一人の黒服が、膝から崩れ落ちる。
前触れない現象を理解する間もなく、男の顔面にリーレニカの膝が入った。
「は?」
「どこ見てんだ、そっちじゃねぇ!」
もう一人が、吹き飛ばされた仲間を目で追う。
確認まで待ってやるつもりはない。
軸足を支えに、側頭部へ回し蹴りを放つ。
もしかすると彼らは、ある程度訓練された兵士崩れかもしれない。
意外にも反応し、ガード体勢をとっていた。――もっとも、腕が上がる頃には蹴り抜いた後だったが。
相手は両手を宙に放り投げる形で背中から倒れる。
二名失神。
周囲に視線を流す。残りは老兵とミゲルだ。
「なんなんだコイツ!?」
老いたバーテンダーは元軍人なのだろう。狼狽しながらも隠し持っていた拳銃を構え、銃口はリーレニカの胴を捉えていた。
「馬鹿ッ、どこ狙ってやがる!」
「あ!?」
ミゲルの言葉を理解したのは、リーレニカの姿が蜃気楼のように消えた後だった。
『コイツらてんでダメだ。人間としか戦えん。マシーナに使われとる』
「同感ね」
リーレニカの生体型デバイス――Amaryllisのマシーナ操作が起動していた。
命令式は〈偽装〉。
大気中に含まれるマシーナウイルスが、光を異常に歪ませ幻覚を構築する。
老兵の目にはコウモリスカートが悠々と佇む姿で映っていただろうが、幻覚と悟るには遅すぎた。
銃を構える頃には、既に背後からナイフを充てがわれている。
手を上げ、銃を落とす。ゴト、と重い音がカーペットに沈んだ。
「リーダー。てめぇ手出す相手間違えやがっ――」
首に充てられたナイフが緩むと、老兵はプツリと意識が切れたようにカウンターへ突っ伏した。
残り一人。
静かな殺意を宿し、双眸はミゲルへ向く。
「ひっ――」
情けない悲鳴を上げ、椅子に足を取られ無様に倒れる。
まるで化け物を見るかのように、恐怖で引き攣った顔をしていた。
「謝罪は要求しません。謝られたところで、潰れた花は帰ってこない」
「お、お前。こんなことして……店、店だ。騎士団に営業権を剥奪させてもいいんだそ!」
「私はもうあの店の従業員じゃない。ただワインに酔っただけの迷惑客です」
ナイフを器用に回しながら、ミゲルの前まで近付く。
「お、俺だってなあ。家族に飯食わせる為に必死なんだよ! それを加工もせず、何の努力もしねぇでそこらに生えてる雑草で金稼ごうなんてなあ……」
この期に及んで自己正当化しようとは恐れ入る。
リーレニカは肩を竦めた。
「あなたは夜中、機人の巣食う渓谷に花を摘みに行けるんですか? 彼女は加工が出来ないんじゃない。危険な地で咲く花の価値を売ってるんです」
もうこれ以上言葉を交わしても無駄だ。
「これ以上あの子に危害を加えようと言うのなら――」
「な、なんなんだお前ッ」
ミゲルが銃型デバイスを引き抜く。銃創にガラス管が嵌め込まれ、幻想的な粒子が渦巻くマシーナ溶液で満たされている。
殺傷性を高めるため、〈圧縮〉の命令式が組み込まれている。引き金を引けば、音速でマシーナ溶液が射出される代物。
『高濃度の悪性マシーナ反応を検知。粘膜接触による感染の危険性、オーバー九十パーセント。外皮接触による影響は軽度の火傷及び重度の神経痛』
「タチの悪い武器商人みたいね」
見たところ、体内から悪性マシーナを感染させ、急速に機人化を促進させる毒薬だろう。
悪性マシーナ――とどのつまり、〝機人化促進細胞〟。それが高濃度であるなら、機人になる前に激痛でショック死するようデザインされた兵器だ。
機人化は死因が特定し辛く、痕跡が残り難いだろうから、暗殺用として造られたのだろう。
「う、動くなよ。お前のナイフと俺の銃なら、どっちが早えか分かるよな」
「試しますか?」
「――ッ、馬鹿にしやがって」
ミゲルは怒りに任せ、引き金を絞った。
「――あ? ああっ?」
ガラス管の爆ぜる音。
高熱の溶液がミゲルの手を灼いた。
奇妙な悲鳴をあげ、激痛で床を転げ回る。
ミゲルの手から離れた銃創には、リーレニカの持っていたナイフの――ブレード部分のみ突き刺さっている。
それはリーレニカが機人との戦闘を考慮し、「間合いを拡張させる」ために手にした武器。
トリガーを引く事でブレードを射出する暗殺用ナイフ――『弾道ナイフ』だった。
「あなたは一つ勘違いしている」
ガラス管から溢れたマシーナ溶液は、少量であろうが容赦なく体を蝕む。
皮膚を傷付けないよう最大限譲歩してやったのだ。感染による機人化は免れただろうが、暫くは痛みでまともに会話もできないだろう。
だから、勝手に喋り立ち去ることにした。
「私は元々、フランジェリエッタのスタッフで雇われていない――ただの『ボディガード』です」