魔竜の鍛冶師 ~封印されていた溶鉱の魔竜と契約したら鍛冶師でありながら世界最強になってしまったけど、実はあんまり戦いたくない~

 窓の殆どを鉄で覆われている工房内は非常に暗い。足元には工具も散らかりっぱなしだし気を付けないと転びそうになる。

「おっとっと!」

 何かを蹴飛ばしてしまってカランカランと甲高い金属音が転がっていく。やっぱり危ないな、暗い場所は。
 ……と、どうしようかと考えた僕の背後でパチンと指の鳴る音がした。振り返るまでもなくジレッタだ。
 僕の影が前に伸びていくのをみて火を付けてくれたのだと理解出来る。

「これくらいは出来るようになってもらわないとね」

 溜息交じりに言うが、実際出来たらめちゃくちゃ便利だ。

「仕組み的には発火、燃焼、維持って感じ?」
「そうだね。それ程難しいことじゃないよ。周囲の魔素を取り込み続ければ、それだけ維持出来るし。今度教えてあげる」
「助かるよ」

 術式というのは巷に溢れてはいるが、極々平凡なものばかりだ。
 有用なものは秘匿されているか、或いは個々人が研究して生み出さないといけない。ヒルダさんの【術式:火矢五連】なんかがそうだ。
 できればそういった攻撃的な術式も学べたらいいのだが、なかなか難しい。
 研究もしたいところだが、今は鍛冶も楽しくてしょうがない時期なので、どちらにしても後回しだ。

「さて、と。菖蒲さん達は何処かな」
「母屋の方に行ったけれど、帰ってこないね」
「探しに行くか」

 ということで僕達も揃って母屋の方へとやってきた。しかしまぁ、厳重に囲ったものだ。
 工房と母屋の間には中庭のような空間があるのだが、その上空も鉄でしっかり囲まれていた。敷地内をまるごときっちり囲っている。
 この工房がどういうものかは分からないが、それ程までに覆う必要があるのだろうか。

 庭から見える母屋は二階建てだ。石材と木材を組み合わせて作られた建物はとても頑丈そうだ。何事もなく庭を抜け、母屋へと入る。中もやはり暗い。

「菖蒲さん? デンゼルさーん」
「……返事がないね」
「外に出た訳ではないとは思うんだが……」

 首を傾げつつ、1階を捜索するが見当たらない。しかし造りは別に特別性も何もない、普通の家屋だ。
 残された家財道具からしてもその辺の一般家庭と大差はない。特段、気になることもないし、誰も居ない。なら2階か。

 探索中に見つけた階段をギシ、ギシ、と鳴る木にこっそりビビりながら上る。上り切った先は窓だ。
 折り返した廊下の並びに部屋が幾つかある。まずは手前の部屋から開けることにした。

 ドアノブを掴み、ガチャリと開く。すると其処には何もない……と思っていたら普通に菖蒲さんとデンゼルさんが居て思いっきり肩が跳ねた。

「びっ……ビックリしたぁ……! 居るなら居るって言ってくださいよ! 声掛けたじゃないですか!」

 照れ隠しからか、普段以上に声が大きくなってしまうのを抑えきれず、バックンバックンと跳ねる心臓を胸の上から抑えた。

「すまない。聞こえてはいたんだが返事をする余裕がなかった」

 対照的に酷く静かに返事をする菖蒲さんの手には1冊のノートがあった。見ればデンゼルさんの手にも似たようなノートがある。

「それは?」
「ベノハイムの日記だ」
「!?」

 予想外の物に声が出なかった。何でそんな代物が、こんな鍛冶屋に……いや、これだけ厳重に鉄で覆われた場所……異常なまでに鉄を使用していることと、このナカツミ村がベノハイムの出身地であることを考えると、どうして気付かなかったんだろうと思うくらい単純で明快な答えが浮かぶ。

「此処がベノハイムの生家、ってことですか?」
「そうらしいな。強大な魔力と才能に恵まれて鍛冶師の息子として生まれ、幼い頃から鉄に触れて生きてきたベノハイムが鉄魔法を操るというのはなるほど、当然とも言えるな」

 合点がいった。そりゃ日記もあるだろう。こんな情報の宝庫、返事に意識を割けなくなるわ。
 僕も日記を見たくて周囲を見ると、机の上に乱雑に積まれた日記があった。

「そっちはもう目を通したから好きにしていい」
「了解です」

 僕も手に取って中を読み始める。人の日記を読むというのもなかなか無い体験だ。だが罪悪感よりも興味の方が大きかった。
 人の秘密というのはこうもワクワクするものだとは。いかんな、悪い方向に育ちそうだ。

 日記の内容は普通の少年の人生、という感じだった。しかしある時を境に、魔法の才能に目覚めていた。
 それはモンスターに襲われたところだった。窮地で覚醒という何とも主人公な流れだったが、力及ばず殺されそうになったところを助けた人物が居た。

「サイソン……この時にもう出会ってたんですね」
「あぁ、つまり200年前に存在した魔王も、やはりサイソン……ニシムラであることが確定した」

 確定した。確定してしまった。これで奴が時間を飛び越えていることが確定してしまった。
 1000年前にも存在していたし、200年前にも存在していたし、100年前にも存在していたのだ。

 日記を読み進めていくとサイソンとの旅の様子が書かれていた。特に目を惹く内容はなかったが、流石に鉄魔法の使い手と【無限の魔力】というチートスキル保持者の旅だ。
 向かうところ敵なしというか、危険そうな場所でも危なげのない旅をしているうようだった。

「なんか、勝手に読んでしまってあれですけど、ベノハイムに聞くことなくなっちゃいましたね」
「知りたいことは最初の1冊で知れてしまったしな」

 後は何だ、成仏させてやれば良いだけか?

「この日記、どうします?」
「目だけ通して元に戻しておこう。他人の物、それもプライバシーの塊だ。必要だから読みはしたが広めるのもあまり気分の良い話ではない」
「ですね」

 ふと疑問に思ったのだが、ベノハイムを成仏させたらダンジョンはどうなるのだろう? 消えてしまうのかな。

 そうなるとこの彼の生家も、故郷も消えてしまうのだろうか。
 それは……少し、淋しい。日記を読んで彼の人と為りは多少理解したつもりだ。だからこそ、殺してしまうのは少し気が引けた。
 だが死して尚、現世に留まり続ける彼を成仏させないというも自然の摂理から外れてると言える。死後の世界に導いてやるのも生者の義務だとは思うが……うーん、悩ましい。

「……さて、全部頭に入った。君はどうする? まだ読むか?」
「いえ、僕は大丈夫です。それより今後の事なんですが」

 僕は自分の中に芽生えた苦悩を菖蒲さんとデンゼルさんに打ち明けた。生き死にの世界ではとても甘い話かもしれないが、2人は黙って聞いてくれた。

 全部話し終えて、菖蒲さんがゆっくりと口を開いた。その最初の一声は、

「甘い」

 だった。まぁ、当然です。自分でもよく分かっています……。

「だが、その気持ちは分からなくもない。というか、私の中にも同じ感情はある。彼は悪い奴ではなかった。だが、今は侵入する冒険者を手に掛ける悪い奴だ。現世に留まり続けるのも良い話ではない」
「ですよね……」
「君ならどうする?」

 逆に聞かれてしまって、言葉に詰まった。それをどうしたら良いかという質問だったのだが……だが菖蒲さんの気持ちを聞いて思ったことがあった。

「殺さずに話し合うことは出来ませんかね?」

 元々、僕は戦いが好きではない。転職し、天職だと思える鍛冶師になれた。侘助という名もそれっぽいし、大好きだった祖父と同じ仕事に就けて嬉しく思っている。
 金槌を振るって【鍛冶一如】で創意工夫を凝らした作品を作ることに喜びを覚えてしまった今は、以前、城で訓練していた頃よりも戦いから離れたいと思うようになった。

 金属を自由自在に操る権能を手に入れ、魔竜の加護で上がった身体能力で無類の強さを得て、しかしそれでも戦わずに済むなら、戦わない方が良いと思った。

「君が思う理想は、君にしか叶えられない」
「はい」
「それは相手が鉄魔法の使い手で、君が金属を支配する者だからじゃない。この場に限らず、だ。何かを叶える為には、必ず君が叶えなくてはならない。そうでなければならない」

 菖蒲さんの言葉は、それだけの重みがあった。
 本来なら、此処に居るはずのない人間が、剣も矢も弾も飛び交わない国で生まれ育った人間が、傷付き、戦いながら今日まで生きてきた。
 それだけの人生を歩んできた重みがあった。

「菖蒲さんは……」
「うん?」
「自分の理想を叶えられたんですか?」

 だからこそ、聞きたかった。彼女の望む理想は、一体どんなものなのか。

 菖蒲さんは真面目な表情を崩し、くすりと笑う。そして左手に付けていた皮手袋を外し、手の甲を此方へ向けた。傷しかない戦う女性の綺麗な手を僕に見せた。

「私もまだ努力中であり、そして募集中だよ」
 鍛冶工房、ベルハイムの家から墓地へと入る。先程チラっと覗いた時と同様、おどろおどろしい雰囲気が漂う墓地を進む僕達は緊張感に包まれていた。
 大小様々な墓標は、一見統一感の無いように見えるが、綺麗に整列していて奇妙な印象を与えた。

