「ちょっと、そこのお嬢ちゃん。こんなところで何してんの?」
白い煙が淀む密閉空間に、青い制服はよく映える。もっともこの部屋にいるべき顔とも言えようその中年警察官の目つきは、獲物を狩る虎の如く、鋭い視線を放っている。それなのに、表情全体としての印象は笑顔を感じさせる。これも「補導のプロ」と名高いやり手の方法なのだろうか。
「わたしは別に決まった用があるわけじゃないんですけど」
喫煙ルームに制服姿の警察官と、これまた制服姿の女子高生が対峙する奇妙な光景に、外には観衆がぞろぞろと集まってくる。
おそらくこの警察官は、女子高生の彼女がここで喫煙していると踏んでいるのだろう。そして、何も知らない観衆たちも。
だが、俺は知っている。
彼女は完全なる無実だということを。
そして、それを証明する前に俺は彼らに一言、言いたい。
「制服に臭い付いちゃうんで、一回外出ません? お巡りさんもタバコの匂いつけたままじゃ帰れないでしょう?」
全てを知っている俺でも、未だに華のJKがこの臭い喫煙ルームにやってくる理由を理解できないんだから、彼にも到底わかるわけはないのだろう。
○
警察署というものはどこか薄暗く、デパートと違ってもっぱらウェルカム感はない。ましてや、職員の塩対応っぷりは凄まじく、もはやツンデレの域に達している。まあ、あれだ。応援団が本心は優しいのに、校歌指導になると仮面をかぶるのと同じ原理だ。そう思えば、サツも援団も怖くはない。
「……で、さあ。なんでキミあんなとこにいたの?」
始まった。
警察特有の圧迫面接ならぬ、圧迫聴取。ドラマとかではよく見るし、昔は実際に怖くてないことを自白して冤罪かけられたなんて話を聞いたことがあったけど……。このチョコレートタンクくらい甘ったるい時代に、JK相手にここまでするとは。力づくで吐き出させてまで得る「補導のプロ」という二つ名なんて何がそんなに喜ばしいのだろか。もっとこうホラ、巧妙なテクニックが見られると思ってせっかく喫煙ルームの大人を代表して着いてきたっていうのに、少し損した気分だ。
「早く理由を言ってくれないと……。黙ったままじゃ、俺も何も分からないからさ」
笑顔で言うのに、その目は全然笑顔に見えない。むしろ、目玉の奥深い深いところに溜まった闇が漏れ出ているようにさえ見える。まさにこれを「不敵な笑み」とでも言うのだろう。
「答えてくれないとさぁ、こっちとしても『やってる』って捉えざるを得ないんだよね。不本意だけど」
「ホントに不本意だと思ってます?」
「はぁ?」
不意を突いて俺の口から漏れ出た言葉がどうやら彼の高きプライドに触れてしまったらしい。
「ちょっとそこ、イチャイチャしてないで。私、置いてけぼりなんだけど……」
「ごめん」
「すみません」
「「・・・ってか、喋ったぁぁぁぁ!!!!」」
警察署についてから貫き通してきた沈黙が破られたのもつかの間、開口一番がおっさん2人に対する「イチャイチャしてないで」の辛辣なツッコミの一言であったのは、普通に申し訳ないと思う。せっかくの記念すべき初警察署だったろうに。普通にしてれば警察沙汰なんかにはならないような子なんだけどなぁ。
「そういえば、名前まだ聞いてなかったよな。名前と高校名、あと家の住所も教えて」
「それ全部言わなきゃいけないんですか?」
「何か知られて不都合なことでも?」
「――別に」
