血、埃、煙、煤、その次に焦点が合ったのはそれまで笑いあっていた母と親友の村瀬智美の変わり果てた姿だった。鮮血が滴る車内で俺は身動きが取れずただ呆然と目の前の現実を見ていることしかできなかった。
携帯のアラームが鳴り響く。朦朧とする意識の中枕元に置いてある携帯を手に取りアラームを解除しようとする。だが手元が狂いパスワード入力画面まで戻ってしまった。内心の苛立ちを抑えパスワードを入力する。
えーと...なんだったっけ...
眠っていた脳を起こしパスワードを頭に浮かべる。0812そうだ0812。好きなミュージシャンの誕生日をパスワードに設定した事を思い出し画面に入力した。見事ロックは解除され液晶には本丸の停止ボタンが表示された。よしあとはこれを押せば...思わず手に力が入る。誤って電源ボタンに力を込めてしまい次の瞬間画面が暗転した。
壁に飾ってある足を結ばれたボージョボー人形が俺を嘲笑っているように感じた。
「そ、それで今日は機嫌がわるいんか」
クラスメイトの宜野座渡の哄笑が教室内に響き渡る。
「まあそんな所かな」
無造作に机の上に並べられたノートと教科書を整理しながら素っ気ない返事を返す。本当は違う。星座占いの結果が芳しくなかったのだ。そんな日は不幸な目に遭わないようなるべく大人しく過ごすようにしているのだけれどそんなことなかなか他人には言えない。
宜野座が突然表情を固くし口を開いた。
「じゃあ今日予定してたあれは無しだな」
何の事を言っているのか分からず宜野座の方へ視線を移す。
「あれ?」
聞き返すと呆れたような表情を作り宜野座は淡々と答えた。
「女子大生ナンパ旅だよ」
想定外の解答にそれまで固くしていた表情が自然とほぐれ少し口角が上がった。
「予定してないだろ」
と返答すると宜野座は端正な顔を歪ませながら俺の肩を軽く叩き
「お前、人相悪いんだから笑ってないと捕まっちまうぞ」
と言った。何か言い返そうと悩んだが返答する事でさらに喜ぶであろう事が目に浮かび無言で肩を殴った。
「じゃあなー」
宜野座は大袈裟に手を振ると体育館の方へ消えていった。
「あいつ部活あるくせにお前と女子大生ナンパ旅企画してたのかよ」
俺と同じ帰宅部の山田純平が妙に整えられた眉毛を歪ませ睨み付けてくる。
「いや、してないから」
俺が食い気味に否定すると山田は少しうつむきながら肩を震わせた。
「そもそもよ、なんなんだよ女子大生ナンパ旅って意味わかんねーよ。あいつ頭おかしいぜ、多分」
「多分ってか完全におかしいよあいつは。この前ゴキブリとMMAしてたからな」
「まじかよ...え、どうやるんだ、それ」
「いや、嘘だ。すまん」
笑いをこらえながら答えると山田は細い目をさらに細め
「お前もおかしいよな」
と言い少し歩幅を大きくした。歩を進める度に砂ぼこりが舞い上がり風に消えていく。どこか無常感を感じさせる光景に目を奪われている間に駐輪場に到着した。
「じゃあまた明日な」
住宅街へと続く曲がり角の前で挨拶し山田と別れた。
あと5分程度自転車を漕げば家に着くだろう。今日は悪いことが起こらなくて良かった。まあ占いなんてあまり当てにならないものなのだろう。ふっと自嘲めいた笑みが湧いてくる。
時刻は4時半頃。夏の夕暮れはまだ先のようで太陽が鬱陶しいほどギラギラ輝いている。日光が住宅街に降り注ぎ何気ない風景がまるで絵画の一部のように美しく思えた。
ふと正面を向くと目の前に信号機があることに気付いた。気を抜いてしまっていた。信号が変わった事に気が付くのが遅れスピードを緩めないまま車道に侵入しかける。とっさにブレーキレバーに力を込めハンドルを切る。ブレーキが作動しタイヤとブレーキシューが擦り合わさった甲高い音が鳴り響いた。自転車は急速に減速し、進行方向を右へと変える。車道への侵入は防げたが、目の前に信号待ちをしている自転車が現れ、どうすることもできず激突してしまった。