「此処は200年前、私達が通ってきた山麓都市の元となった村なんだ」

 菖蒲さんが語る内容はこうだった。

 元々はヒトツミ村という名称だった此処は自給自足の慎ましい生活を営んでいた。
 平和そのものだった村だが山に囲まれた環境の所為で悪い噂が広まった。

 それは『此処は元々王族だった者が隠れ住み、金品を隠している』という根も葉もない話だった。

 実際は全くそんなことはなく、ただ此処を囲う山脈から良質な金属が採れるということで人が住み着いただけだった。
 だが良い金属は金になる。時々、宝石なんかも産出されてしまうから、其処を良くない連中に目をつけられてしまった。

「山賊に見つかってしまったんだ」

 山に囲まれた防衛力もない村なんてのは賊からしてみれば楽して稼げる猟場だ。
 結局対抗出来ないまま蹂躙されることになった。それでもやはり普段から坑道で採掘している者が多いから多少の抵抗はあった。

 そうしてギリギリ生き残った者の中で村に残る者と残らない者が現れた。
 採掘で生きたい者と、こりごりだとつるはしを捨てた者。そうしてヒトツミ村は山を隔てて外と中に分裂した。

「ナカツミ村は産出した鉄を武力に使うことになり、山賊と拮抗するようになった。そうして抵抗し続けた何年か後に、ソトツミが蓄えた物資と兵力をナカツミに派遣し、合わさった戦力で山賊を見事に撃退したんだ」

 こうして村に平和が訪れた。だがこの平和に至るまでには多くの人が亡くなっていった。
 そうした者達を弔う為に、山間の村には不似合いは大きな墓地が併設された。

 それが此処、ナカツミ墓地だった。

 何年かして、とある鍛冶工房に1人の息子が生まれた。
 その少年は生まれながらに村の誰よりも多くの魔力を持ち、その力を使って鍛冶をした。
 そうして生きた先に鉄魔法を生み出し、魔王の側近となり、そして死んだ。

 強大な魔力は死後も消えることなく、墓から漏れ出し、墓地へ広がり、村を蝕んだ。

 山に囲まれた村に広まった魔力は変質し、墓地を起点とし、ナカツミ村全域を吸収したダンジョン【鐵の墓】へと生まれ変わったのだった。

「ベルハイムの日記にはこう記されていた。『死後も魔法の研究が出来れば良いのだが、その方法はまだ見つかっていない』、と。その執念が彼をアンデッドへと生まれ変わらせたのかもしれないな」
「じゃあ彼はこの墓地の中心で魔法の研究をしているのかもしれないですね」

 そうだと良い。それならまだお話が出来るかもしれない。

 鐵の墓の村エリアにはあれ程湧いていたオリハルコンゴーレムだが、此方ではまばらである。
 何となく、これが本来の光景のような気がした。墓地内を見回る墓守。鉄魔法で作られたのだとしたら、それは亡くなった村民を守る為だろう。
 と、端から見ればそんな印象だが、此処はダンジョンだ。実際の意味合いなんてのは分からない。要素と要素が噛み合っただけだろう。

 と、そんなゴーレムの1体が僕達の方へと視線を向けた。罅割れのようなスリットから覗く赤い一つ目がしっかりと僕達を捉えていた。

「来るぞ」
「菖蒲さん、オリハルコンって売れます?」
「え? あぁ、まぁ、需要は高いな」
「了解です」

 僕だけが独占しては儲けが薄い。せっかくダンジョンに来たのなら懐も温かくなるべきである。

 左手に握る鞘から緋心を抜き、腕を振り上げたゴーレムのその腕を根元から断つ。地響きと土煙を立てて転がる腕を横目に右足、左足とぶつ切りにしていく。
 立つ為の足を失ったゴーレムは地面に転がりながら残った左腕で起き上がろうとするが、それを手首、前腕、肘、上腕、肩と順に処理していくと、最終的に身動きの出来ない金属の塊が完成した。

「そういえばどうやって持ち帰ります?」
「……君は意外と常識破りなんだな」
「?」

 そんなことはないと思うのだが……。なんて首を傾げている僕の横でジレッタがさっさと切り分けたオリハルコンを本の中の倉庫に仕舞っていった。
 此奴、結構貯蓄癖があるからな……竜が財宝を集めるみたいな習性だろうか。
 後でちゃんと菖蒲さん達と分ける話はしておかないとな。

 両手両足を素材にされてしまったゴーレムは単眼を明滅させながらゆらゆらと動いていた。ゴーレムにはコアというものがあるらしいが、何処にあるのだろうか。

「ゴーレムのコアは胸に置くのが主流だな。その刀なら貫けるんじゃないか?」
「そうですね……ちょっと調べてみますか」

 貫いて終わらせてもいいが、コアというのがどんなものなのか見てみたかった僕は緋心を使ってまずは胸の部分を薄くスライスしていく。
 柳刃包丁の要領だ。後ろでドン引く菖蒲さんの声が聞こえる。

 何度か胸肉を薄切りにしていると赤い部位が見えてきた。これがコアかな?

「菖蒲さん」
「何かな……」
「そんな引かないでくださいよ……コアってこれですか?」
「あぁ、うん……そうだね。それがゴーレムを動かすコアだよ」
「おー……これが……」

 コアの周りを四角く切り取る。するとコアからの何某かの供給が途絶えたために単眼は消え、動かなくなった。そっちはジレッタがささっと仕舞う。
 僕はコアを傷つけないように周りのオリハルコンを削いでいく。丁寧に丁寧に剥がしていくと、綺麗な赤い真球だけが残った。

「これがコア……!」
「凄いな。作業中は変態か何かかと思ってしまったが、此処まで綺麗なゴーレムコアは初めて見た気がする。変態に感謝だな」
「……」

 この一件で菖蒲さんに僕がどういう人間か、ある程度のレッテルは貼られてしまったようだが、このコアの収穫は大きい。
 自分用にアレンジして使えば絶対に何かの役に立つだろう。出来ればもっともっと数が欲しいところだが、人命も懸かっている大事な任務だった。

 そうだ。菖蒲さんが心配ないと言ったからすっかり安心してしまっていた。信じ切っていたから、鍛冶師になってからついた研究癖が出てしまった。

 悪癖も悪癖だ。実りのある結果が出たとは言え、変態も変態である。本当に自重しよう。

「時間使ってしまってすみません。此処からは全滅させるつもりで頑張ります」
「あぁ、この場において最強は君だ。期待している。ではイングリッタの元へ向かおう」
「! 居場所が分かるんですか?」

 僕の問いに菖蒲さんは親指を立てて答える。

「あぁ。前回、探索した時に隠し部屋を見つけている。彼処なら安全だし、彼女が居るならきっと其処だ」

 なんとまぁ、ベテランというのは凄いな。隠し部屋なんてものがあることすら知らなかったし、当たり前のように見つけているとは。しかも早速有効活用している。恐れ入るね。

「じゃあ案内してください。途中、ベルハイムと遭遇したら奴も引き摺って行きましょう」
「私もその意気だ。よし、ついてきてくれ」

 菖蒲さんが先頭に立ち、案内してくれる。淀みない足取りで到着したのは一つの墓標だった。
 先程までは遠い近いは無いにしても視界の中に必ず1体はゴーレムが見えていたのに、この墓標の周辺だけはゴーレムは見当たらない。
 足音も届かず、此処だけが閑散としていた。

「ゴーレムが居ないだろう? 私もそれを不思議に思って捜索したんだ。そしたらこの墓標があった。よく見てみろ」

 促され、墓標を見る。其処には何も刻まれていなかった。埋葬されている人の名前や生年月日も没日も、何もない。真っ新な墓標だ。
 まるでこれから誰かが此処で埋葬されるかのような……。

「此処には誰も埋葬されていない。だから墓守が居ないんだ」
「なるほど……」
「その墓標を動かすと……」

 菖蒲さんが視線を交わすとデンゼルさんが墓標の前に立ち、奥へと押すように踏ん張った。
 最初はピクリとも動かなかった墓標だが、それがゆっくりと後方へスライドしていく。すると墓標ごと地面が切り取られたように動いていく。
 墓標から後ろの地面はカモフラージュになっていたようだ。

「ありがとう、デンゼル」

 謝辞に頷き返したデンゼルさんがぐるりと肩を回した。結構重かったんだろう。確かに地面ごと動かすなんてのは相当力がないと出来ない芸当だ。だから今まで見つからなかったんだろうな。

「此処が、隠し部屋だよ」

 その墓標の下にあったのは大理石のような綺麗な石で作られた階段だった。
「イングリッタ! 居るか!?」

 菖蒲さんの声が反響して返ってくる。暫く様子を見ていると”ジャリ”という靴が小石を踏む音が聞こえた。

 その音はゆっくりと連続する。段々と大きくなる音と共に赤い頭が見えた。血塗れかと思って一瞬、息を飲んだがよく見ればそれは髪が赤いだけだった。

「やぁ、遅かったじゃ……」
「イングリッダ!!」

 聞いたこともない声がイングリッダさんの声に被さった。何事かと思ったが、それはこれまで一度も口を開かなかったデンゼルさんだった。

 墓穴から這い出てきたイングリッダさんを抱き締める姿は、まるで一枚の絵画のようだった。

「私達はイングリッダの事を信用している。だから心配していなかった。が、まぁ、再会は喜ばしいものだ。君にはそういう人は居るのかい?」
「ん……ジレッタがそうですかね。この世界に来て、こんなに一緒に居る人も居ないですし」

 人ではないが。

「契約の関係で一定以上の距離を離れたらジレッタは死にます。だから信頼し、寄り添って生きて……最終的にその契約を破棄したいと思っています」
「契約を破棄した後は……どうするんだい?」