かれこれ、彼女――鈴木麗菜――とは半年近い付き合いになるのだが、あまり自分から家のこととか身の回りのことを話そうとはしてこなかった。聞かれれば仕方なく答えるけれど、自分からは絶対に言わないし、いつも曖昧にして話を逸らす。だけど、彼女の話し方、表情からして一つとして嘘を吐いていないということは容易に感じ取れた。だから、俺は知り合って半年も経つというのに、彼女のことも、考えも、そして煙たい喫煙ルームにわざわざやってくる理由も何一つわからない。
ずっと、それが最善の方法だと思っていた。
絶対にこんな奇行するJKが何も抱えていないはずないとは頭ではわかっていたのだろうに、きっと誰かに救いを求めて彷徨っていたのだろうに、何一つ掬い取ってやることが出来なかった。今考えると自分が恥ずかしい。みっともない。なんのためにこの三十数年間を生きてきたのだろうか。
「ねぇ、これだけは訊いてもいいかな?」
「なに?」
「キミはタバコ、吸ってないんだよね?」
「あったりまえじゃん!」
「「あんたに訊いてない」」
「持ってたりもしてないよね?」
「あったりまえじゃん!!」
「「あんたに訊いてないってば!!」」
俺が休憩しているときにちょこちょこタイミング良くやってくることが多かった麗菜だが、これまでタバコを吸っているところも持っているところも見たことはない。ましてや、無残に捨てられた吸い殻を素手で拾ってしまうほど、心が綺麗な彼女がそんなことあり得ない。
目と目を合わせて自分を知らない人との会話を楽しむ。
そのためだけに彼女は煙の中へ飛び込んでいた。
どこか無理をしてまでも、そうしないと逃れられないものがあったような気がした。
「じゃあ、なんのためにあんなところにいたの?」
「そ、それは……」
「やっぱり、何か言えないことがあるのか?」
先程までよりも圧の強い尋問が目の前で繰り広げられるのを俺はただじっと見つめていることしか出来ない。
警察官の視線も語気も鋭くなる一方で、麗菜は肩を振るわせているように見える。
言えないことを引き出そうとされる気持ち悪さは俺も少なからず知っている。それでも今の彼女は俺よりもずっとずっと生きた心地のしないような時間に取り巻かれているのだろう。
「あれか? タバコの臭いが好きだったとか? たまにいるんだよな。――ってそんなことないかw」
警察官は痺れを切らしたようにありもしないような理由を挙げて、自分で突っ込んだ。俺的には何か昔の自分がそうであったかのように自虐的な発言に聞こえなくもなかった。
麗菜はうつむきがちだった顔をすっと上げ、これ見よがしに表情の暗さが落ち着いた。一瞬口角を上げ、何か閃いたような、まさにテスト問題のなかにわからなかった問題の答えを見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「そうなんですよ。小さい頃から家族が吸っていて好きだったんですよね、この臭い。久々に懐かしくなって気づいたら入っていた、みたいな」
ほんの数秒のうちに組み立てられた回答はすらすらと滞りなく口から飛び出してくる。しかし、そんな言葉の様子とは裏腹に、さっきよりも震えは一段と増し、唇がみるみる青くなっていく。
「はぁ⁉ お前、そんなの良くないに決まってんだろ‼ まだ子どもなんだからタバコの臭いなんか好きになるんじゃねぇよ‼」
麗菜の言葉は彼の隠されていた逆鱗に触れてしまったのか、俺もビビるくらいの勢いで怒鳴られた。
