なんで。どうして。
そういう言葉を耳にするたびに幼い記憶を思い出す。
幼い頃からそうやって尋ねられたことがあった。彼らはみんな揃ってわたしの髪を指さして、"どうしてそういう髪の色なの"と質問してくる。
容赦なかった。
それでもわたしは、丁寧に返していった。
「お母さんが外国の人なんだよ」
ちゃんとこう答えたら、みんな分かってくれた。そうやって理解してくれるからわたしも嬉しかった。
その安堵はずっと続くと思っていた......。
中学校に上がったら、今までの空気が一変してしまった。
地域の小学校から色んな生徒たちが集まって、ひとつの空気を作り出す。そこで生まれるものは強弱を作り出す淀んだものだった。
いつの間にか、ある女子生徒の周りに人が集まるようになっていた。
休み時間に談笑するのもお手洗いに行くのも、放課後に帰るのだってあの子の後ろに付いていく。それは日に日に大きくなって、圧迫感を生んでしまう。
ある日、そんな子たちと公園で話すことになった。
あまり接点のない生活を過ごしていたとはいえ、ちょっと話すだけならいいかとわたしは出かけていった。
なにも疑うこともせずに。
それでも、このまま雑談が続くんだなあと思っていた時だった。そのグループの中心にいた彼女が急に切り出した。
「ねえ、どうしてそんな髪の色なの」
母親が外国の人だって、いつも通りに応える。きちんと伝えたら分かってくれると信じていたんだ。それは、今日この日までだった。
「校則破って染めてちゃダメでしょう」
純粋な心は、邪悪な心に塗りつぶされる。
正直な意見はひとつも受け取ってもらえず、返されたのは気味悪いくらいまでの嘲笑う表情だった。
あまりのことに何が起きているのか分からなかったわたしは、気づいたら周りの子たちに腕を締め付けられていた。
時間にしてみたらあっという間だったのかもしれない。
でもスローモーションのように感じてしまう。
彼女が鋏を取り出して、こちらに近づけてくる。いつの間にかわたしの長い髪は切り落とされてしまった。
これが、わたしがはじめて感じた恐怖。
日の落ちる時間までわたしは泣き続けてしまった。
それから、わたしが学校に行く日はまばらになってしまった。
たまに学校に行っても、あのグループとは近づかない方が良いというこそこそとした雰囲気を感じるだけで、わたしの心配なんてあまりしてくれなかった。
いつの間にか、わたしの呼び方は"ヘンな髪の子"だった。
最初の頃はお母さんが文句を言いに学校に行ってくれたそうだ。でも、わたしはもう学校のことなんてどうでもよかったから、すぐに自分の部屋にこもるようになった。
「みんなの笑顔を守る姫! プリンセス・ソフィア!!」
この台詞を聞くたびに、わたしの心は震えた。
塾に行く時間以外ではアニメを見るようになった。中でもいちばん気に入ったのが『プリンセス・ソフィア』だった。
日曜日の朝に放送している、女児向けアニメの金字塔。
心優しくてしっかり者の女の子である香織ちゃんが、不思議な力を手に入れて変身し悪の組織と戦うストーリーだ。
変身の決めポーズには毎度お決まりの名乗り口上をあげ、バトルシーンに突入していく。
必ず悪者は撤退していくから予定調和みたいなものを感じる。それでも、わたしは目を輝かせて見ていた。
同い年くらいの子が勇気をもって戦っていく。
なびくポニーテールやスカートというデザインも相まって、かっこ良さの中に可愛らしさも感じられた。
その姿がとても素晴らしくて、恋に近いような気持ちが芽生えていた。
ソフィアがわたしの心も救ってくれないかと思っていたんだ。自分に嫌がらせした子たちも懲らしめてくれないだろうかって。
・・・
「学校に無理して行かなくて良いのよ。
その代わり、たまにはお店を手伝って頂戴ね」
助手席に座ったわたしに母親が声をかける。それがお小遣いになるからと言う。
お互いにシートベルトを閉めたのを確認したら、慣れた手つきで車を発進させた。
わたしの母親は小さな仕立て屋を営んでいる。自宅の一階は工房になっていて、その奥の方は倉庫になっていた。たまに忍び込んでは、色とりどりの生地を眺めるのがとても楽しかった。
短く切り揃えられた髪型は仕事人のよう。その溌剌とした声に呼びかけられるたびに、わたしは宿題を止めて出かける準備をしていった。
時折、生地の買い出しに行くことがある。それは仕事に必要なことだと思う傍ら、わたしを気分転換に連れ出したいんだなと感じていた。
「うん、いいよ」
わたしは運転席の方を見ずに、まっすぐ前を見つめて答える。
親に迷惑をかけているとか、両親が無理して気遣ってくれてるんじゃないかとか、色々考えてしまう。とくにお母さんはどう思っているんだろう。
