベルト山へやってきてから、説明にあった鍛冶師の小屋を探すことにする。
歩いていくことしばし、麓からさほど距離のないところにぽつねんと立つ小屋があった。
もう長いこと人は住んでいないらしいが、ほとんど痛んでいる様子はない。
魔物に荒らされた様子もないのは、恐らくなんらかのエンチャントが施されているからだろう。つまりこの家自体が、一種の魔道具になっているということだ。
俺はそっと家に触れ、魔法を発動させる。
「構造解析(アナライズ)」
構造解析を使い、家の構造とそこに使われている魔力文字を解析していく
「ほう……『浄化』・『魔物避け』・『頑健』に『軽量化』……ずいぶんと腕のいい鍛冶師だったみたいだな」
どうやらこの家には四つもの魔法効果がかけられているらしい。
使われている材質が上質なトレント材とはいえ、一つの魔道具に対し四つの効果をつけるのはなかなかできることではない。
「それなら次は情報展開(インフォーム)っと……どうやらここの主は、かなり堅物な人だったみたいだ」
エンチャントを成り立たせている魔力文字は古めかしく、そしてかなり堅苦しかった。
ただあくまで現代の魔力文字が使われているから、建てられてから何百年と建っているようなものではないだろう。
恐らく職人気質な世捨て人が作った家なんだろう。
罠の類いがないことを確認してから、中へ入る。
するとそこにはまるで毎日掃除をされているかのように手入れの行き届いたリビングが広がっていた。
『浄化』の効果がかかっていることで、埃をはじめとしたゴミが綺麗にされているのだろう。
間取りを確認するため探索してみると、リビングの隣には小規模ながらもたしかに炉があった。
俺が以前使っていたものと比べるといくらか劣るが、エンチャントを使って弄ればなんとかなる範囲だ。
『浄化』の機能が付いたトイレもあり、薪もかなりの量が残っている。
それに一人で入るには十分な大きさの風呂までついている。
ただ一つ一つが一人暮らしに適したサイズのため、家は広すぎるというわけではない。
「いい家だな……」
ぐるりと軽く回ってみただけだが、俺はこの家をかなり気に入っていた。
二束三文でたたき売りされていたのが信じられないような機能的な家だ。
ここが魔物の出る最果てではなく王都の一等地だったのなら、恐らく金貨何百枚もするようなとてつもない値段になっていたに違いない。
外を見れば既に日が落ちようとしている。
「眠くなってきたな……」
夕飯を済ませると、一月近い旅疲れのせいか、驚くほどまぶたが重かった。
俺はぐっすりと眠ることにした……。
次の日。
とりあえず俺は清掃を始めることにした。
もちろん『浄化』の効果があるので大部分のところは綺麗になっているが、隅の方までまったく埃が落ちていないというわけではない。
また、まだここに住んでいた鍛冶師が使っていた頃の生活用品なんかも残っている。
流石に歯ブラシや靴なんかは使わないので、どんどんとしまっていくことにした。
「しっかしこいつがあると、片付けが捗るな……」
俺は右の脇に抱えている背嚢に、どんどんと先住者の物品を入れていく。
このバッグは、旅の道中暇だったので作った魔道具だ。
『独虎』を弄った時の感覚を忘れないよう、神聖文字・古代魔族文字と一緒に中期文明の魔力文字も使って作り出したこのバッグは『空間拡張』の効果を持っている。ちなみに名前はそのままマジックバッグ。きちんと製作したら、もうちょっと良い名前をつけようと思っている。
簡単に言うとこのバッグには、見た目以上に大量のものが入るようになっている。
実は原案自体は前からあったんだが、今までは魔道具の素材と触媒の魔力容量的になかなか作ることができなかったからな。
これもまた、俺がいくつかの魔力文字を使えるようになったから生み出すことができる物品というわけだ。
手に抱えることのできるリュックの中には、おおよそこの小屋がまるっと入るくらいのものが入る。
ただまだ作品として練る前の試作品なので、色々と荒削りな部分も多い。
きちんと中身をソートしたいし、少なくとも手を中に突っ込んだら望んだものを取り出せるくらいにはしておきたいところだ。
あ、あと今は中に魔道具が入らないようになっているから、いずれはそこらへんの問題も解決してマジックバッグの中にマジックバッグを入れてその中に更に……という感じで無限マジックバッグとかもしてみたい。
「ふぅ……片付け終わりっと」
昼になる前におおよそ先住者の者は片付け終え、次に生活必需品を取り出していく。
といっても持ってきているのは最低限のものだ。
ここから人里まではかなり距離があるため、基本的になんでも自給自足をしながら作っていくつもりだ。
一通りの準備が終わると、時刻は既に午後二時になっていた。
手を当ててみると、待ってましたと言わんばかりに腹がぐぅ~と鳴る。
集中していたので気付かなかったが、かなりの空腹のようだ。
もちろん食料もある程度用意はしてきているが、恐らく使う必要はないだろう。
ドアを開き小屋の外へ出てみると、一気に血なまぐさい匂いが漂ってきた。
見ればそこには、ジルが倒してきたのだろう魔物達がずらりと並んでいる。
中には既にジルが食べてしまい、革や角だけ残っているものもある。
「ユニコーンの角にデビルオーガの革、それにこれは……ミノタウロスの肉か? 内臓だけ綺麗に食べられてるな……」
実はジルは、盗賊団に捕らえられていたとは思えないほどに強い魔物だった。
Cランクのミノタウロスをこんな風に軽々と倒せているのだから、恐らくBランク程度の実力はあるだろう。
どうやら足を怪我したのをかばいながら動き、疲れて眠っていたところを捕らえられてしまったらしい。
ただ俊敏なだけではなく風の魔法も使えるので、本気を出すと目で追えないぐらいものすごい速度を出せる。
ちなみに本気で走られると俺は漏れなく戻してしまうため、乗る時はかなり手加減してもらっている。
検分した素材達を先ほどのものとは別のマジックバックに入れていると、背中にイノシシを乗せているジルが帰ってきた。
