いつも以上に食べるいろはに、祖父母も食べる手を止め口をぽかんと開けて見ていた。祖母の隣に座っている玉藻も同様である。
「そんなに食べて、腹壊さんの? ってか、胃袋どうなってんの?」
「大丈夫だ。すべて力になる」
「いや、それはわかってるけど」
おかわりしてくる、といろはは茶碗を持って立ち上がり、白米をよそいに行った。こんもりと山のように盛ると、席に戻って黙々と食べる。もう五度目だ。祖母に「大量に用意してほしい」と願い出ていたのは知っているが、まさかこんなに食べるとは。この光景を見ているだけで腹が膨れてしまう。
今のままでは折れてしまうといろはは言っていた。戦える状態にするためにも、普段よりも食べているのだろう。玉藻は箸を置き、机の上に肘をついて頬杖をつく。
「何しても目ぇ覚まさんかったのに、驚きやなあ」
行儀が悪いと祖父に怒られ、玉藻は姿勢を正す。その様子を横目で見つつ口を動かすいろはは、噛んでいたものをごくりと飲み込んだあと机の上に箸と茶碗を置いた。腕を組み、にやりと口角を上げる。
「よくぞ訊いてくれた。なんと、千早が私にキ」
「わあぁあぁあぁぁぁぁぁ!」
食器を乱雑に置き、千早は膝立ちをしていろはの口を両手で塞ぐ。机がガタガタと揺れ、行儀が悪いと祖父から二度目のお怒りがあった。ごめんなさい、と謝りつつ、いろはの口から手を離し、彼の耳元に顔を近づける。
「絶対に言わないでください」
「何故だ? 本当のことだ」
千早の小さな声に、いろはも小さな声で返してくる。目の前で声を潜めて話し始める二人に、一体何があったのかと祖父母と玉藻は顔を見合わせて首を傾げていた。
「その、キスしたとかそういうのは人に言わないんですよ。刺激的って、いうか」
「む。言ってはいけないのか。そうか、私は聞いてほしかったのだが」
適当な理由だが、いろはは口を尖らせつつも納得したようだ。はあ、と溜息を吐き、千早は自分の席に座る。落ち着こうと湯飲みを手に取り、中に入っているあたたかい緑茶を口に含んだ。
いろはも不服な様子で箸と味噌汁が入った椀を持つが、玉藻が尻尾をパタパタとさせ話しかけてくる。
「で、何があったん?」
「刺激的だから話しては駄目だそうだ」
そう言って、いろはは味噌汁を口にする。千早は飲んでいた緑茶を噴き出しそうになった。確かに言ったが、何をそのまま伝えているのか。慌てて飲み込んでしまったからか、変なところに入って咽せてしまう。注意しようにも咳が邪魔で何もできない。
心配した祖母が千早の背中をさする中、目をキラキラと輝かせた玉藻が前のめり気味で話を聞き始めた。いろははと言えば特に気にせず漬物に箸を伸ばす。
「刺激的って何!? めっちゃ気になるんやけど! いろは、何されたん? ボクもしてほしいなあ!」
「それは、駄目だ」
「はあ!? 自分だけおいしい思いしてずるいやんか!」
理由は話さず、駄目なものは駄目だといろはは白米を口に入れる。玉藻が駄々をこねるも、それには一切目もくれず。椀を置くととんかつを囓り、咀嚼する。表情は変わっていないものの、どこか機嫌が悪いようにも思えた。
さすがに玉藻も諦めたのか、つまらないと言いたげに息を吐き出す。ようやく咳が落ち着いた千早は祖母に礼を言い、いろはを見た。彼は黙々と目の前にある料理を口に運んでいる。
やはり、機嫌が悪い。玉藻が意味もわからずに自分もしてほしいと言ったことに苛立ったのだろうか。だとしても、いつもなら軽くいなしていただろう。
あとで話そうと思っていたが、そのときには機嫌は元通りになっているだろうか。小さく息を吐き出し、千早は残っている料理を食べてしまおうと箸を手に取った。
* * *