 言われて考える。そうだな……ニシムラを探して旅をするかもしれないのだし、全部終わった後は当てのない旅も良いかもしれない。鍛冶をしながら2人で。

「やりたいことはいっぱいありますよ。何でも出来る世界ですし、やれることは全部やろうかなって」
「それは良い。とても良いことだよ」



 イングリッダさんとデンゼルさんが落ち着くまで少し待った後に、自己紹介をした。僕が鍛冶師であることに大層驚いていたが、巷に流れる噂を思い出したようで納得した顔をしていた。

「私はイングリッダ。【三叉の覇刃(トライ・エッジ)】の便利屋担当ってところかな。斥候、鍵開け、罠外し、その他諸々何でもござれって感じ」
「貴重な役職だ。何か力になれることがあったら言ってください」
「あぁ、勿論。稀代の凄腕鍛冶師のお世話をさせてもらえるなんて光栄だよ」
「そんな大層なもんじゃないですよ」

 とは言うがそれを鵜呑みにしてくれる人は此処には居なかった。

「じゃあ後は帰るだけ?」
「いや、それがまだ用事あるんだ」

 菖蒲さんが僕を見る。イングリッダさんが首を傾げるので、僕は僕で此処に用事あることを話した。
 この墓地に埋葬された魔王の側近と呼ばれたベルハイムからニシムラの情報を引き出すのが第二の目的だ。

「此処まで来た感じだと1人でも行って帰ってこれそうではあるんですけど、何があるか不安なので付いてきてほしいんですけど、駄目ですかね?」
「私はついていくぞ。ベルハイムにこっぴどくやられたし、奴が一泡吹かされてるところを見ないと帰るに帰れない」
「それは私もだけど、ぶっちゃけだいぶ疲れてるし……デンゼルと離れたところで見てるよ。ね、デンゼル」

 イングリッダさんを支えるデンゼルさんが頷く。

「ジレッタ、頼むぞ。お前の権能で皆を守りながらベルハイムを行動不能にしなきゃいけないんだから」
「問題ないよ。私と侘助の力が合わされば鉄魔法なんて完封出来るから」

 なんて容易く言うが、実際それが出来るだけの力を持っているのが溶鉱の魔竜様だ。
 魔竜の鍛冶師と勝手に呼ばれているが、それに見合うだけの働きはしないと僕を尋ねてきてくれた菖蒲さん達に申し訳が立たない。

 戦うのは嫌いだが、時には戦わないといけない。それがジレッタを助ける情報の為なら持てる全力で挑み、打ち勝つしかない。

「やるなら全力だ、ジレッタ。その方が格好良いからな」
「勿論だとも。中途半端なのは気持ち良くないからね」

 組んだ腕を時、3人に振り返る。

「よし、案内しよう。墓地の中心、ベルハイムの墓はこっちだ」


  □   □   □   □


 隠し部屋から離れるにつれてオリハルコンゴーレムの姿が多くなってきた。それも鍛冶工房から入ってきた時よりも、もっと多くの姿が見えている。
 それは確実にベルハイムの墓に近付いている証拠でもあった。

 僕達の姿を見つけるなり近寄ってくる墓守達。しかしそれは何の障害にもならなかった。
 今の僕はジレッタの加護を割と全力に近いレベルで注入されている。ドーピング鍛冶師の前に金属の塊がやってきたところで、素材でしかなかった。

 小分けにされたオリハルコンはジレッタが手早く回収していく。何なら切り飛ばした物をジレッタの方に飛ばすように工夫すら出来るようになってきた。
 全自動オリハルコン裁断回収システムが構築されていた。全部手動だが。

 そうしてやってきた墓地の中心。円形に成形された石畳の中心にあるのは大きな墓標だった。
 この村一番の魔法使いである彼に、一切の不安なく永眠を……なんて思いが込められていたのかもしれない。

 だがそんな墓標も、今の彼にとっては椅子でしかなかった。

「……うん? 誰?」

 墓標の上に腰を下ろし、足を組んで本を読んでいた黒い長髪に片眼鏡を付けた痩身の男が顔を上げた。白い顔は病的で、一目で生者でないことが分かる。ゆったりとした、髪色とは対称的な白いローブを揺らしながらふわりと地面に降り立ったベルハイムは、ぱたんと本を閉じた。

 その隙だらけの様子は、しかし強者の余裕でしかなかった。
 何度も言うがこの世界における魔王とは魔法の王であって魔物の王ではない。
 本人の人間性によるが、偏に悪の存在ではないのだ。

 だが一切の戦闘行為がなかったかと言えば、それはあり得ない。
 この世界で生きていれば形はどうあれ戦いからは逃れられない。
 ニシムラと共にいたベルハイムが、どんな生き方をしてきたか知らないが、それなりの戦闘経験はあって当然だと思いながら、僕はこの場に立っていた。

「こんにちは、ベルハイム。僕は三千院侘助。渡界者(エクステンダー)です」
「やぁ。僕はベルハイム・ベルブライバー。渡界者……あぁ、ニシムラと同じなんだね」
「えぇ。そして今は鍛冶師をしています。貴方と同じ、金属を扱う者です」
「へぇ~……いいね。楽しい?」

 柔和な笑みを浮かべるベルハイム。質問とその笑みが、彼が歴戦の猛者であることや、死後もこの世に留まるアンデッドであることも忘れさせてしまった。

 僕は満面の笑みで、心からの回答をした。

「めちゃくちゃ楽しいです! 毎日が楽し過ぎて、正直、1日がもっと長ければいいのにっていつも思ってます!」
「そうか……そうか、それはとても良いね。素晴らしいよ。もっと君と話したいな」

 かくして話し合いという路線は成功した。
 確信があった訳ではないが、彼と彼の仲間との共通点を持つ僕は成功するんじゃないかという期待があった。

 雑談が始まり、菖蒲さん達は安心したのか離れた場所に腰を下ろした。どういう訳かオリハルコンゴーレム達は周りをウロウロするだけで僕達を襲う気はないようだ。多分、ベルハイムが気を遣ってくれたんだと思う。

 ベルハイムと色んなことを話した。
 幼少期の頃のことや、それこそ魔王と一緒に旅したことも。世界に隠された様々な物を探して旅する話は、とても興味をそそられた。
 つい先程も菖蒲さんの話を聞いて心が揺さぶられていたから尚更だった。

 どれくらい時間が経ったか、気付けば視界の端で菖蒲さん達が野営の準備を始めていた。
 もうゴーレムが襲ってこないと分かり、僕達が話し込んでいるのも分かってるから勝手に色々進めちゃっていた。
 組んだ薪にも火が付き、いよいよ料理まで始めるんじゃないかと思うと、途端に自分の空腹具合を思い出してしまった。そういえば今日は何も食べていなかった。

「おーい、一旦食事にしよう!」

 菖蒲さんの提案はとても素晴らしかった。渡りに船だ。

「ベルハイム、良かったら一緒に食事はどう?」
「うーん……リッチーになってから食事なんて考えもしなかったな。アンデッドモンスターも食事するのかな。気になるね。行こう」

 アンデッドになると食欲というものが無くなってしまうようだが、研究意欲が彼を墓標から降ろした。

 焚火に向かうとデンゼルさんがリュックから食材を取り出しているところだった。それを見たベルハイムがおもむろに手を伸ばす。
 何かを掴むような手の形をすると、何処からか粒子が流れ込み、やがて鉄へと変化した。流動するそれは形を変え、なんとフライパンへと成形された。

「これを使うと良い」

 受け取ったデンゼルさんは驚いた表情でペコリと会釈をする。
 ダンジョンの支配者であり魔王の側近からフライパンを貰うなんて経験はもう一生なさそうだ。

 しかしこれが鉄魔法か……凄いな。世界で唯一、ベルハイムだけが使える魔法。できればもっと見たい。

「興味津々、って顔だね」
「鍛冶師だから……って訳でもないけれど、単純に凄いなって」
「君の【鍛冶一如】だっけ? そのスキルも凄いと思うけどな。僕と君が戦っても、勝てる未来が見えないよ」

 金槌で叩けば望む形に変化させられる鍛冶一如は鉄魔法唯一の弱点と言ってもいいだろう。
 其処に魔竜の権能も合わされば、どう足掻いても負けるヴィジョンは浮かばない。

「元々、そういう理由で来たからね……でも本当は戦うのは好きじゃないんだ」
「それは話してて思ったよ。そしてそれは僕も一緒だ。僕達はそういう人間だ。だから、渡せる物もある。こっちへ来て」

 ベルハイムが少し離れた場所へ行く。下ろした腰を再び上げてそれについていく。
 草を踏む音と、フライパンに乗せられた肉の焼ける音が聞こえる。僕の前で立ち止まったベルハイムが懐から取り出したのは一冊の本だった。

 差し出されたそれを受け取る。何だろうと思い、表紙に目を落として、僕は思わず本を取り落とすところだった。

 その手作りの本の表紙に書かれたタイトルは【術式:鉄魔法】。

「君になら、死後まで続いた僕の研究の成果を託せるんじゃないかなって思ったんだけど、どうかな?」
 手渡された本の表紙を撫でた。日本で見たようなハードカバーの本でもなく、文房具屋に置いてあるようなノートでもない、紙を紐で纏めたメモ用紙の束のような本だった。
 表紙としてタイトルは書いてあるが、紙は中身と一緒の物だ。
 こうして見ると表紙というのは偉大だ。柔らかい無防備なページを守る役割もあるし、見た目からして分かりやすい。

