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「胃が痛いわ……」
あの家に薬は置いてあるのかしら、と花子は頭を傾ける。
家にばかり引きこもっていても仕方ないと、花子は数日ぶりに街を歩いていた。
けれど、いつものように何も考えずに歩いていたわけではない。
正幸のことを考えていた。
彼は公爵久世家の次男であり、大企業松浦製菓の重要人物であった。周りからは結婚を急かされており、常に結婚相手を探していたらしい。
そんな中で花子の存在を知り惹かれたのだと、正幸は正直にすべてを話した。
あれから正幸は、花子に「よく考えてもう一度話そう」とだけ伝えて出張に行ってしまった。そして、“もう一度話そう”と設けられた別日が、まさに今日なのだ。
けれど話し合いをしようと言われたところで、公爵家の者が申し入れた結婚を断る権限など末広家にはない。父も母もさぞかし大喜びしてくれることだろう。
「(だけどお姉さまはどう思うのだろうか)」
今限り私のことを恨むだろうか。また以前のように“来世はあなたのようになりたい”と言って泣いてしまわれるのだろうか。
考えただけでまた胸が苦しくなった。
本当に正幸との縁談が進んでしまえば。姉との縁が切れてしまうことはもはや必然だった。
私が逆の立場なら、きっと恨むだけでは事済まないだろうから……と、花子の顔色はどんどん悪くなっていく。
「……はぁ」
「───花子!」
最近できたばかりのオシャレな喫茶店の前、声をかけてきたのは町子だった。
花子は一瞬ドキリと心臓を震わせ、そして町子の顔を見ることができなかった。
姉に今までの経緯と、本当のことを伝えたらどう思うだろうか。横恋慕した、と言って叩かれてしまうかもしれない。
「(いや、いっそ殴ってくれたほうが清々しいわ)」
花子に負の感情が取り巻いていく。
そんな悶々とした問題を花子が抱えているとは露知らず、町子は笑顔で彼女の元へ駆け寄った。
「お、お姉さま……」
「どうしたの?元気なさそうね」
「お、お姉さまは?ここで何をしているの?」
「夫と喫茶店で待ち合わせているのよ。ここは敵対しているお店だから、ぜひ一緒に中を調べるために来てくれないかって誘われたの」
「ひ、秀夫さんってそんな人だった?」
「ふふっ。驚くでしょう?それまでお金をチラつかせていたのは自分に自信がなかったからなのよ。本当はとても穏やかな人で、私も幸せに暮らしているのよ?前も言ったでしょう?」