寝て起きると、既に夕方頃になっていた。
もう俺の体内時計がおかしくなっていることには慣れたのか、ジルは何も言わずパンパンになったマジックバッグを持ってきていた。
そいつの中身を新たに作ったマジックバッグに詰め替えながら、思った。
「そういえばこのマジックバッグに名前をつけないとな……」
俺は我ながら良くできたと思うアイテムが作れた時は、名前をつけるようにしている。
俺はただ容量を拡張するだけのマジックバッグの出来には納得いっていなかったが、古代の魔力文字を使って作り出したことで内側の時間をゆるやかにすることができたこのマジックバッグは、俺の中での合格ラインはしっかり超えている。
「そうだな……『収納鞄』でいいか」
俺の一存で、これらのマジックバッグは『収納鞄』と名付けることにした。
なぜ『収納背嚢』ではないのかといえば、今後のことを考えて色々な形状を試してみるつもりだからだ。
持ち運びにいいのは背嚢タイプになるだろうが、片手で持つ手提げ鞄やセカンドバッグなんかも作ってみたい。
金物を使うタイプの鞄にすればその分魔力容量も増やせるから、多分ソート機能をつけるためにはより強力な魔物の素材を使うか、金属を使ったゴテゴテとした感じにするかのどちらかになるだろう。
「金属だけで作った据え置きの箱タイプをオリハルコンで作れば多分はちゃめちゃな容量のものが作れると思うが……流石にもったいないしな」
俺が持ってきている魔力含有金属――それ自体が魔力を含んでいるミスリル・アダマンタイト・オリハルコン・ヒヒイロカネなど稀少金属を総称してそう呼ぶ――には限りがある。
これらをクラフトではなく鍛冶で作りたい俺としては、多少の性能差には目をつぶるしかない。
魔力含有金属の中でも比較的安価な魔鉄なら買い込んできたから、こいつくらいなら使ってもいいかもしれないがな。
「わふっ!」
「おお、おかえり」
他の『収納鞄』の図面を引いてああでもないこうでもないと頭を回していると、ジルが帰ってきた。
見れば既に夜になっていた。
山に来てから、時間の感覚がバグり始めてるな……。
誰に止められることもないし納期もない。自由が利きすぎるのもこれはこれで問題なのかもしれないな……なんて、これはちょっとばかし贅沢な悩みか。
仕事を命じられてた時と比べると、天と地ほども差がある。
全部自分で一からやっていかなくちゃいけない面倒はあるけど……それでもやっぱり、店を持っていた時とは比べものにならないほど、俺は自由で、何者にも縛られずに好きなように生きることができている。
「自由って最高!」
「きゃんっ!?」
全ての仕事から解き放たれたあまりの開放感に思わず叫ぶと、優れた聴力を持つジルがびくっと飛び上がる。
ジルは俺の方を目を細めながら見ると、前足でてしてしっと俺の足を踏みながら、無言の抵抗をしてきた。
「ごめんごめん、悪気はなかったんだよ」
ジルの機嫌を取るために、道中で採取しておいた香辛料を超レア肉に振るってやる。
こいつの好物のマグラ草は、カレーに似たスパイシーな風味が特徴だ。
そいつを最大限辛みが乗るようにみじん切りにしてから乾燥させたこの香辛料は、上等なカレー粉のような味がする。
「わふっ!」
狼の魔物のことはあり鼻は相当にいいと思うのだが、ジルはこのマグラ草がかなり好きなのだ。すぴすぴと鼻を鳴らしながらも、美味しそうに肉を食べている。
肉食動物は肉から栄養素を取れるから、栄養バランスを細かく気にしなくても生きていける。
野菜や野草を食わずともなんとかなるジルが羨ましい……バランス良く栄養を補給できるような食品が作れないものだろうか。
マグラ草は切り方と乾かし方によって味や風味が大きく変わる。
俺は大きめに切ってからしっかりと乾かした、マイルドな味わいが好みだった。
適宜肉に乾燥したマグラ草を振りながら飯を食べていると、ジルが身体を横たえた。
夜目が利き体力も人間とは比べものにならないジルには夜もあってないようなものなのだが、どういうわけかこいつは夜になるとそのまま家の中でゴロゴロし始める。
生活リズムが俺よりよほど規則的なのだ。
「ほらジル、おいで」
「わふっ!」
ご飯を食べ終えてから、久しぶりに身体を洗ってやることにした。
水魔法と風魔法を併用して使えば、部屋の中を汚さずに綺麗にすることくらいは朝飯前だ。 なるべく痛まないよう冷たい風で乾燥させると、少しべたついていた毛並みがふわっふわに戻っていた。
ジルは俺よりも先に小屋の中に戻ると、期待したような顔でこちらを見上げてくる。
「へっへっへっ」