いつも楽しい時間なんだけど、色んな感情を感じてしまうから、わたしはどうすればよいのか分からなかった。
車のウィンドウを開けて、風を感じたかった。
ある日突然に聞かれたことがあった。
何か欲しいものはないのかって聞かれても、何のことだか分からない。居間でテレビを見ていたわたしは、きょんとした表情を作ってしまった。
「お母さん、急になに......?」
難しい言葉で、こういうのが鳩が豆鉄砲を食ったよう、というのを感じる。
ゆっくり思い出して、と首を傾げながら戻っていく姿にわたしは慌てて声をかけた。数秒経って気づいたことは、今月わたしの誕生日だということだった。
「待って、待って。欲しいのがあるからちょっと聞いてほしいんだ」
気をよくして振り返った母親に、わたしは手元にあった雑誌を開いて見せた。
それは月刊で発行されているアニメ雑誌だ。一番大きな特集が『プリンセス・ソフィア』だったこともあって、わたしは何にも使う予定のなかったお小遣いを揃えては買いに行ったことがあった。
わたしが欲しがったもの。それはいわゆるコスプレだ。
キャラクターの設定画が大きく掲載されているページに、香織ちゃんの学生服が載っていた。アニメオリジナルのデザインをしたセーラー服だけど、リボンが所々に使われていてとても可愛かった。
「それじゃあ、余所行きで着られる服にアレンジしようかしら」
それから母親は時間を見つけては製作してくれるようになった。
わたしの身体の寸法を測って、いちばん似合うであろう生地を買い付けに行って。
でも、異変を感じたのは服を作り始めた時だった。
わたしの目の前に映ったのは、大きな鋏。
あの時を思い出す。鋏の音が怖い。
またわたしの髪が切られるんじゃないか。そう錯覚してしまって、慌てて母親の腕にしがみついた。
「やめて、切らないで!!」
「ちょっと、何言っているのよ!!」
鋏やミシンを扱う人に触れていはいけないという。
でも、わたしはそんなことを構う余裕がなかったんだ。
裁断されていく生地は雨粒がよじれるように、曲がってしまった。もう台無しになってしまったものをわたしは見ようともせずに、慌てて部屋に駆けていく。
けっきょく、わたしの誕生日プレゼントは、自分の涙と一緒に流れていってしまった。
そういう言葉を耳にするたびに幼い記憶を思い出す。
幼い頃からそうやって尋ねられたことがあった。彼らはみんな揃ってわたしの髪を指さして、"どうしてそういう髪の色なの"と質問してくる。
容赦なかった。
それでもわたしは、丁寧に返していった。
「お母さんが外国の人なんだよ」
ちゃんとこう答えたら、みんな分かってくれた。そうやって理解してくれるからわたしも嬉しかった。
その安堵はずっと続くと思っていた......。
中学校に上がったら、今までの空気が一変してしまった。
地域の小学校から色んな生徒たちが集まって、ひとつの空気を作り出す。そこで生まれるものは強弱を作り出す淀んだものだった。
いつの間にか、ある女子生徒の周りに人が集まるようになっていた。
休み時間に談笑するのもお手洗いに行くのも、放課後に帰るのだってあの子の後ろに付いていく。それは日に日に大きくなって、圧迫感を生んでしまう。
ある日、そんな子たちと公園で話すことになった。
あまり接点のない生活を過ごしていたとはいえ、ちょっと話すだけならいいかとわたしは出かけていった。
なにも疑うこともせずに。
それでも、このまま雑談が続くんだなあと思っていた時だった。そのグループの中心にいた彼女が急に切り出した。
「ねえ、どうしてそんな髪の色なの」
母親が外国の人だって、いつも通りに応える。きちんと伝えたら分かってくれると信じていたんだ。それは、今日この日までだった。
「校則破って染めてちゃダメでしょう」
純粋な心は、邪悪な心に塗りつぶされる。
正直な意見はひとつも受け取ってもらえず、返されたのは気味悪いくらいまでの嘲笑う表情だった。
あまりのことに何が起きているのか分からなかったわたしは、気づいたら周りの子たちに腕を締め付けられていた。
時間にしてみたらあっという間だったのかもしれない。
でもスローモーションのように感じてしまう。
彼女が鋏を取り出して、こちらに近づけてくる。いつの間にかわたしの長い髪は切り落とされてしまった。
これが、わたしがはじめて感じた恐怖。
日の落ちる時間までわたしは泣き続けてしまった。
それから、わたしが学校に行く日はまばらになってしまった。
たまに学校に行っても、あのグループとは近づかない方が良いというこそこそとした雰囲気を感じるだけで、わたしの心配なんてあまりしてくれなかった。