「わふっ!」
『見て見て!』とばかりに尻尾を振りながら駆け寄ってくる。
上手いこと乗せていたイノシシを落とすと、ドスンと大きな音が鳴った。
「これは……ファイアボアーか」
ファイアボアーは炎を吐き出す魔物で、強さはCランクだったはずだ。
ただこんなにゴロゴロと強い魔物が出てくるとなると……かなり危険度も高いみたいだ。
「よくやってくれたな」
頭を撫でてやると、ジルが犬歯をむき出しにして笑う。
食べ散らかした肉がこびりついていてちょっとホラーだったので、布を作って綺麗に拭ってやることにした。
「とりえあず、遅めの昼にするか」
これだけ大量の魔物の死体があっても魔物が来ていないのには当然訳がある。
――確実に必要になるだろうと思いあらかじめ作っておいた『魔物避け』の魔道具を使っているのだ。
道中でジルが倒してくれたワイバーンの心筋を惜しみなく使って作ったこいつがあれば、かなり広範囲に渡って強力な効果を発揮することができる。
ただ思っていたより魔物が多そうだから、念のために家の『魔物避け』の方も少し弄っておいた方がいいかもしれない
俺は食事のために火を焚きながら、まず何から手をつけるべきかと頭を悩ませるのだった……。
「炉を強化しよう」
大して悩むこともなく、肉を食べ始めてからすぐにやることは決まった。
そもそもの目的をはき違えてはいけない。
俺はここに、雑音なく鍛冶を修めるためにやってきているのだ。
だとしたらまず必要なのは、強力であったり凶悪であったりする魔道具や刀剣類を作ったとしても壊れることのない頑丈な炉だ。
前回と同じ轍を踏まないよう、出力がバグって衝撃波が出ても壊れないような頑丈な炉を作る必要がある。
「ジルはまだ魔物を狩りにいくか?」
「わふっ!」
ジルは俺が調理をするようになってから、生肉よりも焼いた肉を好むようになった。
ちなみに焼き加減は表面を軽く炙っただけのレア(というかほぼ生肉)が一番好きなようだ。
塩なんかで味付けをするのも嫌いではないらしいが、ジル的には味変くらいの感覚らしい。「がるっ!」
ジルが風魔法を使い、布の上ににぶつ切りになって置かれているブロック肉を器用に切り分ける。
そして俺が焚いた火に近づけて、器用に軽く炙ってから口に含んだ。
――そう、ジルは火さえあれば既に自分で肉を調理できるのだ。
お利口というレベルじゃない気がする。
ゴブリンなんかの人型のやつら以外で、火を利用する魔物なんか聞いたことがない。
「しっかしイノシシ肉も案外いけるな……豚肉に慣れると少々獣臭い気もするけど、なかなか悪くない」
軽くハーブ塩を振ったグレイトボアーの肉串を頬張ると、豚肉より噛み応えのある肉の脂が口の中で弾けた。
とりあえずジルがいれば、食料に困ることはなさそうだ。
ただ肉ばかりだと栄養バランスが気になるから、ゆくゆくは山の中を探索して野草なりフルーツなりを探しに行った方がいいだろうな。
まぁそれも、炉を改造してからの話だけど。
「それじゃあな、あんまり狩りすぎて森から魔物を絶滅させないように気をつけるんだぞ」
「わふっ!」
狩人の目をして再び森の中へと分け入っていったジルを見送ってから、炉へやってくる。
ちなみにその背中には、俺がさっき持たせたマジックバックが背負われている。
毎回家と森を往復するのは面倒だろうし、何より家の前が血の匂いでとんでもないことになるからな。
「できれば魔物素材も無駄にしたくないから、ちゃっちゃかいかせてもらおう」
マジックバックから、金に飽かせて集めた高い耐熱性を持つ素材の数々を取り出していく。 中にはかなりスペースを取るものも多いため、小部屋があっという間に素材でいっぱいになった。
「しっかし、我ながら買い込んだもんだな……」
フェニックスの卵の殻に、レッドドラゴンの鱗、サラマンダーの顎髭にレッドジャイアントの腱……どれが相性がいいかをいちいち試す余裕はなかったので、とりあえず大量に買い込んできている。金に糸目はつけずに買ったため、以前店に置いていたものより上等な素材も沢山ある。
これだけ沢山の素材があれば、店で使っていたものよりもいい炉が作れるだろう
まずは構造解析を使い、この炉の成分を分析する。
耐火レンガに使われているのは……ファイアリザードの皮膜とワイバーンの火炎袋か。
これならドラゴン系をメインにした方が良さそうだ。
魔力文字、魔力情報、魔力容量にはそれぞれ密接な関係がある。
まず最初に重要になってくるのは魔力容量だ。
これは文字通り、一つの魔道具の中にどれだけ魔力情報を込めることができるかという容量を示すものだ。
魔力容量がデカければデカいだけ、大量の魔力文字を書き込むことができるようになる。
そして大量の魔力文字を使うことができれば、それだけ大量の魔力情報を生み出すことができるようになる。それによってエンチャントが発動し、魔法効果を発動させることがするのだ。
つまり極論を言えば、魔力容量が大きければ大きいだけ魔道具は強力になる。
ちなみに魔力容量を超えても魔力文字を書き込み続けると、ものが限界を超えて壊れる。
ジルを捕らえていた檻を壊したのは、この原理を応用して鉄檻の魔力容量を超える形で魔力素描を続けたからだ。
そしてそんな魔力容量を増やすために必要なのが、接合(コネクティング)の魔法だ。
「接合」
当然ながらこの魔法は、無制限に使えるものではない。
そんなことが可能なら。大量に素材を接合しまくればいくらでも強力な魔道具が作れることになってしまうからな。
魔道具には『飽和』と呼ばれる状態が存在する。
簡単に言えば、それ以上素材を接合することができなくなる状態だ。
いかに『飽和』を防ぎながら魔力容量を増やし魔力文字を書き込んでいけるかどうかが、鍛冶師としての腕の見せ所になるわけだ。
ちなみに鍛冶をしまくっているとある日、俺はかなり正確に『飽和』に至るまでの許容量を把握することができるようになった。
鍛冶用語に適切なものがないため、俺はこれを心の中で『飽和量』と呼ばせてもらっている。
