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ウィークエンドウィローは、地元活性化を目的に結成されたアイドルグループだった。この街に住む若いアーティストを応援し、活動の場を広げるということが、大きな目標の一つになっている。衣装や楽曲の作成には、地元企業や学生が携わっていて、都会だけじゃなく地方にも才能のある若いクリエイターがたくさんいるのだということをアピールしたいのだと、発起人の事務所社長は語っていた。
まだまだ全国に知られているとは言い難いが、いろんなイベントに呼んでもらえるようになってきたことを考えれば、地方発のアイドルとしてはかなり順調に活動できているといえるだろう。このまま実績を積み重ねていけば、いずれは全国区のテレビ出演や大きな会場でのライブだって夢じゃない。

だからこそ、美月は迷っていた。
ファンの数は増えている。イベントやライブのたびに客席はどんどん大きくなって、それでも足りずに立ち見席や配信を切望する声もある。拠点にしているライブハウスも、観覧の抽選に外れる人の比率が上がっているために、別の大きなハコを探さないといけないかもしれない、とマネージャーからも聞いた。
それなのに、美月のファンの数はあまり増えていない。それぞれダンスと歌が得意な亜衣子と穂花は、初めてライブを観にきた人をそのパワーで虜にしてしまうし、アイドルのほかにモデルとしても活動する絵里奈には同世代の女子ファンが多い。さやかはリーダーらしい落ち着きとは裏腹に、一発芸も厭わない度胸とワードセンスで男女問わず魅了している。

――じゃあ、自分は?

歌もダンスも、正面切ってのダメ出しを受けたことはほとんどない。容姿もトークも、少なくとも劣っているということはないはずだ。
要するに、飛び抜けたものがないのだ。アイドルというのは、全てが及第点であるよりも、欠点があろうがそれを覆うくらい強い魅力があるほうが強い職業だ。平均点を取り続ける美月よりも他のメンバーに惹かれるファンが多いのは、当然のことでしかなかった。

自分のアピールポイントは何なのだろう。
ずっと、ずっとそれを探している。

「ただいま」

家に帰ると、既に寝巻き姿になった妹の葉月が抱きついてきた。明日は小学校の入学式だったはずだが、どうも興奮してしまっているらしい。

「お姉ちゃん、おかえり!」
「葉月、ただいま。もうお風呂入ったんでしょ? わたし、汗だくだからばっちいよ」
「ええー」

はーちゃん、と呼ぶ父親の声に振り向いて、葉月はリビングへとたとたと駆け戻っていった。キッチンから顔を出した母親が、おかえり、と声をかけてくる。

「ご飯あっためておくから、着替えてきなさい」

うんと頷いて自室へ向かう。鞄を床に放って制服を脱ぎ捨て、部屋着に着替えた。

両親はアイドル活動を応援してくれている。ライブやイベントには欠かさず顔を出してくれるし、たくさんサポートしてくれていることは素直にありがたい。
今の美月には痛くてたまらないのだが。

笑顔で歌い踊っている娘が、本当はアイドルを辞めるか迷っているなんて、たぶん2人とも思っていないだろう。

ダイニングに戻って夕食を食べていると、リビングでテレビを観ていた葉月がまたとことこと近寄ってきた。

「明日、入学式だから、お姉ちゃんと同じ髪型にしてもらうんだ。入学式の服もね、お姉ちゃんと同じ水色にしたんだよ」
「そっか。お友達、たくさんできるといいね」

リビングの隅には、それらしい小さな水色のセットアップがハンガーに吊るされていた。スカートと襟、袖口には白のレースがあしらわれていて、美月が着ているアイドル衣装によく似ている。明日の葉月はきっと、美月がよくライブでしている髪型――髪の上半分を左右にわけてくくり、それを熊耳のように丸くお団子にした“くまさんハーフツイン”にするのだろう。きっとかわいいはずだ。

「葉月はお姉ちゃんが大好きね」
「うん! 歌も上手でダンスもできて、かわいくておしゃれで……葉月もお姉ちゃんみたいになりたいなあ」

ぎゅうっと、胸の奥が苦しくなった。最近の葉月は、美月の真似をして歌ったり踊ったりしている。ひらひらのスカートやリボンを好むようになったし、少し前まではピンクが好きだと言っていたのに最近は水色のものばかり選んでいる。そういえば、ランドセルも水色にしていた。洒落た型押しとステッチの入ったかわいいものだった。

妹をがっかりさせたくない。自分自身のアイドルでいたいという欲望のほかに、これだけ家族が応援してくれているならそれに応えたいという気持ちだってもちろんある。
けれど、家族の応援だけじゃ食べていけない。たくさんのファンに応援してもらって、たくさんの地元の企業やグループとタイアップして、そうしてこの街を盛り上げていくのが美月たちの使命だ。優しさだけでは成り立たない。