目をキラキラと輝かせながら尻尾をぶんぶんと左右に振っているジルに苦笑しながら、暖炉の脇に置いてあるブラシを取ってくる。
ジルにせがまれて俺が作ったブラシは、合わせて三種類。
まず最初はワイバーンの顎鬚を使った固めのブラシ。
そして二つ目がカイザーホースの尻尾の毛を使ったほどよい堅さのブラシ。
最後がダークスパイダーの蜘蛛糸を使った繊維の細かい柔らかいブラシだ。
これを順番に使って梳いてもらうのが、ジルはたまらなく好きだった。
まずはワイバーンの顎鬚ブラシを使って、がっしがっしと全身を梳いていく。
しっかりと洗ったおかげで毛が途中で突っかかることもなく、ブラシはするすると通っていった。
「はふっ、はふっ」
四つ足ですっくと立ち上がったジルが、目を瞑りながら感じている。
どうやらジルにとってのブラッシングというのは人間でいうところのマッサージのようなものらしい。
固めのブラシで力強く梳かれるのは、恐らくしっかりとした足つぼマッサージを受けているような感じなのだろう。
続いて二つ目のカイザーホースのブラシを手に取り、優しめに梳いていく。
先ほど力をこめすぎたせいで乱れた毛並みを戻しながら、ほどよい力加減を保つのがポイントだ。
「ふーっ、ふーっ……」
この馬のブラシは、たとえるなら弱めの按摩を受けているような感じだろうか。
気付けばジルは舌を出しながら、前足にグッと力を込めてなんとか前傾姿勢を維持していた。
最後に使うのは、ダークスパイダーを使ったきめ細やかなブラシだ。
これを使って優しく梳いてやると、毛並み全体が本来の力強さを取り戻すかのように輝いていく。
キラキラと暖炉の光を反射する白銀の毛並みを見ていると、宝石を研磨している宝石師のような気分になってくる。
「……きゅうっ」
大量の魔物を屠ることのできる猛き狼であっても、堅さと用途の違う三つのブラシには敵わなかった。
ジルは完全に脱力した状態で、地面に倒れ込んでしまっている。
ただその内心を表しているかのように、ふわふわとした尻尾だけは視認できないほどの勢いで左右に動いていた。
何も言わずに目をつむっているジルを横目にしながら、俺はマジックバッグ(つまりはここに来る前に作ったもの、ということだ)からワインの瓶を取り出す。
鍛冶師には酒が強いやつが偉いという、傍から見ると意味のわからない風潮がある。
なんでも人里に降りてくることのないドワーフが全員かなりのうわばみだからという理由でできた古い慣習らしいが……俺は鍛冶師独特のとにかく大量に酒を飲む風潮があまり好きではなかった。
酒は適切な量を、適切な形で楽しむくらいでちょうどいい。
持ってきていた切り出したグラスの器にワインを注ぎ、水魔法を使って中に氷を入れる。
ぶっちゃけた話、俺は酒にはあまり強くない。
酔えればそれでいいというタイプなので、当然酒に詳しいわけでもない。
フェイにはワインに氷を入れるなんてありえないと何度も言われたが、生憎直すつもりはない。俺からすれば、飲み物なんて冷えてれば冷えてるだけ美味いからだ。
以前シェイカーに入れてガシガシ振って冷やしたら、とてつもなく怒られたことを思い出す。
軽くかき混ぜてしっかりと冷やしてから、ワインを口に含む。
「うん……相変わらず、マズいな」
俺は子供舌なのか、酒の美味さが未だにわからない。
だがこの小屋の落ち着いた雰囲気がそうさせるのか、それとも着実に形の整っていく内装に俺が満足しているからか、不思議と悪い気分ではなかった。
パチパチと暖炉の爆ぜる音が聞こえてくる。
ゆらゆらと燃える炎を見ながら、ちびちびと舐めるようにワインを飲む。
ゆっくりと落ち着いた時間を過ごしていると、なんだか自分が大人になったような気分になってくる。
図体ばかりデカいだけで、中身は昔と大差ないんだけどさ。
「わふっ!」
気付けば元気を取り戻していたジルが、じーっと俺の持っているワインを見つめている。
「……飲みたいのか?」
「わふっ」
どうやらジルは、酒もいける口らしい。本当に人間と一緒にいる気分になってくる。
恐ろしいことに、ジルはワインの瓶を尻尾で掴むと、封を入れているコルクをかみ砕く。
そしてそのまま直飲みし始めた。
あっという間に一本空けてしまったが、大して酔っている様子もない。
こいつ……とんでもないうわばみだぞ。
「今日はこれで終わりな」
ちょっと物足りなさそうなジルの頭を撫でてやる。
「……久しぶりに一緒に寝るか?」
「あんっ!」
セミダブルのベッドなら、倒れ込むように寝れば一緒に眠れる。
ベッドに横になると、酒の力も手伝って俺達は団子になって眠るのだった……。