 それが無いとやはり本というよりはメモの束を纏めた物、という認識になってしまう。
 しかしこのメモ束は世界中のどんな本よりも価値のあるものだった。
 魔王の側近、ベルハイムが駆使した鉄魔法を術式化させた、唯一無二の手記。これを読めば誰でも鉄魔法が使えてしまうのだ。

「その表情を見れば、これがどういう物かは分かってるみたいだね。安心したよ」
「こんな、はいどうぞって渡して良い物じゃないぞ」
「そうは言うけれど、じゃあ僕が死んでまで解明したかった自分の魔法は、誰の目にも留まらず消えてなくなってもいいって言うのかい?」

 そう言われると何も言えなくなる。僕もまだ新人も新人だが、製作者だ。自分が作った物が世に残ることを想像すると胸の奥が熱くなってくるのが分かる。

 それは自分の生き様だ。死に様はどうあれ、生きた証は残るのだ。

 そしてこの本は、ベルハイムの生き様そのものだった。

「僕が、貰っていいんだな?」
「君に、貰ってほしいんだ。君になら安心して渡せるって思えたんだ」

 受け取った本を大事に抱えた。これは僕の一番大事な物になった。
 ただ、貰ったから大事なんじゃない。これが世に広まればとんでもない大惨事に繋がる恐れもあるから、大事な物だった。

「重い物かもしれないけれど、君とあの魔竜が居れば安心だと思うんだ。いつか僕が誰かに討伐されてその本が流出するよりもずっといい」
「確かにそれもそうだな……分かった。しっかり補完させてもらうよ」
「うん、ありがとう。補完も大事だけれど、自由に使うと良い。使えるものは何でも使う方が、楽しいからね」

 確かに出来ることが増えるのは楽しい。著者がそう言うのであれば遠慮なく使わせてもらうとしよう。
 何、とんでもないことになってもこっちにはジレッタという心強い味方が居る。僕も無手ではない。そうなった時には鉄魔法で追い払えるだろうしね!

「じゃあ戻ろう。さっきからしてる良い香りに刺激されて久しぶりに食欲というのが湧いてきたよ」
「今日はいっぱい食べてくれ。気の良い人達だから、遠慮なんていらないぞ!」
「そんなこと言われたら、全部食べちゃうよ? これでも生前は大食漢で有名だったんだから。ニシムラ君もいつも言っていたよ。『そんな細い体の何処に入ってるのか調べさせてくれ』って」

 それってきっと解剖的な意味だよね……。これまでの話を聞く限り、相当な悪人という訳ではないのは何となく分かったが、ジレッタの件もあるし迂闊に信じることは出来ない。

 だがニシムラの人と為りが分かったように、ベルハイムの人と為りも分かった。
 実際に見てないから彼がこれまでに一度も悪事を働いたことがないとまでは言い切れないが、盗賊とかそういう悪人の類でないことは理解出来た。
 研究欲のあまり人体実験までしてないことを祈るばかりだが……。


 ベルハイムを交えた食事は、それはそれは楽しい食事だった。
 ずっと隠し部屋で過ごしていたイングリッダとベルハイムの大食い対決にはジレッタ城の食糧庫まで解放されるレベルの量になった。
 流石に手持ちだけじゃ足りなかった。寡黙なデンゼルさんも声に出してイングリッダを応援していたし、そんな2人を見て僕と菖蒲さんはゲラゲラ笑っていた。

 そうそう、菖蒲さんと転移の話もした。
 菖蒲さんもまた、仕事中に拉致られたようで、その事件を僕は数ヵ月前のニュースで見た記憶があった。
 しかし菖蒲さんが此処へやってきたのは数年も前ということで、やはり次元の中で時間軸がおかしなことになっているのはほぼほぼ確定だった。
 宗人の話では転移待ちの人が居るかもしれないとのことだったが、この待ちは、まったく順番通りということではなかった。

 この転移に対する怒りは当然、ニシムラの研究失敗に向けられるものなのだが、この場にはその最も近しかった人物であるベルハイムも居た。
 その彼は今、心からの食事を楽しんでいる。それに水を差すようなことは、僕達には出来なかった。

 食後は腹ごなしの運動と称して、本来やるはずだった僕とベルハイムの戦闘を行った。勿論、互いに殺す意志のない模擬戦である。

 ジレッタパワーを注入され、現在使える権能をフルで行使する。ベルハイムは鉄魔法での攻撃を行った。
 粒子から生み出される流動する鉄は、僕に触れる前に錆びて塵と化す。降り注ぐ鉄の雨は溶かして金槌で叩き、傘にしてやった。

「やるじゃないか、侘助!」
「ベルハイムも中々だ。今度はこっちから行くぞ!」

 緋心を手に突っ込むが、地面から飛び出した幾重もの鉄板が行く手を阻む。僕はそれに向けて手を伸ばし、引き剥がす動作を行う。すると手の届く範囲外にあるにも関わらず、全ての鉄板は水風船のように弾けて溶け落ちた。

 更に槍のように突き出る鉄の先端は靴で踏めば丸く溶けて足場へと様変わりする。そうして飛び越え、最後の一本で一気に空中へと飛び上がる。

「はぁあああ!」

 掛け声と共に緋心を振り下ろす。ベルハイムの最後の抵抗は自身を覆うように重ねられた鉄板だったが、金属を切る緋心には全くの無意味だった。

 ベルハイムの首筋に、ピタリと朱い刃が添えられた。

「参ったよ、降参。君には敵わないよ!」
「ふ、ふふ……あはは……! あぁ、楽しかった……!」

 刀を鞘に仕舞うと観客になっていた【三叉の覇刃(トライ・エッジ)】から拍手と歓声が飛んできた。
 すっかり見世物になっていたが、そんなことも忘れるくらいに楽しい模擬戦だった。

 菖蒲さん達と一緒に座っていたジレッタも拍手をしてくれていた。それが妙に気恥ずかしくて、でもとても嬉しかった。

 模擬戦が終わった頃にはダンジョンの外も深夜に差し掛かる頃ということで、一晩明かすことになった。
 もっともっとベルハイムと話したいことは多かったが、先程の戦闘での疲れもあって、すぐに眠ってしまった。



 そして一夜明けた翌朝。【鐵の墓】を出る為に鍛冶工房裏までやってきた。

「お別れするのは寂しいよ、ベルハイム」
「一緒に行けたらいいんだが……こればっかりはそういう訳にもいかない」

 辺りがしんみりとした雰囲気に包まれる。
 最初は討伐する為と、【罪禍断命(ジャッジメント・ジャッジメント)】と一緒にやってきた菖蒲さん達も今ではベルハイムを対処すべきモンスターとは微塵も思っていない様子だった。
 追われて隠れていたイングリッダさんでさえ、目を潤ませていた。

「最初に君達3人と一緒に来たあのパーティー、少し注意した方が良いかもしれないね。あれはいざとなったら味方でも捨てるような連中だ。短い間の手合わせだったけれど、ああいう目をした人間は何人も見てきた」
「あぁ、実際に私達も見捨てられたからな。貴方は追撃してこなかったから助かったが……あの連中と関わることはもうないだろう。仇なすなら殺すだけだ」

 血生臭い会話になってきた。が、こうしてイングリッダさんが逃げ遅れることになった原因はそのパーティーだ。僕も気を付けないとな……きっとこうして【三叉の覇刃(トライ・エッジ)】に参加して此処へ来ていることもバレているだろう。

「あの連中になんてやられてくれるなよ?」
「大丈夫だよ。この世で僕を殺せるのは侘助とニシムラだけだよ」
「……えっ?」

 あっさりとした言葉の流れに一瞬気付けなかった。

 ベノハイムはこう言ったのだ。この世で自分を殺せるのは僕とニシムラと。

 まだ、この世界にニシムラが居ると、彼はそう言ったのだ。

「ニシムラは……生きてるのか?」
「そうだね。あの人は【無限の魔力】を持ってるから、実現できないような魔法でも使えてしまうんだ。所謂、不老不死の魔法とかね」

 曰く、魔法とは何でも出来る力だと王城の授業で習った。
 しかし何でも出来るかと言えばそれは嘘だ。何重にも構築された魔法や、大規模なものは魔力が足りないから発動することは出来ない。
 だが逆を言えば魔力さえあれば本当に何でも出来てしまうのだ。

 スキルという枠組みを超え、術式という方法からも逸脱した【本当の魔法】は、不老不死の力を得ることも出来るし、もしかしたら時空間すら移動してしまうのかもしれない。

「ニシムラは、今何処に?」
「うーん……あの人の放蕩癖は相当だからね。付き添っていた僕も、ついに死ぬまで村には帰れなかったし。あぁ、埋葬してくれたのはニシムラだって話だよ」

 誰から聞いたかは分からないが、何でも出来るなら死体を腐食させずに運ぶことも出来るだろう。何なら死んだ直後にナカツミ村にワープしたっておかしくない。

 だがそうか……ニシムラは生きているのか。

 そっとジレッタの顔を見る。彼女はニシムラに1000年もの間、幽閉されていた。その枷は今もまだ繋がったままだ。
 そんな彼女はニシムラに怒りを抱いていたが、今は何かを考えているような表情をしていた。
 怒っている様子はない。僕が話し合いで解決したいと言ったことを覚えていてくれているのかもしれないな。

「彼女に会えたら、よろしく伝えておいてくれ。気が向いたら僕に会いに来てくれともね。万に一つもないとは思うけれど、再び死ぬ前に会えると嬉しい」
「分かった、伝えるよ。……彼女? ニシムラは女性なのか?」

 ジレッタの方を見るとこくん、と頷いた。言えよ。男だと思ってたぞ。

「うん、女性だよ。僕のお嫁さんさ」
「えぇ……っと、そうだったんだな……知らなかったよ」

 色んな情報でまーた頭がパンクしそうになる。ニシムラの話をするといつもこうだ。これも無限の魔力が起こす何かの力なのか?

