今まで彼女達は多くの依頼を請け負って来たが、それは三人の好奇心半分、友香里の正義感半分でできた、中途半端なものだ。絢や真奈美がこれ以上、関わるのは危険だと判断したら何かしら理由を付けて離れるのが彼女達の緊急措置だ。幸い、今まではそんな杜撰なやり方でも危険を回避できてきた真奈美達だが、今回ばかりはそうはいかないだろうと絢は思っている。何せ、彼女達が本物の霊を相手にするのは、今回が初めてだからだ。

「私は……」

 そこで真奈美は少し言い淀んだが、内心で絢に謝りつつも本心を告げた。自分の中の衝動に抗うことはできなかったからだ。

「私は、続けたい。本当に私の知らない世界があるのか、この目で見てみたい」
「それ、本気で言ってる? どうなるか、分からないんだよ? 新條も、あんたも」
「うん」

 たとえ、それが原因で破滅しようとも後悔は無い。絢を見返す真奈美の目はそう言っていた。それを汲み取ると、絢は諦めたように破顔する。

「しょうがないな。あんた、言い出したら聞かないもんね。――分かったよ。じゃあ、友香里ん家、行こう。で、その後に樺倉さんの家ね」

 言外に最後まで絢も付き合ってくれると分かった真奈美は嬉しくなり、上機嫌に彼女と並んで友香里の家へ向かい始めた。




 友香里を迎えに行き、そのまま歩いて樺倉望の家へ向かった。樺倉望の家は涼佑達が住む住宅地の外れにある。あまり日当たりの良い場所ではない、どこか寂しい空気が漂う土地だった。友香里が事前に住所を調べ、印刷しておいた地図と再三照らし合わせて確かにこの家だと確信を得る。辿り着いた三人は、少々緊張した面持ちで門に設置されているインターホンを押した。静かすぎる屋内に『ピンポーン』という軽やかなチャイムの音が虚しく響く。しかし、中から何の物音もしない。一瞬、留守なのかと思った絢はちらりとカーポートを覗いてみたが、車が確認できたので、留守という訳ではなさそうだと二人に言った。
 それから数分して、一応もう一度鳴らしてみようとした三人だったが、不意に開けられた玄関ドアの音にびくりと肩を震わせ、そちらを見る。そこには一人の女性が玄関ドアを開けた恰好で佇んでいた。おそらく、望の母親だろう。随分とやつれて目の下に濃い隈を作っていたので、三人共初めは誰なのか分からなかった。門扉越しに軽く会釈したり、挨拶する三人の姿を認めたのかすらよく分からない目つきで、望の母はその様をぼうっと見つめていた。何だか普通の状態ではないと思った三人だったが、訪ねて来た理由をその場で簡単に言った。

「すいません。私達、望さんのクラスメイトです。今日は望さんのお話を聞きに来ました」

 一目で相手が未だ情緒不安定な状態だと見抜いた友香里は、努めて優しい口調と内容で話し掛けた。あくまでも自分達は亡くなったクラスメイトの生前の話をしに来た、という体だ。実際、嘘は言っていない。ただ、彼女達の本当の思惑とは少し違うだけだ。
 ふらふらとした足取りで玄関ドアに寄りかかった望の母は生気の無い表情でそのまま真奈美達をじっと見ていたかと思うと、小さく「あ、望のお友達ね」とだけ零してよろよろと門扉に近付き、開けてくれた。そのまま倒れそうになった彼女を慌てて三人がかりで支える。

「だ、大丈夫ですか?」

 到底大丈夫そうには見えないが、絢は思わずそう確認せざるを得ない。絢の声にはっと我に返った望の母は「あ、ごめんなさい」と言って、彼女達を支えに何とか自分の足で立った。もう一度、絢が大丈夫かと問うたが、彼女には聞こえていないようで、そのまま覚束ない足取りで玄関まで辿り着き、真奈美達に中へ入るよう促した。若干の戸惑いを見せながらも、真奈美達はその言葉に甘えて上がらせてもらうことにした。
 樺倉家の中はどこか薄暗く、空気が澱んでいるような感じがした。リビングに通されると、入り口から既に物が溢れているような状況で、真奈美達は若干入るのに躊躇われた。望の母は真奈美達の反応から漸く家の中の状態に気付いたように「ああ」とだけ言って「ごめんなさいね。散らかってて」とあまり抑揚の無い声で言い、台所へ消えて行ってしまった。おそらく、お茶を用意するのだろうと見た真奈美達はこの間にさっさと用事を済ませてしまおうと互いに顔を見合わせた。
 初めに動いたのは真奈美だ。望の自室はどこか、二階へ続く階段がどこにあるのか確認し、――階段は玄関に入ってすぐのところにある――極力足音を立てずに階段を昇って行く。絢はその間に真奈美と絢の靴を持ってきて近くにあった新聞の山からチラシを何枚か取って、真奈美と同じように二階へ上がっていった。友香里はそのままリビングにいて、敷かれた座布団にちょこんと座った。