いろはが目覚め、元の千早の部屋に戻ることになった。部屋は掃除までしてくれたようで、綺麗に片付いている。玉藻らしいと思いつつ、千早は机へと向かう。いろはが眠りについていたとき、心配で学校を休んでいた。明日は久しぶりに登校するため、準備をしなければならない。すると、寝る準備ができたいろはが部屋に入ってきた。
「先にお布団に入っていてください」
「すまない。その言葉に甘えさせてもらおう」
シーツの擦れる音が聞こえる。いろはが布団に入ったのだろう。視線をそちらに向けると、両腕を頭の後ろに置き、仰向けになっていた。鞄に視線を戻し、一時限目から六時間目までの教科書とノートを入れて閉める。
机を離れようとしたとき、いろはに名を呼ばれた。はい、と返事をしつつ、布団へ向かう。
「話がしたい」
その言葉に、鼓動が速くなる。だが、もう逃げてはならない。千早は深呼吸をしたあと「もちろんです」と答え、部屋の電気を消すといろはの横に寝転んだ。
仰向けになり、天井を見る。あらかじめ暗くしておいてよかった。緊張と不安から小刻みに震える手を見られなくて済む。
「千早も知っているとおり、私は天羽々斬だ」
顔を動かしていろはを見ると、彼は身体をこちらに向けて話をしていた。千早も右側を向くために身体を動かす。部屋の暗さに目が慣れ、いろはと視線が交じる。
「人間ではない私には、千早の想いに応える資格がない」
返事については、何となく想像がついていた。それでも、胸が締め付けられる。
こうして向き合い、返事をしてくれただけでもありがたいことだ。その返事に傷つき、涙を流すのはいろはを困らせるだけ。そう言い聞かせても、涙は滲む。千早は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「あ……ありがとう、ございます。わたしが、一方的にお慕いしているだけです。なので、気にしないでください」
涙が溢れそうになり、千早は身体の向きを変えていろはに背中を向ける。その瞬間、涙が溢れた。胸が苦しくてたまらない。
わかっていたはずなのに、好きだという気持ちは走り出してしまった。こんなに近い距離にいて、どれだけ手を伸ばしても届かない、遠い存在に向けて。
そんな千早を、いろはは愚かだと笑うことなく返事をくれた。それだけでありがたいことなのに、こんなにも胸が締め付けられるのは何故なのだろうか。好きだという気持ちは拒絶されていない。ただ、応えられないというだけ。
漏れそうになる声を抑えるように両手で口元を押さえ、目を瞑る。
受け入れなければ。いろはの返事を。
「千早」
名を呼ばれるも、後ろを振り返る勇気は出ず。ただただ身体を震わせていると、後ろから優しく抱きしめられた。
「覚えているか、倉にいた私を出してくれた日を」
「……おじいちゃんとおばあちゃんから聞きました。わたしが駄々をこねて、倉から出すことになったって。部屋も、わたしが決めたって」
「ああ、そうだ。懐かしいな」
千早の後頭部に、こつんといろはの頭が当たる。
「私はその頃から千早を見てきた。千早と共に、これまでの時を過ごしてきた。数多の時を過ごしてきたが、千早と過ごした時が何よりも楽しかった。今でも、私の中で鮮明に色づいている」
どうして、今そのようなことを話すのだろうか。
これではまるで──千早は期待しそうな自分に現実を見るよう唇を噛んだ。もう、返事はもらった。期待すればするほど、苦しくなるのは自分だ。しかし、抱きしめられる力が強くなり、千早の中にある期待は消えてくれない。
離れてほしいと伝えよう。これ以上は、もう耐えられそうにない。そう思ったとき、千早、と掠れた声で名を呼ばれた。
「私は、今ほど人間が羨ましいと思ったことがない。応える資格がほしい。これからも、千早と共に過ごしたいのだ。同じ時を、生きたいのだ」
その声はどこか悔しさを滲ませ、辛そうに絞り出していた。
いろはの腕に手を添え、ぽろぽろと涙を溢す。人間が羨ましいと言ったいろはの気持ちがわかる。
