花子の中に衝撃が走った。

 町子が花子に好きな人を打ち明けた日のことは、彼女も鮮明に覚えている。日記にもその喜びを綴ったほどだ。


 けれど想いを伝えていたとは驚きだった。

 普段から親のいいなりで、結婚でさえ一度たりとも反論せずに嫁いで行った姉に、そんな度胸などないとどこかで思っていた花子だったが、大胆さというものはやはり姉妹どちらにも同じように受け継がれているのだと嬉しく思った。



 「正幸さまがどういう経緯であなたに近づいたのか分からないけれど、くれぐれも変な言葉遣いや行動には気をつけなさい。いいわね?」

 「ど、どうして?」

 「知らないの?彼は次男ではあるけれど公爵家のご子息なのよ。それに、松浦製菓の第一責任者でもあるお方なの」

 「こ、公爵家!?ま、松浦製菓!?」

 「外国の方々との連携で開発にも携わっている多忙な方なの。だからいいわね、決して粗相のないようにね」



 町子はそのことを夫である秀夫に聞いて知ったのだそうだ。

 町子がまだ独身であり、正幸に告白したときには彼がそんな家の出身であるということなど知る術もなく、ただ見た目に惹かれてしまったのだという。




 「じゃあ、私は用事を済ませなければならないのでもう行くわね」

 「お、お姉様!待って!」

 花子は昔から頭の中でたくさんのことをいっぺんに考える子だった。

 けれどもうじき町子との別れの時間だということを悟ると、ずっと聞きたかったことだけを優先させた。



 「なに?」

 「お、お姉様は今……幸せ?」

 「……えぇ、とても」


 彼女は花子にそっと微笑みながらそう告げて、人と人とが混み合う街に消えていった。


 姉が幸せなのならば、よかった。

 花子はほんの少しだけ安堵した様子で、姉の姿が見えなくなるまで無言で見送った。





 「もう用事は済んだかな?」

 「……」

 ───そしてここから、頭の中で考えていたたくさんの情報の一つ一つを噛み砕いていく。




 「私が、町子の妹であるということはご存知でしたか?」

 「……あぁ、もちろんだよ」

 「姉の告白を断ったことは覚えていらっしゃいますか?」

 「そうだね。なんとなく覚えている程度、と言えば正直すぎるだろうか」



 その途端、花子はこの男に対して忘れかけていた怒りが再沸騰していく。

 ではこういうことになる。

 町子は正幸に告白し断られ、正幸は告白を受け、それを断った人物の妹と一緒に暮らしているということだ。

 そして日記を読み、花子に手渡すよりも前に、彼は花子の存在を知っていた……と。





 「よくも私と一緒にいられましたね!姉に申し訳ないとは思わなかったのですか!」

 「悪いが全く思わない」

 「なんで、すって?」

 「だって君を見つけたのはわたしだ。彼女は君を見つけるためのキッカケにすぎない」



 正幸はこういった場面でも自由な人であった。

 優秀な人物であるが故に許されている自由でもあり、それが許される立場の人物であるからこそ通じる自由でもあった。



 「確かに君のお姉さんにわたしは告白された。けれど当時のわたしは恋愛などしている時間がなくてね。これでも丁寧に断らせてもらったのだが、一応わたしの秘書に身元を調べさせていたところで、君を見つけたんだ」


 それは今まで正幸が頑なに語ろうとしなかった日々のはなしだった。