「あった……!」

 涼佑と真奈美はほぼ同時にそう言うと、急いで井戸に駆け寄った。井戸には木の板で蓋がされており、釘が打ち付けられている。釘は錆びており、ここに板が固定されてからだいぶ時間が経っているのだと示していた。釘を抜くような道具なんて持っていないので、どうしようかと涼佑が悩んでいると、真奈美が木の板の縁を両手で掴み、そのままこじ開けようとする。

「お、おい、真奈美」
「涼佑くん、ここは夢の世界だよ。思えば、素手でこれを外すことだって、出来るはず……!」
「いや、でも……いくら夢の中だからって――って、え?」

 真奈美の主張に涼佑が戸惑っていると、ぎ、と音を立てて木の板がほんの少しだけ浮き始める。その光景に「嘘だろ……」と零したが、真奈美に「涼佑くんも手伝って!」と言われ、慌てて木の板を掴んだ。だが、どんなに力を込めて引っ張っても蓋は外れない。

「くっ……! やっぱ、無理だよ! 真奈美……っ!」
「無理じゃない! 絶対、助けるんでしょっ? だったら、無理じゃないの……っ!」

 直樹達を絶対に助ける。そう決意こそしたが、まさか釘でしっかり固定された木の板を素手で剥がすことなど本当に可能なのか。疑わしかったが、巫女さんもいつまで持ち堪えられるか分からない。無茶苦茶だと思いながらも、涼佑は真奈美の言う通り、可能だと思い込もうとした。すると、僅かだが、ぎ、ぎ、と軋むような音を立てて蓋が少しずつ浮いてくる。行ける。そう確信すると、涼佑と真奈美は益々力を込めて蓋を外しにかかる。早く、早くと逸る気持ちのまま手で引っ張り続けていると、唐突にがこんっと勢いよく蓋が外れた。

「開いたぁ……!」

 瞬間、どっと井戸の底から大量の光が一直線に空へ向かって溢れ出す。これが人の魂なのかは涼佑には分からなかったが、最早光の柱のようになっているその中から直樹、友香里、絢が姿を現した。

「みんな!」
「うぉおおおっ!! 涼佑ぇえええっ!」
「真奈美!」
「絢……友香里……。良かった……!」

 直樹だけは何があったのか、泣きながら出てきたが、絢と友香里は元気そうだ。再会できたことに涼佑達は互いに抱き合ったり、涙ぐみつつも三人を出迎えた。



 刀と骨がぶつかり合う音が激しく響き、とうとう巫女さんが未来に迫ったことを示していた。ここまで腕共に邪魔をされ、やっと全て切り払ったところだった。巫女さんの方が圧倒的に実力が上なのか、元々未来に攻撃手段というものが殆ど無いのかは不明だが、巫女さんの攻撃に未来も涼佑達の方へ戦力を裂く訳にはいかなかったのか、彼女の相手をするだけで精一杯のようだった。そんな戦いの中で唐突に、井戸の方から光の柱が噴き上がる。それを空の眼窩で見た未来は悲痛な叫びを上げた。

「いやぁあああああああっ!!」
「やったか、涼佑。――後は」

 ちらりと光の柱を一瞥した後、巫女さんは刀で押さえ付けながら未来の肋骨の辺りを蹴って転倒させた。しかし、それで彼女が死ぬ訳ではない。この世界を造った謂わば、創造主である彼女だけは例外なのだろう。

「いや……いやっ……! あの人が……私は、あの人が帰って来るまで……」
「……哀れなものだな。お前の魂はもうここにすら無いというのに、ずっとこの夢を繰り返している」

 巫女さんには最初に未来と会った時、既に分かっていた。彼女は未来本人の魂ではなく、残留思念のようなものだと。でなければ、この『転ぶと死ぬ村』が夢を通じてここまでの怪異となることは不可能なのだ。ならば、せめてこの一太刀で終わらせてやろうと、巫女さんは地面に這いつくばっても逃げようとしている未来に向かって、滅丸を振り上げた。しかし、それだけだった。目の前で起こったことに彼女は滅丸を振り下ろすことは無かった。
 未来の前に清が現れたからだ。

「巫女さん! 待って!」

 絢の声に巫女さんは声のした方を見る。涼佑達が走ってこちらに向かって来るところだった。振り上げていた刀を下ろし、巫女さんは彼らに向き直る。

「お前達、これは……?」
「はぁ……はぁ……。わた、し、達、井戸の底で、あの人に会ったの……」

 息を整えてから絢は未来と清を見て説明を続けた。

「ずっと後悔してるって、清さん、言ってたよ。未来を置いて行ってしまったこと、告白に応えられなかったこと、会えなくなってしまったこと。ずっと」

「だから、未来ちゃん。もう止めよう。今度こそ、大好きな人と一緒に行って」絢の言葉に、未来は漸くこちらの言葉が届いたらしく、元の幼い姿に戻っていた。隣には同じように少年だった頃の清がいる。

