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 「返してください!」

 花子の透き通った声が、広い庭中を駆け巡った。


 「ひどい物言いだね、これじゃあまるでわたしが泥棒のようじゃないか」

 対して、向かいの男はやれやれと両肩をヒクリとあげて小さくため息を吐く。

 和服にフロックコートを羽織っており、まるで最新のファッションを先取っているかのようなこの男に、花子は余計に不信感を露わにした。



 だが、いくらはぐらかしたって無駄なのだ。

 何故なら男の手にはハッキリと花子の“それ”が納まっているのだから。

 どうして拾われたのだろうか、どこまで読まれたのだろうか。花子の頭の中にはたくさんの疑問と不安が行き来している。



 「盗んだも同然です。私のモノだと分かっていたはずです!それなのに中を覗くなんてあんまりです!」

 「待ちなさい待ちなさい。わたしはこの中身を見て初めて君のモノだと知ったんだ」

 「嘘です。表紙に私の名前が書いてあります!」

 「……おっと、そこに目がいかなかったんだ」


 この男……っ、と花子は強く拳を握りしめ、今にも湧き上がりそうな怒りをどうにか堪えた。

 他人の日記を読むなど普通ではない。たとえ興味をそそられようとも自粛するのが大人だ。

 この男は見た目こそ格好が良さげな人ではあるが、中身はまるで出来ていない、と花子は心の中で悪態をつきまくった。



 「まぁそう怒らないでくれ。わたしだって全部読んだわけじゃないんだ」

 「ふざけないでください。返してください」

 「あぁ、分かった。今すぐ返そう」


 花子の屋敷の使用人たちがチラチラと様子を伺うようにこちらへ視線を向けているけれど、そんなもの気にもしていないと言うように、男は爽やかな笑顔を貼り付けたまま彼女にそれを手渡した。

 風を切るように勢いよく奪い取った花子と、彼女を見て「おっと」と驚いた仕草をする男。



 「……わたしの日記を拾ってくださったことは感謝しています。ですが内容を読んだことは許せません」

 「大丈夫、そんなに読んではいないから安心なさい」

 「失礼致します」


 淡々と形だけのお礼を述べ、花子は男に背を向けた。

 けれど彼女の心中はとても複雑なものだった。

 何故ならいくらひと気のないところだとは言え、無防備に森の中になど自分の日記を捨てるべきではなかったと悔いているからだ。この男はそれを拾ってわざわざ届けに来てくれたのだから、怒るのは筋違いだということを花子は充分に理解している。


 燃やしていればよかったんだわ、とそれを握り締めながらふと視線を落とした。



 「……」

 家の中に戻ればまた、つまらない日常のつづきが始まる。

 着心地が最悪な洋服に着替え、最近流行りのダンスを習い、お花を生け、舞踏会に参加しなければならない。交流とは名ばかりの、お家同士の自慢話とファッションの品評会、それから少しばかりの愚痴と貶し合いが常のそこには、毎度息が詰まりそうになって仕方がないのだ。


 西洋のお菓子も、輝かしい宝石にも花子は惹かれない。

 もっと勉強がしたい、仕事だってしてみたいし、趣味で書き続けてきた小説を本格的に執筆していきたい。いつかは海を渡ってみたいとさえ思っているような子なのだ。

 こんなこと、お母様に知られたら殺されてしまうわ……と、また俯くことしかできない自分が情けなく感じ、今日何度目かの小さなため息を落とした。



 「──自由がないのはツラいだろうね」