言い方はともあれ、彼は絶対に麗菜のことを心配している。
受動喫煙のリスクもあるし、小さいうちから臭いになれることは将来に喫煙にも繋がり兼ねない。
「吸っていないからいい」ではなくて、喫煙ルームにいることがそもそも体に良くないと彼は知ってもらいたいのだろうと感じ取った。そのことに彼は命をかけているようにも思った。
麗菜の緊迫した表情はより一層不安な感情を醸しだし、もう彼女の精神は耐えられないのだと思った。
まだか弱くて社会の生き方を知らない高校生を救ってやれるのは俺しかいない。
「お前さ、ホントはタバコの臭いなんて嫌いだろ?」
「「・・・は?」」
「最近はそうでもなくなったけど、最初の頃なんて喋れないくらいに咳き込んでいたし、喘息だって持ってたんだろ?」
「なんでそれを?」
「なるべく呼吸しないようにして苦しそうにしてたし、リュックに喘息の吸入器が入っているの見えたし」
麗菜は黙り込んだ。
警察官は驚いたように目を見開いた。
そして、俺は麗菜に寄り添って訊く。
「本当の理由は、自分を知らない誰かと『ちゃんと』会話がしたかったんだよな」
そのとき、麗菜の抱え込んでいたものが、全て解き放たれ、涙となって溢れてきた。
もし、俺の仮説が正しいのだとしたら、これまで溜め込んできた苦痛や苦悩は俺には計り知れない。
彼女には彼女なりの辛さがあって、喫煙ルームというものは、俺というおっさんは悩みの吐き口になっていたのかもしれない。
それでもそれで、俺としては良かったと思う。
「「「麗菜!!!」」」
母親らしき人物とおそらくクラスメイトであろう数人が部屋に飛び込んできた。
――って、取調室に飛び込んで来ちゃうことあるのか⁉
それよりも麗菜の母親……どこかで見たことがあるような。
――やっぱり、仮説は当たっていたかもしれない⁉
「本当になんて困った子なの?」
少しずつ母親は麗菜に近づいていく。
これはやばいかもしれないと本能が叫んでいる。
デジャヴを感じる「ぶたれるシーン」だ。
――パン‼
母親らしき人物は麗菜を通り過ぎて、警察官の頬を平手打ちした。
あぁ、これは「娘が補導なんてされるはずない。警察官がおかしい」という思考の娘溺愛派母なのだろうか?
「また、誤認補導ってどういうこと? 別にあなたに『補導のプロ』の代わりをしろなんて頼んだはずないわよ。お父さんの席を形式上埋めておくだけでいいの。第一、あなた警察手帳だって持っていないのだから」
「・・・は?」
今までわちゃわちゃしていた雰囲気が一瞬にして凍てつくように静まり返る。
シーンとした空気が数秒間続く。おそらく雀の涙くらい短い時間なのだろうが、体感的には永遠のときのように感じた。
「……それって、どういうことですか?」
「本当の警察官じゃないってことです」
「ところであなたは?」
「申し遅れました。こいつ、西谷裕二の母の西谷恵です」
「こっちの母かぁー」
ざわつきは絶えず、当の麗菜はというと、あまりの衝撃に口をポカンと開けて固まっている。理解できなくもない。補導されたと思ったら本物の警察官じゃないんだもの。俺だったらどちゃくそにキレているところだった。
「この度は本当に申し訳ございませんでした」
「いえ、大丈夫です」
全然大丈夫じゃない。
許されるわけないだろうと思う。
それでも、裕二と紹介された警察官は確かにテレビで見た「補導のプロ」そのものだった。いくら親子だとしてもこれほどまでに瓜二つそっくりになるのか?