「ありがとね、葉月。お姉ちゃん、たくさん頑張るから。葉月も学校、頑張ってね」
「うん!」

無邪気に笑って、幼い妹はリビングのソファへ戻っていった。用意された夕食を食べて食器を片付け、風呂に入ってストレッチをする。オーディションに合格してレッスンが始まってから、ほぼ毎日欠かさず続けているルーチンだ。

風呂場で鏡を見た時、今日ぶつけたところにはうっすらと痣ができていた。これ以上みっともない傷を増やすわけにはいかない。明日も自主練をしなくちゃいけないと考えながらストレッチを終え、新しく配られた教科書やテキストを整理してから、美月は早々に布団に潜り込んだ。早起きして、学校の前に少し練習しよう。


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翌日の昼休み、弁当を持っていつもの階段で過ごしていると、ふと手元に影が落ちた。新曲をリピートで流していたイヤホンを外して見上げる。

「新崎くん」
「本当に、毎日ここにいるんだ」

何か言う前に、彼は美月の隣に腰を下ろした。包みを解いて弁当箱を開ける。あまりにも自然な流れで一緒に昼を過ごすことになったこの状況に困惑した。

「教室で食べないの」
「賑やかだから」

それがオブラートに包んだ表現だということに気づかないほど鈍くはない。瑞樹は、ああして囲まれることを好んではいないのだろう。
とはいえ、彼だってスポットライトを浴びていた立場の人間だ。誰も来ない、埃っぽい階段で過ごしたくなるほどの何かがあったのだろうか。

「……あの」
「何」
「なんで、ここに来たの?」
「教室にいるとみんなが来るから」
「そうじゃなくて、なんでこの街に引っ越してきたのかってこと。東京にいたわけでしょ。今までいろんな映画やドラマに出てたじゃない。わたし、『水底のディスペラート』観てたよ。今でも好きなドラマ」
「それが、俺の出た最後の作品だよ」

瑞樹は弁当に視線を向けたまま、淡々とした口調でそう言った。

「厳密に言えば、広告とか撮影モデルの話はいくつかあったけどね。でも映像作品で演じる仕事としてはそれが最後」
「……辞めたの?」
「一応まだ、事務所には在籍してるけど」

実質は辞めたようなもんかな、と、瑞樹はウインナーを頬張った。ぱき、という小気味いい音が、静かな踊り場に響く。
言われてみれば、数年前のそのドラマ以降、彼の名前を目にすることはほとんどなくなっていた。当時はまだ小学生だったはずだ。ほかのクラスメイトが気づいていないのも当然ではある。

「もう、映画もドラマも出ないの」
「今は実力のある若手俳優なんて、いくらでもいるからね。支倉大吾とか、西園寺将人とか、あの辺が同世代だし」

名前が上がったのは、ここ1、2年のドラマや映画にひっきりなしに出演している俳優だ。彼らと同じくらいの年齢の役者なら、他にも山ほどいる。年間に作られる作品の数は決まっているから、結局は椅子取りゲームだ。要するに瑞樹は、そのゲームに負けたつもりでいるのだろう。

「君も知ってるだろうけど、俺は一時期、天才子役だって騒がれてた。でもその頃は年齢と出演作の話題性で盛り立てられていただけで、ちょっと年齢が上がればライバルは増えるし、そう簡単に出演作が決まらない状態がずっと続いてさ。『水底のディスペラート』の後につかめたチャンスはほんのわずかで、オーディションにも落ちてばっかりだった。才能なんてなかったんだよな。自分の力を過信してたぶん、落胆した」

――その当時、新藤ミズキの人気は数多の子役の中でも群を抜いていた。ドラマは四半期ごとに作品が変わるが、年間を通して彼は何かしらに出演していた。泣き、笑い、怒る感情の表現だけでなく、フィクションならではの子どもらしからぬ設定の役柄だってそつなくこなし、そのたびに話題になった。
彼は確かに天才だった。謙遜したような話し方をしているが、タイミングだけでなく、彼自身の力は確かに評価されていたはずだ。

「演技だったらなんだってできたし、どんな台詞だって言えた。自分じゃない誰かになることのほうが楽で、俺にとっては簡単なことだって思ったんだ。だけど、そんな俺の俳優としての存在価値は、ほんのわずかな期間に大きく下がった。マネージャーや社長に何も言われなくたって、結果を手にできなかった現実を見ればそのくらい嫌でもわかる」
「でも、事務所に所属してるってことは、まだ……」
「もう疲れたんだ。本当は引退したっていいくらいだ」

その天才子役の面影は確かにある。ただ容姿に恵まれただけではない、周りを惹きつけるようなオーラだって、瞳に宿る光だって、あの頃テレビ画面や映画館のスクリーンで見ていたものと変わりはない。