俺は炉の上に小さく分割した素材を入れ、それぞれを接合させる。
そして一つ一つを炉と混ぜ合わせた際に増える魔力容量を確認していく。
やはりドラゴン系の素材が相性が良く、フェニックス系の素材とはいささか相性が悪かった。
意外なのはジャイアント系の素材は魔力容量はそれほど増えないが、『飽和量』への圧迫が少なかったことだ。
この調子だと多少は時間がかかっても、まずはジャイアント系の素材から接合していくべきかもしれない。
接合には繊細な魔力操作が必要だ。
細心の注意を払いながらジャイアント系の素材を炉と融合させていく。
元は暗赤色だった炉の色が徐々に明るくなっていき、更にそこにドラゴン系の素材を掛け合わせ終えると染め物のように綺麗な紅色へと変わっていた。
このように接合には魔力容量を上げるだけではなく、素材を掛け合わせることによって発揮されるクラフト効果や、魔剣を直した際のようにものを修繕する効果もある。
わずかにあった煤や、いくつかのレンガにあった欠けは完全に消え、新品同然の状態になっていた。
「もうちょいいけそうだな……せっかくの炉だ、最後まで妥協せずにいこう」
ただドラゴン系の素材を使い切ってもまだ『飽和』にはわずかに余裕があったので、そのままフェニックス系の素材を入れると、わずかに抵抗を感じるほどになった。
『飽和』まで近づけすぎると魔力が暴発する可能性が上がるため、安全係数を考えてこのあたりでやめておいた方がいいだろう。
「情報展開……ふむふむ、こっちはへブラ式なのか……これなら古代魔族文字だけに絞った方が良さそうだな」
これは複数の時代の魔力文字を扱うようになってからわかったことなのだが、魔力文字と魔力情報の間には、明確に相性のようなものが存在している。
炉に使われているヘブラ式は、どちらかと言えば古代魔族文字に近い文脈で構成されている。下手に神聖文字を入れれば互いの効果を打ち消し合うことになりかねない。
古代魔族文字を魔力素描する時は、いつにも増して集中しなくちゃいけない。
こいつはかなりのじゃじゃ馬で、文字を書き込む際には常に一つ一つの文脈や全体の文意に気をつけなければならない。
たとえば魔力情報の最小の構成単位で文意が通っていても、全体で見て齟齬が出る場合には暴発してしまうのだ。
しかも古代魔族文字は一文字一文字の情報量が多いため、検算のように何度も確かめてから行う必要がある。
メモ帳に書き込んで問題がないことを確認してから魔力文字を描く。
またメモ帳を見てから描く。
ここは古代魔族文字だと出力が上がりすぎる……ヘブラ式とのつながりも意識して、中期文明の魔力文字を繋ぎに書いていくか……。
「――ふぅ、こんなもんだろ」
長時間の格闘の末、俺はようやく炉の魔力素描を終える。
瞬間的な加熱や冷却だけでなく、魔力を流すことで中で合金を作ることができる魔法効果を持つ炉ができあがった。
耐熱性、耐衝撃性をかなり十分に取り、『自動修復』もつけさせてもらった。
これで加熱中に多少ぽしゃったとしても、衝撃と熱を内側で留め、消化してくれるはずだ。 本来ならこのまま作業場作りに移りたいんだが……腹が減ったな。
窓の外から景色を見ると、既に完全に夜になっていた。
時計を見て驚愕したが、どうやら十時間近くぶっ続けでやっていたらしい。
何かを始めるとすぐ時間を忘れてのめり込むのが俺の悪い癖だ。
けどこんな自分も嫌いじゃないのだから、始末に負えない。
作業部屋から出ると、既に家の中にはジルの姿があった。
どうやら家の中には火打ち石があったらしい。
暖炉には火がつけられており、外に置かれていた薪がくべられている。
いや、頭良すぎだろう……。
「もしかすると、リアムより頭がいいかもしれないな」
そんな本人が聞いたら激怒しそうなことを言うと、誰それという感じで首を傾げられる。
敷かれているカーペットの上でぐでーっとくつろいでいる様子は、あまりにも人間らしかった。
俺は空きっ腹を満たすため、ジルが狩ってきてくれた魔物の肉を香辛料を振って食べる。
この少し固めで筋張った肉質は……多分熊だな。
今はまだいいが、年を取ったら顎が疲れてとても食べられなさそうだ。
ただ最初は固いが、噛めば噛むほど熊肉特有の脂の旨みが感じられる。
気付けばペロリと平らげてしまい、腹がいっぱいになった。
「ごちそうさま……よし、続き続きっと」
俺は急ぎ、作業部屋へと戻る。今日中になんとか作業場を完成させてしまいたいからな。
食事を急いで済ませてからすぐにクラフトに戻ろうとする俺の背後からは、ジルの呆れたような鳴き声が聞こえてくるのだった……。
腹が減ったと思ったら調理場へ向かい、とりあえず腹を溜めたら作業を再開する。
そんなことを数度ほど繰り返すと、ようやく作業部屋の中をしっかりと整えることができた。
ここで暮らしていた鍛冶師はかなり余裕を見て設定をしていたらしく、事前に用意していた素材を使い切るだけだとまだ余裕があった。
そのせいでいくつか追加で素材を使ってしまったが……おかげで満足のいく出来になった。 エンチャントを発揮させ十を超える効果を発揮させる炉を確認し、次にそのまま鍛造を始めとする各種作業を行える作業場を見やる。
「うん、これなら古代魔族文字が暴発しても、壊れずに済みそうだ」
いくつもの魔法効果をかけてとにかく頑丈に作ったため、中で何があっても小屋はびくともしなくなった。
ただそのせいで俺の身はその限りではないけれど……完全防備でしっかりと作業をすれば問題はない。
「ふうぅぅ~~っ」
ぐぐっと両腕と背を伸ばすと、なんとも情けない声が出た。
何日も同じ姿勢で作業をしていたせいで身体がバキバキだ。
「目もしぱしぱするな……」
明らかに眼精疲労だとわかったので、ポケットの中から目薬を取りだし、両目に一滴ずつ点眼する。
目薬は長時間光を直視することの多い鍛冶師には、目薬は必須アイテムだ。
特に古代魔族文字を扱う俺の場合、目がかすんで文字を打ち込み間違えたりしたらとんでもないことになるからな。
