空を覆っていた雲はついに夕暮れになっても晴れなかった。シームレスに暗くなる空に夜を感じ始めた時、出立していた兵達が帰ってきた。
 陣地に残っていた全員で出迎えて戻ってきた者達の様子を見るが、大きな怪我はないようだった。医療班の出番も、鍛冶師の出番もなさそうだ。
 良いことではあるが、やはり多少の肩透かし感は拭えない。

 調理班が今日は香辛料を混ぜたピリ辛のスープとパンを持ってきてくれた。

「ん……これ美味しいな」

 今日のパンはただのパンではない。間に野菜と焼いた肉が挟み込まれたスタミナサンドイッチだ。無事に帰ってきた兵達へ向けた慰労メニューだ。

 何もしてない身でそれを食べるのは少々の心苦しさがあったが、胃の直情的な要求に屈した僕はそれにかぶりつく。じゅわりと溢れる肉汁が野菜と絡み合いながらパンを湿らせていく。
 咀嚼しながら椀のスープを啜る。本来であればこの肉汁を洗い流して口内をリセットするところだが、香辛料がそれを許さない。
 まるで休もうとしている僕のケツを叩いて全力疾走をさせているような、そんな焦燥感に迫られる。

 駆け抜けるように胃に食事を詰め込んだ僕は息を切らしながらベッドに横になった。福の至りである。

「体に悪いよ」
「体に悪いものは心に良いんだよ」
「屁理屈」

 まったくもってその通りだった。

 胃と体と心が落ち着いたところで天幕を出て陣地内を腹ごなしの散歩する。兵の皆は天幕は寝泊り用だから、それぞれが表に出て談笑しながら食事を行っていた。
 疲れた様子だが、大怪我もなかったから暗い顔をしている者は居なかった。

 一通り皆の顔を眺めながら歩いた僕は自分の天幕へと戻った。先程は体に悪いと怒っていたジレッタは、僕と同じようにベッドの上に寝転がっていた。

「体に悪いぞ」
「もう体に悪い時間は去った。後は体に良いだけ」
「屁理屈」

 反論に反論を重ねないジレッタは寝返りして僕に背を向けた。勝ちです。

 しかし戦場とは言っても陣地は平和そのものだった。
 油断してはいけないのは分かっているのだが、やはり毎日の鍛冶作業とは違う非日常感から少々の浮かれは出てしまうのが人間だ。
 やってる内容は今の所食って寝てちょっと仕事してまた食って寝てるだけなのが悲しいところだが。



 だがそんな食っちゃ寝浮かれぽんち野郎は深夜に叩き起こされることとなった。

「敵襲ーーーーー!!」

 がばりと布団を蹴飛ばして跳ね起きた。閉じようとする瞼を頬を叩くことで無理矢理開いて手の届くところに置いてあった緋心を掴んで天幕の外へ飛び出すと、剣を手にした兵達が駆けていくのが見えた。
 その中の1人が僕に気付いて此方へ駆けてきた。

「侘助殿、敵襲です!」
「ゴブリンですか!?」
「はい! 昼間の報復なのか、夜襲を掛けてきました。戦闘力は低いですが数が多いです。危険なので中へ!」

 そう言われて天幕の中に押しやられる。

「では!」

 何かを言う前に兵士は踵を返して天幕から出て行ってしまった。取り残された僕はこれからどうすべきかを考えた。

 此処に来た時、ジレッタには戦うつもりはないと言った。
 だが実際にこういう場面になってしまっては戦わざるを得ない。でないと多くの人が怪我をする。死ぬかもしれない。
 僕一人が参戦したところで意味はないかもしれないが、それでもやれる力を持っていながらそれを使わないのは、なんというか、気持ちが悪い。

 ベッドの横に立て掛けられた緋心を見る。

「行くのかい?」
「あぁ。本当は戦いたくないけれど、このまま天幕に引っ込んだままってのは嫌なんだ」
「君ならそう言うと思っていた。為すべき事を為せ。その方が……」

 ジレッタの言葉を聞き、自然と僕は腕を組んでいた。祖父の心を、言葉を胸に、僕は続きを紡いだ。

「その方が、格好良い。だろう?」
「あぁ、その通りだとも」
「いくぞ、ジレッタ!」

 緋心を掴んだ僕は天幕を飛び出した。視線の先には剣を振るう兵士達の姿が見えた。転がるゴブリンに槍を突き刺しているのも、しっかりと見える。

 其処へ駆けていき、警戒している兵士に声を掛けた。

「やっぱり僕も戦います! 此処で何もせずに座ってるなんて出来ない!」
「侘助殿……! 正直、心強いです! ヒルダ様と互角の腕前を持つ天才渡界者、侘助殿の剣術、勉強させていただきます!」

 流石に持ち上げ過ぎだ……そんな大それたものではないのだが、自分の身や戦えない人の身を守る為なら剣を振ろう。
 訓練なら得意なのだが命のやり取りをするべき時が来たようだ。