こうして想いが通じ合っても、なんて遠いのだろうか。
「そんなに食べて、腹壊さんの? ってか、胃袋どうなってんの?」
「大丈夫だ。すべて力になる」
「いや、それはわかってるけど」
おかわりしてくる、といろはは茶碗を持って立ち上がり、白米をよそいに行った。こんもりと山のように盛ると、席に戻って黙々と食べる。もう五度目だ。祖母に「大量に用意してほしい」と願い出ていたのは知っているが、まさかこんなに食べるとは。この光景を見ているだけで腹が膨れてしまう。
今のままでは折れてしまうといろはは言っていた。戦える状態にするためにも、普段よりも食べているのだろう。玉藻は箸を置き、机の上に肘をついて頬杖をつく。
「何しても目ぇ覚まさんかったのに、驚きやなあ」
行儀が悪いと祖父に怒られ、玉藻は姿勢を正す。その様子を横目で見つつ口を動かすいろはは、噛んでいたものをごくりと飲み込んだあと机の上に箸と茶碗を置いた。腕を組み、にやりと口角を上げる。
「よくぞ訊いてくれた。なんと、千早が私にキ」
「わあぁあぁあぁぁぁぁぁ!」
食器を乱雑に置き、千早は膝立ちをしていろはの口を両手で塞ぐ。机がガタガタと揺れ、行儀が悪いと祖父から二度目のお怒りがあった。ごめんなさい、と謝りつつ、いろはの口から手を離し、彼の耳元に顔を近づける。
「絶対に言わないでください」
「何故だ? 本当のことだ」
千早の小さな声に、いろはも小さな声で返してくる。目の前で声を潜めて話し始める二人に、一体何があったのかと祖父母と玉藻は顔を見合わせて首を傾げていた。
「その、キスしたとかそういうのは人に言わないんですよ。刺激的って、いうか」
「む。言ってはいけないのか。そうか、私は聞いてほしかったのだが」
適当な理由だが、いろはは口を尖らせつつも納得したようだ。はあ、と溜息を吐き、千早は自分の席に座る。落ち着こうと湯飲みを手に取り、中に入っているあたたかい緑茶を口に含んだ。
いろはも不服な様子で箸と味噌汁が入った椀を持つが、玉藻が尻尾をパタパタとさせ話しかけてくる。
「で、何があったん?」
「刺激的だから話しては駄目だそうだ」
そう言って、いろはは味噌汁を口にする。千早は飲んでいた緑茶を噴き出しそうになった。確かに言ったが、何をそのまま伝えているのか。慌てて飲み込んでしまったからか、変なところに入って咽せてしまう。注意しようにも咳が邪魔で何もできない。
心配した祖母が千早の背中をさする中、目をキラキラと輝かせた玉藻が前のめり気味で話を聞き始めた。いろははと言えば特に気にせず漬物に箸を伸ばす。
「刺激的って何!? めっちゃ気になるんやけど! いろは、何されたん? ボクもしてほしいなあ!」
「それは、駄目だ」
「はあ!? 自分だけおいしい思いしてずるいやんか!」
理由は話さず、駄目なものは駄目だといろはは白米を口に入れる。玉藻が駄々をこねるも、それには一切目もくれず。椀を置くととんかつを囓り、咀嚼する。表情は変わっていないものの、どこか機嫌が悪いようにも思えた。
さすがに玉藻も諦めたのか、つまらないと言いたげに息を吐き出す。ようやく咳が落ち着いた千早は祖母に礼を言い、いろはを見た。彼は黙々と目の前にある料理を口に運んでいる。
やはり、機嫌が悪い。玉藻が意味もわからずに自分もしてほしいと言ったことに苛立ったのだろうか。だとしても、いつもなら軽くいなしていただろう。
あとで話そうと思っていたが、そのときには機嫌は元通りになっているだろうか。小さく息を吐き出し、千早は残っている料理を食べてしまおうと箸を手に取った。
* * *
いろはが目覚め、元の千早の部屋に戻ることになった。部屋は掃除までしてくれたようで、綺麗に片付いている。玉藻らしいと思いつつ、千早は机へと向かう。いろはが眠りについていたとき、心配で学校を休んでいた。明日は久しぶりに登校するため、準備をしなければならない。すると、寝る準備ができたいろはが部屋に入ってきた。