「裕二さんがテレビで見た『補導のプロ』にそっくりそのままなのですが、親子といえどそんなに似るものですか?」
「···へ? いや、全然そんなことありはしませんよ」
「じゃあ、なぜ瓜二つに見えるのでしょうか?」
「それは……」
「えぇ!?」
「どうやら変装をしていたようで」
「いや、コスプレだから」
「「どっちもおんなじやろ!!」」
見た目が全く一緒だからといって完全に信用しきっていたのに。まさか、無能力な息子だったとは。情けない。
俺は麗菜に向き直って、改めて訊く。
「俺がただずっと疑問に思っていたんだが、なんでお前は喫煙ルームに来ていたんだ? 言わなくてもいいが……」
「ーーったから」
「ん?」
「生きるのが辛かったから」
「……そうか」
本人曰く、学校、家、そしてこの世の全てが自分を苦しめていたという。
唯一の肉親である母親は子が呆れるほどのど天然で、家のことは全て任せっきり。実質、新手のヤングケアラーみたいな感じだという。
そんなこともあってか、学校ではいつも一人っきり。できたと思った友達もすぐに離れていってしまうのがお決まりだった。
白い煙が淀む密閉空間に、青い制服はよく映える。もっともこの部屋にいるべき顔とも言えようその中年警察官の目つきは、獲物を狩る虎の如く、鋭い視線を放っている。それなのに、表情全体としての印象は笑顔を感じさせる。これも「補導のプロ」と名高いやり手の方法なのだろうか。
「わたしは別に決まった用があるわけじゃないんですけど」
喫煙ルームに制服姿の警察官と、これまた制服姿の女子高生が対峙する奇妙な光景に、外には観衆がぞろぞろと集まってくる。
おそらくこの警察官は、女子高生の彼女がここで喫煙していると踏んでいるのだろう。そして、何も知らない観衆たちも。
だが、俺は知っている。
彼女は完全なる無実だということを。
そして、それを証明する前に俺は彼らに一言、言いたい。
「制服に臭い付いちゃうんで、一回外出ません? お巡りさんもタバコの匂いつけたままじゃ帰れないでしょう?」
全てを知っている俺でも、未だに華のJKがこの臭い喫煙ルームにやってくる理由を理解できないんだから、彼にも到底わかるわけはないのだろう。
○
警察署というものはどこか薄暗く、デパートと違ってもっぱらウェルカム感はない。ましてや、職員の塩対応っぷりは凄まじく、もはやツンデレの域に達している。まあ、あれだ。応援団が本心は優しいのに、校歌指導になると仮面をかぶるのと同じ原理だ。そう思えば、サツも援団も怖くはない。
「……で、さあ。なんでキミあんなとこにいたの?」
始まった。
警察特有の圧迫面接ならぬ、圧迫聴取。ドラマとかではよく見るし、昔は実際に怖くてないことを自白して冤罪かけられたなんて話を聞いたことがあったけど……。このチョコレートタンクくらい甘ったるい時代に、JK相手にここまでするとは。力づくで吐き出させてまで得る「補導のプロ」という二つ名なんて何がそんなに喜ばしいのだろか。もっとこうホラ、巧妙なテクニックが見られると思ってせっかく喫煙ルームの大人を代表して着いてきたっていうのに、少し損した気分だ。
「早く理由を言ってくれないと……。黙ったままじゃ、俺も何も分からないからさ」
笑顔で言うのに、その目は全然笑顔に見えない。むしろ、目玉の奥深い深いところに溜まった闇が漏れ出ているようにさえ見える。まさにこれを「不敵な笑み」とでも言うのだろう。
「答えてくれないとさぁ、こっちとしても『やってる』って捉えざるを得ないんだよね。不本意だけど」
「ホントに不本意だと思ってます?」
「はぁ?」
不意を突いて俺の口から漏れ出た言葉がどうやら彼の高きプライドに触れてしまったらしい。
「ちょっとそこ、イチャイチャしてないで。私、置いてけぼりなんだけど……」
「ごめん」
「すみません」
「「・・・ってか、喋ったぁぁぁぁ!!!!」」
警察署についてから貫き通してきた沈黙が破られたのもつかの間、開口一番がおっさん2人に対する「イチャイチャしてないで」の辛辣なツッコミの一言であったのは、普通に申し訳ないと思う。せっかくの記念すべき初警察署だったろうに。普通にしてれば警察沙汰なんかにはならないような子なんだけどなぁ。
