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「す、すみません!寝坊してしまいました!あ、あの、朝ごはんとか……っ!って、え?」
「あぁ、おはよう花子。ちょうど朝ご飯ができたところだよ、君も食べるだろう?」
「え、あ、えっと……」
「じゃあまずは簡単に身支度をしておいで」
毎朝、付き人に何度もしつこく声をかけられてようやく朝の日差しを受け入れていた花子にとって、目覚まし係がいない朝に起きられるわけがなかった。
目を覚ましたときにはすでに日が昇っていて、驚きのあまり着の身着のまま慣れない階段を降りて正幸の元へ駆けつけてしまった。
「ご、ごめんなさい」
「何を謝っているの?君、何かしたの?」
「だ、男性に朝ご飯を作ってもらうなど決してあってはならないと、母が……っ」
「それって誰が決めたルールなんだろうね。最初に言っただろう?世話係がいないから自分のことは自分でしなければ、と」
「で、ですが私の分まで作っていただいて……申し訳なくて」
「一人作るのも二人作るのも、材料の量の違いにすぎないよ。いいから早く支度をしておいで。一緒に朝食にしよう」
正幸の家に来てから、花子は本当に自由そのものだった。
毎朝五時に起こされることもない、いやなお稽古はもちろん、女学校で学ぶ退屈な料理や裁縫は一切することなく、お昼に街へ出ようと、好きなものを買って食べようと、本屋に寄って雑誌を手に取ろうと、書きかけの小説のつづきを書こうとすべて花子の判断一つで動くことができたのだ。
対して正幸は朝九時ごろ家を出て行き、夕方五時ごろには帰宅する。
あとは家でお気に入りの洋菓子と紅茶を嗜みながら、毎日大量に届く郵便に目を通し、書類の書き込みに追われているようだった。
そして時折、見たこともないような洋菓子を家に持ち帰り、花子に味見をさせては意見を求めた。
花子は正幸が何をしている人なのか知らなかった。
それは彼が踏み込ませないようにしていたせいなのかもしれない。
正幸は花子が何か聞き出そうとすると、上手に上手に躱すのだ。
だから花子は彼の正体をそれ以上暴くこともできず、変に怒らせてしまって家に強制送還でもさせられようものならばたまらないといった心情で、うまく正幸との距離を考えながら過ごしていた。
ときの流れが遅く感じられるようになった。
緩やかな風を肌で感じ、夕陽が沈んでいく様子を初めて目にした。
「幸せだわ……」
けれど、ある日ふと花子の頭をよぎった。
どうして末広家の実家は、父や母は、私がいなくなったことを誰も騒ぎにしていないのだろう、と。