 声を掛けた兵に続いて走るとジレッタが付いてくる。

「たまには全力で戦うこともしておいた方がいいよ」
「昼間、全力で鍛冶やったところなのに体がもたないな」
「ベッドで横になれば体にも心にも良い」

 トン、と背中を押される。するとカッと全身が熱くなる。血が倍速で全身を駆け巡っているような錯覚に陥る。両耳に心臓がついたかのように鼓動の音がうるさい。
 ハッ、ハッと浅くなっていく呼吸を意識的に深呼吸に切り替え、剥きだした歯の隙間から吐いていく。自分がどんどん好戦的になっていくのを感じた。

「やりすぎだ、ジレッタ……!」
「それくらいが格好良いよ。さぁ頑張れ、侘助」
「うぅ……」

 心臓が痛いくらいに飛び跳ねている。まるでこれから戦場に赴くのを喜ぶかのようだ。
 痛む胸を抑えながら左手の中の鞘を強く握る。ゴブリンの血を見ない限りは落ち着いてくれなさそうだ。

 陣地を真横に突っ切り、外へと出ると斬り捨てられたゴブリンの死体がいくつも転がっていた。その奥では兵達が森から飛び出して来るゴブリンを剣で突いているのが見える。
 その様子を見ていると、今死んだばかりの仲間の死体を踏み台にして飛び出したゴブリンが兵と兵の間を飛び抜けて僕の方へと四足で走ってきた。

「一匹抜けたぞ!」
「誰か対応しろー!」

 その声に反応した僕の隣の兵が、僕の前に立ちはだかる。剣を抜いてそのゴブリンを殺そうとする。

 が、後ろから肩を掴んで位置を変える。ゴブリンの前に立つのは僕だ。

「侘助殿!?」

 兵の驚いた声が聞こえるが、応答はしなかった。僕の目に映っているのは乱杭歯を剥き出しに掛けてくるゴブリンだけだ。その鳴き声すら耳には届かない。届いても認識しないくらいに僕の頭は茹りつつ、冷静だった。

 姿勢を低くし、鯉口を切り、掴んだ柄を左下から右上に向かって引き抜く。

 それだけで駆けていたゴブリンは、僕と兵の左右へ別れながら(・・・・・・・・)駆け抜けていった(・・・・・・・・)

 勢いがなくなったゴブリンがビチャリと粘着質な音を立てて背後で倒れた。目だけ動かして確認した刀身には汚らしい血は付着していない。ふぅぅぅ、と長い息を吐きながら緋心を鞘へと納めた。

 その様子を見ていた兵士達がわぁっと歓声を上げた。僕は僕の心臓を落ち着かせたくてやっただけなのだが、兵士達の士気は勝手に上がっていった。

「うおおおおおお!」
「神刀をこの目で見れるなんて……!」
「【魔竜の鍛冶師】が出るぞ! 道をあけろ!」

 開けんでいい開けんでいい……ていうかその二つ名、どうにかならんか。

 そう言おうと口を開いたが、言う前にゴブリンの鳴き声に出鼻をくじかれる。
 舌打ちと共に声がした方を見ると1人の兵士に数匹のゴブリンが寄って集ってボロボロに刃こぼれした剣で叩いていた。なんとか盾で上半身を守っているが当たり所が悪いと命の危険がある。
 周りの兵が剣や槍でゴブリンを払おうとするが、周囲のゴブリンが兵の救出を邪魔していた。

 なんとか助けようと一歩踏み出す。と、思っていたよりも距離が詰まった。拙い、すぐに緋心を……。と思った時にはすでに抜き放った緋色の刃がゴブリン達の首を綺麗に寸断していた。
 鞘を持つ左手に一緒に緋心を握り込みながら、汚らしい紫色の噴水を上げる趣味の悪い緑色のオブジェの中でひっくり返っている兵士に手を差し出す。

「大丈夫ですか?」
「……あっ、は、はい!」

 放心していた兵士を立ち上がらせ、右手に持ち替えた緋心の刃を見る。やはり血一滴付着していない。
 なんだろう、あまりにも早い斬撃の所為で血が付かないとかそういう漫画的なものなのだろうか。それか魔緋鉄(ヒヒイロカネ)の撥水効果がとんでもないのか。

「……うん、きっと後者だろうな」
「侘助殿?」
「なんでもないです。それよりもやるべきことをやりましょう」
「はい!」

 その後も襲ってくるゴブリンを汚いオブジェへと作り替える作業をひたすら行った。
 ジレッタに過剰供給された権能を使い果たす頃には野性的な高揚も落ち着き、後半は肩の力を抜いて戦うことができた。

 後から合流してきたヒルダさんが『さしもの魔竜の鍛冶師殿も疲労はするらしい』なんて言ってたが、これが本来の僕であることを念押ししておいた。
 しかもジレッタの平均的な能力上昇の権能があってこれだ。本来の僕はもっとクソ雑魚なのを理解してもらいたい。
 だが教える術のない僕は適当に頬を掻いて苦笑するほかなかった。