ちなみに使っているのは、俺手製のポーションを点眼用に調整したものだ。
ヨル草やディミトリ草などのかなり値の張る薬草を惜しみなく使っているおかげで、瞑っている目の内側で物凄い勢いで眼神経が修復されていくのがわかる。
これ一瓶で金貨数枚が飛ぶほどのものではあるが、何分身体が資本なのでまったく惜しくはない。
「とりあえずこのまま鍛冶に入ってもいいんだけど……」
軽く首を回し、軽く身体を動かし、そのまま頭の回転を確認する。
普段より明らかに色々と鈍くなっている。
ゼロイチではない接合なら利いた無理も、自分で手ずから作るのなら利きづらい。
しっかりと身体を休め、万全の状態であたるべきだろう。
「飯食ったら……寝るか」
寝ても覚めても作業のことばかり考えたせいで、ここ数日の間の記憶がない。
というか、経っているのが一日なのか十日なのかすらわからなかった。
何かに没頭するということは、何かを失うということでもあるのだ……気取って言ってみたが、格好はつかないな。
時間と体調の管理は職人としては当然のことだ。
気をつけなくちゃいけないとわかってはいるんだけど、これがなかなか難しい。
とりあえず飯を食うかと作業部屋を出ると、そこにジルの姿はなかった。
「めちゃくちゃ大量に素材が入ってる……」
リビングの隅の方に置かれていたマジックバッグには、既に中がパンッパンにはちきれそうになるほど大量の素材が入っていた。
俺のやり方を見ていて覚えたのか、革からは肉がしっかりとこそぎ落とされており、状態がかなりいい。
これなら多少手を加えれば、すぐになめし作業に入ることもできるだろう。
それなら荷物はどこに……と思ったが、どうやら俺が持っている予備のマジックバッグを拝借していったらしい。
この調子だととんでもないペースで素材が溜まっていってしまいそうだ。
明日からはクラフトで大忙しだな。
中に入っている肉を取り出し、焼き始める。
大きな腿の肉は、恐らくは鹿のそれだろう。
食べてみると、以前口にしたことのあるワイルドディアーに似ている気がした。
中を確認すると、肉の数は素材全体からすると微々たるほどしか残っていなかった。
どうやら動き回っているからか、ジルの食欲はとてつもなく旺盛になっているらしい。
「ふうぅ……とりあえず寝るか……」
食べると今までの疲れがドッと出たからか、眠気が襲ってくる。
王都からベッドの素材は持ってきているんだが、今は組み立ててクラフトをするのも億劫だ。
俺は眠たい目を擦りながら寝袋を取り出し、そのまま蓑虫のように眠るのだった……。
「よしっ、元気出た!」
死んだように眠ることしばし、完全に復活。
見れば外からは眩しい太陽の光が差し込んでいて、気分も明るくなってくる。
ちなみに目覚めると、寝袋に覆い被さるような形でジルが眠っていた。
何日も洗ったりブラッシングをしていなかったので、毛並みはゴワゴワで、かなり獣臭かった……ジルをなんとかするための魔道具も作らなくちゃいけないな。
やることは沢山あるが、それを作るための生産拠点は既に作っている。
まずは必要なことから始めていこう。
「生産拠点を作ったんだから、次は生活拠点だよな」
買った寝袋はかなり上等なものだったはずなんだが、ベッドで眠った後だとやはり寝苦しさを感じてしまった。
ジルが狩ってくれた魔物の素材は幸い大量に余っている。
せっかくだし、使えるところはこいつを使っていこう。
一日の質は睡眠で決まる、というわけでまずはベッド作りから始めていこう。
まずはマットレスの下に置く木枠部分からだ。
こいつはジルが取ってきてくれているトレントの素材を使わせてもらうことにする。
サイズは……シングルだと少し小さいか。
あまり大きすぎると部屋を圧迫してしまうので、ここはセミダブルにさせてもらうことにしよう。
「ほい、接合っと」
接合を使い、木材同士を一つに合体させていく。
こうしてしまえば釘いらずで、最初からくっついているかのようにぴったりと寸法も合う。 あっという間に四角い基礎部分を作ることができた。
「マットレスもサクサク自作していくか」
マジックバッグをひっくり返すようにして、弾力性のある素材を探していく。
指で押し込んで試してみた結果、一つだけ押し込んだ指の後がしっかり残るほどの低反発の素材があった。
どうやら巨大な魔物の表皮らしい。
表面は妙にぬらぬらとした光沢がある。見た目をたとえるなら……白い巨大ウナギ、だろうか。
いや、これ多分蛇だな。
目がないってことは、普段は地中で活動している魔物なのだろう。
森の中にこんな魔物がいたのかと驚きつつ、皮を水魔法で洗い、続けて風魔法と土魔法で乾かしていく。
少し縮んだ皮を重ねて折っていくと、都合五匹分ほども束ねるとセミダブルのベッドを作れるくらいの高さと大きさになった(ちなみに当然ながら、接合を使って一つにまとめ済みだ)。
続いて皮のなめし作業に入る。
といっても、エンチャントを使ってしまえばさほど時間はかからない。
いちから薬品を使って皮の処理からやっていけば魔力容量を圧迫せずできるわけだが……ぶっちゃけた話、俺はクラフトに関してはあまりこだわりがない。
本気を出すのは鍛冶分野と決めている分、普通の物作りに関してはさほど関心がないのだ。 今回作る家具類も、金物以外はちゃっちゃと作ってしまうつもりである。
「魔力素描っと」
マットレスとして使うぶよぶよとした蛇皮に魔力文字をちゃっちゃと書き込んでいく。
古代の文字を使うのは疲れるし頭を使うので、手なりで書ける現代文字を使っていく。
俺が皮に書き込んだのは『柔軟化』・『殺菌』、そして『合一化』だ。
ちょっと固すぎかもと思ったので『柔軟化』を使い適度な弾力に変え、『殺菌』を使うことで皮に残っているであろう雑菌類を消した。
そして『合一化』を使い、これらの皮を完全に一つの弾力性のある素材の塊にまとめ上げていく。
すると光が収まると、なんだかぶよっとしたウォーターベッドのような何かができあがった。