 二階の部屋をあまり音を立てずに次々開けていき、女の子らしい部屋に行き着くと、真奈美と絢は目配せだけして調べ始める。部屋に入ってしっかり扉を閉め、邪魔にならない場所へチラシを敷いて自分達の靴を置く。他人の部屋に無断で侵入して調べるなんて初めてのことだったが、いつもの連携を取れば、意外と簡単なものだなと思いつつ、真奈美は学習机を、絢はクローゼットの中を調べることにした。クローゼットは引き戸になっており、少しずつ音を立てないように開けてみる。中には私服がたくさん入っていて、望が亡くなってから一切手を付けていないように思える。奥にも畳んだ服が入っており、あまり事件とは関係無さそうだと思った絢はそのまま閉めようとしたが、奥の方に何か白い布のような物がはみ出していると視界の端に捉えた。よく見ると、畳んでいる服の間に無造作にタオルで包まれた何かが突っ込まれている。一瞬、嫌な予感を覚えた絢は取り出そうかどうしようか悩んだが、今日は調査の為に来ているのだ。怪しい物を見付けて取り出さない訳にはいかない。畳んだ服を積んでしまってある奥の方、それも前の支え棒に掛かっている服を押し退けて漸く見えるようなところに突っ込まれていたそれを、絢はおっかなびっくり上に乗っている服を崩さないように抜いた。白いタオルに包まれ、輪ゴムで両端を縛られたそれを慎重な手つきで解いていく。中から出てきたのは、大判の可愛らしいタオル地のハンカチに包まれた細長い物。それも両端を輪ゴムで縛られ、所々に茶色の染みが付いている。これを見た途端、彼女の中に何も見なかったことにしたいという欲求が生まれてきたが、ここまで来て見ないという選択肢も無い。どうか気持ち悪い物ではありませんように、と願いながら緊張から流れる脂汗を知らない振りをして、絢は慎重な手つきでそれを解いた。
 血の付いたカッターナイフと釘が一本、出てきたのだった。

 真奈美は学習机の本棚や机上に置かれたノートを捲ったり、脇にあるチェストを開けたりしていたが、どれもこれも学校の授業に関することや移した板書の内容、望が読んでいたであろうケータイ小説の本が出てくるだけで、依頼とは何も関係が無い物ばかりだ。ここで望本人の日記なんかがあれば、情報源になるのだがと考えていると、突然、彼女はこの机の下が気になった。そういえば、ととっくに処分した自分の学習机の構造を思い出す。望の学習机は汎用性の高い物で、何年も使えるように造りがしっかりしている物だ。机の脚と脚の間には正面からの衝撃に耐えられるように支えとして一枚板が入っている。そして、それは丁度壁に付けて置くと、壁と板の間に僅かな隙間ができることを真奈美は思い出したのだった。同時にこの机にはセットで小さいチェストも付いてくる筈だ。ならば、何か物を隠すにはあそこしかない。そう思い至った彼女は、床に膝を付けて四つん這いになり、チェストの裏に当たる板の後ろに手を入れてみた。

「埃っぽい……あった」

 彼女としては適当に手を突っ込んでみたのだが、まさか本当にあるとは思っていなかった。彼女の手で引っ張り出されたのは一冊のA5ノートだった。百円ショップに置いてあるような赤い針金で端を留められたもので、表紙には可愛らしいうさぎのイラストが描いてある。こんなところに隠されていたのだから、きっと日記だろうと思った真奈美は亡くなった望へ勝手に見てしまうことを心の中で謝りながらも開いてみた。