「ではそろそろ行くとしよう。死者であるベルハイムにこう言うのは少しおかしいかもしれないが……達者でな」
「うん、菖蒲さんもお元気で。また暇な時はおいでよ。呼んでくれたら入口まで行くから」
「あぁ、そうする。デンゼル、イングリッダ、侘助、ジレッタ。出発だ」

 菖蒲さんが踵を返すと、トライ・エッジの面々はそれに従ってナカツミ村を出ていく。僕もまた、それに付き従った。

 少し歩いて振り返ると、ベノハイムが小さく手を振っているのが見えた。それに手を振り返し、また歩く。そろそろ山に差し掛かる時、再び振り返った時にはもう誰も居なかった。

 こうして僕の初めての冒険は無事に終わった。メインの目的であるイングリッダは怪我なく救えたし、サブ目的だったニシムラの情報も得られた。おまけで鉄魔法を術式化させた本まで貰ってしまった。

 何だかとんでもないことになってきたが、一先ずはこのモヤモヤした気持ちとワクワクした気持ちとを日常にスライドさせよう。溜まった仕事を消化して、日常に溶け込もう。

 後の事は、それから考えるとしよう。
 規則正しいリズムで鉄を打つ音を聞くと爺ちゃんが田舎の小屋で鍛冶仕事をしていた光景が瞼に浮かぶ。其処で僕は仕事中の爺ちゃんに声を掛けた。
 なんて言ってたっけな……そうそう、『何でお家作るのやめたの?』と聞いたんだ。
 そしたら爺ちゃんはこう言った。

「丁寧な家を作るだけなら人手は多い。でも鍬や包丁を丁寧に作る人は本当に少ないんだ。だから俺は鉄を打つんだ」

 って言った。
 だから爺ちゃんが格好良かった。僕も爺ちゃんみたいになりたいって、そう思ったし、そう言った。爺ちゃんは笑ってるだけだったけれど。

 それからしばらくして、爺ちゃんは山の中に消えていったんだ。

「侘助、鉄が冷めているよ」
「……」
「侘助!」
「えっ!? あっ……ごめん」
「どうしたの。体調でも悪いのか?」

 ジレッタが僕の顔を覗き込む。体調は問題ない。規則正しい生活のお蔭ですこぶる健康だ。
 悪いのは仕事中に昔のことを思い出していた僕だ。

「問題ないよ。ちょっと考え事をしてしまって。もう一度最初からしようか」

 鉄を鋏で掴んで炉の中に入れる。灼熱した炭が放つ粒子のような炎に炙られ、鉄はゆっくりと温度を取り戻していった。

 あの鐵の墓から戻ってきて2ヶ月が経った。
 僕は今も【翡翠の爪工房】でスキルを使わない鍛冶作業を教わっている。
 王城でもヴァンダーさんに教わり、この工房でもボローラさんに教わっているお蔭で鍛冶の腕はそれなりに上がってきた。……と思う。

 そろそろ城を出て3ヶ月半かと思うと、早いようで……早かった。怒涛の日々だ。
 とはいえ3ヶ月半も過ごせば仕事にも生活にも慣れが出てくるもので、それと同時に気を引き締め直す時期でもあった。

「親方、ちょっと……」
「ん? あぁ、すぐ行く」

 鉄を叩き、課題の斧が大体形になってきたところで兄弟子の1人が親方に耳打ちをして裏口から出ていくのが視界に入った。
 それを目で追う僕とジレッタ。裏口から出た先にあるのは倉庫と母屋だ。仕事中に呼び出して母屋に行くことはないだろうし、となれば倉庫だろう。

「気になるな……」
「行ってみるか」
「あ、おい!」

 遠慮も無しに裏口へ行こうとするジレッタの腕を掴もうとするがするりと抜けていく。
 もう一度掴もうとして手を伸ばすが届かず、体勢を崩してしまい道具が乗った台をひっくり返してしまった。
 大きな音が工房内に響く。兄弟子たちが何事かと僕の方を一斉に見るが、答える暇がなく、謝罪の意を込めて一礼しジレッタの後を追った。

 既にジレッタは裏口を出た後のようで、続いて裏口を出るとジレッタの後ろ姿が見えた。
 そしてもう親方と兄弟子と3人で話していた。間に合わなかったことに溜息を吐き、その輪に加わった。

「すみません、ジレッタが」
「いや、ちょうど良かった。全体共有するつもりだったから」
「えっ、何かあったんですか?」

 聞いちゃいけないというのであれば食いつかざるを得ない。内緒話なんて興味ない訳ないだろ!

「向かいの工房……【竜牙工房】に盗みが入ったらしい」
「盗み? 泥棒ですか?」
「あぁ……しかもこれがただの窃盗じゃないんだ」
「となると……あっ、噂のアレですか!?」

 噂のアレとは、最近巷で情報が錯綜しているとある『怪盗』である。

「出たんですね……【無貌(フェイスレス)】が」
「どうやらそうらしい。傭兵団に卸す直前だった品がごっそりいかれたって話だ」

 神出鬼没の怪盗はここ最近噂になっている人物だ。色んな場所で盗難騒ぎが起きているのだが、一向に捕まらない。
 それどころかその姿すらも朧気だ。一部ではギリギリ見えた顔に目鼻が一切ないのっぺらぼうだったという話があり、それでついたあだ名が【無貌(フェイスレス)】だった。

「えぐ……ていうかそれって傭兵団は大丈夫なんですか?」

 勇敢だが粗暴な傭兵たちが、金を払って依頼し、自分たちに渡されるはずだった物が奪われたと聞かされてそれじゃあしゃあないねって納得するとは思えない。
 むしろ襲われたって不思議じゃないくらいだ。

「さぁな……今朝方、受け取りに来るって話だったらしいがまだ来てないらしい。幸か不幸かって感じだが、まぁどう逆立ちしても用意はできないだろうな……」
「そうですか……」

 傭兵団が遅れているとはいえ、何本もの剣を一気に用意するなんてのは無理な話だ。
 物がないことで怒った傭兵団が暴れなければいいのだが……。

「ん? 侘助なら用意出来るんじゃないか?」

 ジレッタの言葉にそういえば、と気付いた。僕なら出来るんだっけ。
 そうだそうだ、最近はスキルを使わないようにしてたからちょっと忘れていたが、咄嗟に鉄を熱することだけが僕のスキルではなかった。
 しかしそれは如何なものか。いくら同業とはいえ他社の利益を上げるような行為を僕がしていいんだろうか。

「え? あ、そうだな……その手があったか」
「いいんですか、親方。同業とはいえ対抗相手ですよね?」
「まぁそうだが、敵って訳でもない。ここで一つ恩を売っておけば何かあった時に助けてもらえるかもしれんだろう?」
「確かに一理ありますけど……親方がそう言うなら、僕は構いません」
「よし、じゃあ早速一緒に行くぞ。話をしに行こう」

 ということで急遽出張依頼(押し売り)に行くことになってしまった。
 あちらさんがどういう対応をするかは分からないが、フェイスレスに関してはこちらも気を付けなければいけない。
 なにせ僕の手元には神刀認定された最強の刀がある。他人事ではないのである。
 巷で流れる怪盗【無貌(フェイスレス)】の噂。それは色んな所で発生していた。

 曰く、大きな貴族の屋敷に潜入してお宝をゴッソリ奪った。
 曰く、山奥を根城にしている盗賊団の武器や略奪品を洗い浚い奪った。
 曰く、商家の家にある秘密の帳簿を奪い、世間に闇取引きを公表した。

 話だけ聞けば義賊(・・)のようにも聞こえてくる。ということは盗賊団は別として、貴族や商家に黒い噂があったのかもしれない。
 しかしそれも今となっては確認ができない。何故ならば、どちらも没落してしまったからである。

「ブラトー、いるか?」

 【竜牙工房】に入った親方が挨拶も無しに工房内に呼び掛ける。気難しい職人相手とはいえ、この対応ができるのは同じ職人だからだろう。
 更に言えば向かい同士ということもあって関係値もある。良くも悪くも競い合う相手だし。
 しかし工房内はシンとして静まり返っていた。鉄を打つ音一つ聞こえない。思わず僕と親方とジレッタと、3人で顔を見合わせてしまったくらい、静かだった。

「……まさかもう傭兵団が来てて、キレて全員殺したとか?」
「だったら大騒ぎになってるはずだろ」
「それもそうか……親方、どうします?」
「どちらにしても、確認するしかないだろう。行こう」

 お手伝いに来た訳だし、武器はない。まぁ、僕には奥の手である『術式:鉄魔法』がある。
 鐵の墓から戻った後、ずっと練習してるからある程度は使えるようになってるし、いざとなればジレッタがどうにかしてくれるだろう。

 親方を先頭に、工房の奥へと進む。造りはうちの工房と似たようなものだ。職場があって、奥に母屋がある。特別な事情がなければ大体は工房主の家だ。
 工房と母屋を繋ぐ短い木製の廊下を渡り、扉を叩く。
 暫くして、ガチャリと閂の抜ける音がしてゆっくりと扉が開いた。顔を覗かせたのは酷い顔をした白髭の男だ。