これをあらかじめ買っておいた大きめのシーツで覆えば、そこには弾力性のあるベッドが現れる。
「よっと……もうちょい固い方がいいかな」
魔力文字を消しエンチャントとして成立する魔力情報を穴抜けにすれば、魔法効果は打ち消すことができる。
本来の弾力性を取り戻したマットレスに、今度は先ほどまでより弱めに『柔軟化』を使うと、沈み込んでも腰が痛くならなそうな固めのマットレスができあがってくれた。
横になってみると、弾力は問題ない。
ただ匂いを消すのを忘れていたので、『殺菌』で消し切れていない獣臭さが残っていた。
マジックバッグからアロマディフューザーを取り出し、魔道具のスイッチを入れる。
するとあっという間に風魔法によって匂いが拡散され、寝室の中がゼラニウムのスッとする香りで満たされた。
以前ミラにせがまれて作られた時は何に使うんだよと思ってたが……なるほど、獣臭さを消すために使えばいいのか。
こいつはきっと、食べ物で言うところの臭み消しのようなものなんだろう。
続いて毛布の製作に移っていく。
取り出すのは、とんでもなく大きな鳥の素材だ。
ぶちぶちと羽根をむしり、大きな毛玉を作っていく。
今度は同じミスをしないよう乾燥させ、殺菌してからアロマで匂いをつけ、その後でじゃんじゃか四角く成形した袋の中に詰めていく。
二羽分も使うと、十分にもこもこな毛布ができた。
都合一時間ほどでベッドが完成する。
ベッドに横になり、毛布をかけてみた。
「……うん、悪くない」
少なくともこの家に元々あったベッドよりはいいものができている。
同じ要領で他にもいくつか家具を作っていく。
トレント材はジルが獲ってきた分以外にも用意してあったので、タンスやクローゼットなんかを作っていき、配置を決めたら床にカーペットを敷く。
これで俺の部屋は完成だ。
時間を見るとそろそろ午後一時になりそうな感じだった。
朝を食べたのが遅めだったからか、まだ昼飯を食べたいと思うほど腹が減っていない。
「……せっかくだし、寝心地を確かめるか」
昼寝をするためにベッドに入る。
背中越しに感じる確かな弾力に、俺はあっという間に夢の世界に落ちていくのだった……。
昼寝から目覚めると、午後三時になっていた。
遅めの昼食をするのにはちょうどいい頃合いだ。
いつものように肉を食い終えてから、小屋の中を軽く見て回る。
必要最低限の家具は揃えたし……次は小物を作っていくか。
数日間の山暮らしで、いくつかわかったことがある。
それはこの山に生息している魔物の量が、とんでもないということ。そしてジルはそんな魔物達を、きっちりと狩ることができるということだ。
そこで一つ、問題がある。
――俺がクラフトをして使う素材の量が、ジルが狩ってくる魔物の量にまったくもって追いついていないのだ。
これでは早晩、マジックバッグの中がパンパンになってしまう。
更に言えばマジックバッグの中に入っている素材も、そう遠くないうちに駄目になってしまう。
その問題を解決すべく、俺は動き出すことにした。
今日中に作成を目指すのは――収納した物の時間を遅らせることのできる機能を持ったマジックバッグだ。
複数の機能を持つマジックバッグとなると、ある程度素材の質も必要になってくる。
接合をすれば魔力容量を増やせるとは言っても、素材本来の持つ魔力容量が一番大切なことには変わりがないからだ。
ジルが狩ってきた魔物達の中で吟味した結果、あらゆる魔法を使いこなすレインボーリザードの喉袋を使うことにした。
いつものように接合して形を整えてから、魔力素描に入る。
「……魔力容量がかなり多いな、これなら接合せずにいけそうだ」
情報を圧縮してなるべく容量を圧迫することがないよう、古代魔族文字と神聖文字を組み合わせて使いながら魔力素描を行っていく。
『空間拡張』のために必要な文字量はかなり多いため、下手に別の文意ができあがらないよう何度も確認をしながら魔力文字を記していく。
じっとりと汗を掻きながら文字とにらめっこを続けることしばし……ようやくエンチャントが終わる。
しかしこれではただ、普通のマジックバッグを作っただけだ。
肝心なのは、むしろここから先。
収納したものの時間を止める、あるいは遅延させる効果をつけるために必要な魔力文字を見つけ出さなければならない。
ただ何も手がかりがないわけではない。
現代の魔力文字にも同じ中空に物体を留める『滞空』のエンチャントがある。
そこにある魔力文字から『留める』という意味の魔力文字を割り出し、これを古代魔族文字に翻訳してやればいいだけだ。
魔法文明はどれだけ時間的な断絶があろうと、地続きになっている。
そのため翻訳に時間はかかるが、ヒントさえあれば答えを見つけ出すまでに時間はかからない。
エンチャントを見つけ出すためにはトライアンドエラーが必要不可欠だ。
ジルが持ってきた素材の中で今後も使わなそうな素材に下書きをして試していく。
予想もしていなかった別の効果が発動したり、あるいは純粋に文意が破綻することで爆発したり……数々の素材を駄目にしてしまう中で、見つけた規則性をきっちりと頭の中に覚えていき、リストを作っていく。
試行錯誤を繰り返しては小休止を取るということを続けると、日が暮れて夜になった頃にようやく時を留める――『時間滞留』のエンチャントを見つけ出すことができた。
あとはこいつをマジックバッグにつけていけばいいだけだ。
ただかなり魔力容量を食うため、『飽和』ギリギリまで接合をしてなんとか……ってところだろうか。
これなら多少無理をしてでも、鍛造した金属の箱にでも込めた方が性能は良くなりそうだ。 魔物素材とは違って、魔力含有金属ならまた別のやり方もできるからな。
大分苦労して、なんとか『時間滞留』つきのマジックバッグを作ることに成功する。
一度やり方を覚えれば後は流れ作業でいけるので、とりあえず当座の分の五つほど作っていく。
やっている最中により効率的な魔力文字の書き方に気付けたおかげで、後になればなるほど入れられる容量も多くなってきた。