「いっしょに?」
「うん」
「もう、はなれない?」
「大丈夫だよ」

 まだ少しだけ不安そうな未来の手を清がぎゅっと握る。そちらへ顔を向ける未来に清は微笑んで何事か耳打ちした。頬を染め、感激の涙を流す未来にいつの間にか、絢も涙を零していた。最後に未来は絢にぎゅっと抱き付くと、「分かった。ありがとう、ごめんね」と言い残して、清と共に光に包まれ、消えた。
 終わった、と誰もが思い、巫女さんは納刀する。だが、すぐ後には夢の崩壊が待っていた。おどろおどろしい空や社殿は元に戻ったが、地響きが世界全体に広がり始め、境内に大きな亀裂が走る。

「まずい、夢が崩壊する。みんな走れ!! 崩れるぞ!!」
「なんか、オレらずっと走ってねえっ!?」
「いいから、行って! 巻き込まれるよ!」

 急いで神社から走って出ようとする涼佑達。その時、社殿に向かって祈りを捧げている絢の姿が目に入った友香里は、その手を引いて鳥居へ向かう。

「ほら、絢も!」
「わっ!? ちょっと、友香里!?」

 突然、引っ張られたことに驚いて抗議の声を上げる絢に、友香里は言葉を続ける。

「未来ちゃんはちゃんと天国に行ったんだから、もう泣かない!」
「! ……うん!」

 泣いて送るのではない、という彼女の言葉に絢は温かい気持ちになりながらも、気持ちを切り替えていつものように前へ出て、友香里の手を引いて走った。



 村を出ると同時に皆それぞれ目が覚め、いつもより少し早い時間に真奈美は夢日記を書き始め、友香里は最後に握っていた絢の手の感触がまだ残っているような気がして、少し嬉しくなり、絢は窓の外を見て、未来のことを思って微笑み、直樹は寝た気がしないとげんなりし、涼佑は長い夢だったなとどこか不思議に思い、自分では未来を成仏させられなかったことを反省した。

 早朝の八野坂町を見下ろし、スマホで時刻を見ていたその人物は「チッ」と舌打ちをした。また失敗した。だが、奴の実力は分かってきた。次はどんな手を使ってやろうかと考えながら、その人物はポケットから電子煙草のカートリッジを出すと、それを持っていた銃に込める。黒光りするリボルバー式のそれは造形は精密だが、見る者が見れば、エアガンだと分かる。弾ではなく、カートリッジを込めるという一見、誤った使い方をしているが、その人物は当然のようにその照準を、今度は八野坂第一高校の方角へ向けて、引き金を引いた。

『転ぶと死ぬ村』の怪異について再び話し合う機会があったのは、昼休みだ。「寝た気、全っ然しねえわー」と言う直樹に涼佑が「だからって、午前の授業全部寝る奴がいるかよ」と突っ込む。そんな二人にいつものように絢達が絡んでくる。

「マッジで? それ、怒られなかったの?」
「怒られたに決まってんじゃんよ。お陰で放課後、指導入りまーす」
「自業自得過ぎて同情できないわー」
「頑張ってね、直樹君」
「ありがとな、友香里。真奈美も応援してくれよぉ」
「え、何を?」

「もうっ、真奈美の天然ー!」と騒いでいる彼らにこれまたいつものように夏神が近付いて来た。

「相変わらず、楽しそうだね。涼佑君達」
「出たな! 夏神!」
「そんな、人を幽霊か何かみたいに……」
「こら、謝りなさいよ。夏神くんに失礼でしょ」

 何気ないやり取りに涼佑は心のどこかでほっとする。他愛のない日常を目にしながら小声で彼は傍らにいる巫女さんに言った。

「きっと、未来さんもちゃんと成仏できた、よな? 巫女さん」
「……ああ、おそらくな」
「良かった……」

 自分の力ではないが、それでも彼女がちゃんと清と共に天国へ行けたのだと殆ど確信に似た思いが込み上げてくる。自分達はやっと一人の魂を救うことができたんだと、涼佑はどこか誇らしい気持ちでいた。
 だが、巫女さんの心中ではそれを否定していた。あの夢は残留思念の未来が造り出した世界で、それがいつしか独り歩きをし始めて怪異となったものだ。それを一度だけ解放させたからといって、思念が完全に消えた訳ではない。おそらく、本人の魂はとっくの昔に成仏しているだろう。ただ、彼女の後悔という思念だけが未だこの世を彷徨っている。だから、『転ぶと死ぬ村』は未だこの世から去った訳ではない。
 しかし、それをわざわざ教えてやる気は彼女には無かった。折角、皆未来を成仏させてやることができたと喜んでいるのだ。水を差すことも無いだろうと思ったからだ。それに、再び遭ったとしても、もう攻略法は知っている。私達の敵ではない。
 そんなことを考えている巫女さんを、ただ一人、見つめている存在がいることを彼女はまるで気が付かなかった。