強い衝撃がハンドルから伝わってくる。体が震え脳が一瞬の間思考を停止する。何とか意識を取り戻し、足を地面につける。自転車が倒れることは阻止出来たが衝突された側はそうは行かなかったようで乗っていた少女もろとも倒れ伏せていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
自転車から降り少女の元に駆け寄る。年は俺と同くらいだろうか。見慣れない制服に身を包んでおりこの学区の生徒ではないことが分かった。恐らく電車で隣接する県の高校に通っているのだろう。
「いたたたた。え、痛すぎえ、ドッキリ?」
どこか他人事のようなことを呟きながら自転車を起こし少女がこちらを睨み付ける。
「え、ドッキリ?何?え?」
まだ状況が飲み込めていないのか良く分からないこと口にしているが、見る限り外傷はなさそうですこし安堵した。
「いや、ドッキリじゃないです!どこか怪我とかしてないですか!」
内心では落ち着いているつもりだったが、口を開いてみると動揺している事に気が付いた。
少女は細長い指で髪を整えながらこちらを凝視してきた。
「え、あー特に怪我とかはないかな分かんないけど」
「あ、良かったです!この度は本当に私の不注意で申し訳ありません!」
深々と頭を下げバックからメモ用紙と筆箱を取り出す。
「これ、私の連絡先です!治療費とか自転車の修理費とか請求するとき掛けてもらえると幸いです!」
普段慇懃な言葉遣いをする機会が少ないせいか少し変な敬語になってしまった。
少女はおずおずと紙を眺め目を細めた。
「なるほど...うん、分かりました。じゃあ何かあったら連絡しますね」
少女はメモ用紙をリュックの中に入れ
「じゃあちょっと私忙しいのでこれで!」
と言うやいなや少女は事故の被害者とは思えない速度で道を駆け抜けていった。
少女の背中が豆粒ほどになるのを呆然と見送ったあと俺は帰路についた。
携帯のアラームが鳴り響く。朦朧とする意識の中枕元に置いてある携帯を手に取りアラームを解除しようとする。だが手元が狂いパスワード入力画面まで戻ってしまった。内心の苛立ちを抑えパスワードを入力する。
えーと...なんだったっけ...
眠っていた脳を起こしパスワードを頭に浮かべる。0812そうだ0812。好きなミュージシャンの誕生日をパスワードに設定した事を思い出し画面に入力した。見事ロックは解除され液晶には本丸の停止ボタンが表示された。よしあとはこれを押せば...思わず手に力が入る。誤って電源ボタンに力を込めてしまい次の瞬間画面が暗転した。
壁に飾ってある足を結ばれたボージョボー人形が俺を嘲笑っているように感じた。
「そ、それで今日は機嫌がわるいんか」
クラスメイトの宜野座渡の哄笑が教室内に響き渡る。
「まあそんな所かな」
無造作に机の上に並べられたノートと教科書を整理しながら素っ気ない返事を返す。本当は違う。星座占いの結果が芳しくなかったのだ。そんな日は不幸な目に遭わないようなるべく大人しく過ごすようにしているのだけれどそんなことなかなか他人には言えない。
宜野座が突然表情を固くし口を開いた。
「じゃあ今日予定してたあれは無しだな」
何の事を言っているのか分からず宜野座の方へ視線を移す。
「あれ?」
聞き返すと呆れたような表情を作り宜野座は淡々と答えた。
「女子大生ナンパ旅だよ」
想定外の解答にそれまで固くしていた表情が自然とほぐれ少し口角が上がった。
「予定してないだろ」
と返答すると宜野座は端正な顔を歪ませながら俺の肩を軽く叩き
「お前、人相悪いんだから笑ってないと捕まっちまうぞ」
と言った。何か言い返そうと悩んだが返答する事でさらに喜ぶであろう事が目に浮かび無言で肩を殴った。