最後に作ったマジックバッグは、軽くこの小屋を超える容量が入る。
今回はソート機能を作るまで手が回らなかったが、まあ上出来だろう。
我ながら記憶力は良い方なので、一度見れば素材の場所は忘れないし。
一仕事終えた俺は、グッと背を伸ばしながら外を見る。
見えるのは朝日だった。
もう一日経ったのか……と思ったが、飯を食べた回数から考えると二日は経っていそうだ。 そのあたりが曖昧な俺の、相変わらずの自己管理の甘さよ……。
弟子でもいればまた話は違ったんだろうが……趣味に生きる独身男の生活なんて、まぁこんなもんだわな。
「ただこれで、とりあえず素材を腐らせずに済むようになったぞ」
一日しっかりと休んで英気を養ったら、明日は家の魔力文字を弄って強化を施すことにしよう。ただそれだけだと時間が余るから……そうだ、せっかくだし山の散策でもしに行くか。 いい加減肉ばかりを食べる生活にも飽きたし、野草の類を探しに行ってもいいだろう。
話に聞いたところによると近くに川も流れているらしいから、渓流で釣りをするのも乙かもしれないな。
寝て起きると、既に夕方頃になっていた。
もう俺の体内時計がおかしくなっていることには慣れたのか、ジルは何も言わずパンパンになったマジックバッグを持ってきていた。
そいつの中身を新たに作ったマジックバッグに詰め替えながら、思った。
「そういえばこのマジックバッグに名前をつけないとな……」
俺は我ながら良くできたと思うアイテムが作れた時は、名前をつけるようにしている。
俺はただ容量を拡張するだけのマジックバッグの出来には納得いっていなかったが、古代の魔力文字を使って作り出したことで内側の時間をゆるやかにすることができたこのマジックバッグは、俺の中での合格ラインはしっかり超えている。
「そうだな……『収納鞄』でいいか」
俺の一存で、これらのマジックバッグは『収納鞄』と名付けることにした。
なぜ『収納背嚢』ではないのかといえば、今後のことを考えて色々な形状を試してみるつもりだからだ。
持ち運びにいいのは背嚢タイプになるだろうが、片手で持つ手提げ鞄やセカンドバッグなんかも作ってみたい。
金物を使うタイプの鞄にすればその分魔力容量も増やせるから、多分ソート機能をつけるためにはより強力な魔物の素材を使うか、金属を使ったゴテゴテとした感じにするかのどちらかになるだろう。
「金属だけで作った据え置きの箱タイプをオリハルコンで作れば多分はちゃめちゃな容量のものが作れると思うが……流石にもったいないしな」
俺が持ってきている魔力含有金属――それ自体が魔力を含んでいるミスリル・アダマンタイト・オリハルコン・ヒヒイロカネなど稀少金属を総称してそう呼ぶ――には限りがある。
これらをクラフトではなく鍛冶で作りたい俺としては、多少の性能差には目をつぶるしかない。
魔力含有金属の中でも比較的安価な魔鉄なら買い込んできたから、こいつくらいなら使ってもいいかもしれないがな。
「わふっ!」
「おお、おかえり」
他の『収納鞄』の図面を引いてああでもないこうでもないと頭を回していると、ジルが帰ってきた。
見れば既に夜になっていた。
山に来てから、時間の感覚がバグり始めてるな……。
誰に止められることもないし納期もない。自由が利きすぎるのもこれはこれで問題なのかもしれないな……なんて、これはちょっとばかし贅沢な悩みか。
仕事を命じられてた時と比べると、天と地ほども差がある。
全部自分で一からやっていかなくちゃいけない面倒はあるけど……それでもやっぱり、店を持っていた時とは比べものにならないほど、俺は自由で、何者にも縛られずに好きなように生きることができている。
「自由って最高!」
「きゃんっ!?」
全ての仕事から解き放たれたあまりの開放感に思わず叫ぶと、優れた聴力を持つジルがびくっと飛び上がる。
ジルは俺の方を目を細めながら見ると、前足でてしてしっと俺の足を踏みながら、無言の抵抗をしてきた。
「ごめんごめん、悪気はなかったんだよ」
ジルの機嫌を取るために、道中で採取しておいた香辛料を超レア肉に振るってやる。
こいつの好物のマグラ草は、カレーに似たスパイシーな風味が特徴だ。
そいつを最大限辛みが乗るようにみじん切りにしてから乾燥させたこの香辛料は、上等なカレー粉のような味がする。
「わふっ!」
狼の魔物のことはあり鼻は相当にいいと思うのだが、ジルはこのマグラ草がかなり好きなのだ。すぴすぴと鼻を鳴らしながらも、美味しそうに肉を食べている。
肉食動物は肉から栄養素を取れるから、栄養バランスを細かく気にしなくても生きていける。
野菜や野草を食わずともなんとかなるジルが羨ましい……バランス良く栄養を補給できるような食品が作れないものだろうか。
マグラ草は切り方と乾かし方によって味や風味が大きく変わる。
俺は大きめに切ってからしっかりと乾かした、マイルドな味わいが好みだった。
適宜肉に乾燥したマグラ草を振りながら飯を食べていると、ジルが身体を横たえた。
夜目が利き体力も人間とは比べものにならないジルには夜もあってないようなものなのだが、どういうわけかこいつは夜になるとそのまま家の中でゴロゴロし始める。
生活リズムが俺よりよほど規則的なのだ。
「ほらジル、おいで」
「わふっ!」
ご飯を食べ終えてから、久しぶりに身体を洗ってやることにした。
水魔法と風魔法を併用して使えば、部屋の中を汚さずに綺麗にすることくらいは朝飯前だ。 なるべく痛まないよう冷たい風で乾燥させると、少しべたついていた毛並みがふわっふわに戻っていた。
ジルは俺よりも先に小屋の中に戻ると、期待したような顔でこちらを見上げてくる。
「へっへっへっ」
目をキラキラと輝かせながら尻尾をぶんぶんと左右に振っているジルに苦笑しながら、暖炉の脇に置いてあるブラシを取ってくる。
ジルにせがまれて俺が作ったブラシは、合わせて三種類。
まず最初はワイバーンの顎鬚を使った固めのブラシ。
そして二つ目がカイザーホースの尻尾の毛を使ったほどよい堅さのブラシ。