「よう、ブラトー。飲んでたのか?」
「あぁ……これが最後の酒になるからな。入れよ」

 クイ、と頭を部屋の奥へ向けて迎え入れてくれるブラトーさん。お邪魔しますと一言添えて、僕とジレッタも親方の後に続いて入れてもらった。

 入った先は台所だ。大きなテーブルがあったが、その上には空の酒瓶が所狭しと並んでいた。
 ザッと20本は空いている。どんだけ飲んだんだこの人……普通ならぶっ倒れててもおかしくない。

「聞いたぞ。出たらしいな」
「あぁ……忌々しい怪盗様な。お蔭様で俺の命も今日で最後だ」
「今からじゃ間に合わんか」
「弟子達も帰らせた。居てもしゃーねぇし、俺の首一つであいつらが助かるかもしれないしな」

 改めてこの世界の命のやり取りの雑さを感じる。
 用意をお願いした物が間に合いませんでした。では殺します。
 こんな馬鹿な話があってたまるかと、憤りすら湧いてくる。日本なら殺されない。必死に頭を下げて、どうにかこうにか許してもらって、それでも駄目なら責任を取って職を失う。
 あぁ……だけどそうか。クビを切る、という言葉だけならどちらも一緒だ。

 ただ、此方側は物理的に、だが。

「まぁでも、そうだな。ただの暴飲で済んで良かった」
「ぁあ? 其奴はどういう意味だ?」
「此奴なら、依頼品を今すぐにでも用意できる」

 親方が僕の肩を叩き、其処で初めてブラトーさんと目が合った。
 だが興味がないと言わんばかりにフッと目を逸らされる。

「何だ、此奴は。お前んとこの弟子か?」
「まぁな。一番若い弟子だ」
「ハッ、腕もヒョロッヒョロで、しかも女連れで、こんな奴が何の役に立つってんだ」

 酷い言い様だ。しかし、正論だった。

「此奴は侘助。渡界者(エクステンダー)だ」
「エクステンダー!? ならスキル持ちか!?」

 僕の素性が分かった途端に弾かれたように立ち上がるブラトーさん。
 その反動で数本の酒瓶がテーブルから転げ落ちて床の上で割れるが、気にするものは誰も居ない。
 ただその中に一つだけ割れていない物があった。お湯割りでもしたのか、鉄製のケトルが転がっている。
 それを拾い上げ、手の平に乗せる。するとケトルは燃え盛る炭の中に入れられたかのように赤く、白く、熱を上げていった。

「鍛冶系のスキル持ちなんだ」
「三千院侘助と申します。ブラトーさん、良かったら手伝わせてください」


             □   □   □   □


 其処からは早かった。何せいつ傭兵団がやってくるかも分からない。時間との勝負だった。
 まず、材料の調達からだ。傭兵団が希望していたのは魔銀(ミスリル)の刃を使用した剣を20本とのことだ。
 ブラトーさんはきっちり20本分のミスリルを用意した所為で予備がないと話していたので、これはジレッタの在庫から出させてもらうことになった。
 その分の補填は後日、何らかの形で行うことにして、早速僕たちは作業に取り掛かった。

「火は入れないのか?」
「最短最速の手順でやります。なので火はいりません」
「鍛冶師が火をいらないって……あ! さっきの能力か!」

 ブラトーさんの言葉に頷きで返し、金床の上にある鉄を持ち上げ、熱して柔らかくして必要分ずつ千切って小分けにしていく。
 同様にミスリルも熱して細かく分けていく。まるでパン生地を扱うようにしているが、これは数千度以上もする金属である。よいこは真似しないでください。
 そうして各20個ずつ分け終わったら芯となる鉄と刃となるミスリル1つずつを金床に乗せ、ハンマーで叩く。

「なんと……!」

 すると白銀の刃を持つ剣が完成する。効率良く進める為に研ぎの肯定も省略させてもらった。

「ジレッタ、次をくれ」
「あぁ」

 柄の中に埋まるタングの部分を掴み、新しい金属をポンポン、と置いてくれる。
 それを再びハンマーで叩く。すると先程と同じ剣がもう一振り出来上がった。出来上がった剣はジレッタがどんどん壁に立て掛けていく。
 数分間の作業だったが、あっという間に切り分けた金属たちは立派な剣へと変化していた。

「す、凄すぎる……」
「凄いだろう。うちの侘助は」

 親方たちの会話が歯痒いというか、気拙いというか。良い意味で居心地が悪い。良い意味でね!
 その後は用意できた剣に全員で柄を取り付けていった。柄は僕が練習で作っていた物だ。全部同じデザインだが、よく見るとそれぞれに上手い下手の差があって味がある出来になっている。

 こうして作業開始から大体30分程で全ての工程が完了。傭兵団へと納品する剣が全て完成した。

「ありがとう、ありがとう侘助さん! お蔭でこれからも鍛冶師としてやっていける!」
「あはは、そんな大袈裟な……」
「大袈裟なもんか! 殺されたっておかしくなかったんだから! くそっ、そう思うとあの【無貌(フェイスレス)】は敵討ちしてやりたいな……」

 怪盗フェイスレス。彼だか彼女だか知らないが、其奴の所為で困っている人が居る。実際に命の危機にまで瀕している者も多い。
 このまま野放しにしていい存在ではないが……残念ながら僕は衛兵ではなく鍛冶師だ。
 その辺りは担当職業の方に任せて、今日は帰るとしよう。



 暫くして向かいの工房に荷車を引いた3人の大柄な男が入っていくのが見えた。大丈夫かなとヒヤヒヤしながら見ていたが、無事に20本の剣を乗せて帰っていった。

「とりあえずは、大丈夫っぽいな」
「傭兵団の報復は逃れたね」
「”は“って何だよ」

 並んで窓から覗いていたジレッタに顔を向ける。
 此方を見返したジレッタが返した言葉は、僕の予想外の言葉だった。
 だが、それは予想しなければならない言葉だった。

「無貌と呼ばれた怪盗がどう動くか……暫くは警戒しておいた方がいいだろうね」
 竜牙工房での作業を終えたその日の夜。僕はジレッタに言われた話を忘れることができなかった。
 ベッドに座り、壁に背を預け、傍らに緋心を置いて。視線は正面の窓に固定している。

「ふぁぁ……もう寝なよ、侘助……」

 閉じた本の中から眠そうな声だけが聞こえる。

「お前が言ったのが怖くてな」
「子供じゃないんだから……」
無貌(フェイスレス)が単独犯とも限らないんだ。寝てる間に複数人で攻められたら死ぬだろ?」
「あのさぁ……じゃあ無貌が捕まるまで寝ないつもり?」
「……」

 それを言われると何も言い返せなかった。まったくその通りである。これが馬鹿なことだと自分でも理解しているのだ。

「それでも一晩くらいは心配したっていいだろう?」
「まぁ、それで侘助の気が済むならいいんだけれどね……じゃあ私は寝るから。おやすみ」
「おやすみ」

 さて、無音が訪れた。夜のニホン通りを歩く者はいない。カンテラの中で揺れる炎と作り出す影だけが唯一、この部屋の中で動くものだった。
 シンとした空気が勝手に僕の感覚を鋭敏化していくのが気持ち悪い。まるで聞こえない音が聞こえてきたり、見えないものが見えたりしそうで不愉快だった。
 かといって無闇に音を鳴らすのも気が引けた。この『リバーサイド芦原』には僕以外にも沢山の日本人が住んでいる。異世界に来てまで壁ドン案件などお互いにこりごりなのだ。

「ふぅー……」

 それにしても緊張し続けるというのもストレスが貯まるもので、適度な息抜きは大事だ。
 しかしそういう一瞬の油断が、一転して窮地になることもある。

「……う、寝てた」

 一瞬の気の緩みから睡魔に飲まれていた僕は、いつの間にか横倒しになっていた体を起こす。
 そして傍らに転がっているであろう緋心に手を伸ばし、伸ばし……ない!?

「何で……うわぁ!?」

 正面に顔を向けると真っ黒のローブに身を包んだ何者かがジッと身を潜めて僕を見ていた。
 いや、見ているのか? かぶったフードの奥の顔は何も見えない。闇のように真っ黒だった。
 何者かは僕が気付いたのと同時に身を翻し、窓に向かって走った。窓はしっかり閉じたはずなのに半開きで、どうやら其処から侵入してきたのが分かる。

「逃げるな!」

 手を伸ばす。指先がチリチリと熱を持ち、灼熱する。熱を持った指先を合わせ、弾いてパチンと鳴らせば魔力が放出される。放たれた魔力は流線を描き、描いた軌跡は形を持つ。
 ローブの人物を囲った粒子は鉄へと変換された。全身を鉄の輪で縛られた其奴は為す術もなく地面へと転がった。
 使ったトリックはもちろん、【術式:鉄魔法】だ。ただ単に行使しただけだから鉄魔法としての名前はない。ヒルダさんの【術式:火矢五連】のような技名のついた物もあるが、此処でそれを使ったら部屋が大変なことになる。拘束という選択肢が見事に正解だった。

 ベッドから降りた僕はサイドテーブルの上に置かれたジレッタの表紙を小突く。すると眠そうな声が本の中から聞こえてくる。

「なんだ……まだ3時半だぞ……」
「捕まえたぞ」
「む……」

 ひとりでに開いた本からジレッタが出現する。パジャマ姿のジレッタは床に転がる犯人……怪盗【無貌(フェイスレス)】を見下ろした。

「今回は侘助の読みが当たったな」
「ジレッタの助言があったからだよ。ありがとうな」
「ん」

 さて、一体どうしたものか。フェイスレスは抵抗する様子がなく、微動だにしない。
 隣に立つジレッタがフェイスレスの傍に寄り、しゃがんで顔を覗き込もうとしている。
 僕からはフードで隠れて何も見えないけれど、さっきは真正面から向き合っても見えなかったんだよな……本当に顔がないのか?

