「……!?」
「君は女学校でも苦労しているようだし?」
「あなた……っ、やっぱり日記を読んでいるじゃないの!」
「君はどうやたこの時代にそぐわない女性のようだ」
「……!!」
その瞬間、先ほどまでの落ち込み具合はどこへやら、花子は自分よりも十センチ以上背の高い男の襟元を力強く掴み、勢いはそのままにグッと引き寄せた。
“そんなに読んではいない”と言っていたのはやはり嘘で、このノートは彼に丸々と読まれていた。加えてその羞恥と両親に自分の本音や文字で綴った悪態を告げられでもしたら……と不安が頭を過ぎる。
「大胆だね。花子ちゃん」
「どうして名前をっ」
「ただ、一つだけ教えてほしいんだ。なぜ君が一九十二年の一月七日以降このノートを破ってしまったのか」
「やめて」
「気になって仕方ないだろう」
「ふざけないでください!」
大きく振り上げた花子の手は、その男の顔を目掛けて風を切る。けれど男は即座に察して、体を少しのけ反らせながら危なげなく回避した。
一向に崩れない彼の、いかにも造られてできた爽やかな顔が余計に、彼女の苛立ちを増幅させているということを本人は気付いていない。
そしてその苛立ちは彼を掴んでいる手に集中していく。
「(この男、本当どうしてやろうかしら……)」
「──花子?あなた何をしているの?」
「……!」
途端、背後から聞こえてきた上品な声に、花子はビクリと肩を硬直させた。
それは生まれつき強気な性格の彼女でさえ逆らうことのできない、厳格な母の声だった。
「お、お母様!」
「もうすぐお稽古の時間でしょう。早く支度なさいな」
「わ、分かりました!すぐに向かいます!」
目の前の男への怒りも、日記を読まれたことへの羞恥もすべて吹き飛んで、花子は男から素早く手を離し、家の中へ入っていく母の背中を見つめた。
「(そもそもなぜ私は、今日初めて会ったこの男にここまで揺さぶられているのかしら)」
日記を読まれたことで頭に血をのぼらせていた花子は、男にそれを読まれたところでもう二度と会うことはないのだから……と自分を落ち着かせた。
内容を口に出されて哀れみの言葉を吐かれようと、今の時代にそぐわないと言われようとどうだっていい。
花子は無言で一礼したあと、母のあとを追うように家の中へ入ろうと男に背を向けた。
「──君をここから逃してあげよう」
「……はい?」
「聞こえなかった?君を、ここから連れ去ってあげようと言ったんだ」
「連れ、去る……?」
頭がおかしいのではないか。
花子はうしろで喋る男を本気でそう思った。
けれど、花子が男に復唱して聞き返したこともまた意外であった。
本当に危ない男と判断したならば、足を止めて振り返り、追求などしない。
「どういう、意味ですか?」
「君を誘拐してあげようという提案だよ。 どう?わたしと来るかい?」
足を止めるだけの理由がそこに、あったのだ。
差し出された男の手を、花子はジッと見つめている。
頭の中はさぞ大忙しなことだろう。
この男と逃げて、自分はどうなるのか。家は騒ぎにならないだろうか。毎日のようにあるお稽古は出なくてよいのだろうか、勉強はどうなるのだろうか。女学校は卒業間近とはいえ出席しなくてもいいのだろうか。
そして、この男に着いていっても大丈夫なのだろうか───と。
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