姉の笑顔を見るたびに、隠しごとをしている花子は罪悪感で潰されそうになっていた。
町子はまだ、両親に花子の婚約者のことを何も聞かされていないようだったから余計に、自らの口で言わなければならない重圧は底知れない。
騒がしい街にいても花子の鼓動が聞こえるほど押しつぶされそうになっている。
けれどもれ以上隠しごとはできないと悟った花子は、俯いていた顔をグッと上げて、包み隠さずにすべてを伝えた。
松浦正幸という男が自分の婚約者になってしまったこと。今は実家にはおらず、彼の家で住んでいること。
そこに何度も町子に申し訳なく思っているという旨を挟みながら花子は震えた声で伝えた。
「本当にごめんなさいっ、お姉さまっ!」
「……」
「最初は全然知らない人だったの。ただ、私のことを自由にしてくれると言ってくれたから正幸さんに着いていったの。本当よ?お姉さまが好きだった人と知っていたら絶対についていかなかった!」
「……」
「ごめんなさいっ、ごめんねお姉さまっ」
「顔をあげて、花子」
姉の優しい声が、頭上に響いた。
花子は罵られても仕方がないと思っていた。縁を切ると言われたら、それももう受け入れるしかないと思っていた。
けれど町子は、どこまでも優しい人であった。
「花子は私の話を聞いていなかったの?私は今、とても幸せなの」
「……」
「それにね、正幸さまと私では最初から無理だったのよ」
「そんなことない!お姉さまの美貌はあの人に似合うもの!私よりもうんと綺麗で上品なお姉さまが無理なわけがないじゃない!」
「違うわ?聞いて、花子。私はきっとね、彼の自由にはついて行けなかった。嫌々ながらも型にはめられていたほうが私は安心するのよ。あなたと違って」
「……っ」
「だからあのとき、花子のようになりたいと言ったの。あなたは私の妹であるけれど、本当はとても尊敬していたのよ。あなたが女学校でいじめられていた平民の子を助けていたときも、お母様がくれた紅掛空色のお着物を色褪せて見えると言ったことも」
「……え?」
「私はそれをもらったとき、自分にお似合いな色だと思ったの。末広家の娘はこれが似合う女性になりなさいと言われて、私はすぐに受け入れたわ。でも花子は違ったでしょう?」
町子が自分のことをそんなふうに思っていたということを、花子は初めて知った。
姉にそう言われて、勝手ではあるが背中を押されたような気分にさえ思えた。
「それにね、私も秀夫さんと結婚してこんな自分が嫌いじゃなくなったの。私が紅掛空色のお着物を着ると、彼は必ず美しいって誉めてくれるのよ?だから私は、今でもあのお着物が好き」
「……お姉さまはどんなお色の着物も素敵よ」
「だからあなたは、自分に似合う色の人生を歩みなさい。正幸さんと今後、一緒にいたいと思うのなら、きちんと自分の口からそう言いなさい。嫌なら逃げてしまえばいいのよ。だって花子はそれができるでしょう?だって末広家の実家から出て行こうとしたくらいなのだから、余裕でしょう?」
冗談まじりに、町子はクスクスと笑いながら言う。
確かに町子は秀夫と結婚してからよく笑うようになった。それは末広家にいたときとは比べものにならないほど。
その笑顔を見て、花子は胸の痞えが取れた気がした。
「あぁ、ほら。秀夫さんが来たわ」
「うわっ、走って来てるよ!そんな人だったの!?」
「そうよ。私のことが大好きで仕方ないのよ」
「……そっか。なんだかいいね、そういうの」
「いいわね、花子。あなたもしっかりと愛されなさい。これからもっと、今とは比べものにならないほど新しい時代になっていくのよ。そして私たち女性も平等に幸せになっていくの。花子もそうなりなさい。いいわね?」
「……はい、お姉さま」