「なるほど、これが無貌の正体か」
「え?」
「魔道具の仮面だよ。目も口も鼻も覆っているが、まるで仮面がないかのように過ごせるようになっている」

 フードの中に手を入れたジレッタが何かを取り外すようにもぞもぞと動かし、仮面を取ってしまった。
 仮面からは革製のベルトが力なく垂れ下がる。どんだけガッチリ装備してたのか……それほど外れることを恐れていたのか。
 仮面がなくなった後のフェイスレス。巷を噂でいっぱいにしていた怪盗の素顔が見れると思うと思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまった。

 そっと腰を下ろし、フードの奥を覗き込む。すると其処には褐色の肌の幼い子供の顔があった。

「こんな子供が……怪盗フェイスレス?」
「子供ではないです。成人してます」
「そ、れは、えっと、すまない」

 急に喋り出して思わず謝ってしまった。だって口を開くとは思わなかったし、開いたと思ったらそれが見た目判断の訂正だったからビックリしちゃった。

「えーっと……フェイスレスさん?」
「そう呼ぶ人もいます」
「何で僕の刀を盗もうとした? 龍牙工房の剣も盗んだそうだけど、武器収集が趣味なのか?」
「武器に興味はありません。今回の盗みは仕返しです」

 その言葉にジレッタを顔を見合わせる。ほら見ろ、という顔をするジレッタ。

「君の稼業の邪魔をしたのは申し訳ないとは思う。でもああしなければ工房主が殺される可能性もあったんだ」
「ですが貴方の行いでもっと大勢の罪のない人が死ぬことになります」
「そりゃ傭兵は戦闘が仕事だから……」

 僕の言葉に、しかしフェイスレスは首を横に振った。

「そういう意味ではありません」
「え?」
「戦う意志もない一般市民が殺される、という意味です」
「それはどういうことだ? 話を聞かせてくれ」

 傭兵団がそんなことをするはずがなく、しかしフェイスレスが嘘を言っているようにも聞こえなかった。
 僕を見る目はとても真剣なもので、その目に映る僕は手を伸ばし、フェイスレスを縛る鉄の輪を魔力へと再変換し、拘束を解いていた。
 半開きだった窓を閉じ、カーテンを引いた。深夜も深夜。日入りと日の出、どちらが近いかと言われれば日の出の方が近い時間。できれば漏れ出る音は最小限に控えたい。

 椅子に座らせたフェイスレスの正面、ベッドの上に腰を下ろすとジレッタも僕の隣に並んだ。
 被っていたフードを外したフェイスレスには銀色の大きな猫の耳が生えていた。頭髪も耳と同じ銀色で、肩で綺麗に切り揃えていた。
 彼女はワーキャットと呼ばれる獣人種だそうだ。よく見れば背中側に尻尾がゆらゆらと揺れていた。猫にしては少し強靭な気もするが、可愛らしかった。

「ニャルと言います」
「侘助だ」
「ジレッタ」

 軽く自己紹介をする鍛冶師と魔竜と怪盗。改めて考えても不思議過ぎる組み合わせだった。
 できればお茶でも出してあげたいところだが、そんな気の利いたものはこの部屋にはなく、仕方なく何もないままに話し合いが始まった。

「じゃあニャル、聞かせてくれ。何故傭兵団に卸す予定だった剣を奪ったのか」
「はい」

 瞬き一つ。ニャルはあまり抑揚のない声で話し始めた。

「竜牙工房に依頼をした傭兵団は、実は山賊です」
「……話を聞いた時は一瞬、そういうこともあるかと思ったが、本当に賊だったとは」
「実に巧妙な連中です。依頼も達成しているので悪事が見抜けないんです」
「それを君は見抜いた、と」
「はい。隠れ家も知っています」

 隠れ家まで……あまりにも用意周到過ぎる。
 となるともしかしたら彼女は単独でその傭兵団……いや、山賊を倒すところまで視野に入れいていたのかもしれない。

「先程は仕返しと言いましたが、貴方の神刀緋心の噂は耳にしています。その刀なら私でも山賊を殺しきれると思って盗もうとしました」
「いや、まぁ、何でも斬れるっちゃあ斬れるけれど、多対一には殆ど関係ないと思うが」

 いくら武器を上手に扱えても立ち回り一つでいくらでも窮地は訪れる。
 そういう意味で答えたのだが、ニャルは首を横に振った。

「そうではないのです。私はワーキャットではありますが膂力の問題ですぐに武器を壊してしまうのです」
「あー……なるほど。確かに、そういう理由ならこの緋心は丈夫だから使えるかもしれないな」
「しかしそうなるとお前はこれまでどうやって戦ってきたんだ?」

 ジレッタの疑問は僕も抱いたものだった。

「相手の武器を奪って戦ってきました。あとは拾った物とかですかね」
「随分と場当たりな戦い方だな……」
「それでも何とかやってこれましたので」

 音もなく鍵を開けて侵入してくるくらいだ。その実力は本物のようだ。
 色々と聞きたいことは多い。しかし一番気になることがまだ聞けていなかった。
 その質問の回答も予測し、心の準備をしてから僕はニャルにその質問をした。

「ニャル」
「はい」
「緋心を無事に盗めた後は、やはり山賊を殺しに行くつもりだったのか?」
「はい。盗んだ後にすぐに。夜明けまでに終わらせるつもりでした」

 予測通りの回答だった。しかしそれをしっかりと受け止め……僕は天井を見上げてふーっと息を吐いた。

「わかった。すぐに行くとしよう」
「? 貴方が行くのですか?」
「違う。僕も、行くんだ」

 覚悟は今決めた。

 1人の犠牲で終わらせられるかもしれなかったこの事件。1人で済めば被害が少なくて良かったね、なんて話ではなく、かと言って多くの犠牲が出ちゃったけど1人救えたから良かったね、なんて話でもない。
 どちらにしても被害者が出てしまうことが問題だった。そしてそれに加担しているということも問題だった。
 これはニャルが解決したら終わりという話ではなくなった。首を突っ込んでしまった僕の責任でもあった。

「何故?」
「僕が招いたことでもある。その始末はつけないとな」
「そうですか。じゃあ行きましょうか」

 立ち上がったニャルが窓を開け、窓枠に足を掛けた。そっと肩を掴み、ドアを指差した。

「其処は出入口じゃないから」
「……そうですね」


             □   □   □   □


 この城下町は城から伸びる円形の防壁に囲まれた町だ。普通は城を中心に置くものだが、城の背後には城よりも高い山がそびえている。
 安全が確保されている分、住む者たちに土地をということでこのような造りになっているそうだ。
 そんな町に住む人間は安全を確保されている代わりに無断で防壁の向こうへ行くことは禁止されている。
 そりゃそうだ。中は安全、外は危険。誰だって分かる話だ。許可を得てギリ外出可能な世の中なのだ。
 無断でこっそり出て怪我しました何で守ってくれないんですか、なんて言われた日には誰だって兜を地面に叩きつけて思いつく限りの罵詈雑言を並べ立て、肩を怒らせて帰ってしまうだろう。

「此方です」

 なので僕たちはこれから怪我をしたとしても誰にも何も言えない。自業自得の真っただ中へと突入する。
 ニャルは防壁の古い部分に隙間があるのを見つけていた。小柄な彼女なら通るのも余裕だが、僕やジレッタはギリギリといったところだ。

「あとでこっそり塞がなきゃな……モンスターが入ってきてしまう」
「怪盗もな」
「此処から北西に向かいます」
「北西っていうと……」

 町の北側、城がある方面には難攻不落の山脈が西から東へと続いている。
 北西に向かえば自然と山にぶつかる。が、その前に麓に広がる森に入ることになる。
 モンスターの出現も多く聞く場所だ。と言ってもドラゴンとかそういう危険なものは居ない。新兵の練習にも使われるくらいの場所だった。

「森の奥、山の麓にある洞窟が山賊の根城です。これから其処へ向かいます」
「向かいますって、結構あるぞ。僕はてっきりもっと近場かと」
「全力で向かい、全力で殺し、全力で戻ればお仕事には間に合うんじゃないですか?」

 まったく他人事だな……しかし武器を得た山賊が鑑賞を続けるとも思えない。すぐにでもお仕事を始めるだろう。
 夜が明ける前に方を付けなければ……。
 僕の隣でニャルが両手を地面につける。なるほど、ワーキャット……獣人だから最速と言えば四つ足になるのか。其処は動物チックなんだな。

 なんて思っているとザワザワと銀の髪が逆立ち、ぶわりと黒いローブが揺れてニャルの体が一気に膨張した。

 瞬きすら許さぬ一瞬で、ニャルは巨大な銀色の虎の姿へと変化していた。

「? 早く行きますよ?」
「お、おおう。行くか!」

 あんなに小柄だったのに今は僕よりも大きな巨体だ。こんな虎に襲われたら勝ち目なんてないだろう。
 グッと地面を踏み込んだかと思えば、まるでロケットのように森へ向かって走り出した。太く強靭な尻尾を見送りながら、頬を掻いた。