いつの間にか、わたしの呼び方は"ヘンな髪の子"だった。
最初の頃はお母さんが文句を言いに学校に行ってくれたそうだ。でも、わたしはもう学校のことなんてどうでもよかったから、すぐに自分の部屋にこもるようになった。
「みんなの笑顔を守る姫! プリンセス・ソフィア!!」
この台詞を聞くたびに、わたしの心は震えた。
塾に行く時間以外ではアニメを見るようになった。中でもいちばん気に入ったのが『プリンセス・ソフィア』だった。
日曜日の朝に放送している、女児向けアニメの金字塔。
心優しくてしっかり者の女の子である香織ちゃんが、不思議な力を手に入れて変身し悪の組織と戦うストーリーだ。
変身の決めポーズには毎度お決まりの名乗り口上をあげ、バトルシーンに突入していく。
必ず悪者は撤退していくから予定調和みたいなものを感じる。それでも、わたしは目を輝かせて見ていた。
同い年くらいの子が勇気をもって戦っていく。
なびくポニーテールやスカートというデザインも相まって、かっこ良さの中に可愛らしさも感じられた。
その姿がとても素晴らしくて、恋に近いような気持ちが芽生えていた。
ソフィアがわたしの心も救ってくれないかと思っていたんだ。自分に嫌がらせした子たちも懲らしめてくれないだろうかって。
・・・
「学校に無理して行かなくて良いのよ。
その代わり、たまにはお店を手伝って頂戴ね」
助手席に座ったわたしに母親が声をかける。それがお小遣いになるからと言う。
お互いにシートベルトを閉めたのを確認したら、慣れた手つきで車を発進させた。
わたしの母親は小さな仕立て屋を営んでいる。自宅の一階は工房になっていて、その奥の方は倉庫になっていた。たまに忍び込んでは、色とりどりの生地を眺めるのがとても楽しかった。
短く切り揃えられた髪型は仕事人のよう。その溌剌とした声に呼びかけられるたびに、わたしは宿題を止めて出かける準備をしていった。
時折、生地の買い出しに行くことがある。それは仕事に必要なことだと思う傍ら、わたしを気分転換に連れ出したいんだなと感じていた。
「うん、いいよ」
わたしは運転席の方を見ずに、まっすぐ前を見つめて答える。
親に迷惑をかけているとか、両親が無理して気遣ってくれてるんじゃないかとか、色々考えてしまう。とくにお母さんはどう思っているんだろう。
いつも楽しい時間なんだけど、色んな感情を感じてしまうから、わたしはどうすればよいのか分からなかった。
車のウィンドウを開けて、風を感じたかった。
ある日突然に聞かれたことがあった。
何か欲しいものはないのかって聞かれても、何のことだか分からない。居間でテレビを見ていたわたしは、きょんとした表情を作ってしまった。
「お母さん、急になに......?」
難しい言葉で、こういうのが鳩が豆鉄砲を食ったよう、というのを感じる。
ゆっくり思い出して、と首を傾げながら戻っていく姿にわたしは慌てて声をかけた。数秒経って気づいたことは、今月わたしの誕生日だということだった。
「待って、待って。欲しいのがあるからちょっと聞いてほしいんだ」
気をよくして振り返った母親に、わたしは手元にあった雑誌を開いて見せた。
それは月刊で発行されているアニメ雑誌だ。一番大きな特集が『プリンセス・ソフィア』だったこともあって、わたしは何にも使う予定のなかったお小遣いを揃えては買いに行ったことがあった。
わたしが欲しがったもの。それはいわゆるコスプレだ。
キャラクターの設定画が大きく掲載されているページに、香織ちゃんの学生服が載っていた。アニメオリジナルのデザインをしたセーラー服だけど、リボンが所々に使われていてとても可愛かった。
「それじゃあ、余所行きで着られる服にアレンジしようかしら」
それから母親は時間を見つけては製作してくれるようになった。
わたしの身体の寸法を測って、いちばん似合うであろう生地を買い付けに行って。
でも、異変を感じたのは服を作り始めた時だった。
わたしの目の前に映ったのは、大きな鋏。
あの時を思い出す。鋏の音が怖い。
またわたしの髪が切られるんじゃないか。そう錯覚してしまって、慌てて母親の腕にしがみついた。
「やめて、切らないで!!」
「ちょっと、何言っているのよ!!」
鋏やミシンを扱う人に触れていはいけないという。
でも、わたしはそんなことを構う余裕がなかったんだ。
裁断されていく生地は雨粒がよじれるように、曲がってしまった。もう台無しになってしまったものをわたしは見ようともせずに、慌てて部屋に駆けていく。
けっきょく、わたしの誕生日プレゼントは、自分の涙と一緒に流れていってしまった。