「……でも辞めてないんでしょ」

もう一度言ってやると、瑞樹はゆっくりと顔を上げた。美月のほうを向いて、水晶玉のような瞳でじっと見つめてくる。
吸い込まれてしまいそうだ、と思った。

「まだ未練があるってことじゃないの?」
「……わからない。いったん、からっぽになりたくてこの街に来た。辞めたくてたまらないと思っていたのに、事務所との契約をやめるかって言われたら答えられなかった。でも、本当に今は挑戦する気分になれないんだ。だから、母さんの実家があるこの街に来た。都会から、芸能界から離れてみたかったから」
「そっか。立ち入ったことを聞いてごめんね」

これ以上余計なことは言わないほうがよさそうだと判断して、美月は短く返した。ほっとしたようにわずかに緊張が解けた彼の横顔が、ゆっくりと横に振れた。

「これでも元天才子役だから、今喋ったことが全部本当かどうかなんてわからないよ。――俺は、“新崎瑞樹”としてはうまく生きられないから」


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翌週末は、いつものライブハウスでのライブの日だった。土日それぞれで昼と夜の2回、計4回のライブは、どれも満席で大盛況だった。
けれど、相変わらず水色のペンライトの数は芳しくない。

今日もあんまり増えなかった――減っていないだけいいかと思いながら10曲ほどを歌い上げ、最後の曲に入る前のMCのために5人で並んだところで、ふいに観客席がざわついた。何事かと振り返ると、事務所の社長が立っている。

「ライブ中に失礼。この場で発表したいことがあって、ちょっと時間をいただくよ」

手元にカンペを挟んだバインダーを持った社長はステージの真ん中までゆっくりと進み、マイクを構えた。この展開は美月たちにも知らされていない。思わず互いに顔を見合わせてしまったが、誰も心当たりはないようだった。

「今月末の新曲お披露目ライブでは、終演後に握手会を行います。初めての試みになりますが、ぜひご参加いただければと思います」

ざわ、と観客席がどよめいた。これまで、外のイベントでのライブ終演後にハイタッチ会をしたことはあったものの、1対1の握手会はおこなっていない。今どきのアイドルとしてはさして珍しくないイベントなので、いつかはやると思っていたが――まさかこのタイミングなんて。

詳細を説明する社長の後ろで、美月は数ヶ月前のことを思い出していた。レッスン場に集まっていた美月たちの前に突然現れた社長から、握手会の構想を聞かされたのだ。

「事前抽選を原則にして、まずは小規模なところから始めるつもりだよ。いきなり大きな会場を貸し切るのは難しいから、まずはライブ後に数十人から始めて、一定の動員がキープできるようならあらためてひとつのイベントとして考えるつもりだ」
「いいと思います。SNSでも応援してくれるファンの方から、握手会やチェキ会をやってほしいって声をよく見かけますし」

美月がそう言うと、さやかたちも頷いた。ライブや配信活動ばかりだったので、もっとファンと距離を縮めたいというのは、誰もが考えていたことだった。

「決まったら改めて話すよ。それじゃ」

――それきり、社長から話はなかったのだが。今になって、しかもライブでのサプライズ発表で決定を告げられるとは思わなかった。

ライブ終演後にSNSを見ると、喜んでいるファンの声がたくさん投稿されていた。それらにひとつひとついいねを押していると、楽屋に社長が入ってきた。

「お疲れ。今日も元気なライブだったな」
「お疲れ様です。握手会の発表には驚きましたよ」

亜衣子の苦笑に、社長は悪びれる様子もなく大きな口を開けて笑った。

「サプライズのほうが盛り上がると思ってな。詳細はさっき話した通りだ。細かい規則や当日の話は追って書面におこして渡すから少し待ってくれ。――頑張れよ」

最後の5文字は、美月に視線を向けたものだった。不意打ちのその目に戸惑いながら返事をする。立ち去る背中を見送って、5人は息を吐きながら椅子に座った。

「ついに、だね。握手会。どんなふうになるかなあ。たくさん来てくれたらいいね」
「そうだね。いずれは大きな会場でやったり、あとは東京とか大阪とか、いろんなところでやれたらいいよね」

穂花と絵里奈が無邪気に話す声を聞きながら、美月はぼんやり考えを巡らせていた。

増えない水色のペンライトの数。自分だけ惨めな結果になるんじゃないかという不安。大きなグループでは、ファンの列の長さで人気が露骨に可視化されるなどという話も聞いた。きっと自分たちもそうなってしまうだろう。その結果に耐えられる自信は、ない。

もし握手会の結果が振るわなければ、辞めることにしよう――美月は決心した。
さっき見たSNSの書き込みにもあった。美月のパフォーマンスがぱっとしない、歌もダンスも下手じゃないんだろうけど目を惹くものがない、と。社長やスタッフ、さやかたちもそのうち目にするはずだ。
これがファンからの評価なのだ。

「美月、着替えないの?」
「あ――うん。着替える」

既に私服に着替えているさやかから声をかけられて、美月は再び立ち上がった。