「じゃあなー」
宜野座は大袈裟に手を振ると体育館の方へ消えていった。
「あいつ部活あるくせにお前と女子大生ナンパ旅企画してたのかよ」
俺と同じ帰宅部の山田純平が妙に整えられた眉毛を歪ませ睨み付けてくる。
「いや、してないから」
俺が食い気味に否定すると山田は少しうつむきながら肩を震わせた。
「そもそもよ、なんなんだよ女子大生ナンパ旅って意味わかんねーよ。あいつ頭おかしいぜ、多分」
「多分ってか完全におかしいよあいつは。この前ゴキブリとMMAしてたからな」
「まじかよ...え、どうやるんだ、それ」
「いや、嘘だ。すまん」
笑いをこらえながら答えると山田は細い目をさらに細め
「お前もおかしいよな」
と言い少し歩幅を大きくした。歩を進める度に砂ぼこりが舞い上がり風に消えていく。どこか無常感を感じさせる光景に目を奪われている間に駐輪場に到着した。
「じゃあまた明日な」
住宅街へと続く曲がり角の前で挨拶し山田と別れた。
あと5分程度自転車を漕げば家に着くだろう。今日は悪いことが起こらなくて良かった。まあ占いなんてあまり当てにならないものなのだろう。ふっと自嘲めいた笑みが湧いてくる。
時刻は4時半頃。夏の夕暮れはまだ先のようで太陽が鬱陶しいほどギラギラ輝いている。日光が住宅街に降り注ぎ何気ない風景がまるで絵画の一部のように美しく思えた。
ふと正面を向くと目の前に信号機があることに気付いた。気を抜いてしまっていた。信号が変わった事に気が付くのが遅れスピードを緩めないまま車道に侵入しかける。とっさにブレーキレバーに力を込めハンドルを切る。ブレーキが作動しタイヤとブレーキシューが擦り合わさった甲高い音が鳴り響いた。自転車は急速に減速し、進行方向を右へと変える。車道への侵入は防げたが、目の前に信号待ちをしている自転車が現れ、どうすることもできず激突してしまった。
強い衝撃がハンドルから伝わってくる。体が震え脳が一瞬の間思考を停止する。何とか意識を取り戻し、足を地面につける。自転車が倒れることは阻止出来たが衝突された側はそうは行かなかったようで乗っていた少女もろとも倒れ伏せていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
自転車から降り少女の元に駆け寄る。年は俺と同くらいだろうか。見慣れない制服に身を包んでおりこの学区の生徒ではないことが分かった。恐らく電車で隣接する県の高校に通っているのだろう。
「いたたたた。え、痛すぎえ、ドッキリ?」
どこか他人事のようなことを呟きながら自転車を起こし少女がこちらを睨み付ける。
「え、ドッキリ?何?え?」
まだ状況が飲み込めていないのか良く分からないこと口にしているが、見る限り外傷はなさそうですこし安堵した。
「いや、ドッキリじゃないです!どこか怪我とかしてないですか!」
内心では落ち着いているつもりだったが、口を開いてみると動揺している事に気が付いた。
少女は細長い指で髪を整えながらこちらを凝視してきた。
「え、あー特に怪我とかはないかな分かんないけど」
「あ、良かったです!この度は本当に私の不注意で申し訳ありません!」
深々と頭を下げバックからメモ用紙と筆箱を取り出す。
「これ、私の連絡先です!治療費とか自転車の修理費とか請求するとき掛けてもらえると幸いです!」
普段慇懃な言葉遣いをする機会が少ないせいか少し変な敬語になってしまった。
少女はおずおずと紙を眺め目を細めた。
「なるほど...うん、分かりました。じゃあ何かあったら連絡しますね」
少女はメモ用紙をリュックの中に入れ
「じゃあちょっと私忙しいのでこれで!」
と言うやいなや少女は事故の被害者とは思えない速度で道を駆け抜けていった。
少女の背中が豆粒ほどになるのを呆然と見送ったあと俺は帰路についた。