最後がダークスパイダーの蜘蛛糸を使った繊維の細かい柔らかいブラシだ。
これを順番に使って梳いてもらうのが、ジルはたまらなく好きだった。
まずはワイバーンの顎鬚ブラシを使って、がっしがっしと全身を梳いていく。
しっかりと洗ったおかげで毛が途中で突っかかることもなく、ブラシはするすると通っていった。
「はふっ、はふっ」
四つ足ですっくと立ち上がったジルが、目を瞑りながら感じている。
どうやらジルにとってのブラッシングというのは人間でいうところのマッサージのようなものらしい。
固めのブラシで力強く梳かれるのは、恐らくしっかりとした足つぼマッサージを受けているような感じなのだろう。
続いて二つ目のカイザーホースのブラシを手に取り、優しめに梳いていく。
先ほど力をこめすぎたせいで乱れた毛並みを戻しながら、ほどよい力加減を保つのがポイントだ。
「ふーっ、ふーっ……」
この馬のブラシは、たとえるなら弱めの按摩を受けているような感じだろうか。
気付けばジルは舌を出しながら、前足にグッと力を込めてなんとか前傾姿勢を維持していた。
最後に使うのは、ダークスパイダーを使ったきめ細やかなブラシだ。
これを使って優しく梳いてやると、毛並み全体が本来の力強さを取り戻すかのように輝いていく。
キラキラと暖炉の光を反射する白銀の毛並みを見ていると、宝石を研磨している宝石師のような気分になってくる。
「……きゅうっ」
大量の魔物を屠ることのできる猛き狼であっても、堅さと用途の違う三つのブラシには敵わなかった。
ジルは完全に脱力した状態で、地面に倒れ込んでしまっている。
ただその内心を表しているかのように、ふわふわとした尻尾だけは視認できないほどの勢いで左右に動いていた。
何も言わずに目をつむっているジルを横目にしながら、俺はマジックバッグ(つまりはここに来る前に作ったもの、ということだ)からワインの瓶を取り出す。
鍛冶師には酒が強いやつが偉いという、傍から見ると意味のわからない風潮がある。
なんでも人里に降りてくることのないドワーフが全員かなりのうわばみだからという理由でできた古い慣習らしいが……俺は鍛冶師独特のとにかく大量に酒を飲む風潮があまり好きではなかった。
酒は適切な量を、適切な形で楽しむくらいでちょうどいい。
持ってきていた切り出したグラスの器にワインを注ぎ、水魔法を使って中に氷を入れる。
ぶっちゃけた話、俺は酒にはあまり強くない。
酔えればそれでいいというタイプなので、当然酒に詳しいわけでもない。
フェイにはワインに氷を入れるなんてありえないと何度も言われたが、生憎直すつもりはない。俺からすれば、飲み物なんて冷えてれば冷えてるだけ美味いからだ。
以前シェイカーに入れてガシガシ振って冷やしたら、とてつもなく怒られたことを思い出す。
軽くかき混ぜてしっかりと冷やしてから、ワインを口に含む。
「うん……相変わらず、マズいな」
俺は子供舌なのか、酒の美味さが未だにわからない。
だがこの小屋の落ち着いた雰囲気がそうさせるのか、それとも着実に形の整っていく内装に俺が満足しているからか、不思議と悪い気分ではなかった。
パチパチと暖炉の爆ぜる音が聞こえてくる。
ゆらゆらと燃える炎を見ながら、ちびちびと舐めるようにワインを飲む。
ゆっくりと落ち着いた時間を過ごしていると、なんだか自分が大人になったような気分になってくる。
図体ばかりデカいだけで、中身は昔と大差ないんだけどさ。
「わふっ!」
気付けば元気を取り戻していたジルが、じーっと俺の持っているワインを見つめている。
「……飲みたいのか?」
「わふっ」
どうやらジルは、酒もいける口らしい。本当に人間と一緒にいる気分になってくる。
恐ろしいことに、ジルはワインの瓶を尻尾で掴むと、封を入れているコルクをかみ砕く。
そしてそのまま直飲みし始めた。
あっという間に一本空けてしまったが、大して酔っている様子もない。
こいつ……とんでもないうわばみだぞ。
「今日はこれで終わりな」
ちょっと物足りなさそうなジルの頭を撫でてやる。
「……久しぶりに一緒に寝るか?」
「あんっ!」
セミダブルのベッドなら、倒れ込むように寝れば一緒に眠れる。
ベッドに横になると、酒の力も手伝って俺達は団子になって眠るのだった……。
俺は胸に感じる圧迫感から思わず目を覚ます。
妙に重たいな……ジルか? こいつ、案外寂しがり屋だからな……。
「ううーん……」
温かい体温を感じたので、目の前にいる何かを撫でてやる。
すると……。
「ひゃんっ!?」
妙にかわいらしい声が出てきたので思わず身体がびくっと動いてしまった。
もふもふ……ではあるが、なんだかいつもと毛並みが違うような……?
「ふわあぁ……」
なでりなでり。ジルにしては妙にもふもふも足りない感触をしっかりと味わっているうちに……むにっと手が何かやわらかいものに当たる。
ここにきて俺は、流石に違和感を覚えた。
いくら肉球にしてもやわらかいし……それに大きすぎる。
目を開けると、そこには――。
「きゅう……」
なぜか顔を真っ赤にしながらこちらに倒れ込んでくる女の子の姿があった。
……って、女の子!?
「ジル、まさかお前擬人化したのか!?」
びっくりしながら起き上がると、眠っている女の子の後ろにはごろりと横になっているジルがいた。
そして薄く目を開けると……。
「ばふ」
馬鹿言ってんじゃないのという感じでたしなめると、またすぐに目を閉じた。
てっきりジルが女の子になったのかと思ったがどうやら違うらしい。だとしたらこの子は一体……?
眠っているのをいいことに、観察してみる。
まず一番目が行くのは、ぴょこんと伸びている獣耳だ。
犬のようにもふもふっとした茶色い耳が出ているが、それ以外は普通の人間となんら変わらない。
そしてどうしても目がいってしまうのは、そのたわわに実った双球だ。
もしかすると先ほど感じたやわらかい感触は……いや、これ以上考えるのはやめておこう。(なるほど、獣人か……なんで獣人の女の子が俺のベッドに入ってるんだ?)