「……僕たちも行くか」
「あれに付き合うにはかなり力を送るけど大丈夫?」
「やるしかないでしょ。頼むわ」

 言い終わると同時にジレッタの力が流れ込んでくる。身体強化の力だ。正確にはただ竜の力が無理矢理ぶち込まれているだけだが。
 肌が灼熱し、体内の水分が押し出され、肌の表面で湯気となっていくのが分かる。

 緋心を握りなおし、走り出す。世界陸上も真っ青な速度で僕たちはニャルの後を追い、夜更けの森に突入した。
 夜更けの森に響く音は風が鳴らす葉擦れの音と撓る幹の悲鳴だけだった。
 其処へ追加される落ち葉や枝を踏み抜く音。しかしそれも最小限にとどめ、滑るように僕たちは森の中を駆け抜けた。
 正面を走る銀虎は僅かな月の光を浴びてチラチラとその銀毛を光らせる。その大きく、小さな美しさに見とれながら、それでも警戒は緩めず、ついに僕たちは麓にあるという山賊が根城にしている洞窟の正面まで到着した。

「私が行ってもいいですけど、どうしますか?」
「此処は僕が」

 正面にはぽっかりと口を広げた洞窟の入口が見えている。その洞窟の左右には無精ひげを生やした男が2人。暇そうに、眠そうに警戒を続けていた。
 チリ、と指先が熱を持つ。普通はきっとそんなことはないと思うのだが、ジレッタの権能を行使し続けた所為か、元からそういう体質だったのか、僕は魔力を集めた部分が熱を持つことが多い。
 全身に魔力を巡らせる身体強化をした時は一番わかりやすいだろう。

 いや、そんなことは関係なくて。

「今回ばかりは……っ」

 こればっかりはジレッタの所為だが、指を鳴らさずには魔法を使えない体になってしまっていた。
 だけど今回はそれをやるとマジで全部無意味になる。発動を意識して、指は鳴らさずに……!

「おぉ、出来てるじゃないか」

 ジレッタの声に、自然と集中する為に瞑っていた瞼を上げると、キラキラとした粒子が地面を滑るように走っていくのが見えた。
 粒子は弧を描くように迂回し、山側から……つまり男たちの背中側から這い寄るように動かした粒子が男たちの首をぐるりと一周した。

「う、うぅ……駄目だ、無理」

 どう意識しても鉄に変換出来なかった。もうこれだけやれば詰みだろうと確信した僕は指を鳴らし、魔力を鉄へと変換した。

「!?」
「ぐ、が……ッ!」

 いきなり首を絞められ、声も出せず、しかも地面に固定された鉄の所為で身動きも出来ず、見張り達は数分後、呻き声も出さなくなった。

「やるじゃないか。今度はモーション無しで出来るといいね?」
「もうこればっかりはしょうがないよ。魔力の行使まではできるようになったけど」

 実際、指パッチンでやる方が最速で魔力の行使と変換が可能だからやった方が早い。というか、それが術式の発動キーになっているまである。

「難しいんだよな……」

 順序立てて考えれば魔力の行使の次に変換作業が入るので魔法使いは本当に凄い。
 僕がしているのは【鉄魔法】ではなく【術式:鉄魔法】だ。先程やった魔力行使までは自身の技量だが変換は【術式】による力だ。
 つまり、本来なら組み立てた術式に従って両方を同時に行っているが今回は魔力流動と鉄変換を別々に行ったということだ。

 変幻自在の鉄魔法。それが最も恐ろしいのは流動する魔力がいつ鉄へと変化するか分からないところにあると思っている。
 しかも魔力の流れは本人の意志次第だ。決められた道も、形もない。普通の人間ならまず勝てないだろう。
 実際、ベルハイムの力は正に向かうところ敵なしだった。彼が亡くなった理由が寿命というのが答えだ。

 魔力の流れも変換も全て魔術式として組み立てられている【術式:鉄魔法】じゃあいつまで経ってもベルハイムのようなことはできないだろう。
 今は流れも形も術式頼りだけど、今日のような使い方を極めていけば……そして其処へ【鍛冶一如】も加えれば、きっともっと凄いことが出来るんじゃないかと、僕はそう思っている。

「おい、いつまで1人反省会してるんだ?」
「ご、ごめん。次はどうする?」

 ジレッタの呼び掛けに我に返った僕は慌てて2人に次の作戦を尋ねる。
 僕の問いにニャルが人差し指を洞窟へと向けた。

「これから中に入って眠っている賊を一人一人手分けして始末していきます。できれば首を。喉を切れば悲鳴も出ません」
「わ、分かった……」

 今更ながら、相手が人間であることを思い出してきた。さっきまではバレないように慎重に、って方向へ気を遣っていたからその事実を頭の片隅に追いやれたけど……これからは違う。
 一人ずつ、緋心で始末するのだ。そう思うと指先が冷たくなるのを感じた。


             □   □   □   □


 門番役をしていた男の間を通り抜け、入った洞窟はヒンヤリとした空気が籠っていた。
 入口から中へ流れる空気も、奥から出口へ流れる空気もない。この先が行き止まりである証拠だった。
 足元の状態は悪くない。何度も出入りがあったからか、天然のものか、それとも整備したのか、凹凸もなく歩きやすい。

 何度か曲がり角はあったが極々短い距離を歩いたところで拓けた空間へと出た。
 其処はいくつかの木組みの棚やベッドまで置かれて立派な居住空間になっていた。そして多くの山賊が寝転がっている。ベッドが足りない分は床にまで寝ている。
 ざっと見て30はいそうだった。あの20本の剣は足りない分、ということだろうか。 それとも犯罪行為が成功した褒美?

 どちらにしても、回収する他ない。何方かと言えばそっちがメインだ。もう手を汚していて虫のいい話だが、できれば手は汚したくない。

 だがふと考えが浮かぶ。昔、生意気な新入社員と話した内容だ。其奴は口が達者なだけですぐ辞めていったからあまり顔は覚えてないが、言われた言葉だけは覚えていた。

 『三千院さん、価値観はアップデートしていかないと(笑)』

 確かにこう言われた。年を取ることで自分の価値観や観念が固定化されていくことが時代に取り残される大きな原因になる、というのが彼の意見だった。
 別にそんなに年が離れてる訳ではないしな、なんて適当に返事していたが、今になって思い出す。

 世界が違えば、価値観も違うということ。

 なるほど、アップデートも必要な訳だ。そしてその逆の価値観を下げるということも必要になってくる。
 要は周りに合わせるというだけの話だ。でもその中に必ず自分の考えは必要な訳で……これがなかなか難しい。

 人の命が重い世界。人の命が軽い世界。

 ただこの違いだけでどれだけ頭を悩ませていることか……。

「沢山言い訳しても、きついよなぁ……」
「無理しなくていいよ」
「何だよ、僕が何を考えてるのか分かるのか?」

 僕のぼやきを聞いた最後尾のジレッタに振り返る。また適当言ってんだろうなと思ったが、その目は真剣そのものだった。

「分かるよ。侘助はそういう世界で生まれてないから」
「……ありがとう。でもこれは僕がやらなきゃいけないことだから」
「侘助はあの工房を助けただけ。この事態は何があったも起きたことだよ。侘助が背負うことじゃない」

 確かにそうかもしれない。僕がやらなくても誰かがやったことだと思う。
 悪事を働いたのだ。いつかその報いがあるはずだ。
 なら、人を手に掛けた僕にも、いつか……?

「私も背負う」
「え?」
「私は侘助と契約してるから、一緒に背負える。楽しいことも、悲しいことも、面白いことも辛いことも。全部半分ずつだよ」

 まるで結婚式の神父みたいなことを言ってる。これじゃあ、け、結婚するみたいじゃないか……。
 別に日本に婚約者や彼女が居た訳ではないが、こうも真正面から言われると流石に挙動不審にもなってしまう。

「おめでとうございます」
「いやニャル、違うぞ。違うからな」
「それはジレッタさんに失礼なのでは?」
「おい、結ばせようとするな」
「侘助、どうなんだ?」

 先頭を歩くニャルを問い詰めようとすると背後からジレッタの追撃が僕を襲った。

「ど、どうとは?」
「背負わせてくれる?」
「う……あー……せ、背負ってくれると、有難い……かな」
「そう。じゃあ半分ずつね」
「やっぱりおめでとうございますじゃないですか」
「お前なぁ……!」

 人の気持ちを何だと思ってんだこの銀トラは!

「シッ。あまり大きい声を出したら気付かれます」
「~~~~~ッ!!」
「それでは入口から奥へ順に手分けして始末していきましょう」

 何なん此奴! 腹立つ!

 ニャルのやりたい放題っぷりに憤慨していたが、2人が武器を取り出すのを見てスーッと頭の中に冷風が吹き込んできた。
 そうだ。ふざけてはいるが、此処から先はふざけられない。
 左手に握る緋心の鞘。その中の刃を突き立てなければならない。

 しかし気持ちは先程よりは軽かった。かと言って覚悟が軽くなった訳ではない。
 彼らも生きる為にしていること。そして僕たちも生きる為にするのだ。
 右手で掴んだ柄は重く、その重圧が肩に伸し掛かる。

 それでも僕はこれを選んだのだ。ジレッタと半分こすることを条件に。

「すぅ……はぁ……」

 深呼吸し、集中する。さぁ、自分の責任を果たすとしよう。