家に着いてから、約束どおり曲を公開しなければのらなくなった。
 あの曲名は「サイレント・ワルツ」。
 恥ずかしいし、これを厳しくダメ出しされたら、自分の恋心まで否定されたみたいに思えて自信を完全になくしてしまいそうだが……、もう、いい。

 いつもなら歌声を先に収録してパソコンに取り込み、打ち込んだ演奏とミックスした上、かなり修正を入れてからしか公開しないのだが、今日は弾き語りの一発収録に挑戦してみる。
 タブレットのカメラをパソコンと同期させ、ギターを弾く手元だけを映るようにした。マイクはボクの口元に1本だけ。このマイク1本で、ギターの音も何とか拾えるだろう。

「よし」と自分に言い聞かせるように声を出すと、パソコンのアプリの「REC」ボタンをクリックした。
 ピックでコードをストロークしてイントロに入ると、ワルツ特有の懐かしいリズム感がボクを包む。
 そこからは唄い終わってパソコンの「REC OFF」ボタンをクリックするるまで夢中だった。

 出来上がりを試聴するのはやめよう。
 一発収録だから、間違いなく、ところどころメロディーを外している。それを確認したら、公開したくなくなる。
 MP4にデータ化して自分のチャンネルに公開すると、すぐにパソコンを閉じた。

 見た人たちの反応が怖い。
 大丈夫かな?
 そもそも、ボクのチャンネルを見ている人の数は少ないから、すぐにリアクションはないと思うが、……気になる。

 ふさぎ込むようにベッドで横になり、楽曲のリアクションがくる怖さを消し去るように、ケータイでエド・シーランの「Shape Of You」を大音量で流した。

「ご飯だよ」と父さんが呼びに来たから、部屋にパソコンとケータイを置いたまま、リビングに行く。そして、食べながらダラダラとして1時間くらいが経っただろうか。

 自分の部屋に戻るとケータイの画面が点滅している。通知があるようだ。
 通知の一覧を開いてみると、SNSに見たこともないたくさんのメンションされたコメントが入っている。
 まさか?
 あの曲が?

 しかし、あの曲は動画投稿サイトにこっそり公開しただけで、SNSでは書き込んでいないから、おかしい。

 SNSを立ち上げてみる。
 嘘だ、待って。

 ━━━━聴いたよ、キュンキュンした
 ━━━━いつものより、この曲がいい
 ━━━━ギターも歌もうまい!
 ━━━━中学生とは思えないクオリティだよ
 ━━━━かっこいい

 次々と嬉しいコメントが並ぶ。
 こんなことってあるのか?

 検索してみると、インフルエンサーらしき人がわざわざシェアしてくれたようだ。
 動画投稿サイトのボクのチャンネルを開いてみる。

 い、い、1.5万PV?!
 これまで、公開しても数百PVくらいだったのに、一気に跳ね上がっている。

 こんなことが起こるんだ。
 自分のつくったものが、ちゃんと多くの人に届いていて、何か人の心に残しているということを、初めて実感した。
 嬉しい。
 大げさな言い方かもしれないけれど、今まで生きてきた中で、今が一番幸せだ。
 生まれてきて、よかった。

 この時、真っ先にツキカさんの顔が思い浮かぶ。
 このことを伝えたくて、仕方がない。
 ツキカさんの言うとおりにしたから、こんなに注目を集められたのだ。

 喜んでくれるかな?
 表現者として、少しは認めてくれるかな?
 こんなに嬉しいボクのそばにいてほしい。

 でも、ボクはツキカさんの連絡先を知らない。
 ケータイを持っているかどうかも分からない。

 会いたいな。
 顔が見たいし、一言でもいいから、筆談がしたい。

 じゃあ、いっそのこと、会いに行っちゃう?!

 ツキカさんの家が、筆談カフェの隣にあるのは知っていた。
 時間は、午後7時13分か。自転車で急いだら、午後7時30分前には着く。
 やっぱり、ボクは会って伝えたい。

「この前、筆談カフェに忘れ物してたみたいだから取りに行ってくる」と親に嘘をついて家を出た。
 街はすっかりクリスマスの雰囲気に染まっていて、飾りやイルミネーションでキラキラしている。すっかり冷え込む時間帯だが、ボクには苦にならなかった。
 筆談カフェに自転車を止め、ツキカさんの自宅の前に行く。
 着きはしたものの、どうやって会ったらいいんだろう? 自宅に行ったら、ツキカさんのお父さんとかお母さんがいて、「こんな時間に何ですか?」と𠮟られそうだ。
 一目だけでも会いたいのに。
 よく見ると、家の電気が点いていないし、車もない。家族でどこかに出かけているのかな?
 じゃあ、待つか。いや、こんな暗い時間に玄関の前で立っていたら不審者だと思われてしまう。
 ボクは道路の反対側の筆談カフェの入り口前で待つことにした。ここなら、誰かと待ち合わせをしているみたいだし、立っていても怪しまれないだろう。

 しばらくすると、ボクの前で一旦停止する車があった。
 ツキカさんだ!
 助手席に座っていて、ウインドーを開くと驚いた目でボクを見ている。運転しているのは、……若い人だ。お姉さんだろうか?
「こんばんは。あなたが、豊樹くん?」と話しかけてくる。
「はい」
「なかなか、いい男なんじゃない」と笑っていた。よかった、優しそうな人だ。
 そして、ツキカさんは車を降りると、お姉さんらしき人はそのまま車を向かいの自宅の駐車場へと走らせる。

 よかった。会えた。伝えられる。

(どうしたの?)と口の動きでボクに伝えてきた。

「あのさ、この前の曲、さっき公開したよ!」
 ここは会話禁止の筆談カフェではないから、声に出して伝えた。考えてみれば、ツキカさんに声で話したのは初めてた。

「それでさ、1.5万PVでプチバズリになった」
(すごーい!)と、また口を動かし、喜んでくれている。
 本人の言うとおり、耳はしっかりと聞こえているようだ。
 そう、この笑顔が見たかった。

「ありがとう。ただ、それだけをどうしても伝えたくて……。こんな遅い時間に、ごめん」
 ツキカさんは、ボクの背中のリュックを勝手に開けて、ボクらの会話が詰まったいつもの筆談用スケッチブックとペンを取り出す。そして、ゆっくり書き出した。

(今夜、豊樹くんの声、初めて聞いた)
 そういえば、そうか。いつも筆談だけだったからな。

(いい声。豊樹くんの声、好き)
 好き?
 スケッチブックの「好き」という文字が、頭の中でグルグルするが、そうか。
 好きなのはボクじゃなくて、ボクの声ってことだよな。

(公開してうまくいったことを私に伝えるために、わざわざ来てくれたの?)
 恥ずかしい。
 もう、好きなのが、バレてるかな?

 頷いた瞬間、ボクは言葉を失った。
 え?
 ええ⁉

 ツキカさんはスケッチブックを地面に落とすと、ボクにハグしてきた。
 ほんの一瞬だったけど。
 体がギュッと触れた。

 え?
 もう終わり……。
 すぐに体がボクから離れる。

 ツキカさんはスケッチブックを拾うと、(来てくれてありがとう。家に戻るね。おやすみ)と書き込んで、手を振る。

「おやすみ、バイバイ」
 ツキカさんは、家に向かう。

 ボクはまだハグの衝撃が抜けなくて、しばらく立ち尽くしていた。