「先にお布団に入っていてください」
「すまない。その言葉に甘えさせてもらおう」
シーツの擦れる音が聞こえる。いろはが布団に入ったのだろう。視線をそちらに向けると、両腕を頭の後ろに置き、仰向けになっていた。鞄に視線を戻し、一時限目から六時間目までの教科書とノートを入れて閉める。
机を離れようとしたとき、いろはに名を呼ばれた。はい、と返事をしつつ、布団へ向かう。
「話がしたい」
その言葉に、鼓動が速くなる。だが、もう逃げてはならない。千早は深呼吸をしたあと「もちろんです」と答え、部屋の電気を消すといろはの横に寝転んだ。
仰向けになり、天井を見る。あらかじめ暗くしておいてよかった。緊張と不安から小刻みに震える手を見られなくて済む。
「千早も知っているとおり、私は天羽々斬だ」
顔を動かしていろはを見ると、彼は身体をこちらに向けて話をしていた。千早も右側を向くために身体を動かす。部屋の暗さに目が慣れ、いろはと視線が交じる。
「人間ではない私には、千早の想いに応える資格がない」
返事については、何となく想像がついていた。それでも、胸が締め付けられる。
こうして向き合い、返事をしてくれただけでもありがたいことだ。その返事に傷つき、涙を流すのはいろはを困らせるだけ。そう言い聞かせても、涙は滲む。千早は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「あ……ありがとう、ございます。わたしが、一方的にお慕いしているだけです。なので、気にしないでください」
涙が溢れそうになり、千早は身体の向きを変えていろはに背中を向ける。その瞬間、涙が溢れた。胸が苦しくてたまらない。
わかっていたはずなのに、好きだという気持ちは走り出してしまった。こんなに近い距離にいて、どれだけ手を伸ばしても届かない、遠い存在に向けて。
そんな千早を、いろはは愚かだと笑うことなく返事をくれた。それだけでありがたいことなのに、こんなにも胸が締め付けられるのは何故なのだろうか。好きだという気持ちは拒絶されていない。ただ、応えられないというだけ。
漏れそうになる声を抑えるように両手で口元を押さえ、目を瞑る。
受け入れなければ。いろはの返事を。
「千早」
名を呼ばれるも、後ろを振り返る勇気は出ず。ただただ身体を震わせていると、後ろから優しく抱きしめられた。
「覚えているか、倉にいた私を出してくれた日を」
「……おじいちゃんとおばあちゃんから聞きました。わたしが駄々をこねて、倉から出すことになったって。部屋も、わたしが決めたって」
「ああ、そうだ。懐かしいな」
千早の後頭部に、こつんといろはの頭が当たる。
「私はその頃から千早を見てきた。千早と共に、これまでの時を過ごしてきた。数多の時を過ごしてきたが、千早と過ごした時が何よりも楽しかった。今でも、私の中で鮮明に色づいている」
どうして、今そのようなことを話すのだろうか。
これではまるで──千早は期待しそうな自分に現実を見るよう唇を噛んだ。もう、返事はもらった。期待すればするほど、苦しくなるのは自分だ。しかし、抱きしめられる力が強くなり、千早の中にある期待は消えてくれない。
離れてほしいと伝えよう。これ以上は、もう耐えられそうにない。そう思ったとき、千早、と掠れた声で名を呼ばれた。
「私は、今ほど人間が羨ましいと思ったことがない。応える資格がほしい。これからも、千早と共に過ごしたいのだ。同じ時を、生きたいのだ」
その声はどこか悔しさを滲ませ、辛そうに絞り出していた。
いろはの腕に手を添え、ぽろぽろと涙を溢す。人間が羨ましいと言ったいろはの気持ちがわかる。
こうして想いが通じ合っても、なんて遠いのだろうか。