「そういえば、名前まだ聞いてなかったよな。名前と高校名、あと家の住所も教えて」
「それ全部言わなきゃいけないんですか?」
「何か知られて不都合なことでも?」
「――別に」
かれこれ、彼女――鈴木麗菜――とは半年近い付き合いになるのだが、あまり自分から家のこととか身の回りのことを話そうとはしてこなかった。聞かれれば仕方なく答えるけれど、自分からは絶対に言わないし、いつも曖昧にして話を逸らす。だけど、彼女の話し方、表情からして一つとして嘘を吐いていないということは容易に感じ取れた。だから、俺は知り合って半年も経つというのに、彼女のことも、考えも、そして煙たい喫煙ルームにわざわざやってくる理由も何一つわからない。
ずっと、それが最善の方法だと思っていた。
絶対にこんな奇行するJKが何も抱えていないはずないとは頭ではわかっていたのだろうに、きっと誰かに救いを求めて彷徨っていたのだろうに、何一つ掬い取ってやることが出来なかった。今考えると自分が恥ずかしい。みっともない。なんのためにこの三十数年間を生きてきたのだろうか。
「ねぇ、これだけは訊いてもいいかな?」
「なに?」
「キミはタバコ、吸ってないんだよね?」
「あったりまえじゃん!」
「「あんたに訊いてない」」
「持ってたりもしてないよね?」
「あったりまえじゃん!!」
「「あんたに訊いてないってば!!」」
俺が休憩しているときにちょこちょこタイミング良くやってくることが多かった麗菜だが、これまでタバコを吸っているところも持っているところも見たことはない。ましてや、無残に捨てられた吸い殻を素手で拾ってしまうほど、心が綺麗な彼女がそんなことあり得ない。
目と目を合わせて自分を知らない人との会話を楽しむ。
そのためだけに彼女は煙の中へ飛び込んでいた。
どこか無理をしてまでも、そうしないと逃れられないものがあったような気がした。
「じゃあ、なんのためにあんなところにいたの?」
「そ、それは……」
「やっぱり、何か言えないことがあるのか?」
先程までよりも圧の強い尋問が目の前で繰り広げられるのを俺はただじっと見つめていることしか出来ない。
警察官の視線も語気も鋭くなる一方で、麗菜は肩を振るわせているように見える。
言えないことを引き出そうとされる気持ち悪さは俺も少なからず知っている。それでも今の彼女は俺よりもずっとずっと生きた心地のしないような時間に取り巻かれているのだろう。
「あれか? タバコの臭いが好きだったとか? たまにいるんだよな。――ってそんなことないかw」
警察官は痺れを切らしたようにありもしないような理由を挙げて、自分で突っ込んだ。俺的には何か昔の自分がそうであったかのように自虐的な発言に聞こえなくもなかった。
麗菜はうつむきがちだった顔をすっと上げ、これ見よがしに表情の暗さが落ち着いた。一瞬口角を上げ、何か閃いたような、まさにテスト問題のなかにわからなかった問題の答えを見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「そうなんですよ。小さい頃から家族が吸っていて好きだったんですよね、この臭い。久々に懐かしくなって気づいたら入っていた、みたいな」
ほんの数秒のうちに組み立てられた回答はすらすらと滞りなく口から飛び出してくる。しかし、そんな言葉の様子とは裏腹に、さっきよりも震えは一段と増し、唇がみるみる青くなっていく。
「はぁ⁉ お前、そんなの良くないに決まってんだろ‼ まだ子どもなんだからタバコの臭いなんか好きになるんじゃねぇよ‼」
麗菜の言葉は彼の隠されていた逆鱗に触れてしまったのか、俺もビビるくらいの勢いで怒鳴られた。
言い方はともあれ、彼は絶対に麗菜のことを心配している。
受動喫煙のリスクもあるし、小さいうちから臭いになれることは将来に喫煙にも繋がり兼ねない。
「吸っていないからいい」ではなくて、喫煙ルームにいることがそもそも体に良くないと彼は知ってもらいたいのだろうと感じ取った。そのことに彼は命をかけているようにも思った。