頭が軽くパニックになりつつあるので、一旦情報を整理することにした。
獣人は亜人の一種だ。
魔法を使うことができないが高い身体能力を持つ、肉弾戦に特化した種族である。
一応王国にもある程度の数は多いが、人里に降りてきて人間達と暮らすというより、どちらかというと集落を作って王国の外れの方で狩猟生活を続けている者達の方が多い。
当然ながら俺も獣人には何人も知り合いがいる。
だが少なくともこんな風に発育の良い女の子はいなかったような……。
「でも、どこかで見たことがある気がするんだよな……」
顔を近づけてじいっと見つめていると、びっくりするくらい長いまつげがふるふると震える。
そして女の子がゆっくりと目を開けて……二人の視線が交差した。
「ラ、ラックさん! おはようございます!」
「あ、ああ、おはよう……」
目を開け、しゅたっと起き上がった姿を見て、俺はようやく彼女が誰なのかがわかった。
「もしかして……シュリか?」
「はいっ、ラックさんのシュリです」
「俺が所有した記憶は一度もないんだが……」
彼女の名前はシュリ。
以前俺が冒険者として活動しながら素材を集めていた頃、ヨリノという獣人族の里で出会った女の子だ。族長の娘で、当時はお嫁さんになってあげると言われた記憶がある。
あれは何年前のことだったか……年は取りたくないもんだ。
「にしても大きくなったなぁ。前は、そうだなぁ……このくらいじゃなかったか?」
「そ、そんなちっちゃくなかったですよ!」
俺がふざけて膝丈のあたりを差すと、ぷんすかと怒られてしまった。
流石に膝丈は冗談だが、今より二回りは小さかったはずだ。
獣人は成長が早いとはいえ……大きくなったなぁ。
子を持つ親の気持ちが少しだけわかった気がした。
俺も負けないようにしなくちゃいけないな(一体何にだろう? 自分で言っててわけがわからなくなってきた)。
「里に呼んだ奴らは元気にやってるか?」
「はい、技師の方からお金がもらえるようになったおかげで、里の皆も美味しいご飯を食べれてます!」
「そっか、それなら何よりだ」
原始的な暮らしを良しとする獣人達の技術は、俺達純粋な人種と比べるとまだまだ低い。
ただヨリノの里には、加工技術のない彼らからするとガラクタ同然で持て余してしまうが、人間からすると同量の銀にも匹敵するほどの特殊な宝石の産出する山があった。
それを風の噂で聞きつけた盗賊達に目をつけられていたところを、山にテーブルに使う鉱物を探しに来ていた俺が出会い、助けたのだ。
盗賊達は縄でふん縛り、俺はそのまま近くの街に降りて領主と直談判をした。
そしてあちこちの伝手を使い、領主もヨリノの里の住民達もどちらも得をする形で採掘の段取りをつけてあげたのだ。
おかげで今のヨリノは発掘が盛んになり、近くの街の方でも宝石の加工業が盛んになり、両者ウィンウィンの関係を築くことができているという。
そのせいでいたく感謝されたのは覚えているが……それとシュリがここにいることが、俺の中ではまったく繋がらないんだが。
「というかそもそもどうやって来たんだ?」
「あ、匂いを辿ってきました。ラックさんの服が家に残ってましたので」
「お、おう、そうか……」
身体能力同様、獣人の五感もまた人間のそれよりはるかに優れている。
ただいくら獣人とはいえ、こんな人里離れた山まで追ってこれるような感知能力はなかったはずだ。
どうやらシュリの嗅覚はものすごく鋭敏らしい。
「で、シュリは何しにきたんだ?」
「はい! ラックさんのお嫁さんになりに来ました」
「ぶーーーーーっっ!!」
思わず噴き出してしまった。
が、それも無理もないことだろう。
たしかに俺も子供の言葉だからと『その時を楽しみにしてるね』的なことを言った気がするけど……まさかそんな口約束を本気にして追ってこられるとか誰が想像できる?
「――と、いうのは冗談で」
「ほっ……」
「ラックさんのお手伝いをするためにきました!」
どうやら里の生活は相当に豊かになっているらしい。
里の住人達は飢えることなく食料を買い込み、今まで行っていた労働の時間を鍛錬や狩りをする時間に変えて鍛錬の日々を送っているらしい。
ちなみにこんな風に獣人達の文化は、かなり体育会系だったりする。
強いやつには従うというシンプルにして絶対的なルールが存在するため、族長の言うことには誰も逆らわないのだ。
そんな風に里で絶対の命令権を持っている族長さんは、里の状況を劇的に改善してくれた俺に対してきちんとしたお礼ができていないのが悔しかったらしい。
「我らのために頑張ってくれたラック殿に恩返しをしてくるのだ!」
恩を返さない恥知らずにはなれないと、彼の命令の下俺の手助けになる人員を出すことになり。
それにシュリが立候補し、俺のところまでやってきたというのが真相のようだ。
「なるほど……」
あの時も結構歓待してもらっていたから、俺としてはそれで貸し借りなしだと思っていたが……どうやら族長は思っていた以上に義理堅い人物のようだ。
「なんでも言いつけてください! 使いっ走りでも狩りでも……その、よ、夜伽でも……」「よ、夜伽!? そんなことさせないって!」
前に会った時はただの子供だったが、今のシュリは成長して立派な美少女になっている。
そんな子にこんなことを言われれば、そりゃあ平静ではいられない。
たしかに将来美人になりそうだとは思ってたけど……まさか想像を超えてくるとはな。
「最低でも一年……いや二年はいさせてください!」
シュリの決意は固かった。
てこでも動かない様子なので、とりあえず部屋を貸すしかなさそうだ。
一応部屋は余っているからそこを使ってもらうとして……家具は先住人のものを使ってもらうか。流石にもうワンセット作るのはちょっと面倒だし。
まさか美少女獣人と一緒に暮らすとは想定していなかったが……たしかに一人でずっと山ごもりをしているのも精神衛生上良くないとは思っていた。
せっかくなのでお言葉に甘えて、家政婦というか話し相手というか、まぁそんな感じのゆるっとしたポジションで一緒に暮らしてもらうことにしよう。
「それならとりあえず同居人の紹介をしないとな」
「同居人……ですか? ――ハッ!? もしかしてラックさん、既につがいが……」
「いやいやいや、今シュリの後ろにいるやつだよ。同居人というか……同居狼?」
「わふ」
どうやら目が覚めたのか、まぶたをしぱしぱとさせながらジルが大きなあくびをする。
それを見たシュリは……なぜか固まっていた。
「え、う、嘘……」
「もしかして、知ってるのか?」
道中冒険者ギルドに寄った時に職員達に聞いて回ったんだが、ジルの正体は終ぞわからなかった。
新種の魔物なんだろうと思っていたが……シュリの様子を見ると、どうやら彼女は知っていそうだ。
「は、ははあぁっっっ!!」
何をするかと思えば――シュリは突然土下座をして、頭を下げた。
それを見たジルがこちらを見て、どうすんのこれという瞳でこちらを見てくる。
そんな目をされても……俺にも何がなんだか……。