第一章 Travel to Whiteford

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 今にも振り出しそうな曇天の下、桐畑瑛士(きりはたえいし)は、U―20サッカー日本女子代表候補対JFAアカデミー福島男子U―15の試合を観戦していた。
 会場は、市立の運動公園。陸上競技のトラックの内側に設けたサッカー・グラウンドで、ゲームは行われていた。観客はそこまで多くはないが、皆熱い視線を選手たちに向けている。
「マノン!」「縦だけやらすな!」男子チームの間で時折、熱の籠もった指示の声が飛び交う。
(ああ、俺もあんなんだったよな。自分の力を過信して、どこまでも行けると大いなる勘違いをやらかして。……若かったっつぅか、幼かったつぅか。たった二、三年前だってのに、妙に懐かしいぜ)
 ぼんやりとボールを目で追いながら、桐畑は小さく溜め息を吐いた。
 桐畑がサッカーを始めた年齢は、五歳である。学年とともに才能は開花し、小学五年の時には、市内では知らぬ者がいないスター選手だった。
 中学時代も、決して強くはない公立校のサッカー部で一人大活躍していた桐畑は、顧問の紹介によって、全国総体の最多優勝を誇る龍神高校サッカー部のセレクションを受験。スポーツ特待生の座を、見事に射止める。
 合格後の桐畑は、有頂天だった。
(中学じゃあ県の選抜止まりだった。だが俺はこっからだ。高校こそは、全国に俺の名を轟かせてやるぜ)
 楽観混じりではあるが、並々ならぬ決意を抱いていた。
 しかし、そこは国中の猛者が集う龍神高校サッカー部。桐畑の目論見は、あっさりと外れる。
 入学前の春休み。スポーツ特待生が参加する龍神サッカー部の練習に臨んだ桐畑は、周りに従いていけず、自分が、合格ラインのぎりぎりであった事実を知る。
 Bチーム(二軍)に振り分けられた桐畑は、入学後も練習に出続けるもレベルの差を痛感し、一ヶ月であっさりと退部する。小、中と鶏口だった桐畑には、牛後に着く屈辱は耐えられなかった。
 以降、桐畑は放課後と休日の予定がなくなった。今回の試合観戦も、その暇つぶしの一環だった。
 前半終了のホイッスルが鳴った。桐畑は白けた思考を中断し、正面の大型モニターに目を遣った。スコアは二対二。両者譲らない、シーソー・ゲームだった。
 十分ほどのハーフ・タイムが終わり、選手たちが再びコートに現れ始めた。桐畑は、選手交代で新たに加わった一人の女子選手を注視する。
 女子選手の名は、朝波遥香(あさなみはるか)。龍神高校女子サッカー部所属の、チーム最年少の高一だった。ポジションはフォワード全般。年代別のナショナル・トレセンの常連で、今回は飛び級でU―20に初選出されていた。
(うん、やっぱ美人だよな。いや惚れてるとかじゃなくて、客観的に見て。全国模試九十七番とかって話だし、天は二物どころか三物まで与えちまったわけだ。まったく、不平等極まりないぜ)
 身長は中の上で、体型は痩せ過ぎでないがスマート。遥香は、全体的に健康的な印象だった。
 ポニーテールの髪は絹のように滑らかで、色はわずかに茶色がかった黒である。プレーの邪魔にならないよう、前髪をヘアバンドで纏めている。大きな目とすっとした鼻は、優しさと知性の両方を強く感じさせるものだった。
 両チームとも追加点のないまま、後半の五分が経過した。遥香は終始、持ち過ぎずにシンプルにボールを捌いていた。
 男子チームのカウンターが失敗し、女子チームがボールを奪取。カウンター返しの速攻を仕掛ける。
 ペナルティー・アーク近くで、遥香がドリブルでゴールを狙う。追う男子の5番は、猛然と右からショルダー・チャージを掛けた。
 軽く飛ばされる遥香だったが、事前にボールを同方向に持ち出していた。やや進路は変わるも、ドリブルは継続される。
(相手の勢いを利用して推進力を得る、か。自分の身体の使い方をよーく理解してやがる。ほぼ同年代の男子にゃ、まともにぶつかりゃ勝ち目はねえもんな)
 桐畑が感心する中、遥香は右前方にパスを出した。
 わずかにバック・スピンの掛かった浮き球を、女子の7番がシュート。ボールはゴールに吸い込まれていった。
 三対二、女子の勝ち越し点だった。
 遥香はチームメイトの追走を受けつつ、ジョギングで自陣へと引き返していった。穏やかで柔和な笑みからは、深い満足感が読み取れた。