麗菜の緊迫した表情はより一層不安な感情を醸しだし、もう彼女の精神は耐えられないのだと思った。
まだか弱くて社会の生き方を知らない高校生を救ってやれるのは俺しかいない。
「お前さ、ホントはタバコの臭いなんて嫌いだろ?」
「「・・・は?」」
「最近はそうでもなくなったけど、最初の頃なんて喋れないくらいに咳き込んでいたし、喘息だって持ってたんだろ?」
「なんでそれを?」
「なるべく呼吸しないようにして苦しそうにしてたし、リュックに喘息の吸入器が入っているの見えたし」
麗菜は黙り込んだ。
警察官は驚いたように目を見開いた。
そして、俺は麗菜に寄り添って訊く。
「本当の理由は、自分を知らない誰かと『ちゃんと』会話がしたかったんだよな」
そのとき、麗菜の抱え込んでいたものが、全て解き放たれ、涙となって溢れてきた。
もし、俺の仮説が正しいのだとしたら、これまで溜め込んできた苦痛や苦悩は俺には計り知れない。
彼女には彼女なりの辛さがあって、喫煙ルームというものは、俺というおっさんは悩みの吐き口になっていたのかもしれない。
それでもそれで、俺としては良かったと思う。
「「「麗菜!!!」」」
母親らしき人物とおそらくクラスメイトであろう数人が部屋に飛び込んできた。
――って、取調室に飛び込んで来ちゃうことあるのか⁉
それよりも麗菜の母親……どこかで見たことがあるような。
――やっぱり、仮説は当たっていたかもしれない⁉
「本当になんて困った子なの?」
少しずつ母親は麗菜に近づいていく。
これはやばいかもしれないと本能が叫んでいる。
デジャヴを感じる「ぶたれるシーン」だ。
――パン‼
母親らしき人物は麗菜を通り過ぎて、警察官の頬を平手打ちした。
あぁ、これは「娘が補導なんてされるはずない。警察官がおかしい」という思考の娘溺愛派母なのだろうか?
「また、誤認補導ってどういうこと? 別にあなたに『補導のプロ』の代わりをしろなんて頼んだはずないわよ。お父さんの席を形式上埋めておくだけでいいの。第一、あなた警察手帳だって持っていないのだから」
「・・・は?」
今までわちゃわちゃしていた雰囲気が一瞬にして凍てつくように静まり返る。
シーンとした空気が数秒間続く。おそらく雀の涙くらい短い時間なのだろうが、体感的には永遠のときのように感じた。
「……それって、どういうことですか?」
「本当の警察官じゃないってことです」
「ところであなたは?」
「申し遅れました。こいつ、西谷裕二の母の西谷恵です」
「こっちの母かぁー」
ざわつきは絶えず、当の麗菜はというと、あまりの衝撃に口をポカンと開けて固まっている。理解できなくもない。補導されたと思ったら本物の警察官じゃないんだもの。俺だったらどちゃくそにキレているところだった。
「この度は本当に申し訳ございませんでした」
「いえ、大丈夫です」
全然大丈夫じゃない。
許されるわけないだろうと思う。
それでも、裕二と紹介された警察官は確かにテレビで見た「補導のプロ」そのものだった。いくら親子だとしてもこれほどまでに瓜二つそっくりになるのか?
「裕二さんがテレビで見た『補導のプロ』にそっくりそのままなのですが、親子といえどそんなに似るものですか?」
「···へ? いや、全然そんなことありはしませんよ」
「じゃあ、なぜ瓜二つに見えるのでしょうか?」
「それは……」
「えぇ!?」
「どうやら変装をしていたようで」
「いや、コスプレだから」
「「どっちもおんなじやろ!!」」
見た目が全く一緒だからといって完全に信用しきっていたのに。まさか、無能力な息子だったとは。情けない。
俺は麗菜に向き直って、改めて訊く。
「俺がただずっと疑問に思っていたんだが、なんでお前は喫煙ルームに来ていたんだ? 言わなくてもいいが……」
「ーーったから」
「ん?」
「生きるのが辛かったから」
「……そうか」
本人曰く、学校、家、そしてこの世の全てが自分を苦しめていたという。
唯一の肉親である母親は子が呆れるほどのど天然で、家のことは全て任せっきり。実質、新手のヤングケアラーみたいな感じだという。
そんなこともあってか、学校ではいつも一人っきり。できたと思った友達もすぐに離れていってしまうのがお決まりだった。